2018年6月14日木曜日

富士市の基本情報及び富士山との関係

このページは富士市の基本情報と地理上の富士山との関係についてを簡潔に説明するページです。イメージが湧きやすいように画像を多用しておりますので、御覧ください。


富士市は静岡県東部の市である。地図を見れば分かるように周りは山岳に囲まれており、南に駿河湾が位置する。「山岳に囲まれており」の中でも特筆すべきは愛鷹山塊の越前岳(1,504m)と北方に位置する富士山(3,776m)である。

富士市教育委員会の刊行物(「鈴川の富士塚」より引用)には以下のようにある。

富士市は南に駿河湾を望み、北には富士山が位置しその山裾が市域に延びる。(中略)これらのことから、富士市の地形は南北の標高差が大きく、起伏に富んでいることが特徴といえる。市域の地形は大きく富士山、愛鷹山の火山系山地と、富士川河口付近のデルタ地帯、海岸平野の進んでいる浮島低湿地帯の平野部に大別される。

富士市の刊行物は「①富士山・愛鷹山の火山系山地」「②富士川河口付近のデルタ地帯」「③海岸平野の進んでいる浮島低湿地帯の平野部」と分けているが、これはとても理にかなった分け方である。富士市の地理を考えていくと、自然とこの3つに大別される。当ブログはこのうち「②」についての記述に力を入れている。

また起伏に富んでいることもさることながら、南部でも比較的標高が高いという点も特筆すべきであろう。例えば隣接する富士宮市と比較しても富士市の方が下で積雪しているのである(参考:「静岡県民ですが山梨県から見た富士山もやはり綺麗である」)。



海抜は最低海抜が「0.7m」、最高海抜は3,421mである。

隣接する富士宮市同様「富士」を冠する自治体であるが、その大元は加島村という村が町制施行した際「富士町」と名称を変えたことによる。昭和4年のことである。その後市制施行で富士市となり、「吉原市」(合併直前の人口90,224人)「富士市」(合併直前の人口53,247人)「鷹岡町」(合併直前の人口16,101人)の合併で富士市の名称が選ばれ現在に至る。

官報

2008年には富士川町を編入している(その後山梨県に富士川町が誕生したが、区別が必要)。


現在の富士市の地価最高地点は、青葉通り周辺(青葉町306番)である。市役所完成年にその一帯を撮影した写真が残るので提示する。

現在で言うところの「青葉通り」周辺を写した写真

赤で囲った場所を既出の写真に当てはめると、以下のようになる。


つまり人が殆ど住んでいなかったような土地が、地価最高地点へと姿を変えたのである。逆に鉄道駅が位置したような元来の中心市街地は著しく衰退した。これは「旧吉原市と旧富士市の間」を開発するという中途半端な都市開発方針が招いた結果であると、多くで指摘されている。

富士市は中世には「富士下方」(ふじしもかた)と呼ばれた地であり、その範囲は現在の富士市域と概ね一致している。隣接する富士宮市は「富士上方」と呼ばれていた。


上の図は富士山を山頂から見た図であり、財務省のHPにあるものに加筆したものである。富士市は市域の上部の細い部分が富士山体にかかってくる自治体であり、青と橙の間がそれである(大淵村とある箇所が現在の富士市にあたる)。

Google mapsより
現代の地図と見比べると、一層分かりやすいでしょう。

赤:富士山域
その地理的特質上、世界文化遺産上の定義である「富士山域」にかかる面積も少なくなっている。また富士市には「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」(世界遺産)の単独の構成資産は無い。

何故このページで市街地の変移等をスペースを割いて記したかと言うと、「何故富士市には単独の構成資産が無いのか」ということがなんとなくでも分かるのではないかと考えたためである。


また富士山は「史跡」でもあるが、史跡としての富士山としては富士市は含まれていない。また富士市の特徴として浅間神社が多く分布することが挙げられ、その数は富士宮市より多い。


以上が、「富士市と富士山との関係」についての簡潔な説明である。

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