富士山は古来から霊峰として信仰の対象となり、また美術面でも対象となってきました。そんな中で古来から短歌などが詠われてきました。今回はそれらを掲載します。
田児の浦
ゆうち出でてみれば真白にそ不二の高嶺に雪は降りける
当短歌についてはこちらもどうぞ→(
田子の浦ゆうち出でてみれば真白にそ不二の高嶺に雪は降りける)。
富士のねの絶えぬ思ひをするからに常盤に燃ゆる身とぞなりぬる
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柿本人麻呂 |
富士の嶺に降り置く雪は六月の十五日に消ぬればその夜降りけり
時しらぬ山は富士の嶺いつとてか鹿の子まだらに雪の降るらむ
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「業平東下り図」(俵屋宗達) |
験なき煙を雲にまがへつつ世をへて富士の山と燃えなむ
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紀貫之 |
人しれず思ひするがのふじのねはわがごとやかく絶えず燃ゆらむ
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伊勢 |
風になびく富士の煙の空にきえてゆくへも知らぬ我が思ひかな
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西行 |
道すがら富士の煙もわかざりきはるるまもなき空のけしきに
富士の嶺にぬなれの雪のつもり来ておのれ時しる浮島がはら
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藤原定家 |
見わたせば雲居はるかに雪白し富士の高嶺のあけぼのの空
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源実朝 |
富士の嶺の月に嵐や拂ふらむ神だに消たぬ煙なれども
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後鳥羽天皇 |
最後には、個人的にすきな歌を1つ。
詞書:富士のむら山とて、大嶽の麓に侍り、所々に紅葉の残れるをながめて
高嶺には秋なき雪の色冴えて 紅葉ぞ深きふじのむら山
これは、現在の富士宮市村山から富士山を眺めて詠ったものである。道興は同じ富士山麓の「須山」(現在の小山町)と「鳴沢」(山梨県南都留郡鳴沢村)および「吉田」(山梨県富士吉田市)でも歌を詠んでいるが、これらもすばらしい。須山-村山-鳴沢と駿河国から甲斐国に移動する中で歌を詠み、次いで相模国に入り武蔵国を経た後甲斐国に再び入り、吉田でも歌を詠んでいる。
村山から見た富士山の「雪で覆われた深冬を感じさせる姿」と、現在自らが居る場所の「紅葉に覆われる風景」とを対比させ、季節感の差異を感じさせる見事な歌である。「色冴えて」という表現が「雪の白」と「紅葉」をはっきりと連想させている。
いい勉強になりましたっ!ありがとうございまーす
返信削除紀貫之の画像ってどこから持ってきたんですか?
返信削除『紙本金地著色三十六歌仙図』からです。
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