2011年7月16日土曜日

浅間大社の菊花紋と葵紋と五三桐

  • 菊花紋と葵紋が並列する蟇股
浅間造の2階の部分の正面の蟇股(かえるまた)に「家紋」がみられる。非常に興味深いのであるが、正面蟇股という重要な部分に「菊花紋」と「葵紋」が並んでいる。

トンネルのような形をしているのが「蟇股」
十六菊
徳川葵













「菊花紋」は「天皇家」の紋として著明であり、「葵紋」は徳川家の家紋である。菊花紋は浅間大社の社殿のみならず境内にいくつもみられる。しかし「菊花紋」と「葵紋」が並んで位置するということは、普通は考えられないことである。また西側には葵紋・東側には「菊花紋」と「五三の桐」がセットだという。「五三桐」は豊臣氏である。これらの建築は、徳川家康により造営されたものである。

神社建築上、2つの家紋(御紋)を並べるということ自体が稀のはずである。そればかりか、「菊花紋」と「葵紋」が並ぶというものは異例である。葵紋がある時点で徳川氏が建築したことは間違いない。浅間大社の特徴の1つであろう。

  • 蟇股の富士山

直接的には浅間大社の建築物に富士山は描かれていないと思っていたが、背面中央の部分に富士山が装飾されているという。これもまた浅間大社特有であると言えるだろう。特別な建築(浅間造)であるが故に、目に見えないところにこういうものが隠れていたのである。確かに資料にあるように、造営当時はまだ豊臣氏が健在の頃であったために、豊臣氏と徳川氏の家紋が共存しているのかもしれない。しかしそれを含めても不思議である。

徳川家は富士山を特別視していたことは間違いない。松島仁「富士山学を拓く」(『静岡県富士山世界遺産センター News Letter-Vol.34』)によると、江戸城本丸中奥休息の間のうち、上段の床間には三保の松原や清見寺をともなった富士山が描かれているという。松原氏は

将軍の身体と一体化することにより「御威光」を生み出す文化装置。それこそが江戸城内に描かれた富士山でした

としている。そしてここに絵画の「政治的側面」や「思想面」を見出だせるとしている。この蟇股に描かれる富士山も、「思想面」との関わりがあるはずである。

  • まとめ
『富嶽之記』(1733年)に「本殿二重閣、彩食彫物等美盡し、菊葵の紋あり」とある。『浅間神社の歴史』ではこれを「富士氏の家紋と間違えたのではないか」という見解を示しているが、本当はそうではなく、まさに中谷顧山の見たそれはあったということになる。

  • 参考文献
  1. 官幣大社浅間神社社務所編,『浅間神社史料』P147(1974年版),名著出版
  2. 宮地直一,『浅間神社の歴史』(1973年版)P305,名著出版
  3. 松島仁,「富士山学を拓く」『静岡県富士山世界遺産センター News Letter-Vol.34』,2017

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