ここで少し駿河と江戸の関係について載せてみたいと思う。
参考:家康公を学ぶ
- 駿府銀座と江戸銀座
- 金座
紫のエリアが静岡市金座町 |
この駿河町の由来をまとめると「駿河町は駿河の者によって開かれた町なので、駿府の七間町から見た城と富士山の景色を江戸に再現するためや懐かしみから駿河町とした」という感じになります。
駿河の人によって開かれたというのはなかなか信ぴょう性があると思います。そういうことは結構あったりするものです。これはもっともっと後の時代の話かもしれないが、現在の静岡市中心部(や富士宮市中心部)の人は甲斐国から移り住んだ人が多いという説がある。甲斐国の人々は商売上手であり、成功者が移り住んだという説だ。のんびりした駿河国にはないセンスを持ち合わせたのではないかと思う。富士宮も昔は商都であったので、多くの人が行き交っていたと考えられる。
- 絵画
『名所江戸百景』「するがてふ」 |
あと、この有名な絵も駿河町である。
「朝鮮通信使来朝図」 |
またこちらも有名だ。三井越後屋のマークが見て取れるが、現在でいう「三越」である。
「江都駿河町三井見世略図」 |
今年は日本橋100周年らしく、イベントを多くやるそうである。金座・銀座含め、こういう部分も注目してもらえたらいいなと思う。
- 参考文献
久保田淳,『富士山 信仰と芸術の源』P216-229,小学館,2009年
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