2023年6月22日木曜日

私が富士宮市郷土史博物館構想に賛成する条件

「博物館シリーズ」の最後の投稿となります。


【はじめに】

近年の富士宮市の取り組みを見ていると、従来のそれとは一線を画していることが分かる。一例を出せば、以下のようなものもそうである。

武将の家紋 何が出る? 富士宮市公認ガチャ「100パターン」 /静岡(毎日新聞 2023/6/15 地方版)
 富士山の世界文化遺産登録10周年と今夏の開山を記念して、富士宮市は、地元ゆかりの戦国武将の家紋をあしらったマグネット入りのカプセル玩具の販売を始めた。イオンモール富士宮に期間限定で自動販売機を設置した。
 市の名前にちなみ、「宮ガチャ」と名づけた。1個200円で、自販機にお金を入れてレバーを回すと全7種のうちどれかが出てくる。マグネットには、徳川家康や織田信長の他、今川、武田、北条、富士各氏いずれかの家紋か富士山がデザインされている。(抜粋)


実際にイオンモール富士宮へ行ってみた。


記事に「富士」とあるように、ガチャには富士氏も含まれている。富士氏の人物はゲームなどには登場する一方で(『戦国大戦』/『戦国IXA』/『信長の野望』等)、何故か富士宮市側からはアピールする試みがあまり無かった。ゲームに先を越されている印象すらあった。これからもっとアピールされていくことを期待したい。

ちなみにガチャの中の説明文(ここでは富士氏)はかなり誤っている。「古代から大宮浅間神社の神職「大宮司」を勤め」とあるが、古代に「大宮司」という神職があったかどうかは不明で、系図ではむしろ南北朝時代まで遡るのがやっとという感じです。

「守護大名の今川氏に従っていた」とする説明もかなり問題で、まず聞かれない解釈です。今川氏に従ったのは16世紀頃と言え、守護大名の頃はそのような関係性にないという見解が一般的です。その頃の富士氏は、あくまでも室町幕府に忠誠を誓う立場なのです。この部分については(佐藤1967;p.106)の見解に従いたい。

また以下のチラシも、関心を寄せるところである。



「富士山の玄関口」と各地で標榜する例が散見される中、正真正銘「富士山の玄関口」である富士宮市は何故言わないのだろうか…という疑問はずっとあった。しかしここにきてやっと、当たり前のことを当たり前に標榜する動きが見えてきた。良くも悪くも、他はもっと泥臭くやっているのである。

富士宮市のシティープロモーションは新章に入った…そんな感じすら覚える

私は単に自治体としての「富士宮市」として見た時、そもそも通常業務が淡々となされていれば問題はないと考える立場である。勿論応用的な動向があれば尚良いのは間違いないが、それを強要しようとは思わない。多くの市民は、自助努力で何とかすべきものすらも、市役所に強いているように私には映る。それによって他の業務に支障が出ているとするならば、被害を受けているのは何を隠そう他の市民だろう。であれば私は、市役所ではなくそれを強いた市民の方を咎める他あるまい。

市役所は万事屋では無い。そんな中で上で言うところの"応用的な動向"をしてくれるのは有り難い話であるし、評価されるべきであろう。視点を移して「博物館構想」を考えてみたいが、こうなると話は違ってくる。通常求められるものは当たり前に要求されるようになってくる。それなりのお金が動くことになるのだから、当然である。

しかし私がみるところ、現時点で歴史を巡る状況は全くもって疎かとしか言いようがない。従って、過去「博物館シリーズ」と言えるものを投稿したわけである。

「博物館シリーズ」の投稿においては、合計「883アクセス」を頂いた(6月12日現在)。


勿論、この数字は大きいものではない。そもそもこのブログは、メインブログ(過去運営していたブログで現在は削除)の1/10のアクセスも無いのである。


また個別記事のアクセス数でいっても、TOP3のものと比べると僅かである。これすらもメインブログ時代のTOP3と比べれば僅かなものと言えるのであるが、私は「富士山の短歌たち」という記事の3.25万よりこの883の方がずっと価値があると思っているし、実際数字の差以上に持つ意味があるだろう。

この構想について考える中で思うのは、博物館を作るにしてはそもそも歴史関連の課題が多すぎることである。にも関わらず、説明会の資料等を鑑みるに、ソフト面での問題が無いかのように振舞われているという違和感がある。

多くの問題の根幹にあるのは「土壌が出来ていない」という点にある。ダショー・ニシオカではないにせよ、圧倒的な時間的猶予の中でもっと土壌づくりをするべきだった。圧倒的な不足を感じる。そのような中で博物館構想を掲げているので、人に不安を抱かせている。

この記事では課題を以下の6つに分け、それぞれ考えていきたいと思う。


  1. 歴史コンテンツの非力さ
  2. 造語の整理
  3. 歴史コンテンツの改善
  4. 富士宮市の歴史を掘り起こす絶対量を増やす
  5. 知的財産権を守る
  6. 大衆に向けた取り組み

【解説】


  • 歴史コンテンツの非力さ


問題点として真っ先に挙げられるのが「歴史コンテンツの極端なまでの非力さ」である。富士宮市に関連する歴史キーワードを検索エンジンで検索しても、富士宮市のHPは一切出て来ないという、お馴染みの問題である。

殆どのキーワードでそのような状況であり、もう全く機能していないと言っても過言ではない(歴史分野で確認される現象です)。もしページが存在したとしても、それが上位でなければ、存在しないのと同じです。そもそも官公系のHPは優遇されていて、検索で上位に来るようになっており、出来レースくらいの相当なアドバンテージがあります。にも関わらず出てこないということは、相当深刻な致命的欠陥があるからに他ならない。

現在の大河ドラマは「どうする家康」であり主人公は徳川家康であるが、ここで家康に最も近接したと言える富士宮市の人物「井出正次」を例に検索してみましょう。



見て分かります通り、もちろん富士宮市HPが上位に出てくることはありません。むしろ三島市のHPが出てくるような状況です。正次は三島代官を務めていたので、三島市が取り上げてくれているんですよね。このように、しっかりページを用意していれば、確実に上位に表示されるようになっています。

その後は個人ブログなどが連なっており、「富士おさんぽ見聞録」さんといった富士地区の歴史を取り上げたブログも上位です。ちなみにこのブログは2014年より休止しています(とても良いブログですし、復活を期待しています)。その場合、通常は検索順位は相当落ちます。それでも上位ということは、アクセスが担保されているか、そのそも競合が少ないからでしょう。

有り体に言えば、本来「競合」となるべきはずの富士宮市HPが死に体なので、そもそも同じ土台に上がって来れないのでしょう。こういうものは、1つ1つのキーワードのレベルで考えなければなりません。つまり、富士宮市は井出正次を知ってもらおうという気が全く無いということになりますいくら御託を並べても、現代の人間は「検索」から入るので、この言い方が適切です

私はこれまで、富士宮市に関わる歴史キーワードを多く検索してきました。慣行になっているので、相当の時間を費やしたように思う。しかし富士宮市のHPが上位に出てきたという経験は、そうない。そして去年の大河ドラマは「鎌倉殿の13人」。では「曽我兄弟の仇討ち」で検索してみましょう。



そもそも曽我兄弟の仇討ちは富士宮市で起こったことなのですが、舞台の地に隣接する富士市のHPが一番上位です。官公のHPは優遇されているので、トップに行きやすいです。その他、UIも優れている小田原市のHP等が出てきますが、富士宮市のHPは相当に下らないと出てきません(最低最悪のUIです)。これも単純に、富士宮市が悪いのです。他の地方自治体が出来ていることなので、言い訳は出来ません。私はこのような現象を「非力」と言っているわけです。すべての用語で、このような調子です。

富士宮市の人物・出来事であっても存在感を消している富士宮市。全く笑えない状況が、一向に改善されないまま野放しにされています。15年くらい感覚が遅れているような感じがしますね。


  • 造語の整理


富士宮市郷土史博物館構想に賛成・反対か、本当の問題点を考える」で記したように、富士宮市のHPや刊行物でしか見かけないような造語が多く、第三者による精査が必要ではないかと考える。調べてみると、想像以上に深刻な状況であると感じています。

例えば富士宮市HPでよく見かける「首標」という言葉ですが、結論から言えば、そんな言葉は存在しない。御神幸道の石碑に「自当社山宮御神幸道五十丁証碑也」とあることから作った滅茶苦茶な造語かと思われますが、あまりにも好き勝手な造語化は歴史学的にも推奨されるものではない。こういう部分も、おざなりなんですよね。

『浅間大社遺跡 山宮浅間神社遺跡』(2009)という、静岡県埋蔵文化財センターによる報告書がある。これも富士宮市教育委員会が執筆に関与したと思しき箇所に限って、かなり違和感のあるものとなっている。

報告書内に「浅間大社年表」というものがあるが、「富士大宮司氏」とか「富士大宮司内分裂」といった意味がよくわからない用語・文章がある。いつも思うのであるが、富士大宮司というのはその時ただ1人だけであって、しかも富士氏の当主が名乗る神職名であるので、「富士大宮司内分裂」とか「富士大宮司氏」などという概念は存在し得ない。このように、造語だけに留まらず概念までも新たに形成している。

その時1人しかいない富士大宮司を指して「富士大宮司氏」と言っているのであるが、富士大宮司は富士氏の一側面に過ぎないのである。つまり「富士氏=富士大宮司」ではないのに、富士宮市HPはそのような書き方になっており、かなり問題のある記述となっている。この種の記述を止めるに至らない環境そのものが大問題であろう。誰が見てもおかしな記述なのですから。これが2009年という時代に罷り通っていたことを考えると、本当に想像以上に深刻であると言えます。

『岳南朝日新聞』の2018年10月24日付の記事に「歴史を軽んじてはならない」と題した投書が掲載されていた。内容としては、『富士・富士宮の昭和』(2018年8月)という刊行本に対するもので、時代比定があまりにもおざなりであるという指摘である。

実は私は、この本を10秒ほどめくったことがある。パラパラめくると、山部赤人の短歌が紹介されているページでとまった。そして直ぐさま、その和歌が誤りであることに気がついた。10秒でこれなのだから、しっかり見た人からすれば、相当な代物なのだろう。そしてその監修者は富士宮市文化財保護審議会委員であるという。




また「元富士大宮司館跡」という言葉も、笑止千万である。この場所は過去を辿ると「大宮城」であったわけであるので「富士大宮司館跡」では無い。ここに無理矢理「元」をつけたわけですが、あまりにも常識から外れた呼称である。

用語の一括整理をし、望ましくないものは修正すべきであると考える。


  • 歴史コンテンツの改善


富士宮市立郷土史博物館基本構想を独自に模索してみる」で記したように、「歩く博物館」の資料の酷さもさることながら、HPのUIは酷いを通り越して呆れるばかりである。一例として、富士宮市の代表的存在である富士山本宮浅間大社の紹介部分(「山本勘助ゆかりの地 -山本勘助とその時代-」より)を見ていきましょう。



このように、もう全く読ませる気がないのであって、その上で「関心を持ってもらいたい」みたいなことを述べても、説得力は皆無である。一例として、以下に小田原市HPを掲載してみます。



なんと美しいことでしょう。表化すべき箇所は表化され、文章は見やすく改行され、文字の大小も工夫され、文章もスマートであり、写真も綺麗である。富士宮市はこれらすべてが備わっていない。写真も多くは酷いものである。こういうものを改定しようとする動きも、全く認められない。とてつもなく、意識が低いのでしょう。

また近年の歴史コンテンツは別として、従来の歴史叙述は内容が問題であり、修正が必要であろう。「歩く博物館」の説明文も疑問を感じるものが多い。個人的主観があまりにも強すぎる。



この「当時の富士宮市は今川氏の勢力範囲内でしたが、そこには武田氏の勢力も寺院に御本尊を奉納するというように、この地域は今川氏・武田氏・北条氏の勢力が拮抗する所であったといえます」の部分には戦慄を覚えた記憶がある。

このような酷い記述が罷り通っているので、相当の箇所で修正が必要であることは間違いない。


  • 富士宮市の歴史を掘り起こす絶対量を増やす


私は様々な場面で「富士宮市は何故〇〇の歴史を取り上げないのだろうか」と疑問に感じることが多く、それは枚挙に暇がない程である。郷土資料館の展示会の傾向も、相当に偏っている(近年は異常な状況から少し是正されている)。それらについて、通常とは少し異なる角度から迫りたいと思う。

論文・論考を作成するにあたり第三者より意見・見解を伺ったりした場合、末尾等に「謝辞」という形で感謝を示した上で発表されることが多い。マナーとして行われるものである。

私は過去の記事で、富士信章と荷田春満による富士登山の際の記録に「室・石室」が頻出することを述べた。その中で、石室・山小屋についての研究報告を多く行っている奥矢・大場氏による論考類を参考文献として挙げた。と同時に、それなりの数に上る奥矢・大場氏による論考類に上のような事例が全く登場していないことに違和感を覚えた。これほど良質な材料であるのにも関わらずである。

(奥矢・大場 2019)によると、謝辞から「富士宮市埋蔵文化センター」が調査に協力したことが窺い知れ、普通の感覚であれば一応当人たちに伝えられるはずである。無論、あくまで建築学的見地から迫ろうとしている奥矢・大場氏が論考の中であえて記していないという可能性もある。それならば、何ら問題はないだろう。

しかし私はここで別の可能性を考える。それは富士宮市埋蔵文化センターから「そもそも伝えられていないのではないか」という可能性である。もっといえば「把握していない」という可能性もあるが、その場合はよく分からない。富士信章は富士氏で、富士宮市の歴史のど真ん中と言うべき部分であり、言ってみれば"富士宮市からすれば得意中の得意分野"である。その上で富士山も関係する事柄なので"把握していない"という状況自体が考えられない。

しかし普段のそれを見ている限り、それはあり得るかもしれない。その場合は単純に「富士宮市の歴史を掘り起こす絶対量を増やすべき」ではないかと思うのである。これまで幾度となく意見を伺いたいという依頼は埋文等にあったと思われるが、それらすべての質について疑義が生じる事態である。と同時に、富士宮市の媒体においても同じことが言える。


  • 知的財産権を守る


「富士宮市郷土史博物館構想に賛成・反対か、本当の問題点を考える」で記したように、「富士海苔」等を例として富士宮市の知的財産権は侵されている(富士宮市に帰属すると思われるもの)。パフォーマンスだけでなく、実際の行動をして頂きたいと思うところである。

しっかりリストを作成するなどし、まずは把握するところから始めなければならない。まだ始まってすらいないという自覚を持たなければならない。

そもそも富士海苔が採れなくなったのは、水力発電所の建設が原因とされている。しかしどうだろう。富士宮市は無制限に水力発電所を推進しているようにしか見えない。そもそもであるが、富士海苔を守ろうとしているようには思われないのである。

水力発電所建設が行政のお墨付きを得たことで「コモンズの悲劇」に近い状況を産んでおり、この点も考えなければならないだろう。


  • もっと大衆的であっていい


「歴史」という分野・コンテンツに招待したいとき、果たして展示会や刊行物だけでそれが成せるだろうか。否、だろう。以下に、富士宮市の公式Twitterのあるツイートを見ていきたい。


ここで驚くべきは、その反応の大きさである。これは巷のインフルエンサーですらなかなか達しないようなリツイート数で、世界的インフルエンサーでしかなし得ないレベルの反応である。イーロン・マスクとか、そのレベルである。

ここから富士宮市について知った人も多いであろうし、一部ではネットニュースにもなったようである。富士宮市も、こういうことが出来るのである。歴史の分野においても、もう少し大衆に向けた取り組みが必要ではないかと考える(SNSをやることを勧めているわけではありません)。

ちなみに「ふじのみや名将回顧録」「どうなる、富士宮?-戦国時代の富士宮探訪-」といった冊子の刊行・宣伝は大衆に向けた良い取り組みと言える。上でも近年の取り組みを挙げたが、以前より風通しが良くなったことは間違いない。詰まる所、従来があまりにも酷かったのである。


ちなみにですが、ペラペラ見た感じでは内容は誤った箇所も多いです。

「富士の巻狩」(建久4年(1193)・源頼朝) →曽我兄弟の仇討ちが発生 「富士の狩倉」(建仁3年(1203)・源頼家) →人穴探索

もう少し、吟味してから作成した方が良さそうです。また「名称」についても留意すべきである。

「富士山」商標権活用を 富士宮市、取得管理を支援(静岡新聞Web版2013/8/15)
ただ、富士山関連の商標は既に多くが登録されている。工業所有権情報・研修館(東京都)が提供する特許電子図書館の統計によると、「富士」「富士山」と銘打った商標は出願中を含めて160件に上る(7月18日現在)。市商工振興課の担当者は「富士山の地元でできるだけ商標を取り、活用するのが理想的。高まる需要に応えていきたい」と知財戦略のてこ入れを図る。(抜粋)


「富士」という言葉にネームバリューがあるのであれば、名称は「富士博物館」でも全く問題ないと考える。そもそも富士宮市の歴史を取り扱う博物館であれば、以下は押さえたいところである。


  • 富士金山(「麓金山」と呼び習わされることも)
  • 富士氏(富士上方の領主)
  • 富士城(大宮城の別名)
  • 富士野(曽我兄弟の仇討ち舞台の地)
  • 富士海苔(芝川海苔とも)
  • 富士川(富士宮市も流域とする河川)
  • 富士山(山梨県・静岡県に跨る山)

富士宮市の歴史は、基本的には上に属するものであると考える。富士の巻狩は「富士野」であるし、富士大宮楽市令は「富士氏」であるし、「大宮・村山口登山道」は「富士山」である。

なので「条件」として、博物館の名称は「富士博物館」や「〇〇富士博物館」とすべきと考える。「富士宮市立郷土史博物館」などという名称は、論外である。

  • おわりに


今現在携わっている方々だけで構成されたら、失敗する蓋然性は高い。「歴史」と銘打った大プロジェクトで「失敗」したら、以降はチャンスを与えられないかもしれない。であれば、今回の動向次第ではむしろ後世の可能性をも大きく狭めてしまうかもしれないのである。

"あれがあったから、もうこれ系のプロジェクトは出来ないんだよ"…という事例は全国で数多聞く。「人」が評価するのだから「人」が来なければ意味がないのに、「人」が集まりそうな取り組みが期待できない。これではどうしようも無い。私は、後世の可能性をも狭める潜在性に対し危惧する一個人である。

タイトルに対する答えは以下の7つであり、具体策を添えてみた。

項目具体的な取り組み
歴史コンテンツ上位表示化あまりにも状況が酷いため多くは望まないが、せめて代表的用語は少なくとも1ページ目に表示されるようにする
受容されると問題があると言える歴史叙述の改善すべての歴史コンテンツの文章を再読し、検分・検証する
不合理で荒唐な造語の廃止「首標」等の文言を廃止
読む側の努力が強いられることのない普通レベル以上のUI化設計を見直し、一般社会で許される範囲に落とし込む
知的財産権を守る代表格として「富士海苔」から始め、順次他に着手
大衆に向けた取り組み富士宮市の役所慣行から少し抜けた取り組み
名称問題を等閑視しない「富士」を入れる

この少ない要求すべてが確認されたとき、支持したいと考える。博物館構想に対して中立を保っている方々も、これらが概ね確認されたときは賛成に相応しい状況であると思われるので、是非スタンスを変えて頂きたいと思う。逆にそうでなければ、反対で良いと思います。

  • 参考文献
  1. 奥矢・大場 (2019)「近世富士山における山小屋建築の諸相と山岳景観」『日本建築学会計画系論文集』84巻
  2. 佐藤進一(1967)『室町幕府守護制度の研究 上』, 東京大学出版会