2011年8月18日木曜日

富士山の語源

「富士山」の語源については諸説ある。ここで1つ注意したいのは、富士山の語源といったときに2つの考え方が出てくることである。その2つとは…

  1. 「フジ」という語の語源
  2. 「富士山」という名に至る由来

という考え方である。「フジ」は「不尽(和歌など)」「不二(和歌など)」「福慈(『常陸国風土記』)」「富岻(『日本霊異記』)」などあまりにも多くがあるが、それらのそもそもの「フジ」の語源についての検討が1である。2はそれら多くの「フジ」の中で「富士」で留まるに至る部分の検討を指す(「不尽や不二はそれ以後もたびたび用いられている」)。

まず、割とはっきりしている2から話していきたいと思う。

駿河国の郡の名として「富士郡」というものがあります。この「富士郡」という名は「富士山」からきていると思われがちですが、むしろ一般的(学術的)には「富士山が富士郡から由来する」と考えられています

というのは、平安時代に記された『富士山記』には駿河国富士郡を指してはっきりと「山を富士と名づくるは、郡の名に取れるなり」とあるからです。富士山という名は富士郡の「富士」からとったということであり、これに影響してと思われるが、それより後期の資料で同じような記述がいくつもみられる。そして他に由来を示すものがない以上、「富士山の由来は駿河国富士郡である」といっても特に間違いではありません。例えば現代においては普通に「富士山」と書くと思いますが、その元をずうっとずうっと辿ると駿河国富士郡ではないかということなのです。「富士山」という表記の初見は平安時代初期の『続日本紀』とされています。『富士山記』も平安時代であり、都良香(『富士山記』の作者)の文人としての人物像などを含めても一番信用に値するということなのだと思う。

個人的には、そもそも地域の名称と山の名称のどちらが先に名付けられるかといったら地域の名称だと思うし、古来まで遡ると支配の区分として「富士郡」なるものが生じ、そこから由来するのだと思う(古すぎてよくわからないが)。

次に1ですが、まず説にどのようなものがあるかです。尚、この部分については「富士-信仰・文学・絵画」がとても詳しく、分かりやすいです。


史料内容
『竹取物語』かぐや姫の残した不死の霊薬を山頂で燃やしたことによる「不死」の山から
『海道記』上と同系統
謡曲『富士山』上と同系統
『運歩色葉集』男の子を得るための「呪文」としての言葉による
『士峯録』「民に豊かな恵みを与える」から富士とする/「不二」という「他にない美しい山」という意
『古史伝』富久士(布久士)→富士となったとし、久士は「天にそびえる姿が霊妙である」という意味とする
『松屋棟梁集』火口から火や煙を吹き上げるから富士
『浅間大神御伝記』(一説目)富士は「班白(ふしろ)」という意味で、四時雪の班白を指す
『浅間大神御伝記』(二説目)富士は「覆」の意味で、器を伏せたような形という意味
『アイヌ英和辞典及びアイヌ語文典』フチ、フジ→火、カムイフチ→火の女神
『百草露』フジは「ホデ(火出)」の転化であるとする
『仙覚抄』「けふりしげし」の略
『日本地名学』「フジ」は「長いスロープの美しい形態」を意味する語

どれが正しいのかは分からないし、これらの中に正解が無いかもしれない。それほど歴史の紐を解くのは難解だと思う。これからもどれかに特定されることはないと思われる。

富士山の古い時代の記録として期待できそうなものに『駿河国風土記』が挙げられそうだが、基本記録として残っていない。だから、富士山の最も古い記録として挙げられるものに『常陸国風土記』(よく伝わっている)がでてくるのである。


『常陸国風土記』の記述

この中で常陸国の山と富士山を比較する記述として「福慈岳」(富士山)が出てくるのである

  • 「富士」を冠する語
今でこそ企業名や「〜市」やらと「富士」を冠するものは多いが、これが昔の時代だったらどの程度であっただろうか。15世紀以前で考えた場合、富士を称するものや冠するものは多分それほど多くはないのではなかろうか。代表的なものは浅間神社の社号(例「富士浅間宮」)や「富士大宮司」(神職名)などだろう。

足利尊氏から富士浅間宮への書状(※1335年)

これらは、ある意味伝統的な「富士」と言えるのではないかと思う。他には巻狩りが行われた地である「富士野」なども思いつく。しかし土地の名称ではない固有名詞に限局すれば、かなり限られているように思う。富士宮市の市名の由来である、浅間大社を指す語である「富士ノ宮」という言葉もかなり昔からある呼称である。「富士の語源」という考えだと難しいので、「富士」を冠するものがいつの時代から見える(呼ばれる)ものなのか、という視点でも面白いかも知れない。


  • 富士郡における「富士」の用例


富士郡は必然的に「富士○○」という用例が多い地である。史料的にみると、多くは富士上方に集約されているように思える。以下、用例を見てみる。

<富士上方の場合>


大宮城の別名として「富士城」という名称を用いている。当時富士郡には城といえるものがいつくか存在していた(『佐野安朗,『古城 第51号』P87-92「大宮城の戦いと十四ノ城砦群」,2006年』が詳しい)。しかしその中でも大宮城に対してこの呼称を用いているという事実は大きい。つまり「(駿河国の)富士の城」といったとき、それは普通「大宮の城」を指していたのである。

<富士下方の場合>

  • 参考文献
  1. 影山純夫,「富士-信仰・文学・絵画」『山口大学教育学部研究論叢第45巻第1部』,1995

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