2011年8月31日水曜日

忍野八海と八湖信仰

忍野八海は山梨県の忍野村にある富士山の湧水群です。出口池、底抜池、銚子池、濁池、湧池、お釜池、鏡池、菖蒲池の総称で、天然記念物に指定されています。文化との接点もあり、富士山の文化の歴史を考える上で重要です。

  • 形成
これら八海、いや忍野村一帯というのはかつては山中湖と続いていた湖でした。それが富士山の噴火による溶岩流により分断され、干上がって平地になったことにより形成されたと考えられています。桂川という川の水源だそうです。

  • 八湖信仰
忍野八海は「富士御手洗元八湖」といわれ、富士信仰の霊場でもありました。角行の修行になぞらえたもので、角行を拝めることから形成された習慣であると推測されます。それぞれの池を巡礼する八湖信仰(江戸時代以降)というものが存在していました。内八海・外八海とはまた違うものであり(これになぞらえた)、これらに比べ範囲が狭まれていることから個別のものとして存在したのではないでしょうか。江戸末期には消失したものでしたが、再興に動いた友右衛門なる人物により浅間神社などが修復されたりしたようです。


  • 富士八海とは
混同しやすいのですが、いわゆる八湖信仰(忍野)と富士八海(内八海・外八海)は異なります。八海巡りは富士講信者による巡回のようなもので、時代によりその場所が多少異なります。当初は現在の沼津市と富士市との間に存在したという「須戸(すと)海」を含めて富士八海と言っていました(厳密にいうと富士八海のうち内八海)。しかし後に須戸海の替わりに「泉津湖」を加えて富士八海というようになりました。『甲斐国志』には「富士八海-山中海、明見海、川ロ海、西海、精進海、本栖海、志比礼海、須戸海」とあり、 須戸海が含まれています。このことから、比較的後に「泉津湖」が加えられたのだと考えられます。

このように、富士八海というものは特に甲斐国に準じていたわけではありません。また富士講信者が人穴などを訪れていたことを考えても、富士講の一連の現象は甲斐国固有の現象とは言えなさそうです。

  • 参考文献
  1. 『富士吉田市歴史民俗博物館だより№8』
  2. 『富士吉田市歴史民俗博物館だより№19』
  3. 『富士吉田市歴史民俗博物館だより№20』

2011年8月26日金曜日

戦国時代の富士宮の関所

現在の富士宮市に位置する場所には、戦国期多くの関所があったことが確認されている。

今川義元の判物に
同名新三跡分事、為富士上野関銭、年中一度、…
とあり、「上野関」の存在が確認できる。現在の富士宮市上野と位置は一致している。この周辺は市の機能があったと推測されているが、それと関係していると思う。また他に今川氏真判物に「根原関」なるものがみえ、これも現在の富士宮市根原と一致している。

関所
特筆すべきは「神田橋関」である。これは富士大宮に存在した関で、中道往還の存在を考慮すると「商人関」・「経済関」としての存在意義が強い。富士信忠宛の今川氏真朱印状に「神田橋関」の存在が確認できる。

内容
この朱印状にある「新関」については気になるところである。小和田哲男氏は「新関」という以上、それに対する「古関」があったはずであるとし、とって変えられたことを『今川仮名目録』における内容の実現化によるものであるとしている。また楽市研究をしている安野眞幸氏は、神田橋関の「役所」は今川氏が掌握していたとしている。

現在の富士宮市の地域には「関所が多く存在したんだな」という感覚でよいと思います。

  • 参考文献
小和田哲男,『武将たちと駿河・遠江』(小和田哲男著作集第三巻),P375-378,2001年