富士山本宮浅間大社は間違いなく神仏習合の形はありました。
社頭絵図写し(1672年) |
富士大宮司別当領之事 (中略)然者社中護摩堂年来断絶之上、…
地震や噴火などで倒壊して場所は変わった可能性はあるが、1560年には少なくともあったということが確認できる。2008年の発掘調査でも護摩堂跡が見つかっているが、当時の記事では「道者が護摩堂を見おろせられる位置に存在した」とある。
また、この図には「三重塔」が描かれている。浅間大社にはかつて三重塔が存在していた。その他多くの仏教的建築が見られる。まさに神仏習合がみてとれるのである。
『別当祐泉口上書写』では
一 社家二神体ト申体ヲ、佛家ニハ御正体申習い、浅間大明神ヲ浅間大菩薩トモ、何百年来唱来申候御事。
とある。ご神体は「浅間大明神」や「浅間大菩薩」などと呼ばれたということで、「浅間大菩薩」という語は神仏習合に影響を受けた言葉だと思う。特に社家より佛家(仏家)で「浅間大菩薩」は用いられたようである。
しかしこれらは神仏分離令によりことごとく破壊されることとなる。
しかしこれらは神仏分離令によりことごとく破壊されることとなる。
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