2022年10月9日日曜日

博物館構想説明会の質疑応答、富丘・白糸・芝川・北山・上井出編

博物館構想説明会の質疑応答富士根南・南部・大富士編、富士博物館誕生に期待」の続編となります。


  • はじめに

博物館構想説明会の質疑応答に対する意見、上野会館・富士根北公民館・きらら編」にて"そして「外」の見識にも触れておく必要性に駆られました"と記しました。"強いバイアスがかかっているかもしれない"と、強い危惧を覚えたものです。富士宮市の考古学を、もう少し引いた位置から見てみる必要性を感じたわけです。

このような考え方(複数の文献にあたること)が極めて重要であるという証左が、身近な例としても挙げられます。

皆さんは地域史を調べる時、まずどのような文献にあたるでしょうか。それが『市史』という場合も多いかと思います。実際に確認してみると、同じく「自治体史」といった編纂物であり且つ同じ対象に関する論考であるのにも関わらず、全くの正反対の解釈になることもあります。

それでは富士川町(庵原郡に属していた「旧富士川町」)の『富士川町史』と、富士市の『富士市史』を見ていきましょう。対象は「雁堤」です。

まず、雁堤が位置する富士市の『富士市史』(1982年)を見ていきましょう。


この堤防の普請計画は、後述するように、古郡孫太夫の後をついだ第二子重年の手によって見事完成するのであるが、完成した堤防が今日に至るまで雁堤とか、雁音堤とか呼ばれていることは周知のところである。(中略)延宝2年、遂にその完成を見るに至ったのである。着工が寛文7年(1667)であったから、完成した延宝2年(1674)は着工から数えて、実に7年余の歳月を必要としたのであった。とにかく古郡重年のひたむきの努力が、当時としては稀に見る大規模の築堤を成功させたのであるが、とりわけ天下の急流富士川に対して施行したというところに、別格重要な意味があったのである。(中略)こして富士川の堤が完成すると、これまでにも増して加島平野の開発は急速に展開していくのであった。


このように、雁堤で富士川は平定されたと言わんばかりであり、そうでなかった場合を万が一にも想定していない書きっぷりとなっている。『市史』全体を通して、「かりがね堤の完成=平定」というスタンスは一貫されている。富士市のコンテンツも、基本的にそのようなスタンスで統一されていることが分かる。

富士市資料


富士市HP


次に、『富士川町史』(1962年)を見ていきましょう。


富士川東岸に雁堤ができて流路が変わったためであろう、(中略)この時は安政2年の状態からは富士川が千間余も東によっていたというのである(中略)洪水のたびに主として川添にあった農家や道路は移転をしなければならなくなり…(中略)このように中之郷村は富士川の出水のたびに被害を蒙り、幕末には甚だしく困窮した村となり、農民も貧しい生活を営まねばならなかった。


この両者があまりにも対極であることは、誰でも気づくことかと思う。ここで「歴史的事実」を見ていきましょう。結論から言えば


「雁堤」完成後も富士川は何度も氾濫しており、しかもそれは大規模なものであった


このように言う他ないだろう。実は様々な史料が残っており、上の言い方は事実に則したものとなっている。雁堤自体は富士市(旧富士市)にあるので『富士市史』を参照するのは自然な流れであるが、実はそれだけでは実情が全く掴めないということになる。

対して"雁堤完成後も富士川の氾濫が多発し被害が生じている"という事実と向き合ったのが『富士川町史』だったわけである。雁堤ほど、実情からかけ離れた評価をされているものも珍しいと思う。

確かに加島平野(旧富士市域)は安定を得たが、そこから拡大解釈され「=富士川下流域の平定」と説明されるケースが極めて多い。しかし実際のところは、従来は被害の無かった地域(旧富士川町域)に皺寄せが来たわけである。歴史はどうしても美談に仕立て上げたくなってしまいますが、その最たるものと言えるでしょう。

このような実例から学ぶことは多いと思う。そして現在進行系で「雁堤により富士川の氾濫は治まった」と説明しているものは、端的に言えば「誤認」と言って良い。ちなみに加島平野の平定については「富士市の島地名と水害そして浅間神社」で記しているので、興味のある方は是非ご覧下さい。

以下、意見となります。


【富丘】

富丘


電子データ化…それこそとんでもないお金が掛かります。いつかはしなくてはなりませんが、とんでもないコストがかかることは間違いない。「バーチャルで見れるようにする」「立体的に見えるようにする」…その費用についての部分が全く飛んでしまっている。

例えば「大宮司富士家文書」はデジタル化され「静岡県立中央図書館」のHPにて公開されていますが(静岡県立中央図書館HP)、おそらくこれも相当な費用がかかったことでしょう。これは、補修と同時にデジタル化されたものになります。

ちなみにですが、同HPにみられる「浅間大宮司富士家文書」という呼称は同HPにて初めて出現した造語であり、通常は「大宮司富士家文書」と言います。現:富士宮浅間大社」ともありますが、正式名称は「富士山本宮浅間大社」といいます。このページを作成した人は、相当おざなりな人でしょうね。


富丘


税収は人口で決定されるわけではないので、人口が減っていても税収の増加は十分にあり得るのです。逆に人口が増加しても税収は下がる可能性もあります。まずこれを、回答者は答えてあげる必要性があるのです。

また展示されている古文書は「翻刻」されていることが殆どで、そのまま古文書を「ほいっ」と展示しているわけではない。そしてその翻刻文には解説が加えられている。もちろん、その解説は一般向けに分かりやすく解説されるのが常である。これくらいは「一般的な市民」でも知っていることである。


【白糸】


白糸


一体、何を聞きたいのでしょうか?


白糸


この御方は歴史を「近現代」だけで捉えている。古代・中世・近世の人に我々は意見を聞くことは出来ないのである。しかし「古文書」「木簡」といった史料は、当時の様相を我々に教えてくれる。「わざわざ博物館に行って…(以下略)」ということは、我々に歴史を教えてくれる対象・材料を「近現代」、それも「人」だけに絞れと言っていることになる。暴論としか言いようがない。

また高齢者は記憶補正も多く、実際のそれとは異なることも多い。一方で方言を録音するとか、民俗学的なお話を伺うと言った場合は、質問者のようなアプローチは生きてくる。


白糸


「意見を言える場」としてメール等がある。ただ、質問者の相手をする身にもなって下さい。"行動力のある問題者"ほどたちが悪い人は居ませんからね。


白糸


「展示する物が分からないのに建物を作るというのは商売上はありえないことです」とありますが、文化財は既にそこに存在しています。全く意味が分からない。


【北山】


北山


これは的が外れた意見です。というより「質問」ではなく「意見」になっています。富士山世界遺産センターもコンペによるものですが、公園に整備したものなので「基礎データ」があった上で作成しています。「川」もありますからね。鳥居を残すこと等、事前に取り決めがあったはずです。この方の意見は全く違うと思います。

もし土地の決定よりコンペが先であったら、(富士山世界遺産センターの場合で言えば)大鳥居に干渉してしまう等の問題が後から発生してしまいます。この場合、大鳥居を壊せとでも言うのでしょうか?

また、コンペに参画する人が歴史に関する知識があるとも思えない。ハード面も歴史と絡ませた方がよいというのが、私の考えです。


北山


安ければ安い方がよいという考えの人って、未だに居るんですね…。 


【上井出】




本当に歴史が好きな方なのか少し疑ってしまうのですが、義務教育で習うような史料に富士宮市が出てくると、急速に身近に感じられます。そして文化財が目の前に存在しているからこそ、「ただ暗記する」ではなくなるのだと思います。

また「合戦の歴史から学ぶ」という考え方が本当に「是」なのか、私は思うところがあります。質問者は「地政学」でも想定しているのだろうか。


上井出


まさか「ユニバーサル・スタジオ・ジャパン」の話をしているとも思えないので恐らく「ユニバーサルデザイン」のことを仰っていると推察されるのですが、ユニバーサルデザインとは


「すべての人のためのデザイン」のこと。年齢や障害の有無、体格、性別、国籍などに関係ないなく、できるだけ多くの人にわかりやすく、最初からできるだけ多くの人が利用可能であるようにデザインすること


なので、「現代的なものへの憧れ」でも何でもありません。あまりに馬鹿馬鹿しい質問にも対応せざるを得ない担当者が不憫でなりません。事実誤認もあるし、恥の上塗りでしかない。富士宮市民として、恥ずかしく思う。

以上となります。

2022年9月20日火曜日

博物館構想説明会の質疑応答富士根南・南部・大富士編、富士博物館誕生に期待

 「博物館構想説明会の質疑応答に対する意見、上野会館・富士根北公民館・きらら編」の続編になります。 


  • はじめに

富士宮市の博物館には「コンセプト」が必要です


きらら

博物館で働いていた方から"人を引き付ける売り、『どういう博物館なんだ』 というこの博物館ならではの個性が必要になってくると思います"という意見がありました。全く、その通りだと思います。

全体的にですが、担当者は「子供たち」にフォーカスした回答が多いものの、私は人気のないユーチューバーがいきなりオフ会をやるようなものだと思います。需要があると錯覚し「人が来るだろう」と意気込むも、人は「来ない」。最悪、ずっと座っていることになる。そんな状況が容易に想像させられる。

学芸員その他専門の方々は、一種の「生存バイアス」に引っかかっているのです。回りは似たような過程を経てきた人で固められ、まるでその他多くの人も"アプローチ次第では歴史に関心を持つだろう"という幻想を抱いている。常に最善で事が進むという前提のもと、幻想はミルフィーユのように重なり、子供たちが大人になった様子をも幻想として抱く。悲しいかな、清々しいほどそうはならない。

ところで、質疑応答でこのような質問があった。


富士根南

この質問者は「富士金山」を知っているという時点で、知識を有する方と言って相違ないでしょう。富士宮市のセールスポイントは、実はこの辺りにしかないと考えている。というのも、


富士宮市の博物館のコンセプトは「富士」であり、名称は「富士博物館」を視野に入れても良い


と考えられるのです。極めて当たり前のことですが、富士宮市が「豊臣秀吉」や「織田信長」がテーマの博物館を作っても仕方がない。「富士宮市立郷土史博物館の地域説明会における質疑応答に対する意見」で「地域密着がテーマでない方がよい」という意見がありましたが、とてもではないが支持できる意見ではない。むしろ普通に富士宮市の"基本的歴史材料"を題材にすれば良いだろうし、富士宮市の"歴史的人物"や"歴史的事象"を取り上げれば良いのです。

質問者に敬意を表して富士金山から紹介していきますが、「富士」というコンセプトを基とする「歴史的人物」「歴史的事象」「歴史的材料」は、以下のようなものだと思うのです。


  1. 富士金山(「麓金山」と呼び習わされることも)
  2. 富士氏
  3. 富士城(大宮城の別名)
  4. 富士野(曽我兄弟の仇討ち舞台の地)
  5. 富士海苔(芝川海苔とも)
  6. 富士川
  7. 富士山

そして「7」の富士山は、「静岡県富士山世界遺産センター」に主な役割を担ってもらえればい良いと思います。或いは「千居遺跡」のストーンサークルを富士山信仰の一端と解釈し、展示に含める形が良いかと思う

富士宮市は"基本的歴史材料"の処理が未だ出来ていません。例えば「富士川」も何故かフォーカスしません。そういうルールでもあるのかというくらい、富士川と富士宮市との接点を描こうとしません。理由を教えて頂きたいくらいです。ちなみにお隣の富士市は、富士川がテーマの企画展を複数回行っています。それぞれとても良いものでした。

もちろん「富士氏」も圧倒的に足りない。富士宮市の地で起こった"歴史的事象"で全国的に有名なものは、普通に考えれば「楽市令」でしょう。しかし長らく、富士宮市の歴史年表には無かったりしました。全国で用いられる高校の参考書に載っているのに富士宮市の歴史年表には載っていない…そんなバカバカしいことが本当に起こる自治体なんです、富士宮市は。これは富士宮市・富士宮市教育委員会『年表・図説でみる富士宮の歴史と伝説』辺りで確認できるようになりました。これを確認したとき、"や、やっとだ…"と思いました。「法制史」でも頻繁に取り上げられる部分です。

あと、博物館は大衆的な面があっても良いと思います。「キッカケ」を与えられることが重要なのですから。今人々はどういうものを求めているのか、そういう部分をしっかり考えなければなりません。来るのは「一般の人」なのです。特に「刀剣」は人気です。富士宮市の国指定文化財は、刀剣類に恵まれています。







「大石寺」のものは展示できないでしょうが、他はやりようはある。また大宮城跡からも刀剣は出土していたと記憶しているので、やはりそういうところに混ぜて「ほら!」と見せてやれば良い。そこから広がることの方が多いと思います。回答者が想定するやり方は、子供に「通常」の信号の渡り方を教える前に「時差式」から教えるようなものです。

また以下のような不思議な質問もありました。


南部

他市のために富士宮市の多額の資金を提供するのは、「富士宮市立郷土史博物館の地域説明会における質疑応答に対する意見」にあるような「新富士駅」の例などで十分です。理解できません、その考え方が。これでは富士宮市は完全な「タカられ屋」になってしまう。

しかしこの質問者が極めて不器用であったと仮定すると、静岡市も富士市も「駿河国」であるので、おそらくその辺りに意図があるようにも思われる。そこから私なりに換言すると


「駿河国」全体で考え、富士宮市とその他の地域との結びつきを考えよう


ということになる。そして富士宮市も富士市も「富士郡」であったため、更に換言すれば


駿河国、ひいては富士郡における富士宮市の位置づけ


について考えて欲しいということを言いたかったと捉えられなくもない。であれば、富士氏という国衆の在地とそれ以外での活動を考えれば良いし、富士城が富士郡の拠点であったことを分かりやすく説明すればいいし、富士海苔が今川文化の一端を担い上流階級でも重宝されたことを丁寧に説明すればいいし、富士川も「富士山木引」等を例に「富士山木引→上井出→青木→沼久保→川下し→吉原」という繋がりを史料と共に説明すればよいのである。

ちなみに私は、富士宮市の展示や刊行物で上のようなことに言及したケースを見たことがない。そもそもやっていないので、博物館以前の問題なのである。数十年分の刊行物を俯瞰して見ても、無いのである。

富士宮市といえば、「展開・アピールが下手」と内外から指摘されている。大河ドラマ『風林火山』の際も富士宮市が動かず大きな問題となったことは記憶に新しい。この時は普段歴史に触れる機会のない方々ですら声を上げていたくらいですからね。富士宮市は多くの市民から既に失望を食らっているのである。それを自覚された方が良い

他に例えば平成26年(2014)に各団体の協賛で「浅間大社に祈願した「戦国武将」展」というものが催されました。私も行きましたが、「晴れ、ときどきお城  -natchdes(なっち)の城攻め備忘録-」さんの記事に「思い切って富士宮詣で」という記事があり、紹介されています。

ここに「後北条氏の発給文書何で見せないの?」というような旨のことが書かれています。正直私も、完全に同じことを思いました。多くの人は、富士氏という国衆と大名との関係に関心があるのです。これは保存の関係もあってのことかもしれませんが、博物館ではもう少し「見える化」が求められます。また鎧も後ろに回って見れず、見せたいのか見せたくないのかよく分かりませんでした。最高の材料を以て最低の展示会に仕立て上げる必要性はあまりありません。今回の博物館もその例に漏れず、では困ります。

「富士」をコンセプトとした「富士博物館」の誕生であれば、私は博物館構想を支持します。正直なことを言えば、博物館が完成したとて実際に行くのかどうかすら分からない。私の中ではそれくらいの位置づけなのです、この博物館構想というのは。別に新しい知見を提供してくれるようにも思われないし、何のワクワク感もない。むしろ説明を聞けば聞くほど失望が大きくなる。それは、こちらの責任ではない。

では、以下から意見になります。

【南部公民館】


南部


当たり前ですけど入館料は「収入」です。「もとを取る/取らない」じゃなくて、収入になるのだから、そこに対してしゃかりきにならないといけない。こんなことを外の人間が言わなければならないというのが絶望的。意識の低さが見て取れる。


南部


自然破壊につながるとは思わないし、逆に子供に「何で博物館が無いのか」と問われたらどう答えるのか教えて欲しい。それはそれで、子供に噛みつくんでしょうか。


【大富士交流センター】


大富士


本当に甘いです。「博物館は要らないんじゃないか」と人に思わせる能力に長けているとすら思う。


大富士


「大富士交流センター」についてはどう捉えていますか?私からすれば、同じ性質のものです。大富士交流センター自体も、議題が市議会に上がってから私も知る所となったと思うし、それが問題とも思わない。


大富士


全世帯にアンケート…コストを考えると馬鹿馬鹿しいです。これまでも、多くてもサンプル数は数千です。私は富士宮市が行った/対象となった調査のサンプル数について過去調べたことがありますが、管見の限りでは「富士山ネットワーク会議」のものが最多でした(環富士山の自治体全体に及んだもの)。

その結果も公表されていますが、富士宮市民の回答だけ浮いていました。本当に恥ずかしい限りです。身内が親戚の集まりで変なことを言っている…そんな感じです。「新富士宮市史編纂事業の意義と古史料の提供呼びかけ」にて"ここでは伏せておこうと思います"としたのが、そのアンケートです。博物館構想には関係ありませんが、そもそも変なことをいいやすい気質はあるということで参考として挙げておこうと思います。


大富士


「富士博物館」とか「富士〇〇」というものが良いと思います。仮に名称を募集するときも"「富士」を冠する"という条件にしても良いくらいだと思います。