2026年7月31日金曜日

『吉居雑話』から吉原の歴史・民俗を考える、富士市の精神的変化

本稿では、「富士市60周年シリーズ」でも度々言及している山中共古『吉居雑話』について取り上げていく。以下に、その内容と(山中1984)に応じた頁数を一覧化する。

また「吉原」だけでなく「大宮」についても多く取り上げられているので、冒頭に「大宮」が登場するページの頁数を示しておく。


「大宮」が登場するページ7,9,13,22-23,28-29,68,73,81-82,88,91-93,96-97,102,104,107,120,123,124


以下に、印象的な内容とその頁数を一覧化する。


内容
阿字神社5-6
富士塚12
天子ヶ嶽の瓔珞ツツジ13
花一匁のような遊び14
木之元神社21
浅間大社・村山口登山道・村山三坊22-24
イナゴ食27
大宮方言28-29
富士郡の旧暦文化29
見世物小屋29
石坂の石ノ穴33
かぐや姫49-50
天子ヶ嶽59-60
比奈の浅間社67-68
浅間大社68
鏡石68
米之宮と米72
磔八幡72-73
小泉久遠寺73
鈴木香峰77-78
犬食文化78-79
沼久保の狂人塚・サトリ塚・摩利支天塚81-82
悪王子神社(吉原)87
三股淵・田子の古道89
保寿寺(三股淵)89
富士川舟運90
大宮の羽掛松の古址91
大宮の蔵屋敷稲荷92
福石子育神社92
虎石93
北山の浅間神社96
かぐや姫(大宮・村山・比奈)97
吉原の方言101
浅間大社の湧玉池の石碑(山宮御神幸)102
飯森浅間神社103
玉渡神社・曽我祠・角田一家103-104
御菊田の伝承105-106
死人川106
比奈の名称106
葛山氏107
永明寺・龍ヶ淵107-108
富知六所浅間神社と富知神社114
一比奈、二香貫、三加嶋115
子袋神社と奇祭117-118
日野屋119
鈴木香峰121
曽我八幡宮124
富士の巻狩り由縁の地名124
カケスバタ124
妙法寺125-126
富士道者127,130

  • 『吉居雑話』の分析

同史料は、富士郡の民俗学を考える上で必須の史料と言える。吉原だけでなく大宮の民俗も多く記されている。これは、吉原という地が大宮と関係が深かったからに他ならない

山中共古の興味は、特に「コトバ」「風習・習俗」「石碑の刻文」にあったと見える。土民から聞いたことに加え、自らが確認したものも豊富に認められる。

ここから当時の地域性を掴むことができるわけであるが、吉原は必然的に「三股淵/生贄」関係の内容は多くなっている。そして富士郡全体として、「浅間神社」「曽我」「かぐや姫」に関する内容が多い。これも必然であろう。

そして、大宮と村山は互いにギクシャクしているような印象を受けなくもない。例えば97頁に、コノシロ(魚)に関連して「此話ヲ大宮ノ人ニ聞クニ村山ノ神官ハカクセリトノ事」とあったり、107頁に「富士浅間ハ村山ガ元ナリシヲ、後ニ大宮ヘトラレシトイフ」とある。

今でも村山の人間はこの調子なのであるが、それはこの時代からの延長線上と見ても良いかもしれない。村山の異様な排他性は不思議である。

そして現代と比較したとき、富士郡において明確に失われた精神性を認めることができる。浅間神社に関しては未だ精神的支柱であるかもしれないが、やはり三股淵の伝承は語り継がれなくなってきていると見える。また近世の道中記等で鷹岡の曽我関連のものは多く見いだせるわけであるが、『吉居雑話』も同様であった。これらも存在感が失われているように思える。

吉原の重要な歴史的性質として、中道往還による人々の往来を指摘できる。それは明治・大正にもそのまま引き継がれた(主要ルート)。しかしこの感覚は現代では大きく削がれているように見える。これこそが、富士郡における最も大きな変化ではないだろうか。それ故に、鷹岡の曽我関連史跡も着目されなくなったのかもしれない(吉原-大宮間に位置する)。

天子ヶ岳も、昔はもう少し意識されていた存在であったようだ(13頁、59-60頁)。実際他の史料でも天子ヶ岳関連の習俗は認められるため、大宮にとって天子ヶ岳は"ホームマウンテン"のような感覚があったと推察される。次第に水に困ることが少なくなったため、雨乞いの必要性がなくなり、人々の意識の中では希薄になっていったと思われる。

  • おわりに

『吉居雑話』から、吉原と大宮の関係性の深さを見ることができた。私は吉原の衰退の主要因は、近世を通して脇往還(つまり主要路)であった中道往還を軸とする富士郡の交通形態を、時代が進むに連れ無視していったことにあると考えている。

普通に考えれば、そのまま開発していけば良い話なのだ。言い方を変えれば、富士郡として経済圏を形成することを捨てたがために、迷走していったように見える。結果としてこれは大失敗であった。

東海道本線からより内陸部に鉄道が敷かれる際に吉原は手を挙げるべきであったし、また遅れて岳南鉄道を敷く際も沼津方面に繋げようとすること自体が誤りだったわけである

吉原宿の素晴らしさは中道往還の起点であることにあるわけであるが、これが完全に忘れ去られているところを見ると、旧来の感覚は完全に失われたと見て良い。これが、富士郡における最も大きな精神的変化であると考える。

  • おわりに
現在、富士市の市制施行60周年を記念し、シリーズとして記事の投稿を進めている。30記事くらいを予定していたが、他の記事群と比較してアクセス数が限られているため、アクセス数に応じて投稿を進める形式で進めようと考えている。

19:「『吉居雑話』から吉原の歴史・民俗を考える、富士市の精神的変化」

  • 参考文献
  1. 山中共古 (1984)「吉居雑話」『諸国叢書』(No.1)、成城大学民俗学研究所

2026年7月30日木曜日

富士市と富士山との接点を見出してみる、富士市の特筆すべき歴史材料とは

以前「富士市のWikipediaを添削してみる、〼で表せる富士地区を見て思う」にて、富士市民が富士山を馴染みのあるものとは捉えていないことを示唆する事象について取り上げた。本稿ではこの点を深堀りしていきたい。

例えば西富士道路であるが、勿論富士市から見て西方面に走っている。流石に真北に向かっていると誤認する程の方向音痴さんは居ないと思われるので、"西方面に富士宮市がある"くらいのことは分かっていると思われる。それにも関わらず「富士宮市=北」と言う人が一定数居るということは、富士市と富士山が全くリンクしていないのだろう。そう理解する他ない。

この背景について考えてみた所、実際に富士市はそれほど接点が無いのではないか、という視点が浮上してくる。それ故にあまり印象に無いのではないだろうか。

以下は「世界文化遺産の範囲」「史跡富士山」「特別名勝」「国立公園の特別保護地区」といった項目において、どの自治体が関与しているのかということを示した表である。

富士宮市御殿場市裾野市小山町富士市沼津市三島市清水町長泉町静岡市富士吉田市身延町西桂町忍野村山中湖村鳴沢村富士河口湖町
富士山―信仰の対象と芸術の源泉(世界遺産
富士山(史跡
富士山(特別名勝
富士箱根伊豆国立公園「富士山地域」の「特別保護地区」(国立公園

まずこれら「4つ」が満たされている地域というのは、かなり関係が深いと言える。やはり「富士宮市」「小山町」「富士吉田市」「鳴沢村」「富士河口湖町」は別格という感じがする。

一見すると富士市も関係が深いと言えるのであるが、実は世界文化遺産富士山において、富士市は単独の構成資産を有していない。だから関係を持って語られることも少ない。

明らかに、環富士山地域の中において富士市は、富士山との接点がより限局されたものとなっている。これは誰の目からみても明らかであろう。

しかし私はここで、歴史の方から富士山との接点を見出すことをしていきたいと考える。富士市と富士山の接点を述べる上でまず引き合いに出されるべきものは「能〈生贄〉」(以下〈生贄〉)である。

〈生贄〉は、静岡県富士山世界遺産センターの展示にも含まれている。実は富士市の歴史も世界遺産センターにてしっかりと取り上げられているのだ


何故〈生贄〉が富士市と富士山との接点を示すものと言えるのだろうか。それはその詞章に富士山に関連するワードが散りばめられているからである。しかもその年代が重要で、室町時代以前であることが確実である。私は相当遡ることが出来ると考えている。(佐藤2021)には以下のようにある。

(一)室町時代後期観世流謡本 観世元頼章句本(元頼本)と観世元忠(宗節)章句本の書誌情報の集成・分類を行った。詞章の筆跡についての分類作業を行う中で、元頼本全体の題簽および『生贄』詞章本文の筆者が戦国期聖護院門跡の道増(1508~1571)であることを明らかにした。道増は足利義輝(1536~1565)の近臣としても知られており、義輝周辺で元頼本が成立した可能性を示唆するものと考える。

先行研究によると、現存する謡本のうち「観世元頼本」は、「道増」による筆であることが明らかとなっている。これは書写であるから、更に遡ることが出来る。詞章の中で富士山に関わる用語としては、以下のようなものがある。

  • 富士権現
  • 日の御子の神
  • 内院
  • 富士の嶽

であるから、富士市にとって〈生贄〉は特別なものである。私は富士山に関わる神事が下敷きとしてあり、それが能となったものではないかとも考えている。

(諏訪1988;p.121)は、〈生贄〉のあらすじを説明している。

「生贄」は4・5番目物の夢幻能で作者未詳とされているが、『自家伝抄』には宮増作とある。『言継卿記』によると、天文14年(1545)3月7日に観世座が上演した記録があるので、これ以前の成立であることは確実である。

都から東へ下る旅人(シテ)と妻(ツレ)、娘(子方)の三人が、駿河の吉原までやってきて宿をかり、富士の生贄の神事に行きあたった。宿の主人(ツレ)はひそかに逃がそうとしたが、神主(ワキ)と従者(トモ)に止められ、数百人の候補者たちの中から旅人の娘がくじに当った。娘は富士の御池の大蛇へ生贄にそなえられることになった。

しかし、娘を乗せた小船が沖へ出て行こうとしたとき、富士権現の御使の火の御子(後シテ)が現われ、富士権現の神徳によって大蛇が退治されたことを告げ、今後、生贄は廃止になるとの神託を伝えて娘の命を助けた。

詞章には、以下のような箇所もある。


招けば招く風情はさながら。松浦佐用姫かくやらんと。汀にひれ臥し泣き居たり


このように「松浦さよ姫」の言及があることで、その方面から言及している論稿もある。柳田國男の論稿「人柱と松浦佐用姫」には以下のようにある。

例えば謡の「生贄」という一曲には、父と娘と二人の旅人、東海道を旅して駿州の吉原に泊った日に、富士の御池の贄に娘を取られて、父ひとり歎き悲しむことを叙してある。其文句の中に殆と何のつきも無しに、
姫も互ひに名残を惜み、
招けば招く風情はさながら、
松浦佐用姫かくやらんと、
汀にひれ臥し泣き居たり。
とあるなどは、単に上代の肥前の女が、つま恋いの船の影を見送るというだけの、連想でなかったことを意味するかと思われる。

またこの辺りは(近藤2010;p.103-104)に詳しい。

〈生贄〉はその広がりも着目されるべきであり、アーサー・ウェイリーによる翻訳およびそれを収めた書物の刊行(1921年)は知られている。他にヴィルヘルム・グンデルトの研究でも取り上げられるなどしている(兼岡2022;p.39)。

結論、富士市が富士山との関わりを示す上で強く引き合いに出されるべきものが〈生贄〉なのである。これ以上の素材は無いと考える。それ故に、全く着目されないことが不思議に思われるのである。

  • おわりに
18:「富士市と富士山との接点を見出してみる、富士市の特筆すべき歴史材料とは」

  • 参考文献
  1. 諏訪春雄(1988)『聖と俗のドラマツルギー―御霊・供犠・異界』、学芸書林
  2. 近藤直也(2010)『松浦さよ姫伝説の基礎的研究【古代・中世・近世編】』、岩田書院
  3. 佐藤嘉惟(2021)『2019年度実績報告書(能の詞章の文字化に伴う作品・作者概念の成立の研究―世阿弥自筆能本の文字表記から)』、KAKEN
  4. 兼岡理恵(2022)「W.グンデルトの日本学―キリスト教から神道、そして日本学―」『比較日本学教育研究部門研究年報 18』、38-44

2026年7月23日木曜日

富士市のWikipediaを添削してみる、〼で表せる富士地区を見て思う

本稿ではWikipediaにおける「富士市」のページを添削していきたいと思う。「・」は原文を引用した。



  • 日本最高峰の富士山南麓に位置し
日本語の誤り。これでは「富士山南麓」が日本最高峰という意味となってしまう。"日本最高峰富士山の南麓に位置し"が正しい。

  • 市域の北端は山頂直下に及ぶ
富士市の最高地点は3,680m。高さ3,776mに対し3,680mは、普通の感覚では山頂直下とは言わないだろう。

  • 海岸線から富士山までを市域とする唯一の自治体となっている
富士山は、厳密に言えば沼津市・三島市も含まれるとされる。疑義のある内容。半分正しくて、半分誤っている。

  • 東は沼津市、西は静岡市に接する
東は沼津市以外にも接している自治体があるし、西は静岡市以外にも接している自治体があるので、正しくはない表現である。

  • 和紙の産地として知られ
ここはやや難しい。「吉原」を産地として記す論稿も確かに存在するが、庵原郡吉原村と混同している節あり。少なくとも富士地区においては、富士市を特筆すべき産地と評価するのは難しい。

  • 現代においても主要産業は、富士山の伏流水や富士川などの豊富な水源を利用した製紙である

これはグラフ等を見れば分かるが、既に主要産業は他に移っているのは明白である。むしろ時代の変化に柔軟に対応できているところが、富士市の強みなのであるが。


  • また、2001年(平成13年)には、施行時特例市に指定された
2001年に「施行時特例市」に指定されたわけではない。当時は「特例市」と呼称されていた。従って"特例市に指定された(現在の施行時特例市)"が正しい。

  • 海岸線に東側に隣接する沼津市から田子の浦港まで千本松原が続き、富士川の最下流域の西側に静岡市清水区が隣接し、北側に富士宮市が隣接する

「田子の浦港」は範囲が定義されているが、そこまで千本松原が続いていると言えるのかは吟味する必要性がある。沼津市HPは「沼津市の中央を流れる狩野川河口より北西の片浜、原方面にかけての松原を呼称する」としている。

また仮に富士宮市を1つの方角で表すのなら、富士市から見て「西」である。


普通の感覚であれば、どう見ても「西」だと思う。簡単に言えば両者は「〼」で表すことが出来るのだから。富士市の北に富士宮市が位置するのであれば、富士市は富士山に接していないことになってしまうが、大丈夫だろうか(本当にこういう方が多くて驚かされています)

【番外編】

  • マキヤ本社(市内に本社を置く主な企業)

Wikipediaの編集履歴を振り返るとかなりの以前より株式会社マキヤの本社が富士市に置かれていたことにされてしまっているのであるが、これは誤りである。

まず「国税庁法人番号公表サイト」にてR2年度の「株式会社マキヤ」の「本店又は主たる事務所の所在地」を見てみる。



ここから、明確に本社が沼津市であることが分かる。以下では株式会社マキヤの「定時株主総会招待ご通知」を見ていきたい。これはマキヤ側の資料である。




つまりマキヤの本社は沼津市で、マキヤ側の資料にもあるように、本部機能自体は富士市ということになる。本社所在地が富士市でないからこその注記である

法人税法第16条にて納税地は「その法人の本店または主たる事務所の所在地とする」と定められている。つまり株式会社マキヤの法人税は、沼津市に納められていたのである。

長らく本社は沼津市に置かれていたが、昨年その状況に変化が訪れた。


つまり、本社が富士市に移転したのである。逆に言えば、これまで誤って記していたことになる。ネットの情報というのは、あまり鵜呑みにしないほうが良い。

  • おわりに

富士市民が富士宮市を「北」としてしまう背景を考えてみたい。これは「富士市民にとって富士山は大して馴染みのあるものではないから」ではないだろうか。でなければ、説明できない現象である。

現在、富士市の市制施行60周年を記念し、シリーズとして記事の投稿を進めている。30記事くらいを予定しているため、是非ご覧いただきたく思う。

17:「富士市のWikipediaを添削してみる、〼で表せる富士地区を見て思う」

2026年7月21日火曜日

富士市とAIの相性は最悪である、情報収集論

「シリーズ富士市60周年」として、当ブログでは現在断続的に記事を投稿している。そのための材料集めは既に完了しているが、基本的には学術誌・論文 ・公式資料などが主たる物である。誰でも原典を参照できるということが、重要であると考える。

つまり世に出ている膨大な資料から富士市について言及するものを炙り出す作業が必要なわけであるが、特に富士市の場合はこれが難しい。私は「ボトムアップ」形式であるため、特に難儀する。

何故かと言うと、「富士」という用語が普遍的なものであるから、"炙り出す作業"の質をかなり高めないと漏れてしまう情報が発生するからだ。また逆に余計な情報も紛れ込みやすい。実はこれはそのままAIにも当てはまる。

AIの方も「富士」という意味の解釈に難義している。簡単に言えば「富士市」と入力すればそれなりの精度になるが、「富士」と入力すると精度がかなり落ちる。つまり、以下のように言える。


口語的な入力では、富士市に関するAIの回答はあまり期待できない(現時点では)


なので「富士地区の「富士」を巡る会話はなぜカオスなのかを考える」にて"その「富士」が富士市を指すのなら、はっきり富士市と言ってもらいたいものである"と記したのである。もちろんこれはAIに限った話ではない。

ではAIに対する質問に「富士市」と明確に入力すれば問題は解消されるのかと言われれば、そういうわけでもない。AIは情報の海から抽出しているのであるが、そちら側が「富士市」と明確に書いていなければAIの方も難義するだろう。

つまり情報元が、本来はその中で「富士市」と記していなければならないのである。しかしなされていないことも多い。もしその人に特別な拘りがあるのであれば、せめて"富士市(以下「富士」)"という箇所を設けてもらいたい。

勿論AIの質が更に高まれば、「富士」としか記されていなくとも、「富士市」についてのものだろうという理解は可能だろう。しかし当の富士地区の人間が会話していても理解が難しいものを、果たしてAIが理解出来る時は来るのだろうかという疑問もある。むしろAIも判断しかねるという状況の方が、正しいのではないだろうか。それが実世界に近いからだ。

  • 現時点のAIのレベル(一般向けAI)

例えば「富士市において歴史学は何故敗北したのか、お菊田伝承や富士市刊行物から紐解く」でも取り上げた「天子ヶ岳の名称の由来」について、AIで調べてみる。


「天守閣説」であるが、鎌倉時代の日蓮の文書に既に「天子ヶ嶽」等と見えるから(「新尼御前御返事」「九郎太郎殿御返事」等)、天守閣が由来のはずがない。つまりAIは、互いの材料から選択肢の消去を行う能力を平均的に有する段階にまでは至っていない。つまり、まだまだである。

他に「富士市とオウム真理教、富士市におけるサリン散布実験について」でも取り上げた、富士市におけるサリン散布実験について聞いてみる。



こちらも全然駄目である。「公的な記録や事実」が確認されているのだから、話にならない。AIはこれから多くの情報を食べていく必要性がある。現段階では、第一義的に特定の情報を得る対象として、AIは選択肢に入ってこない。まだ圧倒的に質が足りないからである。

ちなみにこの「シリーズ富士市60周年」の記事群は、AIを一切用いていない。AIを用いると、誤った解釈になるからである。AIを用いていないという事実が、このシリーズを意味のあるものに引き上げるとすら考えている。


  • シリーズ富士市60周年の記事群のソース


例えば私は「富士市がえんとつ町となるまでの軌跡、加島五千石からの大転換」にて"関英二(1958)「兼業と農家の機械化」"という論稿を引用した。この論稿は、以前はヒットしたが、現在はGoogleの完全一致検索でも引っかからない。正確に言えば、私の記事しか引っかからない。しかしこの論稿は存在する。ネットの海の中で、消えていったものも確かにあるのだ。

何故このようなものを認識しているかというと、AIに頼れない時代に既に情報収集していたからである。特にタイトルに「富士市」等と入っていないものは、抽出が極めて難しい。AIが無いからこそ、地道な作業で抽出作業をした結果、それが私の眼の前に現れたのである。この時間が極めて重要であった

言い換えれば、AIだけでは、質が高い認知には至らないのである。もっと言えば、当時、上記の論稿はダウンロード/印刷が可能であった。今はそもそも引っかからないから、不可能である。意外と思われるかのしれないが、そういう類のものが案外に多い。

AIに頼れないからこそ、物理的な検索攻勢をかけたために、面白い論稿が手に入っているのだ。私はこれからAIを主体とするかもしれない。しかし現時点で私は、そのAIの回答を精査できる立場にある。だからAIがファーストタッチの場合とは全く異なると考えている。ただ、今から物理的な検索攻勢をかけることが是とは言い難い。時間も貴重であるからだ。


  • AI世界に対応するために


私が「私は富士宮市郷土史博物館事業を支持しないことにしました」「富士宮市立郷土史博物館基本構想を独自に模索してみる」「私が富士宮市郷土史博物館構想に賛成する条件」等で、ネット上で歴史に関する専用ページを設けることを口を酸っぱくして述べていたのは、何を隠そうAI世界を見据えてのことである。勿論現代の慣習から考えてのことでもあるが。

簡単にいえば、スマートフォンといったデバイスで人類がAI検索し、それを基に行動/価値判断する現在において、そもそもネット上に情報が無ければ全く勝負にならないからである。

しかしもう遅い。遅すぎる。富士宮市はもう全くの時代遅れである。私はこの10年くらいは、本の中の世界に留まっていたものをネットの世界に解放するという作業を熱心に行ってきた。何故なら、将来AIが普及するのは目に見えていたからである。


  • おわりに

何らかの争論があるとき、AIの情報だけで勝負するのは未だ勝ち目がないと思う。論理武装した相手にはまだまだ分が悪い。正直、理論武装した相手からすれば、AIだけで勝負してきた人など容易いのだ。本稿はそういう警告でもあるが、有効活用すること自体は否定しない。

現在、富士市の市制施行60周年を記念し、シリーズとして記事の投稿を進めている。30記事くらいを予定しているため、是非ご覧いただきたく思う。

16:「富士市とAIの相性は最悪である、情報収集論」

2026年7月20日月曜日

富士市による民俗学展開への期待と課題、新『富士宮市史』の成果

今年刊行されたばかりの新『富士宮市史』に、富士市も関係する興味深い記述が確認される(富士宮市2026;p.191)。


今回の市史編さん事業の調査で、新出の富士山縁起を確認した。表5−2に「浅間大社(公文富士家)」系統としているものである。本書では、『富士山大縁起本社末社之次第』について紹介したい(表5−2③、写真5− 19)。

奥書の部分に「維時天正廿 年壬辰二月十七日戊申日前永平保寿現住之源凛乎写之」とあるが、以前に曹洞宗本山の永平寺におり、当時は保寿寺(富士市伝法)僧であった之源凛乎が書写したものと記されている

保寿寺は文亀3年(1503)8月に曹洞宗に改宗し、天正14年(1586)に之源(芝源)凛乎が第二世住職になったとされる(駿河郷土史研究会 1989)。奥書には、さらにこの縁起のほか一一巻があり、天正9年(1581)全てを之源が書写し、大宮寺の士雲に渡したとある。大宮寺とは浅間大社の別当宝幢院のことであろうか。

「之源」なる住持は実在したのだろうけれど、何となく伝説感も否めないという状況が、この史料によって一気に空気感が変わったという感覚である。

さて之源凛乎といえば、三股淵の大蛇の調伏伝説であろう。しかしこの辺りの伝承は、「富士市において歴史学は何故敗北したのか、お菊田伝承や富士市刊行物から紐解く」にあるように郷土史家によって荒れに荒らされたため、本来のものと逸脱した解釈が世に溢れてしまっている。



問題の1つである『広報ふじ』昭和42年(1967)5月15日号「いけにえ淵」から、郷土史家オリジナル脚本の部分を抽出してみよう。


  • 保寿寺伝承と阿字の伝承の融合
  • 三島宿の登場
  • 毘沙門天の登場
  • 吉原宿東木戸の登場
  • 茶屋のおかみさんの登場
  • 問屋場の登場
  • 沼津宿・根方街道の登場(これは物語の解像度を良くするための範疇とも言えるが、仮にそうであっても原宿が妥当)
  • 宿場役人の登場と同人によるクジの強制
  • 七曲がりの登場


この辺りはすべてオリジナル脚本である。もう完全に、別物といって良い。特に太字の部分が悪質である。しかし「阿字の伝承」と「保寿寺の伝承」は本来切り離されていたものである。例えば『田子の古道』には以下のようにある。


(阿字の伝承を記述)…「えきろの鈴」には説を乗せたり。(中略)この寺所替して伝法村の地へ上る。(『田子の古道』「野口脇本陣本」)

(阿字の伝承を記述)…「是駅路の鈴といふ書物に祝のを乗りたり(中略)蛇の鱗ハ厚原村保寿寺の什物となりて…」(『田子の古道』「森家蔵本」)


このように、明らかに阿字の伝承と保寿寺のものは切り離されている。「野口脇本陣本」は唐突に「この寺」とあるが、これは書写の中で保寿寺の箇所が抜け落ちたためである。従って「この寺」とは保寿寺のことである(「野口脇本陣本」は後に発見されたもので『広報ふじ』連載当時は認識されていない)。

また他の地誌においても明確に棲み分けされている。端的に言えば、もうこの郷土史家による著書類は参考にしないほうが良い。

こういう過去の産物の検分も必要であるが、富士市には既に材料があるため、それらを活用するのも良いことだろう。(辻本2026;p.37)は柳田國男の旅路に関連して、以下のように記している。


そして、最後は富士市の吉原で先ほどの山中共古さん、すなわち文通をしていた人に会っています。ということで、即東京に帰らずに沼津に戻ってきたのは、おそらく文通で情報交換をしていた山中さんに会うためだったということです。

柳田國男と山中共古は直接会っていたわけであるが、この山中共古の『吉居雑話』が大変面白い。この辺りを富士市はもっと掘り起こす必要性があると思う。

  • 新『富士宮市史』の現時点での評価

新『富士宮市史』はこれから刊行されていく分もあるので、評価は難しい。ただ以下の項目は、今後の刊行分に求められる。

  1. 富士宮市を舞台とする芸能(詞章等を分析)
  2. 『曽我物語』特論(『小田原市史』がそうであったように)
  3. 富士宮市を題材とした大和絵の分析
  4. 人穴について(伝承の変移、題材とした大和絵)

個人的には、『曽我物語』『富士野往来』「曽我物」といった「曽我群」だけで一冊でも良いとすら思っている。「曽我群」+「大和絵」で一冊でも全くおかしくはない

また「井出氏」に関する記述がないのも不思議な感じがする。「かぐや姫説話」については、従来は何故か富士市と富士宮市が切り離されてしまうという傾向があったが、新『市史』はその点が完全に改善されていた。

そして「富士氏」に関しては、十分言及されたと考える。最大の懸念点と富士宮市の従来よりの課題は、解消されたとも言える。

  • おわりに

現在、富士市の市制施行60周年を記念し、シリーズとして記事の投稿を進めている。30記事くらいを予定しているため、是非ご覧いただきたく思う。

15:「富士市による民俗学展開への期待と課題、新『富士宮市史』の成果」

  • 参考文献
  1. 富士市(1967)『広報ふじ』昭和42年(1967)5月15日号
  2. 辻本侑生(2026)「現代民俗学から考える静岡県東部の日常と文化」『静岡の言語と民俗~県東部にスポットをあてて考える~』(静岡大学公開講座ブックレット16) 、静岡大学地域創造教育センター、27-53
  3. 富士宮市(2026)『富士宮の歴史 通史編Ⅰ』

2026年7月19日日曜日

旧富士市・旧吉原市・旧鷹岡町の合併直前の人口と令和7年国勢調査の結果

 まず令和7年国勢調査速報集計のうち、「人口速報集計 (男女別人口及び世帯総数)」を見てみよう。

総数
静岡県3,468,8451,707,440 1,761,405
静岡市659,620320,015339,605
静岡市葵区238,244114,321123,923
静岡市駿河区205,146100,630104,516
静岡市清水区216,230105,064111,166
浜松市765,750379,632386,118
浜松市中央区591,381293,632297,749
浜松市浜名区150,70774,47376,234
浜松市天竜区23,66211,52712,135
沼津市179,43888,23391,205
熱海市31,43314,23617,197
三島市103,08550,04053,045
富士宮市119,18559,07660,109
伊東市61,19228,66532,527
島田市91,26644,50246,764
富士市237,793117,407120,386
磐田市160,54880,81479,734
焼津市130,93564,03466,901
掛川市111,66256,08655,576
藤枝市134,51365,21669,297
御殿場市81,14241,22539,917
袋井市86,59743,63442,963
下田市17,9248,6249,300
裾野市47,34123,63523,706
湖西市55,21128,57426,637
伊豆市25,74612,22513,521
御前崎市28,46414,48913,975
菊川市45,53522,90822,627
伊豆の国市44,15421,26622,888
牧之原市40,34319,87220,471
東伊豆町10,2254,8155,410
河津町6,1403,0133,127
南伊豆町7,0053,3333,672
松崎町5,2312,4612,770
西伊豆町6,0862,8973,189
函南町34,76816,78617,982
清水町31,09415,05216,042
長泉町43,25721,30621,951
小山町17,1469,0038,143
吉田町27,75313,75214,001
川根本町5,3182,6432,675
森町15,9457,9717,974

そして以下の記事を見て頂きたい。

静岡県人口、45年ぶり350万人割れ 減少数・減少率とも戦後最大(日本経済新聞WEB版 2026年5月29日 )
総務省が29日発表した2025年国勢調査(速報値)によると、静岡県内の人口は同年10月1日時点で346万8845人と、前回20年調査から4.5%(16万4357人)減少した。県内人口が350万人を下回るのは1980年以来45年ぶりとなる。(中略)市町別では県内の35市町全てで人口が減少した。(以下略)

何と、すべての市町で人口が減少したという。ここで、富士市と富士宮市の人口を見ていこう。実は富士市と富士宮市とでは、減少に転じたのは富士市の方が早い。しかし減少のスピード自体は富士宮市の方が早く、富士市は比較的維持していると言える。

巷では、富士市は富士宮市の人口の2倍以上を有すると述べる人が居る。それは全くのウソなのであるが、それが現実になる日が来ても全くおかしくはない。このままのスピードでは、その日も遠くないと言える。

ちなみに、旧富士市・旧吉原市・旧鷹岡町の合併の前年に国勢調査が行われているため、合併直前の人口が分かる。それを以下に示す(国勢調査は1965年、合併は1966年)。



実は旧吉原市の方が旧富士市より圧倒的に人口は多かったのである。つまり、このように言い表せる事もできる。


①旧富士市に対する旧吉原市の人口(1965年):1.694倍
②富士宮市に対する富士市の人口(2025年):1.995倍


この10年の人口推移を見てみると、富士宮市の人口に対する富士市の人口は1.8倍台に迫る場面もあった。それを踏まえると、差が開いてきていることが分かる。

これを"富士市が粘っている"と捉えるか、"富士宮市の減少率が高い"と見るか、はたまた両方と見るのかは人によって分かれるだろう。詳細に分析しているわけではないが、富士市が粘っているのは間違いない。

そもそも、他の自治体においては人口減少が早期に確認される中で、富士市や富士宮市は微増ないし横ばいで耐えてきた優秀組であった。そこすら崩れているところを見ると、地方は相当厳しくなっていくだろう。

インフラの維持など到底できないし、水道普及率をむやみに高める必要などもないだろう。公園なども、むやみに整備するのは考えものである。トイレなどは、公民館や大きい都市公園に限局すべきだろう。何だか高齢の方が声高に公園整備などを要求するが、後の世代のことも考えて欲しいものである。フリーライドを推進する必要性などないのだから。

  • おわりに

旧富士市に対する旧吉原市の人口(1965年)が「1.694倍」と約1.7倍であったのにも関わらず、名称(市名)は少ない方で決定したという歴史がある。この事実は、仮に将来合併議論が発生した際、参考材料になることだろう。

現在、富士市の市制施行60周年を記念し、シリーズとして記事の投稿を進めている。30記事くらいを予定しているため、是非ご覧いただきたく思う。

14:「旧富士市・旧吉原市・旧鷹岡町の合併直前の人口と令和7年国勢調査の結果

2026年7月15日水曜日

富士市の事例から都会と田舎のスケール感の違いを考える

本稿では都会/田舎論争について考えてみたい。とはいっても、真正面から取り扱うものではない。まず「都会」と「田舎」という定義そのものが難しいのであるが、単純に「東京」から見れば静岡県の各地域はすべて田舎に該当すると言えるかもしれない。

しかしこんな感覚的な話ではなく、あえて定量的なもので言えば、1つの指標を挙げることが出来る。それは交通分担率のうち「公共交通分担率」である。やはり"公共交通機関の充実さ"が都会と田舎の大きな相違点だろう。


富士市特例市平均最大値
9.56%30.13%64.55%(宝塚市)

これは2013年のデータである(富士市2013;p.15)。この数値が10を下回る地域は、少なくとも「都会」からは大きく離れた所にあると見るべきだろう。

そして地域の事象から、都会と田舎のスケール感の違いを感じることができる。ここでは富士市長のインタビューを引用する形で考えていきたい。


この記事は、富士地区で最も手広く展開している新聞社である「岳南朝日新聞」による富士市長に対するインタビュー記事である。しかも新年一発目の目玉記事であり、市長からすれば自らの成果を示す重要な機会となるものである。従って、必然的に成果を全面に打ち出した内容となってくる。では富士市長は何を前年の成果として挙げただろうか?

  1. 中核市移行検討
  2. 新素材CNFの関連産業推進構想策定
  3. タリーズコーヒー誘致
  4. 新富士駅ステーションプラザFUJIへのアスティ新富士の整備

ここで3番目として「タリーズコーヒー誘致」が挙げられている。東京の人からすれば信じられないかもしれないが、これが地方のスケール感である。テーマパークでもなく、大型商業施設でもなく、コーヒーチェーン店なのだ。地方からすれば、市内未出店のコーヒーチェーン店の進出でも、十分に象徴的事象になり得るのである。

  • 田舎者とは何だろうか

高層ビルやタワマンがあるのか無いのかといった、物理的な「モノ」の有無で「都会」とか「田舎」を分けることは簡単だろう。

しかしそれは人間に焦点が当たっていない物差しである。人間に焦点を当てた時、以下のように言えるのではないだろうか。

プロトコールを認知/行使できるのか否か

世の中には「プロトコールの(五大)原則」というものがある。私はこの部分に配慮できるか否かで、田舎的かどうかを決めるべきであると考える。つまり、タワマンに住んでいようが、プロトコールが出来ていなければ田舎者と言えるのだ。

プロトコールは社交的な場で求められるものであるから、場合によっては何も感知しなくてもやり過ごせるかもしれない。しかしそこを感知できるということそのものが「都会的」であって、何処に住んでいる云々というのは意味のない議論なのだ。

以前「静岡県富士宮市の市制施行80周年記念、富士郡大宮町時代から振り返る」にてクレジット(表記)の違和感について触れたことがある。富士地区はこの辺りの儀礼が特に出来ていないように感じる。これらは食事マナーに類するものなのだ。

  • おわりに
現在、富士市の市制施行60周年を記念し、シリーズとして記事の投稿を進めている。30記事くらいを予定しているため、是非ご覧いただきたく思う。

13:「富士市の事例から都会と田舎のスケール感の違いを考える」

  • 参考文献
  1. 富士市総務部企画課(2013)『富士市都市活力再生ビジョン』

2026年7月10日金曜日

富士市は本当に落ち目なのか、裏ワザから見る富士市の姿とコストコ進出のデマ

富士市民の方々の話を聞くと「富士市は落ち目だ、もう駄目だ」という話が多く聞かれる。この部分について考えていくというのが、本稿の指向である。

確かに、富士市の人口は減り続けている。それを一番初めに指摘したのはおそらく私であり、「フジブログ」さんの「富士市の人口は減少に転じた!」においても紹介されている。当時、そのようなことを述べている人間は居なかった。ここで「秘密基地なブログ」とあるのが、私が以前運営していたメインブログである。

私は新年度の4月を基準として年単位で追って証明したが(4月1日現在で比較するのが慣例)、フジブログさんは「各前年同月比」を示す形で詳細に示し、また地区別でも追っている。10点満点の内容である。ちなみに当時の富士市職員が作成したスライド・資料には「増加している」とあり、市の現状が全く把握できていないことが垣間見えた。10点中大体3.5点くらいの資料が多い。

ちなみにこの次の年くらいから富士宮市も減少に転じている。実は富士市の方が減少に転じたのは早いのだ。そして富士市には映画館が無い。大きな商業施設も無い。大学も消えた。コメリはある。しかしそれを以って他の自治体と比較した際、相対的に富士市が衰退しているとは言えないのではないだろうか。

というのも、富士市の各指標を他の自治体のものと比較した際、特筆すべき下落はないと思われるからである。世の中には様々な指標が存在している。それらに通じている人ならば、工業であれば「製造品出荷額等」、商業であれば年間商品販売額等」が代表的指標であることは既知のことだろう。

そういう指標を並べて比較してもよいのであるが、それではつまらない。実はもう少し面白い方法があるので、ご紹介したいと思う。


  • 建築物環境配慮計画書から考える

静岡県は平成19年に「静岡県建築物環境配慮制度」を施行した。この制度は、一定規模以上の建築物(工場や商業施設など全部)を建築する場合、面積や環境負荷などを示した「建築物環境配慮計画書」の提出を義務付けたものである。そしてこれは一般に公表され、審査される。


富士市HP


簡単に言えば、大きな建物を建てる場合、届け出が必要なのである。ということは、その地に需要があれば、計画書がどんどん提出されるはずなのである。これを確認するという方法が「裏ワザ」である。ちなみに、商業施設の規模なども早期に公表されているので、ここを確認すれば誰よりも早く商業施設面積等の規模が把握できるといった裏ワザでもある。重ねて言えば、コストコ進出がデマであることも、ここを見れば一目瞭然であった。

そしてそれらを見るに、富士市はそれなりに需要があると判断するのが普通である。ここでは富士市と富士宮市を比較してみよう。


富士宮市HP



…と思ったが、富士宮市が全く仕事をしておらず、もはや「令和7年度届出分」の項目すらない(皆無とは考え難い)。富士市は「令和8年度届出分」すら存在するというのに。また富士宮市の「令和6年度届出分」は以前は見ることができたが、今は「Not Found」である。これでは届出の有無すらよく分からないし、内容も分からず、比較も難しい。本当に呆れるばかりである。

比較は諦めるとするが、富士市の例で考えた時、同じような規模で企業進出・新築が見られる自治体の方が少ないのではないだろうか。もっと言えば、計画書の提出が義務付けられる程の建築物は、ここ5年新規で無いという地域も全国ザラにあるのではないだろうか。

例えば近年も富士市には工場が多く建設されているし、富士宮市も「アクロスプラザ富士宮」が新規開業するなどした。こういうようなものが、もう10年くらい無いなんて地域の方が多いはずである。だから相対的にみて、衰退しているとは言えないはずである。もはや富士市は、相対的に見れば元気といっても過言ではない。むしろ危惧すべきは、文化レベルの方である。

  • 人口減少のペース

富士市の人口減少を問題視する先鞭となった私が言うのも何であるが、そのペース自体は思ったより緩やかと言えるのではないだろうか。


富士市HPより


私は今年くらいの段階では人口は23万人を切っていると考えていたし、もっと下回っていてもおかしくないと考えていた。おそらく転入も一定数有しているため、ここまでに留まっていると考えられる。

ちなみに、世帯数の増加より、人口が増加していることの方がよっぽど重要である。詳細な分析は、他にお願いしたい。


  • おわりに

本投稿の本質に直接関係はないが、富士宮市の姿勢がよくわからない。もう令和7年は終わった。なのに項目が無い。仮に新規に無かったとしても、項目は設けるべきだろう(皆無ということは考えづらい)。富士市は令和8年度の項目すらあるというのに。こういうところなのだ、としか言いようがない。

結論、落ち目は皆同じで、特段富士市が目立つというようなものでは無いということなのである。ちなみに富士市も富士宮市も、明らかに「年間商品販売額等」が弱い。簡単に言えば、消費が少ないのである。これが富士地区の弱点であったりもする。もし富士市に嘆くのであれば、消費をいっぱいして、「年間商品販売額等」に貢献するというやり方もあるのだ。

現在、富士市の市制施行60周年を記念し、シリーズとして記事の投稿を進めている。20記事くらいを予定しているため、是非ご覧いただきたく思う。

12:「富士市は本当に落ち目なのか、裏ワザから見る富士市の姿とコストコ進出のデマ」

2026年7月7日火曜日

富士市が舞台のゴジラ作品、えんとつ町の悪臭と市民エントツ調査

本稿では、世に出ている作品群において、富士市はどのような形で取り上げられているのかという点を見ていきたい。そして、その背景についても考えてみたいと思う。

(宮下2004)は、富士市を取り上げた近代文学を紹介している。とても参考となるものであるが、その中に以下のような箇所がある(宮下2004;p.40)。


その後、工業都市として富士市は発展したが、「新・東海道五十三次」(昭44)を著した武田泰淳は、大気と河川の汚染や悪臭等の公害の実態を見据え、一方で労働に従事する現地の人々への敬意も表明して、矛盾する両者を止揚するかのように巨大な風車の設置を夢想したりしている。

実は私は、この「富士市60周年シリーズ」を通して、ここでいうような「矛盾」を描出したいと考えている。そして現代の人間が象徴とするそれらが、果たして文明的な手続きを以ってなされたのかを再考する必要性があると考えている。

難しい話はいいとして、実際に『新・東海道五十三次』を見ていこう(武田1969;p.79)。

富士市で製紙工場と機械工場。(中略)「わたし。はじめは臭いなあ、臭いなあと思ってたけど、しまいには臭くなくなったわ

富士市に入った時は鼻をひんまげていた彼女が、富士市を出る時には平気になっていた

富士市は臭い…こんなことは当地の人間および周辺の人間であれば誰もが知っていることである。その証左といえるものが1992年の富士市による「市民エントツ調査」である。(秋山2024;p.14)には以下のようにある。

また、工業都市(静岡県富士市)の市民意識調査において、地元に「帰ってきたと感じるとき」を答えてもらう質問では、選択割合の大きいほうから、1位「富士山」に次いで、2位「エントツ群」、3位「におい」であり、「市のシンボル」についての質問では、同様に1位「富士山」に次いで、2位「エントツ群」、3位「田子の浦港」だった。「エントツをどう思うか」についての質問では、同様に1位「公害」、2位「紙の町」、3位「産業」だった。工場群の「エントツ」と「におい」について、公害のイメージと併存しつつ懐かしい地元のシンボルという両義性が社会意識にみられる。

つまり富士市民にとってはエントツは象徴であり、臭いものという認識が根強くあるということが分かる。富士市が正真正銘、真髄からの"エントツ町"であるということが分かる調査である。

昭和41年(1966)、既に悪臭を放っていた田子の浦港にて、あるプロジェクトが始動した。(富士市1986;p.952)には以下のようにある。

しかし、港内の浚渫土砂からでる硫化水素の悪臭を除去するために、臨海総合開発事務所では新鋭の25馬力大型送風機を備えて、悪臭を海の彼方へふっとばそうという計画のテスト中であった。(中略)浚渫作業中のヘドロからでる悪臭を、海の彼方へ強力な送風機で吹き飛ばそうとする試みも、3~4回テストを繰り返したが、成績はかんばしくなかった

こんなことで消える悪臭ではないのである。しかもこの頃の悪臭は、後のそれと比べれば大分マシなものであったと言われている。

この公害および悪臭は、ついにゴジラ作品の題材となった。それが伝説の映画『ゴジラ対ヘドラ』である。


この作品は年々評価が高まっており、もはやゴジラ映画の代表作の1つにもなっている。その一部シーンを見てみよう。

『ゴジラ対ヘドラ』の冒頭シーン

ヘドラによって被害を受けた富士市のエリア(途中情報)


このように、完全に富士市が舞台の作品である。題材となったというだけでなく、そもそも富士市が舞台となっているのである。文学・映像作品といったものにおいて、富士市の場合は「公害」という側面から取り上げられることが少なくなかった。この傾向は富士市固有のものである。

ヘドラという存在は、「田子の浦港ヘドロ公害」を回顧させるアイコンとして人々の中に存在し続けることだろう。

  • おわりに

11:「富士市が舞台のゴジラ作品、えんとつ町の悪臭と市民エントツ調査」

  • 参考文献
  1. 武田泰淳(1969)『新・東海道五十三次』、三陽社
  2. 富士市(1986)『富士市二十年史』
  3. 宮下拓三(2004)「富士市・芝川町」、『静岡近代文学』19号 、静岡近代文学研究会
  4. 秋山憲治(2024)「感じ入る風景の発見と定型化-工場風景をめぐって-」『静岡理工科大学紀要』Vol.32

2026年7月1日水曜日

富士市内の素晴らしき資産、本当の魅力を考える

まず富士市は、「愛鷹連峰」に属する地域である。例えば愛鷹山は「都道府県自然環境保全地域」に登録されているが、その関係市町として「沼津市・富士市・裾野市・駿東郡長泉町」が記されている。

むしろ富士市は愛鷹連峰を語るにおいては重要な存在と言え、例えば連峰の中の最高峰である「越前岳」は、富士市・裾野市に位置している。同山は環境省選定「富士山がある風景100選」に地点名「越前岳富士見台」として選ばれているが、当然ながら「裾野市・富士市」が所在地として記される。一方、ネットではもはや越前岳は富士市に属さないことにされている始末である。

しかしあまりにも、それはもうあまりにも、この一帯に対する志向が富士市民の中で少ないように思える。これは妙な話ではないだろうか。例えば最近の富士市のニュースとして、以下のようなものがあった。


朝鮮半島でも珍しい 静岡県富士市の古墳で出土、百済ルーツの帯金具(朝日新聞WEB版 2026年5月7日 10時13分)
 静岡県富士市の須津(すど)千人塚古墳で、古代東アジアの交流を考えるうえで貴重な金銅製の帯金具が出土した。朝鮮三国時代の古代国家・百済の後期に、官人の身分を表すために使われた●(「金」へんに「誇」のつくり)帯(かたい、帯の飾り金具)の一種とみられ、日本国内での出土は初めて。富士市が7日に発表した。
 須津千人塚古墳は直径21メートルの円墳。駿河湾の奥、愛鷹山(あしたかやま)の山麓(さんろく)に広がる須津古墳群(総数約200基)のうちの有力古墳だ。発掘調査は2024年度に行われ、その後、出土遺物の保存処理を実施したところ、文様などが判明した。(以下略)

この大発見も、愛鷹山の山麓のものである。であるから、この一帯は文明的な地域であったはずであり、富士市の歴史を語る上でも重要な地域であるはずなのである。

富士市の素晴らしさは、どちらかと言えば自然の中にあるように思う。また外部から来る人も、当地にアーバンな要素など何一つ求めていないはずである。富士市で自慢できるものは、自然の中にこそあると見たほうが良いし、これが普通の思考だろう。以下に富士市における素晴らしい要素・資産等を3つ挙げたいと思う。


  • 越前岳

環境省選定「富士山がある風景100選」にも選ばれている。人気の山であるが、富士市にも属することは殆ど知られていない。

初心者向けではあるが、一応の装備をもって挑むべき山である。


  • 銀杏地蔵

富士市富士岡所在。乳信仰」を有する銀杏であり、(児島2018;p.82)にも記されている。通称「銀杏地蔵」。とても美しいものがある。


  • 笹垢離(ささごり)
「大宮・村山口登山道」の中継地点の1つ。地蔵三体および不動明王像一体が位置する。ちなみに(富士山世界遺産センター2021;p.88)は刻文「角田屋/施主大宮 儀右衛門…」の地蔵を「頭部欠損」とするが、現地で刻文を確認した限り、頭部欠損の地蔵の刻文は「大宮角田屋佐野与一…」とあるため、これは誤りと思われる。

笹垢離の地蔵(頭部欠損)の刻文


神聖なエリアで、高鉢駐車場(富士宮市)からアスセスすればそれほど難易度は高くない。

  • おわりに
本稿では富士市の三ヵ所を挙げてみたが、素晴らしい場所は他にも存在する。越前岳は厳冬期以外、銀杏地蔵は秋頃、笹垢離は夏季がオススメである。

10:「富士市内の素晴らしき資産、本当の魅力を伝えたい」

  • 参考文献
  1. 児島恭子 (2018) 「イチョウ巨樹の乳信仰ー歴史研究の資料に関する課題ー」『札幌学院大学人文学会紀要』第103号、73-85
  2. 静岡県富士山世界遺産センター(2021)『富士山巡礼路調査報告書 大宮・村山口登山道』