まず、17世紀作の深草元政『身延道の記』(身延紀行)の内容を紹介したい。
萬澤より、ニ里ばかり来て、うつふさと云前にいなせ川ながれ、富士の雪をひたせり。淋しくおかしき所なり、うつふさにさのみは人のねらねばと、高祖の詠じ給ひしは、里の子もよく覚えてかたる。うつふさに なられん物か かたしきの まくらの山は ふじの白雪
現在の富士宮市内房に関する記録である。ここでいう「高祖」とは「日蓮」のことである。
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| 日蓮 |
そして同史料を、寛延2年(1749)『和歌駿河草』が引用している。引用部分を含む、内房について取り上げている箇所を以下に示す。
内房
(中略)日蓮聖人此あたり遊歴して古跡もありとなん。此所に宿りてよめる歌とて
うつぶさに さのみは人の ねられねば 月を身延に おき帰るらん
身延紀行に、萬澤より二里ばかり来て、うつぶさといふ。前には稲瀬川流れ、富士の雪をひせたり、さびしくおかしき所也。(中略)うつぶさに ねられんものか 片しきの 枕の山は 富士のしら雪
この『和歌駿河草』は極めて重要な史料で、例えば「大宮・村山口登山道」についても記している。この『和歌駿河草』の内容は明らかに実際登山した上でのものであり、該当箇所だけを見れば立派な登山記である。一方で、あまり注目されてはいない。以下に一部引用する。
登山するに、駿河口、大宮。相州道須走。甲州口、吉田。と三所あり。大宮より一里程をのぼりて、村山といふあり。それより二里ばかりのぼりて、八幡、中宮、龍か馬場、砂振、といへるには、砂石ばかりにて、草木もなし。風烈しければ砂石を飛ばし登り得る事なし。
そして地誌の一種である文政3年(1820)『駿河記』にも『身延道の記』が引用されている。
長遠山本成寺(中略)此寺は深草元政舎りし寺也。詠歌の本紙于今伝ふ。又祖師の詠草及び日遠上人の詠草とも所蔵なり。日蓮上人うつぶさに さのみは人の ねられねば 月をみのぶに 起帰るかな日遠上人谷河に うつるこよひの 月かげを うつぶさにねて ながめぬるかな深草元政身延行記に曰萬澤より…(以下略)
この「日蓮」「日遠」「日政」(深草元政)の三首を「内房三詠」と言う。そして面白いことに、この三首を刻文とした石碑が東京都杉並区の蓮光寺に所在する。日蓮霊場と認識されているがために、このようなものが遠い地に存在するのである。
富士宮市には「日蓮霊場」と言えるような寺院として本成寺の他に「本光寺」(富士宮市黒田)がある。「乳信仰」を有する銀杏が所在することで知られる(児島2018;p.82)。
そして日蓮には弟子として「六老僧」が居た。その内の1人「日興」に由縁がある寺院として「大泉寺」(富士宮市野中)がある。(西岡2010;p.26)にあるように、富士山と関係が深く、「富士山住日興」という署名を用いるほどの人物であった。
この大泉寺であるが、富士山御中道に位置する石碑を今現在も管理している。「今現在」と記したが、古くから管理してきた歴史がある。そもそも建立自体が大泉寺によるものである。つまり日蓮宗の遺跡というわけである。
富士山信仰と日蓮宗の結びつきは、あまり語られることがない。しかしその一面は等閑視できるものでもなく、(西岡2006)(青柳2006)(西岡2010)(清雲2016)などで取り上げられている。つまり富士山信仰と日蓮宗は決して無縁ではなく、それを具現化したものの1つが上の御中道の石碑と言えるわけである。
この事実を理解した上で話を進めていきたいのであるが、近年富士山に異変が生じていることを皆さん御存知だろうか?再び『和歌駿河草』の内容を引用する。
登山するに、駿河口、大宮。相州道須走。甲州口、吉田。と三所あり。大宮より一里程をのぼりて、村山といふあり。それより二里ばかりのぼりて、八幡、中宮、龍か馬場、砂振、といへるには、砂石ばかりにて、草木もなし。風烈しければ砂石を飛ばし登り得る事なし。
ここに確認される「村山」「中宮(八幡堂)」といった箇所に行くと、梵字の護摩札が据え置かれている事象が確認される。それはもう、あらゆる所に確認できる。例えば「大宮」は浅間大社の鎮座地であるが、その大宮司・社人等が神事を行っていた富士塚(富士市鈴川)にもやはり護摩札が確認される。そして上の大泉寺が管理する石碑にも、それは確認される。そうなのだ。
富士山南麓の各史跡に、手当たり次第護摩札が据え置かれている事象が確認される
これが近年の富士山の異変なのであるが、日蓮宗に梵字はそぐわないから、明らかに場違いなことをしているのは明白である。これは本当に大泉寺に許可を得てのことだろうか?
富士山麓に住む人々だからこそ、これらの是非について考えていくべきであるのかもしれない。登山マナーが指摘される昨今であるが、この領域の無秩序化も間違いなく進んでいるのである。
- 参考文献
- 鷲尾順敬編(1925)『国文東方仏教叢書 紀行部』、国文東方仏教叢書刊行会
- 西岡芳文(2006)「歴史における物語と情報 富士山をめぐる知識と言説―中世情報史の視点から」『立教大学日本学研究所年報 No.5』、31-39
- 青柳周一(2006)「人の移動と地域社会―富士山の「日蓮宗の名所」化をめぐって」『地域史の視点』、吉川弘文館
- 西岡芳文(2010)「富士山をめぐる中世の信仰」『興風』22号、1-42
- 清雲俊元(2016)「身延山大学公開講演会講演録 富士山の世界文化遺産登録」『身延論叢 No.21』、3-14
- 児島恭子 (2018) 「イチョウ巨樹の乳信仰ー歴史研究の資料に関する課題ー」『札幌学院大学人文学会紀要』第103号、73-85

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