2018年10月15日月曜日

身延町の基本情報及び富士山との関係

このページは身延町の基本情報と地理上の富士山との関係についてを簡潔に説明するページです。イメージが湧きやすいように画像を多用しておりますので、御覧ください。

身延町

「身延町と富士山」という観点で語った場合にまず挙げられるのは、富士五湖のうち「本栖湖」が位置しているということである。


意外にもこれを知らない人が居るのであるが、本栖湖は「身延町」と「富士河口湖」に跨る湖であって、富士河口湖町だけではない。
当然ながら、イコモスへ提出された「推薦書」にもそれは示されている。


「どちらがどの程度保有しているか」については不明である。

また日本紙幣の千円札又は五千円札に富士山の逆さ富士が描かれているが、これは本栖湖西北岸の中ノ倉峠から撮った岡田紅陽の写真によるものである。つまり

身延町からの風景がお札の図柄となっている

と言えるのであり、これは特筆すべきことである。「富士山包括的保存管理計画」(本冊)には以下のようにある。

岡田紅陽(1895(明治 28)~1972(昭和 47))は、1935 年 (昭和 10 年)に本栖湖西北岸の中ノ倉峠から湖面に映える「逆さ富士」の写真を撮影した。それは『湖畔の春』と名付けられ、1984年(昭和 59 年)には五千円札、2004 年(平成 16 年)には千円札の図様として、 それぞれ採用された。

とある。よく勘違いされているが、紙幣の図柄の「逆さ富士」は本栖湖から撮ったものではない。身延町の中ノ倉峠から"本栖湖と富士山を被写体として"撮ったものである。

身延町と富士山との関わりについて、近年では特に「内八海巡り」(富士八海)が注目されている。本栖湖もそうであるが、隣接する市川三郷町の「四尾連湖」も富士八海の1つであり、身延町域を富士講信者が巡礼していたと推察されている。身延町域の、本栖湖から四尾連湖に向かう道中に現在も「御内八海道碑」が残る。

※富士八海
富士八海は時代により差異があるとされる。いわゆる「富士五湖」(当時はそのような呼称は無い)と市川三郷町の四尾連湖、富士吉田市の明見湖、そして須戸湖または泉瑞(津)湖である。「または」としたが、泉瑞湖(富士吉田市)を富士八海とするようになったのはより後世であるとされる。甲斐国の地誌である『甲斐国志』は「須戸湖」(沼津市・富士市)の方を示している。

以上が、「身延町と富士山との関係」についての簡潔な説明である。

2018年9月16日日曜日

富士河口湖町の基本情報及び富士山との関係

このページは富士河口湖町の基本情報と地理上の富士山との関係についてを簡潔に説明するページです。イメージが湧きやすいように画像を多用しておりますので、御覧ください。


以下は富士河口湖町と「富士山域」の関係である。

富士山体
こうやって見ると、富士河口湖町は富士山体から離れている位置にあるということが分かる。しかしそれが展望という意味では良い塩梅となっており、環境省公開の「富士山がある風景100選」では最多の22箇所もの地点が選ばれている。


ただ山体から離れているが故に、例えば「富士箱根伊豆国立公園」の最重要地区である「特別保護地区」の面積は大変限られたものであった。


たったの6haであり、これが山体からの距離感に由来することは言うまでもない。しかし後に西八代郡上九一色村を編入したことにより、この状況は一変する。富士河口湖町は突如として広大な特別保護地区を手にするのである。つまり1,133haのうちの大部分或いはすべてが、今現在富士河口湖町に属しているのである。

富士河口湖町は富士五湖(富士山麓鉄道、後の富士急行の社長による造語)のうち「河口湖」「西湖」「精進湖」「本栖湖」を有する。「西湖」と「精進湖」は元は「剗の海」という1つの湖であったが、貞観大噴火による富士山の溶岩で分断され生じた。

富士河口湖町が位置するこの地は、古くは「川口」とも表記され富士登山道の「舟津口」(川口口)を有した地である。ただ研究が少なく、その実像が判明しているとは到底言い難い。多くでは、『勝山記』や『甲斐国志』が「舟津口」について殆ど触れていないことが指摘され、主要道で無かったという見方が多い。ただ古道でありその起源はかなり遡ることができると考えられる。

この地も吉田同様に御師が勢力を保持した地域である。この地の御師としては先ず「小佐野越後守」が挙げられる。小佐野越後守は御室浅間神社の別当を務める役職にあり、代々「越後守」を名乗ってきた。それ故にこの町は現在「小佐野姓」だらけなのである。

また御師の家柄として「渡辺家」も挙げられるだろう。「富士城開城後の富士と武田の動向」にて挙げた九一色衆の渡辺氏がまさにそれである。ちなみにこの地は「渡辺姓」もかなり多い。この町で10人に姓を尋ねれば、おそらくその半分は「小佐野」か「渡辺」であろう。それくらい多いのである。他川口には「中村氏」「田辺氏」といった御師の家系が存在していた。

以上が、「富士河口湖町と富士山との関係」についての簡潔な説明である。