富士上方とは
「大宮町・白糸・芝富・上野・上井出・北山・富丘」一帯を指す。
富士下方とは
「今泉・原田・吉原・伝法・鷹岡」など一帯を指す。
富士上(下)方という用語は、富士氏(富士大宮司)への朱印状などで多くみられる。特に今川・北条・武田氏が領土争いを繰り広げた時代の書状には多く見られる。
足利義持から富士大宮司宛 |
室町幕府(足利将軍)からの浅間大社への書状に「富士浅間宮領駿河国富士上方」とあったり(上)、今川義元による富士氏への書状「富士上方富知行百姓内徳之事」にあるように、「富士上方」という言葉が頻繁に用いられていたことがわかる。
永正9年(1512)「義忠寄進状」、※全文は掲載せず |
北条氏政から富士信忠宛 |
富士信忠が富士上方の支配権を約束されていたことを考えると、やはり富士氏は大きな影響力を保持していたと言えるであろう。
- 参考文献
0 件のコメント:
コメントを投稿