「博物館シリーズ」の最後の投稿となります。
【はじめに】
武将の家紋 何が出る? 富士宮市公認ガチャ「100パターン」 /静岡(毎日新聞 2023/6/15 地方版)
富士山の世界文化遺産登録10周年と今夏の開山を記念して、富士宮市は、地元ゆかりの戦国武将の家紋をあしらったマグネット入りのカプセル玩具の販売を始めた。イオンモール富士宮に期間限定で自動販売機を設置した。
市の名前にちなみ、「宮ガチャ」と名づけた。1個200円で、自販機にお金を入れてレバーを回すと全7種のうちどれかが出てくる。マグネットには、徳川家康や織田信長の他、今川、武田、北条、富士各氏いずれかの家紋か富士山がデザインされている。(抜粋)
しかし私がみるところ、現時点で歴史を巡る状況は全くもって疎かとしか言いようがない。従って、過去「博物館シリーズ」と言えるものを投稿したわけである。
勿論、この数字は大きいものではない。そもそもこのブログは、メインブログ(過去運営していたブログで現在は削除)の1/10のアクセスも無いのである。
また個別記事のアクセス数でいっても、TOP3のものと比べると僅かである。これすらもメインブログ時代のTOP3と比べれば僅かなものと言えるのであるが、私は「富士山の短歌たち」という記事の3.25万よりこの883の方がずっと価値があると思っているし、実際数字の差以上に持つ意味があるだろう。
この構想について考える中で思うのは、博物館を作るにしてはそもそも歴史関連の課題が多すぎることである。にも関わらず、説明会の資料等を鑑みるに、ソフト面での問題が無いかのように振舞われているという違和感がある。
多くの問題の根幹にあるのは「土壌が出来ていない」という点にある。ダショー・ニシオカではないにせよ、圧倒的な時間的猶予の中でもっと土壌づくりをするべきだった。圧倒的な不足を感じる。そのような中で博物館構想を掲げているので、人に不安を抱かせている。
この記事では課題を以下の6つに分け、それぞれ考えていきたいと思う。
- 歴史コンテンツの非力さ
- 造語の整理
- 歴史コンテンツの改善
- 富士宮市の歴史を掘り起こす絶対量を増やす
- 知的財産権を守る
- 大衆に向けた取り組み
【解説】
- 歴史コンテンツの非力さ
問題点として真っ先に挙げられるのが「歴史コンテンツの極端なまでの非力さ」である。富士宮市に関連する歴史キーワードを検索エンジンで検索しても、富士宮市のHPは一切出て来ないという、お馴染みの問題である。
殆どのキーワードでそのような状況であり、もう全く機能していないと言っても過言ではない(歴史分野で確認される現象です)。もしページが存在したとしても、それが上位でなければ、存在しないのと同じです。そもそも官公系のHPは優遇されていて、検索で上位に来るようになっており、出来レースくらいの相当なアドバンテージがあります。にも関わらず出てこないということは、相当深刻な致命的欠陥があるからに他ならない。
現在の大河ドラマは「どうする家康」であり主人公は徳川家康であるが、ここで家康に最も近接したと言える富士宮市の人物「井出正次」を例に検索してみましょう。
見て分かります通り、もちろん富士宮市HPが上位に出てくることはありません。むしろ三島市のHPが出てくるような状況です。正次は三島代官を務めていたので、三島市が取り上げてくれているんですよね。このように、しっかりページを用意していれば、確実に上位に表示されるようになっています。
その後は個人ブログなどが連なっており、「富士おさんぽ見聞録」さんといった富士地区の歴史を取り上げたブログも上位です。ちなみにこのブログは2014年より休止しています(とても良いブログですし、復活を期待しています)。その場合、通常は検索順位は相当落ちます。それでも上位ということは、アクセスが担保されているか、そのそも競合が少ないからでしょう。
有り体に言えば、本来「競合」となるべきはずの富士宮市HPが死に体なので、そもそも同じ土台に上がって来れないのでしょう。こういうものは、1つ1つのキーワードのレベルで考えなければなりません。つまり、富士宮市は井出正次を知ってもらおうという気が全く無いということになります。いくら御託を並べても、現代の人間は「検索」から入るので、この言い方が適切です。
私はこれまで、富士宮市に関わる歴史キーワードを多く検索してきました。慣行になっているので、相当の時間を費やしたように思う。しかし富士宮市のHPが上位に出てきたという経験は、そうない。そして去年の大河ドラマは「鎌倉殿の13人」。では「曽我兄弟の仇討ち」で検索してみましょう。
富士宮市の人物・出来事であっても存在感を消している富士宮市。全く笑えない状況が、一向に改善されないまま野放しにされています。15年くらい感覚が遅れているような感じがしますね。
- 造語の整理
「富士宮市郷土史博物館構想に賛成・反対か、本当の問題点を考える」で記したように、富士宮市のHPや刊行物でしか見かけないような造語が多く、第三者による精査が必要ではないかと考える。調べてみると、想像以上に深刻な状況であると感じています。
例えば富士宮市HPでよく見かける「首標」という言葉ですが、結論から言えば、そんな言葉は存在しない。御神幸道の石碑に「自当社山宮御神幸道五十丁証碑首也」とあることから作った滅茶苦茶な造語かと思われますが、あまりにも好き勝手な造語化は歴史学的にも推奨されるものではない。こういう部分も、おざなりなんですよね。実は私は、この本を10秒ほどめくったことがある。パラパラめくると、山部赤人の短歌が紹介されているページでとまった。そして直ぐさま、その和歌が誤りであることに気がついた。10秒でこれなのだから、しっかり見た人からすれば、相当な代物なのだろう。そしてその監修者は富士宮市文化財保護審議会委員であるという。
用語の一括整理をし、望ましくないものは修正すべきであると考える。
- 歴史コンテンツの改善
「富士宮市立郷土史博物館基本構想を独自に模索してみる」で記したように、「歩く博物館」の資料の酷さもさることながら、HPのUIは酷いを通り越して呆れるばかりである。一例として、富士宮市の代表的存在である富士山本宮浅間大社の紹介部分(「山本勘助ゆかりの地 -山本勘助とその時代-」より)を見ていきましょう。
このように、もう全く読ませる気がないのであって、その上で「関心を持ってもらいたい」みたいなことを述べても、説得力は皆無である。一例として、以下に小田原市HPを掲載してみます。
なんと美しいことでしょう。表化すべき箇所は表化され、文章は見やすく改行され、文字の大小も工夫され、文章もスマートであり、写真も綺麗である。富士宮市はこれらすべてが備わっていない。
私は小田原市のページを見て「行ってみたい!」と思い、実際に足を伸ばした。一方、富士宮市のHPでそそられたものは1つも無いように思う。こういったものを改定しようとする動きも、全く認められない。とてつもなく、意識が低いのでしょう。
また近年の歴史コンテンツは別として、従来の歴史叙述は内容が問題であり、修正が必要であろう。「歩く博物館」の説明文も疑問を感じるものが多い。個人的主観があまりにも強すぎる。
この「当時の富士宮市は今川氏の勢力範囲内でしたが、そこには武田氏の勢力も寺院に御本尊を奉納するというように、この地域は今川氏・武田氏・北条氏の勢力が拮抗する所であったといえます」の部分には戦慄を覚えた記憶がある。
- 富士宮市の歴史を掘り起こす絶対量を増やす
私は様々な場面で「富士宮市は何故〇〇の歴史を取り上げないのだろうか」と疑問に感じることが多く、それは枚挙に暇がない程である。郷土資料館の展示会の傾向も、相当に偏っている(近年は異常な状況から少し是正されている)。それらについて、通常とは少し異なる角度から迫りたいと思う。
論文・論考を作成するにあたり第三者より意見・見解を伺ったりした場合、末尾等に「謝辞」という形で感謝を示した上で発表されることが多い。マナーとして行われるものである。
私は過去の記事で、富士信章と荷田春満による富士登山の際の記録に「室・石室」が頻出することを述べた。その中で、石室・山小屋についての研究報告を多く行っている奥矢・大場氏による論考類を参考文献として挙げた。と同時に、それなりの数に上る奥矢・大場氏による論考類に上のような事例が全く登場していないことに違和感を覚えた。これほど良質な材料であるのにも関わらずである。
(奥矢・大場 2019)によると、謝辞から「富士宮市埋蔵文化センター」が調査に協力したことが窺い知れ、普通の感覚であれば一応当人たちに伝えられるはずである。無論、あくまで建築学的見地から迫ろうとしている奥矢・大場氏が論考の中であえて記していないという可能性もある。それならば、何ら問題はないだろう。
しかし私はここで別の可能性を考える。それは富士宮市埋蔵文化センターから「そもそも伝えられていないのではないか」という可能性である。もっといえば「把握していない」という可能性もあるが、その場合はよく分からない。富士信章は富士氏で、富士宮市の歴史のど真ん中と言うべき部分であり、言ってみれば"富士宮市からすれば得意中の得意分野"である。その上で富士山も関係する事柄なので"把握していない"という状況自体が考えられない。
しかし普段のそれを見ている限り、それはあり得るかもしれない。その場合は単純に「富士宮市の歴史を掘り起こす絶対量を増やすべき」ではないかと思うのである。これまで幾度となく意見を伺いたいという依頼は埋文等にあったと思われるが、それらすべての質について疑義が生じる事態である。と同時に、富士宮市の媒体においても同じことが言える。
- 知的財産権を守る
「富士宮市郷土史博物館構想に賛成・反対か、本当の問題点を考える」で記したように、「富士海苔」等を例として富士宮市の知的財産権は侵されている(富士宮市に帰属すると思われるもの)。パフォーマンスだけでなく、実際の行動をして頂きたいと思うところである。
しっかりリストを作成するなどし、まずは把握するところから始めなければならない。まだ始まってすらいないという自覚を持たなければならない。
そもそも富士海苔が採れなくなったのは、水力発電所の建設が原因と各所で指摘されている。例えば(八木2012p.72-73)には以下のようにある。
ところが芝川の豊富な水量と落差を利用して、関東電力会社の水力発電所が13ヵ所も建設されて水量が減ってしまい、残念ながら芝川海苔の採取はできない状態にある。ただ、遠藤さんによると、芝川の支流半野川では今でも採れる場所があるらしい。
しかしどうだろう。現在の富士宮市の施策を見ると無制限に水力発電所を推進しているようにしか見えない。そもそもであるが、富士海苔を守ろうとしているようには思われないのである。
水力発電所建設が行政のお墨付きを得たことで「コモンズの悲劇」に近い状況を産んでおり、この点も考えなければならないだろう。
- もっと大衆的であっていい
「歴史」という分野・コンテンツに招待したいとき、果たして展示会や刊行物だけでそれが成せるだろうか。否、だろう。以下に、富士宮市の公式Twitterのあるツイートを見ていきたい。
ここで驚くべきは、その反応の大きさである。これは巷のインフルエンサーですらなかなか達しないようなリツイート数で、世界的インフルエンサーでしかなし得ないレベルの反応である。イーロン・マスクとか、そのレベルである。
ここから富士宮市について知った人も多いであろうし、一部ではネットニュースにもなったようである。富士宮市も、こういうことが出来るのである。歴史の分野においても、もう少し大衆に向けた取り組みが必要ではないかと考える(SNSをやることを勧めているわけではありません)。
「富士の巻狩」(建久4年(1193)・源頼朝) →曽我兄弟の仇討ちが発生 「富士の狩倉」(建仁3年(1203)・源頼家) →人穴探索
「富士山」商標権活用を 富士宮市、取得管理を支援(静岡新聞Web版2013/8/15)
ただ、富士山関連の商標は既に多くが登録されている。工業所有権情報・研修館(東京都)が提供する特許電子図書館の統計によると、「富士」「富士山」と銘打った商標は出願中を含めて160件に上る(7月18日現在)。市商工振興課の担当者は「富士山の地元でできるだけ商標を取り、活用するのが理想的。高まる需要に応えていきたい」と知財戦略のてこ入れを図る。(抜粋)
「富士」という言葉にネームバリューがあるのであれば、名称は「富士博物館」でも全く問題ないと考える。そもそも富士宮市の歴史を取り扱う博物館であれば、以下は押さえたいところである。
- 富士金山(「麓金山」と呼び習わされることも)
- 富士氏(富士上方の領主)
- 富士城(大宮城の別名)
- 富士野(曽我兄弟の仇討ち舞台の地)
- 富士海苔(芝川海苔とも)
- 富士川(富士宮市も流域とする河川)
- 富士山(山梨県・静岡県に跨る山)
- おわりに
今現在携わっている方々だけで構成されたら、失敗する蓋然性は高い。「歴史」と銘打った大プロジェクトで「失敗」したら、以降はチャンスを与えられないかもしれない。であれば、今回の動向次第ではむしろ後世の可能性をも大きく狭めてしまうかもしれないのである。
"あれがあったから、もうこれ系のプロジェクトは出来ないんだよ"…という事例は全国で数多聞く。「人」が評価するのだから「人」が来なければ意味がないのに、「人」が集まりそうな取り組みが期待できない。これではどうしようも無い。私は、後世の可能性をも狭める潜在性に対し危惧する一個人である。
タイトルに対する答えは以下の7つであり、具体策を添えてみた。項目 | 具体的な取り組み |
---|---|
歴史コンテンツ上位表示化 | あまりにも状況が酷いため多くは望まないが、せめて代表的用語は少なくとも1ページ目に表示されるようにする |
受容されると問題があると言える歴史叙述の改善 | すべての歴史コンテンツの文章を再読し、検分・検証する |
不合理で荒唐な造語の廃止 | 「首標」等の文言を廃止 |
読む側の努力が強いられることのない普通レベル以上のUI化 | 設計を見直し、一般社会で許される範囲に落とし込む |
知的財産権を守る | 代表格として「富士海苔」から始め、順次他に着手 |
大衆に向けた取り組み | 富士宮市の役所慣行から少し抜けた取り組み |
名称問題を等閑視しない | 「富士」を入れる |
この少ない要求すべてが確認されたとき、支持したいと考える。博物館構想に対して中立を保っている方々も、これらが概ね確認されたときは賛成に相応しい状況であると思われるので、是非スタンスを変えて頂きたいと思う。逆にそうでなければ、反対で良いと思います。
- 参考文献
- 奥矢・大場 (2019)「近世富士山における山小屋建築の諸相と山岳景観」『日本建築学会計画系論文集』84巻
- 佐藤進一(1967)『室町幕府守護制度の研究 上』, 東京大学出版会
- 八木洋光(2012)「湧水の恵み」『湧水 : 富士山に消える24億トンの水の行方』(しずおかの文化新書),静岡県文化財団
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