徳川家康 |
- 近現代史より以前
近世は上記の記事で示している通りである。つまり近世を通して富士山本宮浅間大社が八合目以上の用地に対して優位的立場にあり、管理以上の位置づけに居たことが明らかであるという事実である。具体的に言えば、徳川忠長支配時代の寛永年間(1624年-1645年)に八合目以上の地を指して「大宮司支配の所」という古文書が残り、また明和・安永の争論では1779年に八合目以上を指して「大宮持たるべし」という幕府の裁許を得ている点が挙げられる。
- 近代-現代の置かれていた状況
まず明治4年(1871)、「社寺上知令」が布告された。これは端的に言えば「社寺の所有地を国有化するもの」である。しかし社寺から見ればこれは納得がいくものではない。なのでその後紆余曲折があり、大正10年に「国有財産法」が制定された。この法は端的に言えば「社寺の用地を無償で貸し付けることができる」というものであった。あくまで「無償で貸し付けている」という体であり、やはり社寺から「返還」という形での処分を望む声は多かったのである。そこで昭和14年(1939)に「寺院等ニ無償ニテ貸付シアル国有財産ノ処分ニ関スル法律」が制定された。しかし戦争によりこれらの処務は行えなくなっている。
終戦後、本格的に社寺の処分問題に取り組むため「国有境内地処分法」が制定された。これは「社寺等に無償で貸し付けている用地のうち、宗教活動に必要と認められる用地は申請があれば社寺等に譲与する」というものである。同法の制定により全国の社寺が申請を行い、それは富士山本宮浅間神社も同様であった。これがおおまかな動向である。
- 国有境内地処分法における審議の始まり
大蔵省財務局は『社寺境内地処分誌』(以下大蔵省(1954))の中で以下のように説明している。
富士山八合目以上の国有地は、従来から富士宮市字大宮の富士山本宮浅間神社(元官幣大社)に対し神社敷地として無償貸付してあったものである。(中略)しかしながらこれが処理は重要且つ複雑な問題があり又先ず比較的安易な他の多数の案件の進捗を図る都合もあってほとんど最後の審議に廻された。
とあり、富士山本宮浅間神社はそもそも審議が遅かったようである。ちなみに他の浅間神社は富士山頂の無償貸付とは関係がなかった。大蔵省(1954)に
その数は全国を通じ一千三百余社、その一割が駿河と甲斐の山麓付近に所在している。しかしながらこれら他の浅間神社に対しては富士山頂の無償貸付関係が全然なかったので、国有境内処分の問題は起こらなかった
とある。つまり複数の当事者は存在せず、本来的にはいざこざは起こりにくいのである。複数の浅間神社間で富士山の土地を争ったという性質のものではなく、「現浅間大社 to 国」の問題なのである。
とりあえずここでは
富士山八合目以上の国有地は従来から富士山本宮浅間神社に無償貸付されており、他浅間神社はそのような関係にはなかった
という事実が理解できれば良いと思います。
- 国有境内地処分法における審査の結果
審査は昭和27年2月27日に行われ、以下のような答申があった。
本宮 | 奥宮 | 計 | |
---|---|---|---|
申請地(坪) | 17,535 | 1,226,028 | 1,243,564 |
譲与する土地(坪) | 17,535 | 49,952 | 67,487 |
つまり本宮の用地はすべてが譲与されたが、奥宮の地は一部のみであったのである。
ここでよく勘違いされていることがあるのであるが、従来より富士山本宮浅間神社は富士山頂を社有地にしており、当初の国有境内地処分法でもそれらは特に問題なく認められているのである。そして大蔵大臣がこの答申の通りに処方するよう東海財務局長に指示を行い、昭和27年12月に東海財務局長から浅間大社に対し富士山頂を含む用地の譲与処分が行われている。
ここでよく勘違いされていることがあるのであるが、従来より富士山本宮浅間神社は富士山頂を社有地にしており、当初の国有境内地処分法でもそれらは特に問題なく認められているのである。そして大蔵大臣がこの答申の通りに処方するよう東海財務局長に指示を行い、昭和27年12月に東海財務局長から浅間大社に対し富士山頂を含む用地の譲与処分が行われている。
この点が多くで誤解されている。つまり「急に富士山頂の土地が浅間神社の手元に転がってきた」というものでは決してないのである。また裁判云々関係なく、このとき富士山頂の奥宮(の建造物等)の土地は普通に譲与されている。しかしながら完全には浅間神社側の要望通りという様にはいかなかったのである。
- 結果に対する請願
全国の社寺において、政府の決定に対し改めて用地譲与を請願するという事態が発生した。一般的な有名どころでいえば「北野天満宮(京都)」「靖国神社(東京)」などもそうであった。ちなみに両者とも請願内容を正式に「棄却」されている。
そして富士山本宮浅間大社も同様に請願を行った。結果どのような処分が下されたかというと、実は「例外的な保留」に留まっているのである。これが浅間大社の例が特殊である所以である。
『松栄寺本紙本着色富士曼荼羅図』より |
浅間大社は「国有境内地処分法第六条第一項」に基づき、除外された1,176,076坪の土地の譲与を請願した。実はこの条項の定めでは請願があれば審議会に諮問しなければならないことになっており、答申自体は出されているのである。それが以下のものである。
① 富士山頂の訴願の目的地については、公用又は公益上必要な土地を除き、これを訴願人に譲与するのが相当である
② ①の公用又は公益上必要な土地の範囲は実地の状況に即し決定すべきである
③ 本件の処理に際しては、富士山の持つ特殊性にかんがみ、将来の管理上の問題につき訴願人から誓約書を徴する等の措置を講ずることが望ましい
つまり何を隠そう審査会では「公益上必要な土地以外は浅間大社に譲与すべき」という判断が下されているのである。しかし、この答申に基づく大蔵大臣による裁決は出されていない。つまり帰結としては「例外的な保留」という状態であったのである。しかしこの「答申」の存在は、後の裁判の重要な判断材料となったことは言うまでもない。
- 一部地域の抗議運動
この"無償譲与の決定"に対し、実は一部地域で抗議運動があった。
1953(昭和28)年2月5日のことだ。東京都内で富士山の形をしたみこしを担いでいるのは山梨県の人たち。実はこれ、明治時代に国有地とされた富士山頂の一部を、静岡県の富士山本宮浅間大社に譲与するとした決定への抗議だ。(富士山頂の所有めぐり抗議 産経新聞)
上の写真はそのときのものである。つまり山梨県の人々である。この神輿は「吉田の火祭り」で用いられる神輿であるが、このときはプロパガンダの道具と化したのである。
解せない点を強いて言うならば、浅間神社は山梨県側にもあり、それらの中には標高が高い地点を社有地にしているものがある。この判例はむしろそれら浅間神社の財産を守る「楔」になるはずであるということである。しかしながら、どうもそういう方向にはいかなかった。
仮に今回富士山頂の土地が譲与されなかった場合、他の浅間神社が持つ富士山体にかかる土地も国有地にしなければ筋が通らなくなってしまう、ということである。なぜなら「富士山は特別な山であるから」という理由であった場合、やはり他の浅間神社の境内地も全く状況が同じであるからである。ダブルスタンダードになってしまいますよ、ということなのである。例えば山梨県の冨士御室浅間神社本宮の例が良いだろう。『包括的保存管理計画(本冊)』に
とあるように、冨士御室浅間神社本宮は二合目に位置している。ちなみにこの位置は世界文化遺産「富士山―信仰の対象と芸術の源泉」の構成資産の1つである「富士山域」の範囲に含まれており、また吉田口二合目は標高1,700m以上の地点である。なので冨士御室浅間神社本宮は「富士山にある神社」と言って相違ない。
解せない点を強いて言うならば、浅間神社は山梨県側にもあり、それらの中には標高が高い地点を社有地にしているものがある。この判例はむしろそれら浅間神社の財産を守る「楔」になるはずであるということである。しかしながら、どうもそういう方向にはいかなかった。
仮に今回富士山頂の土地が譲与されなかった場合、他の浅間神社が持つ富士山体にかかる土地も国有地にしなければ筋が通らなくなってしまう、ということである。なぜなら「富士山は特別な山であるから」という理由であった場合、やはり他の浅間神社の境内地も全く状況が同じであるからである。ダブルスタンダードになってしまいますよ、ということなのである。例えば山梨県の冨士御室浅間神社本宮の例が良いだろう。『包括的保存管理計画(本冊)』に
冨士御室浅間神社(構成資産8)は、本来の神社境内地が存在する本宮(もとみや)及び移築後の社殿が現存する里宮(さとみや)の2箇所から成る。修験及び登拝などの富士山信仰の拠点としての意義を持つ吉田口登山道(構成要素 1-5)の二合目の本宮の境内、及び後に本宮から河口湖畔の産土神の居処へと本殿が移築された現在の里宮の境内は、ともに冨士御室浅間神社の境内として一体の価値を構成している。
とあるように、冨士御室浅間神社本宮は二合目に位置している。ちなみにこの位置は世界文化遺産「富士山―信仰の対象と芸術の源泉」の構成資産の1つである「富士山域」の範囲に含まれており、また吉田口二合目は標高1,700m以上の地点である。なので冨士御室浅間神社本宮は「富士山にある神社」と言って相違ない。
つまり、山梨県の人々が本件に抗議する場合、例えば冨士御室浅間神社本宮の土地を国に譲与する姿勢を見せなければおかしいのである。
しかし現在、このしこりは無くなっていると言ってよいであろう。例えば山梨県と静岡県の共同で作成された『推薦書原案』には「富士山八合目以上は富士山本宮浅間大社の土地である」という旨が明記されている。つまり山梨県も主体となり作成された文書で明記される程に"十分に受容された理解"と捉えられているのである。
昭和22年に新憲法が施行され、政教分離原則が規定された。つまり新憲法というのは「従来の社寺と国との関係」を否定する立場にあるのである。「社寺に無償貸付してある財産のうち宗教活動に必要なものは譲与することができる」という内容を盛り込んだ「法律第五三号」が当時制定された背景もここにある。
- 「例外的な保留」状態の解消
昭和22年に新憲法が施行され、政教分離原則が規定された。つまり新憲法というのは「従来の社寺と国との関係」を否定する立場にあるのである。「社寺に無償貸付してある財産のうち宗教活動に必要なものは譲与することができる」という内容を盛り込んだ「法律第五三号」が当時制定された背景もここにある。
そこで、この曖昧な状態(現在に至っても浅間神社の土地を国が預かり保管している状態)を解決する必要性が生じたのである。このねじれ状態の解消のため、浅間大社側は裁判を行うこととなった。
人によって受け止め方は異なるかもしれないが、富士山本宮浅間神社には明らかに利があるのである。つまり
- 富士山八合目以上の国有地が従来から浅間大社に無償貸付されてきたという事実
- 古文書等の証拠が残っている
- 「国有境内地処分法第六条第一項」に基づく請願に対する答申の存在
- 他の「二荒山神社」「白山比咩神社」「大物忌神社」といった類似する事例では申請通り譲与されているという事実
といったものがあり、正直勝訴する見込みの方が大いにあったのである。私はこの裁判を何度行ったとしても、おそらく帰結は同様のものになるだろうと思う。
- 判決(要旨)
判決は以下のような要旨にまとめることができる。
- 新憲法では「特別利益供与」が禁止されている。しかし現在、浅間神社の土地を国が預かり保管しているという状態である。仮にこれが供与にあたる場合、国は神社に土地を返還する必要がある。このように用地等を社寺に返還するという対処はそもそも国による「無償貸付」の関係を解消するための処置である。したがって今回の譲与という行為は特別の利益供与にはあたらず、憲法89条には抵触しない
- 富士山八合目以上の土地は、法律に定める「譲与の要件」をすべて満たしている
- 公益上国有としなければならないという必要性は現存していない(公益上の視点から国有化すべきという指摘はあたらない)
この趣旨をもって、被告東海財務局長の行政処分は違法であるとの判決が下されたのである。
- 参考文献
- 大蔵省管財局編,『社寺境内地処分誌』, 1954年
- 『判例タイムズ』129,判例タイムズ社,1962年
- 文化庁・環境省・林野庁・山梨県・静岡県,『包括的保存管理計画(本冊)』