2022年4月4日月曜日

富士海苔の歴史

 「富士海苔」は、芝川流域(静岡県富士宮市の河川)に認められるカワノリの一種である。歴史史料でその名を目にする機会が比較的多いため、今回取り上げることとしたい。

この富士海苔は「絶滅危惧種カワノリを利用した環境教育に関する研究」(18K02969)として「科学研究費助成事業」(科研費)にも採用されているように、自然科学的な分野では介入が認められる。一方で「歴史学」の分野ではあまり日の目を見ることが無い状態であり、富士海苔の歴史的位置付けから考えると、このまま等閑視しておくのは望ましくないと考える。

まず「富士海苔」は「芝川海苔」とも呼称されるのであるが、当記事のタイトルで前者を採用したのは、富士海苔の方が古くよりの呼称であると思われるためである。


  • 初出

(川上・小川2006a;pp249-150)に以下のようにある。

川苔で今まで最も記録が多くかつ古い記録のあるのは富士のりである。それは静岡県の富士宮市の白糸の滝を少し登ったあたりにある小川がその産地になっている。富士川の支流の芝川の上流に当たるそうで、そこの川苔は富士苔、別名「芝川苔」とも呼ばれている。富士苔の産地は日蓮宗大石寺から距離にして五、六キロ前後のところにある関係からか、日蓮上人は身延山に在住時代、この川苔をもらわれて、その礼状が大石寺に保存されているという。

とある。言及された史料(1274年-1275年)については「河のり」「かわのり」としか記されないようであり(宮下1985;p.91)、残念ながら富士海苔と断定はできない。しかし地理的状況から考えると、富士海苔であるとするのは妥当であろう。また同文献は富士海苔に関する史料の残存状況を大きく見誤っており、少し注意が必要であると思う。

(遠藤1981;pp.207-209)にも同様の見解(礼状のカワノリ=富士海苔)が示されている。『静岡県史』資料編24民俗二にも類似した記述が確認される。

<中世>

多くの記録があるので、一部引用する。

番号内容
永享2年(1430)12月6日 室町幕府将軍足利義教、今川範政から富士苔等の贈答に対し礼を言う
永享6年(1434)4月25日管領細川持之、富士大宮司による富士海苔等の贈答を受け返礼品を贈る(年未詳)
永享6年(1434)10月9日足利義教、葛山駿河守による富士川苔等の贈答に対し礼を言う
永正8年(1511)5月20日三条西実隆の元に富士苔等届く(『実隆公記』)
大永4年(1524)12月三条西実隆、中御門宣胤から富士海苔を贈られ返歌(『再昌草』)
永禄4年(1531)4月20日近衛尚通、常庵竜崇より駿河紙・ノリを贈られる(『後法成寺関白記 』)
同日三条西実隆、常庵竜崇より富士海苔等を贈られる
天文4年(1535)3月18日三条西実隆、後奈良天皇に富士ノリを進上する
弘治2年(1556)11月26日山科言継、寿桂尼(今川氏親正室)より富士海苔を贈られる(『言継卿記』)
弘治3年(1557)2月29日 御黒木(山科言継養母)、言継に富士海苔を授ける(『言継卿記』)

これらの記録から、中世は「フジノリ」で統一されていたことが分かるこの時代は「芝川ノリ」という呼称そのものが無かったと考えられる。また(大長2002;p.20)には「近世に入ると富士海苔という呼称ではなくなった」という旨の記載が見られるが、実際は近世もフジノリと呼称されており、むしろそちらの方が多いように見受けられる。

富士海苔の歴史的位置づけとして注目されるのは「上流社会で重宝された」という事実であろう。(湯野上2013;p.139)に

戦国時代には戦乱の影響をうけて窮乏した多くの公家が地方の大名や土豪を頼って都を離れ、地域別の数は畿内を除けば北陸道がもっとも多く、東海道・中山道がそれに続いた。(中略)氏親から氏真にいたる時期に、史料に見えるだけでも三十名近くの公家や文人が駿河を訪れている 。(中略)公家らの直接の往来の他、僧侶や商人が使者となって京都から書状や、『伊勢物語』『源氏物語』『古今和歌集』を始めとする文物が東海道を下って駿河にもたらされ、一方駿河・遠江からは、黄金や浜名納豆・富士海苔・紬・茶などが進物として京都に届けられ、財政難に苦しむ公家らの暮らしを助けることになった

とある。駿河から京にもたらされた富士海苔は、更に天皇に献上されたり公家同士で行き来していた。上の記録を見ても、富士海苔は今川文化の一端を担ったと言えるのではないかと考える。富士海苔は京・朝廷にも名品として広く認知されていたと思われる。

寿桂尼


また(水井ら1980;p.2)や『世界大百科辞典』「カワノリ」の項に「芝川苔(富士川苔)」や「富士川苔」とあるが、おそらくこれは③の記録からそのように記したと考えられる。しかしこれは御内書が本来「富士苔」と記すべきところを誤って「富士川苔」と記したに過ぎないと考えられ、富士川苔と呼称されていたとは考えられないものである。

⑥は「ノリ」としか記されないが、⑦で同日に常庵竜崇が三条西実隆に富士海苔を贈答していることが知られるので、⑥のノリは「富士海苔」であると考えるのが自然である。

ただ(宮下1974;p.100)に「駿河国富士山麓の「富士苔」が武田信玄により朝廷に献上されたものがその例である」とあり、また同氏の(宮下1985;p.27)に「早くも鎌倉時代には、地名を冠した特産品として「芝川のり」が知られていた」「武田信玄により朝廷に贈られるなど」とあるが、私の方ではその記録は発見できなかった。

<近世>

  • 近世の記録、特に味・外見に言及されたもの

『食生活語彙五種便覧』にあるように、『料理物語』に富士海苔が記される。

のろのり ひや汁 あぶり肴 いりざけにすをおとし くりしやうが入 さかなによし
ふじのり ひや汁 あぶりざかな 色あをし
海鹿 に物 あへもの

前段の「のろのり」も海苔の一種であると思われるのであるが、よく分からない。肴に合うと評価されている点で富士海苔と一致している。

また『毛吹草』には

駿河 
安倍川紙子 久野蜜柑 三穂松露 富士苔〈山中谷川二有之〉

とある。駿河国13品目の特産物のうち富士苔にのみ注記が加えられているのであるが、これは海産物でなくカワノリであることを強調したかったがためと思われる。(水井ら1980;p.3)で指摘されるように、『毛吹草』は他のカワノリ(日光苔・菊池苔)の場合にも「川有之」と説明を附しているようである。編者の意図が感じられるのである。

貝原益軒

貝原益軒『大和本草』には以下のようにある。

川苔
川苔モ海苔二似タリ所々ニアリ富士山ノ麓柴川二柴川苔アリ富士ノリトモ云

省略したがここでも共に日光苔と菊池苔が紹介されており、どうもこの三種はカワノリの代表的存在であったように思えるのである


  • 近世の記録、進物・土産として

(斎藤1968;pp.15-16)に

「駿府奉行所雑記」の中の「差上物品品」という項にこの地方の差上物について、次のように定めている。すなわち、四月は筍、五月には白瓜、なす、六月は熟瓜と山椒、七月は雛うづら、十一月は芝川苔が江戸御台所にさしあげることになっており

とある。富士海苔の記録を見ていく中で共通するのは、富士海苔の旬が秋冬頃とされていることである。この原典にはあたっていないが、同様の記述は地誌にも確認される。例えば『駿国雑志』には「毎年十一・十二月の内發足、江戸に献す」「初冬より取上げ」とある。

正福寺(山梨県富士吉田市新倉)が浅野家(紀伊和歌山藩や安芸広島藩を治めた)に富士海苔を贈った記録(年未詳)があるといい(金子2021;p.17)、また『大坂代官竹垣直道日記』(1851年)にも「芝川苔贈ル」とある(西沢2016;p.113)。

ちなみに『毛吹草』の駿河国13品目の特産物の中に「善徳寺酢」というものが記されている。この酢は東泉寺(富士市今泉に所在していた寺院で廃寺となっている)で造られていたとされ、その東泉院が来訪者に贈った品物として「善徳寺酢」の他に「富士海苔」があった(菊池2012)。

また『和漢三才図会』巻六十九に「駿河国土産」として

富士苔(谷川に出づ)

とあり、同書の水草の項の「紫菜」の説明(巻九十七)にて

富士苔 
富士山の麓精進川村より之れを出し形状紫菜に似て青緑色味極めて美なり

とある。『和漢三才図会』の駿河国土産は『毛吹草』と多くで重複している。そのため同書にも「醋(善徳寺之れを作る)」とある。以下に『毛吹草』と『和漢三才図会』の対応表を示す。

『毛吹草』(順序通り、注記記す)『和漢三才図会』(順不同、注記省略)
安倍川紙子紙子
久野蜜柑蜜柑
三穗松露麦茸
富士苔〈山中谷川ニ有之〉富士苔 
黄芪黄茂木香
香爐灰香炉の灰
大井川萸萸子
瀬戸染飯染飯
宇都山十團子十団子
善徳寺酢
澳津鯛
同白砂干
神原鮎鮫
竹細工
藪(該当する字ナシ)
盆山石
甜瓜
松茸

『和漢三才図会』の方が時代が下るためか「茶」「竹細工」等が見える。やはり「富士海苔」の呼称は近世にも続いていたと言え、むしろ芝川海苔より明確に多いと言えるのではないかと考える。芝川ノリの呼称は近世でも比較的時代が下るものと推察された。

  • おわりに

富士宮市の固有名詞は勝手に用いられてしまうことが"極めて多い"のであるが、この富士海苔も例外ではない。


これで良いのだろうか?と考えるのは私だけだろうか。早く安定した生育を獲得し、将来的には「特定農林水産物等の名称の保護に関する法律」(地理的表示法)の指定を目指すべきであることは言うまでもない。

しかしこれは富士宮市側に問題があると考える。法人名や屋号を定める際、既存の名詞であるのかは一応の考慮がなされると思われる。がしかし、富士宮市が他が存在に気づく余地さえも提供できていないという言い方も出来るのではないだろうか。市のコンテンツの非力さは大変遺憾である。ある記事を以下に提示したい。

「富士山」商標権活用を 富士宮市、取得管理を支援(静岡新聞Web版2013/8/15)
ただ、富士山関連の商標は既に多くが登録されている。工業所有権情報・研修館(東京都)が提供する特許電子図書館の統計によると、「富士」「富士山」と銘打った商標は出願中を含めて160件に上る(7月18日現在)。市商工振興課の担当者は「富士山の地元でできるだけ商標を取り、活用するのが理想的。高まる需要に応えていきたい」と知財戦略のてこ入れを図る。(抜粋)

「富士山の地元でできるだけ商標を取り、活用するのが理想的。高まる需要に応えていきたい」とあるが、あまり行動しているようには思われない(ちなみに上の法人が指定されたのは、記事の翌々年の2015年である)。また商標を取るだけでなく、検索して存在を確認できるような体制を整えることも重要であると思われる。

"「富士」「富士山」と銘打った商標は出願中を含めて160件に上る"の最も標的になりやすいのが富士宮市であるということを認識しなければならないと考える。

  • 参考文献

  1. 大長康浩(2002)「駿河国における水産物の流通について(その二)ー前稿の成果と課題」『静岡県の歴史と文化』第2号,静岡県の歴史と文化研究会
  2. 遠藤秀男(1981)『富士川 : その風土と文化』,静岡新聞社
  3. 川上行蔵著・小出昌洋編(2006a),『日本料理事物起源』岩波書店
  4. 川上行蔵著・小出昌洋編(2006b),『食生活語彙五種便覧』岩波書店
  5. 『静岡県史』資料編24民俗二,467頁
  6. 宮下章(1974),『海藻』(ものと人間の文化史 11),法政大学出版局
  7. 宮下章(1985)『海苔の風俗史』
  8. 水井ら(1980)「日本の古書にみられる海藻類の食品学的研究 Ⅰ : カワノリ」『広島文化女子短期大学紀要』13巻
  9. 『日本庶民生活史料集成』第29巻,三一書房, 1980
  10. 斎藤幸男(1968)「林香寺山椒」『薬史学雑誌』vol.3No.2
  11. 菊池邦彦(2012)「富士山東泉院を訪れた人々」『六所家総合調査だより』第11号,富士市立博物館
  12. 湯之上隆(2013)「旅日記・紀行文と地方社会」,『人文論集』63号 
  13. 西沢淳男(2016),「関東代官竹垣直道日記」(6) , 『地域政策研究』巻19号,高崎経済大学地域政策学会
  14. 金子誠司(2021)「新倉三ヶ寺と富士山」『山梨県立富士山世界遺産センター研究紀要『世界遺産 富士山』』第5集
  15. 『世界大百科事典』,平凡社