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2026年1月1日木曜日

私は富士宮市郷土史博物館事業を支持しないことにしました

 当ブログにおける富士宮市郷土史博物館事業(以下、「博物館構想」)に言及した記事は9つに及び、累計4,500アクセスを頂いている。これは判断材料の提供の意図を持ってのことであるが、いくらかは意見確立に影響を与えたものと考えている。勿論、それは賛成であったり反対であったりするのであろう。またこの事業を取り巻く動向として、反対の署名活動が行われるといったことも報道から確認される。

 当ブログは歴史ブロクであるという性質上、本来は有無を言わず構想に対して賛成の立場を取りたいところではある。しかしそれを素直に許してくれない背景があり、それを説いたのが9つの記事とも言える。それらの多くは図説的なものであったが、今回は文章のみで構成される記事で総括してみようという試みである。

 富士宮市は妙な地域である…これは一定の年月にわたり居住して分かった私なりの帰結である。それを事細かに言語化するのは難しい。しかしそれらがほんの少しばかり垣間見える資料がある。

 それは「富士山ネットワーク会議」(以下富士山N会議)によるアンケート結果(「環富士山地域の広域連携等に関する住民アンケート調査」)である。静岡県側の環富士山地域の住民に無作為でアンケートが送られ、その結果をまとめたものになる。これによって市民性がそのまま反映されるだけでなく、自治体間の比較もできるわけである。過去にない規模で行われた、極めて貴重な調査である(以下度々引用)。

 目を通して頂ければ直ぐ判明することであるが、富士宮市民の回答のみが明らかに浮いている。それも間違った方向で。この事実1つとってみても「妙な地域である」という証明には十分になっているように思われるのであるが、少し背景を考えてみたくもなるものである。私はこの悲惨な現実から目を背けないことが重要であると考えた。

 まず富士宮市民は、何らかの指標があるときに“過小評価する”という傾向が極めて強く認められる。例えば実際は人口が減少していない時節であっても「富士宮市は人口が減少しているからねぇ…」というようなことを述べる人は多かった。私はその時節ではむしろ微増していたことを知り得ていたため、いつも不思議に思っていた。同じ地で同じ時間軸に生きているようにはとても思われなかった。私からすればその人の発言の信憑性などゼロに等しいのであるが、誤認するにせよ、多くの人は必ずマイナスの方面で見るという傾向は共通していた。

 また「財政破綻寸前だからねぇ…」や「財政状況が悪いからねぇ…」という人も多かったし、アンケートの問15からもそのような認識が明確に読み取れる。実際は全国的に見ても特段悪い水準ではないため全くの的外れと言えるわけであるが(むしろ良好とさえ言える)、やはりマイナスで考えるという傾向は例に漏れずである。

 「国立国会図書館調査及び立法考査局」に所属する研究員による報告に「地方自治体の経済活性化策に対する地方交付税制度の影響」がある。これは1975年から2005年における全国すべての自治体の地方交付税の交付状況を調べ、報告した資料である。この気が遠くなりそうな作業による成果物により、富士宮市は過去地方交付税不交付団体(=財政優良団体、財政力指数により判定)の時期を有していたことが分かる。と同時に、全国の殆どの自治体はそもそも地方交付税不交付団体になった経験すらない(財政力指数が1.0超えたことがない)ということも判明する。であるから、上のような財政論者は分かりやすく言えば「トンデモ論」の人々なのだ。私はトンデモ論に付き合うつもりは全く無い。 

 私はこのような自虐史観にも似た性格が普遍的となっている現状を不思議に思い、考えを巡らせることも多かった。しかし結論は出ていない。またここで普通は両立し得ない現象が発生していることも注目される。マイナス思考であるのは良いとして、それをひけらかすという傾向があることである。換言すれば、マイナスと捉えている事柄を殊更持ち出そうとするという不可解極まりない現象が認められるのである。つまり上で言うところの「財政破綻寸前だかららねぇ…」といった言説を持ち出すのが好きなのである。私にはそれの何が楽しいのか理解できないし、普段どのような矜持を持っているのか疑わざるを得ない。それならば無関心である方がよっぽど良いだろう。このような普遍的精神性が博物館事業と極めて相性が悪いという言い方は、許される範囲であろう。

 実を言うと、富士宮市民と会話が成立しないことが多々ある。今回はこの筆が博物館構想に端を発しているため、歴史の事柄で考えてみよう。例えば富士宮市民は、富士宮市の領主が「富士」さんであったことを知らない。また大宮城(富士城)が存在していたことも殆ど知らない。これらは限りなく歴史の入口に近いトピックであるから、平たく言えばもはや何も知らないと言っても過言ではない。したがって、少しでもこれらのワードを出すとまず話が通らない。ここまでのレベルの会話における脆弱性は、少し不思議である。

 勿論この背景には富士宮市教育委員会の信じがたい失策が大いに関係していることは間違いない。「大宮城」という言葉をあえて避け「元富士大宮司館跡」という呼称を中心として用いたこと(日本語としてもおかしい)、氏族「富士」という概念に触れてこなかったことなどは、後世に禍根を残す主要因と言えるだろう。検索しても市の歴史コンテンツが全くヒットしないのも、周知させる意識が希薄であることの証左となるものである。これらは、今すぐ誰でも検証できるものだ。

 そして現在、人材が一新したとされる文化課の人員が過去の尻拭いをさせられているという言い方が適切だろう。歴史的には、行政側が率先してアイデンティティ形成の芽を潰してきたのは間違いない。ある意味見事である。ここで少し悪い言い方をしてみよう。富士宮市の職員は、別に富士宮市出身者で構成されているわけではないのだ。こういう事例を見ると、自虐史観の形成とまでは言わないまでも、図らずとも行政はそれを後押ししていたように思える。

 富士山N会議の問11は、同会議に余り期待しない/期待しないとする人の考えを問うものであった。そして富士宮市のみが「既存の市町の枠を超えて市町が連携する必要はない」とする%が突出していた。富士宮市は会議に「期待する」という人が各自治体の中で最も多いという事実を踏まえると(問9)、少数派は反グローバリズム志向が強いことが分かる。それも極めて強力に。私はこの傾向は年々強まっているように感じる。

 このベクトルは富士宮市内に対しても例外ではない。富士宮市は往古の富士山登山口を複数有する地である。それをそれぞれAとBとしたとき、BがAを殊更否定するといった動向も確認される。人間はここまで排他的になれるのか、と驚く程である。こういう人々が居るために、地域は衰退するのだと痛感させられる。 

 また先程も挙げた問15の結果は富士宮市民の妄想力が如実に現れていると言え、「財政基盤に不安がある」の%が突出している。つまり富士宮市民は市の本当の課題が全く見えていないわけである。問18の「合併の効果として何を期待するか」の質問に対し「財政的な基盤の強化が期待できる」の%が多い格好となっているが、人口比で市債が少ない富士宮市が他と合併して財政基盤が強化されるという思考は、通常であれば生まれないだろう。他の市町は各項目でそれほど差異が見られないが、富士宮市のみがズレている。

 これらの背景も富士宮市の特殊性が絡んでいる。世の中には様々な資料が存在している。自治体の刊行物や論文、ジャーナル類など様々だ。それら資料を数点読んでもそれほど物事は明るみにならないが、これを数十、更に数百と広げていくと確かに見えてくるものがある。その結果言えるのは、信じられないくらいのおめでたさである。例えばAさんが欲しいものがあるとする。そこで「声の増幅」のためにBさんに声を掛け一緒に誘致を行うようけしかける。しかしその欲しいものは、実際は二分できないものである。目論見通り、Aはそれを手にする。この繰り返しということに全く気づいていない。富士宮市がABどちらなのかは、言うまでもない。これを数十年ただやっているということが、様々な資料から見えてくる。良く言えば「お人好し」だが、悪く言えばどうなるだろうか。 

 皆さんは静岡県の二つ名をご存知であろうか。大分県の二つ名が「おんせん県」であるように、静岡県にも存在する。それは「ふじのくに」である。つまり富士山を指しているのであるが、富士山の静岡県側は大部分が富士宮市に属する形である。換言すれば、静岡県を「ふじのくに」たらしめているのは富士宮市の存在による所も明らかに大きいのだ。それは世界文化遺産富士山の構成資産の数としても如実に現れている。つまり「地理」としても「文化」としても、「ふじのくに」を支えているのだ。しかし各媒体等を見るに、現状それが反映されているようには思われない。つまり言っていることと実態が一致していないのである。

 富士宮市からすれば、そんなことであるのならばいっそのこと「ふじのくに」などと言わないでくれという思いも生じ得よう。であれば、富士宮市はベクトルを外に向けなければならない。むしろ関東の方が適切に向き合ってくれるし、メディア媒体が来ても「あ、静岡県の媒体さんもいらっしゃったのですね」くらいで良いのである。例えば江戸文化との関係性をテーマに関東に向けて展開するのも良いだろう。富士宮市を舞台とした無数の大和絵は、江戸を土壌として花開いていたものなのだから。ちなみにこの辺り(浮世絵・武者絵の類)も、富士宮市が取り上げてきた痕跡はあまり認められない。本当に不思議である。

  私は富士宮市の歴史を考えていくにあたり、まず史料上どのような事柄が多く確認されるのかという視点で調べを進めてきた。それが歴史上影響を与えてきたものと言えるからだ。しかしその作業で上がってきた事柄は、軒並み富士宮市には取り上げられては来なかった。なので、一般においても歴史を感じることができないし、歴史の流れも把握できないのである。そういう努力が無かったという言い方でも、大きくは間違っていないだろう。

 他に一例を出せば「富士海苔」は枚挙に暇がないくらい多くの史料に確認されるが、これも殆ど展開が見られなかった。しかし先に挙げたように近年は劇的な改善が認められるので、新『市史』の自然環境編には項目が設けられているという変化も認められる。

 私は普通に史料に多く見いだせる事柄を優先的に取り上げるべきだと考えるが(「博物館法」に「歴史、芸術、民俗、産業、自然科学等に関する資料を収集し…」とあるように芸術や民俗学も重要とも考える)、従来の様子を見る限り、どういう基準で考えているのか最早見当もつかない。もう本当に皆目見当がつかない。

 ちなみに富士山N会議の資料には連携活動の事例としてUTMF/Mt.fuji100(ウルトラトレイル・マウントフジ)が紹介されている(P18)。このようなものですらも、富士山南麓の人々が潰そうとしている(「ウルトラトレイル・マウントフジ2023 全体説明会議事録」を参照)。これが偏西風のように常に富士宮市に流れている空気感であって、これが決定的な悪さをしている。何かを潰そうとするときにだけ躍起となって動くのだ。であるから富士山N会議の問11の結果は、この精神が要因と取ることもできなくもない。 もっと言えば昨今の動向もこれで説明がつくのかもしれない。

 話を博物館構想に戻そう。そしてもう、私が考えている事を一文で片付けてしまおうかと思う。


アイデンティティ形成の芽を尽く潰しておきながら今「博物館を作りたい」というのはさすがに通らない

 

 これまでの文化課の動向を見ると(近年を除く)、厳しい言い方をすればもはやグロテスクという評価へと繋がる。この状況を決定づけた成分が博物館構想にまで影響する余地があってはならないと、私は思っている。それは富士宮市にとっての不幸であると考えている。影響の余地がないという確証が持てるまで、素直に賛成するわけにはいかないという立場をここで明確にしておきたい。

 私には隣の山梨県南巨摩郡南部町が眩しく映る。南部町は素晴らしい。町が「南部氏ゆかりの地」というページを用意し、「道の駅なんぶ」には「南部氏展示室」も設けられている。ページが設けられているからこそ人々が感知し情報を得られるわけであり、道の駅に関係施設が併設されているのは地域アイデンティティの表れだろう。これが「町」単位で出来るのだから、富士宮市の努力不足は甚だしい。つまり、南部町の方がよっぽど先進的なのである。 

 南部町がそうであるように、富士宮市は富士氏のページを設ける必要があったのである。こんなことは当たり前のことなのであるが、現時点でも存在していない。思えば当ブログの初投稿は20111月のことであったが、フラッグシップな内容とするために必然的に富士氏に言及したものとなった。そして当時より、頑なに富士氏を取り上げない富士宮市が不可解で仕方がなかった。本当に心底理解できなかった。まさか10年後も不変であるとは夢にも思わなかったが…。とは言っても現時点ではこの異常事態は解消されているし、この変化をもたらした存在・空気感こそが富士宮市にとっての宝であろう。 

 そもそも博物館構想を策定する段階の前の時点で、その土壌作りをしておこうという発想には至らないのだろうか?という疑問がある。普通であれば円滑に進められるよう、歴史コンテンツの充実化や、象徴的な存在くらいは世に知らしめておこうと考えるものではないのだろうか。子どもですら、ゲーム機を買ってもらいたい時、何らかの行動は取るものだと思う。遅く購入してもゲームの進行が相対的に遅くなるため、それすらも考慮して子どもは動いている。ある意味では強かなのだ。簡単にいえば「賛成の人が多くなるよう事前に手を打っておくという発想は少しばかりも生まれないのか?」ということである。 

 もっと言えば、その期間は十分過ぎるほどあった。しかしそれは成されなかった。富士宮市の歴史を巡る環境は、深刻な危機的状況に陥っている。私は強く悲観している。これは決して誇張した表現では無い。例えば曽我兄弟の敵討ちであるが、これは富士宮市の地「富士野」で起こったことである。絵図のタイトルにも多く採用されている地名である(射水市指定文化財の1683年(?)「奉納絵馬額」、寛政後期(17891801)の鳥高斎栄昌『和国景夕頼朝公富士野巻狩之図』、文化13(1816)『松屋棟梁集』所収「富士野狩の図」「富士野假屋の図」、鳥居清峰の各「富士野御狩之図」、各歌川派作品(例えば豊国の「見立八景之内 富士野の夜雨」や『曽我忠臣蔵錦絵并番附集』所収のもの)など枚挙に暇がない)。富士宮市の地名において、歴史の中で最も現れるものであると断言できる。

 しかしこの地名の認識も、日本人の中から既に消え失せてしまったように思う。富士氏についても、少なくとも当地においては十分に認識されていたものが、徐々に失われていったものと考える。”歴史を失ったという歴史”が、ここ数十年の富士宮市の哀れな姿だろう。各自治体のシティープロモーションを見ると、当該地を描いたとされる浮世絵等を以て高らかに喧伝する様子が認められる。富士宮市は大和絵の題材となった絶対数で言えば日本屈指であり、そこから考えればもはや''かわいい程の事例''のようにも思えるが、そんなことは言ってはいられない。何故なら、我々はその種の表現自体を怠っているからである。やらなければ、一般からすれば無いことと同じなのだ。そもそもこの種のものを収集する試みがあったのかさえ疑わしい。

 この背景には富士宮市の問題も大いにあるが、歴史家の問題もある。歴史家が地名を重要視せず、論文等で「富士野」というワードすら出さず「富士の裾野で」等と表現を簡素化して換言してしまっている。いやもはや簡素化ですらないが、人文学系の劣化を感じるものである。

『富士野往来』についても、第一状「廻文状」の冒頭で既に「富士野ノ狩」等とあり地名であることが明白であるのに、「国立教育政策研究所教育図書館貴重資料デジタルコレクション」や「京都大学貴重資料デジタルアーカイブ」はタイトルを「フジ/ノ/オウライ」としている。本当によく分からない。これほど歴史の中で長きにわたって出現する地名も珍しいように思うが、それが消滅しようとしているのだから、異常事態に他ならない。

 そもそも『富士野往来』という史料名を聞いても、もはや富士の巻狩りに関連する可能性を感知することすら難しくなってきている。本当に悲しいことであるし、本来富士宮市こそがこの事態を打開するためにずっと前から動いておく必要性があったのではないだろうか。当地の地名を冠した絵画作品・出版物が歴史の中で世に出され続け膾炙されていたという事実は、決して軽んじられるものではない。むしろ12位を争うほど、重要な事柄である。それすら表現できずに、何ができるというのだろうか。それすら表現してこなかった地域が作る博物館などに、私は微塵も期待しない。

  「富士氏」「大宮城(富士城)」「富士野」…このようなキーワードが市民の中で飛び交う現在も十分あり得たと思うが、何を隠そう富士宮市こそがその可能性を根こそぎ奪ってきたようにしか映らない。想像を絶する損失である。私はこの損失を想像すると、冷静ではいられない。この中で言えば何故「富士氏」という言葉・概念を殊更避けてきたのだろうか。何らかの浄化思想があったとでもいうのだろうか。ここにつまらない感情が関係する可能性を勘ぐらずにはいられないし、警戒を解除することを許さない背景ともなっている。

 しかし完全に不可逆的なものではないし、今からでも復元することは可能ではないだろうか。またここ数年(67年くらい)は歴史を巡る展開において目覚ましい進展が認められ、取り組みも多様性を併せ持つものであり、上のようなキーワードが市民の中で飛び交う未来も見えてきたように思う。少し希望は見えてきた。ただそれが余りにも遅すぎた。何の誇張でもなく、20年くらいは遅れてしまったと言えると思う。

 説明会の質問では「お金」の観点による質問が多かった。従って、ここでお金に関する象徴的な事柄を話しておこうと思う。富士宮市は市外の施設に約5億円提供したという歴史がある。それは市外にある新富士駅のことであるが、5億円プレゼントしておきながら、一方で自身のための15億円~20億円の施設は絶対的に許されないという考えそのものが無理のある話だと思う。言ってしまえば、この額はその程度の話なのだ。

 なぜ5億円プレゼントしたのかというと、新富士駅と身延線を接続するという約束があり、接続から起因される経済的利益の可能性を考慮してのことであった。これは見事に裏切られた格好であるが、このとき市民団体がその資金の返還を求めるくらいの動きをしていたら、今回の動きも少しばかりは説得力が出てくるかもしれない。何故なら彼らは資金面を問題視しているからだ。もっとも、今回署名活動している人々がその時に居住していたかどうかなど知られないわけではあるが。

 接続が成されなかったことを悲観する富士市民は多い。その勘は当たっており「幹線駅の新設が市区町村の人口に与えた影響(竹林幹人,2024)」という論文によると、やはり新富士駅は効果が薄かったことが示唆されている。そこから更に距離を隔てている富士宮市など、期待された恩恵はなかったことは言うまでもない。逆に言えば、資金が多少かかろうとも、その時節で完成度が高いものを拵えることの重要性を示す事例とも言える(在来線との接続を念頭に置いての発言)。私はその時の10億円程度の差異など、将来に禍根を残すことに比べれば、取るに足らないことだと思っている。それはどのような施設においても同様だ。

 昨年の話であるが、とある富士宮市の私立中学校・高校の文化祭にお邪魔した。巷でも教育を軸として語られることが多い学校ではあるが、実際目にすると凄まじい。一般来場者に対して中学生が自分の意思で実験を披露したりしていて、教育レベルの高さに驚かされる。勿論それに足る環境が用意されているからこそ成せると言えるのであり、それらを支持する大人側の姿勢があってのことだろう。

 ではここでいう"大人側の姿勢"とは何だろうか。これは文明的なものを低く見積もらない価値判断姿勢"ではないかと思う。皆さんは共産国家ではなぜ「サービス業」が国家統計の除外項目扱いまたは非公表である/あったのかをご存知だろうか?それは共産圏においては製造・生産による成果物としての物理的な「モノ」に価値はあるが、資本家や芸術家などは非生産的なものとして認識されてきたからである。実際に共産圏では、それらに携わる人々は追放されてきた歴史がある。実際はサービス業も富を生むし、もう歴史がそれを証明しているのであるが、それを認めない層も居る。そのような層が今回の件でどう動くのかというのは、想像に難くない。 

 また価値判断の相違が複雑化したものに「文化的ジェノサイド」がある。これは浄化思想からなるもので、ある特定のコミュニティに対するアイデンティティの破壊を目的とする行為であり、言語・宗教・偶像崇拝といった概念の規制や文化財等の破壊行為などが該当する。一般的には包括されるものの内側では文化圏の相違を有する地域間や、実行支配した組織が旧来の習俗を否定する場合などで起こることがある。非侵襲的ではあるが文化的な暴力性を持つ行為である。私は、さすがにここまでのレベルではないが、何か近しい思想がこの地で横行していた可能性を捨てきれていない。でなければ説明できないような現象(本投稿内で記している事象)が発生している。それが地域アイデンティティの欠如を生んだとも考えている。

 富士山N会議の問1617の結果は富士宮市民の地域アイデンティティの欠如を示唆するものであるが、このようなものの背景にはアカデミズム側の問題も関与すると私は考えている。文化庁選定「歴史の道百選」の「みのぶ道(93番)」に富士宮市が含まれていないのは由々しき事態であるが、こういうものもアカデミズム側の責任だろう。論稿で富士野を「富士の裾野で」等と換言するのも、アカデミズムの態度としての問題である。こういう積み重ねが、歴史の中で地域アイデンティティを失う要因となっているのだ。そしてその最たるものは、本稿で暗に示した通りである。このような姿勢は、博物館建設から遠ざける要因になっただろう。何故ここまで地域アイデンティティが欠如しているのかという点について、富士宮市は一度真剣に考える必要性があると思う。

 であるから、私は専門家側の問題が存在しなかったとは全く思っていない。しかし皆さんも少し察しがついてきているかと思うが、今回の署名活動というのは、富士山N会議のアンケートに確認されるような富士宮市民の特有のズレ感が如何なく発揮されたという見方が結構しっくりくるのである。おそらく正しく恐れるということが苦手な方たちなのだろう。この労力・エネルギーが生産性の方に向かえば最終的には豊かさに繋がるものだと考えるが、如何だろうか。

 しかしながら、本稿で示した懸念から、私は富士宮市郷土史博物館事業を支持しない方向で定めた。つまり、"いいものは造れないだろうし明確な懸念もあるから、いっそのこと要らない"ということなのだ。寂しい考え方だが、そのような考え方にさせられてしまったという言い方が適切であると感じている。

以上。

2024年11月3日日曜日

富士宮市の博物館構想を通史的性格から考える、文化・芸術の拠り所としての表現

博物館構想を考える上で「富士宮市の通史的性格」からも考えていく必要性があると感じ、また「(仮称)富士宮市立郷土史博物館基本構想検討委員会」の資料については未だ言及していなかったため、これらも併せて「富士宮市の通史的性格と博物館構想」をテーマに解説していきたいと思う。

富士宮市の歴史を俯瞰して見てみると、非常に歴史トピックに恵まれた地域であるということが分かる。例えば「日本三大仇討ち」にも数えられる「曽我兄弟の敵討ち」は富士宮市で起こったことであるし、それに付随して富士宮市を舞台とする「能」「幸若舞」「浄瑠璃」作品も成立した。また富士宮市の地名を冠する史料『富士野往来』は江戸時代の教科書としても用いられた。あらゆる「表現」の中に組み込まれたのである。

(小井土2022;p.480)は『曽我物語』を説明する中で「霊峰富士を背景に、物語が大団円を迎えているということこそが、この物語が持つ何よりのポテンシャルと言えるのではないだろうか」と述べているが、やはり富士山麓という土壌は大きく関係するように思う。

単一の事象で言えば「富士大宮楽市令」は全国で用いられる高校日本史の参考書にも記されており、古文書学では法制史学の分野で特に用いられる。ちなみに高校日本史の参考書には富士宮市の事柄として他に「富士金山」が記される。

また絵画化例も極めて多く、『曽我物語図屏風』を始め「武者絵」も富士宮市を描いたものが多い。特に前者が作成され続けた背景については(小口2020)に詳しい。富士の巻狩を描いた図が地方にも伝搬していた事実等から(中澤2022;p.105-107)は「富士の巻狩のイメージが、地方の武士たちにも共有されていたことをよく伝えている(中略)戦国期に曾我物が百姓にまで広く流布し、富士の巻狩が東国の王の壮挙として語り継がれていたことを如実に示している」と説明する。また(中澤2020;p.121)にもあるように、外国人(フロイス)ですら富士の巻狩は知り得ていたことであったし、ジョアン・ロドリゲスも知っていた(『日本教会史』)。他、「富士参詣曼荼羅図」もある。あらゆる分野において輝いたものがある。

富士宮市という地域は時代を問わず、常に人々に意識されてきた地域なのである。ここまでの規模感を有する地域は、日本でも指折りかと思う。例えば曽我物を演じる時、その担い手は富士野の地を強く意識したことだろう。それは観る側も同様である。人穴探索を題材とした武者絵も多いが、この場合は奇怪な事が起こる地として描かれていたので、人々はそれらを見て恐ろしいイメージを膨らませていたに違いない。実際『驢鞍橋』や『文武二道万石通』にはそれが反映されている。『富士野往来』で学習する子どもたちは、強く富士野の地を想像したことだろう。

従って「富士宮市の事象が歴史の中にもたらした影響」を人々に説くことが極めて重要なのである。ところで「第3回(仮称)富士宮市立郷土史博物館基本構想検討委員会」にて以下のような意見があった。



この指摘は極めて重要であると思う。そしてその答えは上で記したように

"富士宮市の事象が歴史の中にもたらした影響"を人々に説く

としておきたい。私は展示の方法は「①外(影響を長く及ぼしたもの)と②内(内政)」の2つがあると考えており、そのうちの①が上である。

しかしこの恵まれた環境下において、それらが富士宮市民の中で殆ど浸透していないとすれば、それは穏やかではない。その場合その要因の一端、いや多くは行政側にあるのではないだろうか。行政側は世の中の様々な事象に対する感度も低いと思われる。

例えば文化庁選定「歴史の道百選」の「みのぶ道(93番)」に富士宮市が含まれていないのはおかしいと気付かなければならない。何故なら、身延道は富士宮市を通っているのだから。駿州往還は富士宮市内房を通過しており、これは紛れもなく「みのぶ道」である。また富士吉田口登山道(37番)は選定されているのに富士宮市の登山道が含まれていない理由も考えなければならない。要は、ロビー活動が全くないからである(これまで)。普通に考えて、そんなところが人を呼び込める博物館など作れないだろう。博物館や企画を認知させる手法は、結局のところロビー活動に類するものなのだから。

富士宮市の歴史のフラッグシップ的存在として「富士氏」が挙げられる。(前田1992;p.83)に「従来、史料の量に比べて研究成果が乏しかった武田氏と大宮との関係を自分なりに探ってみた」とあるように、富士氏の動向を示す史料は新出史料を含めそれなりにある。前田氏のそれは、研究を大きく進展させたと言えるだろう。

史料の残存量もそうであるが、富士氏の歴史上での存在感を考慮すると、あまりにも知名度が不足しているのではないだろうか。富士氏は室町幕府の在国御家人で、富士城の城主であったのだから。正直「富士宮市はこれまで何をしていたのだろうか?」と言われても仕方がない。

「国立歴史民俗博物館」の2018年の企画展「日本の中世文書―機能と形と国際比較―」にて「沙弥道朝書状」という古文書が展示された。その文書は富士忠時が受給者であるが、不思議なことに解説では富士氏には全く触れられていない。

また『浅間大社遺跡 山宮浅間神社遺跡』(2009)という、静岡県埋蔵文化財センターによる報告書がある。報告書内に「浅間大社関連年表」「浅間大社・大宮城関連表」というものがあるが、「富士大宮司氏(第5章内「浅間大社・大宮城関連表」)」や「富士大宮司内分裂(第2章内「浅間大社関連年表①」)」といった意味がよくわからない用語・文章が連なっている。

しかし富士大宮司というのはその時ただ1人だけであって、しかも富士氏の当主が名乗る神職名であるので、「富士大宮司内分裂」とか「富士大宮司氏」などという概念は存在し得ない。富士大宮司は富士氏の一側面にしか過ぎないのである。『富士大宮神事帳』という史料があるが、この史料1つだけ見ても、「富士兵部少輔」(富士大宮司)「富士常陸守」「富士又七郎」「富士左衛門」の人物が見え、多層的である。

これらを見ると富士氏に関連する論及は、単一レベルでは優れたものがあったとしても、全体としては恵まれたものではなかったことが分かる。県内の組織の報告書であっても、そのような状況であったのだから。そしてその期間は永きに渡るものであった。その背景は一体何だろうか。富士宮市のHPや刊行物を見ると、やはり「富士氏=富士大宮司」という捉え方をしてきた節がある。"〇〇は富士大宮司に関わるものと考えられる"といった文脈も度々見られるが、では何故他の富士氏の人物ではなく富士大宮司であると考えるのかといったことについては、全く触れられていない。本当に近年まで、富士宮市の歴史研究の成熟度は相当低いところにあったと言う他ない。

逆に近年(ここ10年)は富士宮市からの目を見張る成果・展開があり、従来と対比すると一層際立ってくるように思う。それは内部構造が変化したからに他ならない。今すべきことは、学芸員の方々が研究活動等に集中できる環境を整えることではないだろうか。

また今年は富士宮市の歴史に関する報告が多く世に放たれた年であり、注視していた人であれば確実に感知できたことであろう。これほどまでに重なるのは珍しいことである。『戦国武将列伝 6』(6月)には富士信忠の解説が収められ、『室町幕府と東海の守護』(8月)にも富士氏に関する論考が認められ、特筆すべきは9月発刊の『領主層の共生と競合』(2019年のセミナーを原型とする、『静岡県地域史研究』にも一部所収)であり、この一冊は極めて重要な意味を持つ。説明会に出席した一般の人々の中でこういう動向を感知できた人がどれくらい居るのか、興味深いところである。博物館構想の説明会であるのに全員が感知できない層であったのなら、それはただ単に富士宮市の人材不足と言えるのであり、それは富士宮市にとっての不幸と言えるのではないだろうか

これまでの研究の蓄積不足は否めないところであり、これは博物館構想にとって致命的な枷となるだろう。それを一気に飛び越えるエネルギーは、相当なものとなる。それを現在就いている学芸員の方々に一直線に強いるのは不憫な話と言えるのではないだろうか。したがって、以下の意見を支持したいと考える(第2回会議録・第3回会議録より)。





また博物館建設には一般市民側の意欲も必要である。換言すれば「富士宮市民のアイデンティティが必須」と言える。その形成のための取り組みが、全くなされて来なかった。

「富士宮市の領主は"富士さん"でした」とか「富士宮市はあの「楽市」が行われた場所です」といったことを何故言ってこなかったのだろうか?他の地方自治体はもっとアピールしているではないですか。楽市が「富士宮市の歴史年表」の類に従来まで記載されていなかったのは、その証左であろう。また以前例を挙げたが、TV等で頻繁に「近年村山口登山道が発見された!」と明確に誤った情報が流布されている。その度、私はこう思う。

本来こういう時に富士宮市民から「20世紀には調査も実施され、以前より認識されてきたものであり、TVは間違っている」というような声が聞かれるべきなのではないか

悲しいかな、村山の人々ですら分かっていないようである。また「富士宮市の自然(第五次富士宮市域自然調査研究報告書)」に以下のような箇所がある。


多くは言いませんが、富士宮市の公式資料でこれとは、なんと情けないことか。実は何故か歴史史料で多く確認される「村山口」の文言をどうしても用いたくないという勢力が居る。また学術用語としても「大宮・村山口登山道」があり、その点からも不可解である。

そして村山口登山道のガイドも数多く居るようであるが、根本的なことを理解していない。おそらく多くの人は「古の登山道を登ってみたい、でも地理的な知見がなく難しい」という純粋な思いから登山のガイド依頼をするのであろう。そしてその登山道とは「大宮・村山口登山道」のことなのである。しかしその気持ちを全く汲み取らず、何故か「村山道」を案内するガイドも居るようである。もっと酷い場合は、更に下から誘導しているようである。そもそもガイドは「大宮・村山口登山道」と「村山道」の違いも分かっていないように見受けられる。ちなみに「村山道」に関しては史料上用いられた記録は殆ど無く、成立も近世である。

するとどうであろう。一念発起し、おそらく人生一度切りという思いから登拝したのにも関わらず、後で全く異なる道を歩かされていたことに気づくということになる。これは依頼主への裏切り行為ではないだろうか。また「村山道」を望んでいたのに「大宮・村山口登山道」を案内してしまっていたら、それはそれで危険である。難易度が桁違いであるからだ。つまりこの用語を理解していない人というのは、依頼人を危険に晒す可能性を十二分に持ち合わせているのである。ガイドとして失格であることは言うまでもない。これらの事例を見ても、一般の歴史認識は相当に弱い。

しかし学術的な視点で真っ当に動いている組織は、この点をしっかりと把握して動いてくれていることを私は知っている。そして私は、それを本当に誇らしく思う。1993年には村山口登山道に関するまとまった報告書を出していることも知っている。もっと自分たちから成果を目に見える形で表してもよいのではないだろうか

勿論基本的にはガイドの不勉強が問題ではあるのだが、やはり行政側からも「これが①大宮・村山口登山道、これが②村山道、①と②は違います!」とハッキリとした分かりやすい提示をするべきなのかもしれない。そしてまとまった形の学術的な調査は1993年のものを嚆矢として、その後も重ねて調査が行われ、概ね全容が明らかとなったという文言を付け加えておくべきだろう。そしてこれは静岡県・富士宮市・富士市の共同で行うべきだろう。TVおよびガイドの不勉強の尻拭いでしかないのは分かるが、考えなければならない。歴史学は、こういう啓蒙活動もセットであるべきなのかもしれない。

つまるところ、単純に認知が絶望的に足りないのである。それは市HPのコンテンツからも見て取れる。富士宮市HPの歴史コンテンツを確認してみたところ、以下のページのみであった。あとは企画展の紹介ページのみである。



正直、これらのページはあまり意味を持つものではない。専門性の高いコンテンツは、市HPには不必要なのである。それは学術の場でなされていれば良い。そうではなくて、富士宮市の代表的な歴史トピック・名称を題したページを10程作成するだけで良いのである。本当に簡単な話なのであるが、それが出来ていない。なので検索に一切引っかからないのである。

「富士宮市の領主富士氏について」「井出正次について」「富士郡の要害大宮城について」等と題したページを作って、簡単な解説を加えれば良いだけの話なのである。それが何十年と出来ない。何処でもやっていることなので、本当に不思議である。ところで、以下のような意見があった(第3回会議録)。


これはタブレットに富士宮市HP(歴史のページ)へリンクするタブ等を設ければいいだけの話なのである。従って、そのページをまず作成する必要性がある。それを氏は述べるべきなのである。

基本的に今求められるのは「富士宮市の代表的トピックのページ作成+それを流布する力(ロビー活動)」である。これまでの蓄積不足は甚だしい。仮にしっかりと取り組みがあれば、富士宮市に現在「楽市通り」(道の通称)があったと思うし、富士宮市の「市の木」はシュロであったに違いない。普通に考えれば、これらを制定すべきなのである。

また「富士山女子駅伝」でもその道を用いているのに、何故「楽市通り」と喧伝しないのか。富士市はもっとやっているではないですか。


上の画像は富士山女子駅伝のコース紹介であるが、「富士山しらす街道」と記されている。そして放送でも呼称されている。この種のものこそが「ロビー活動」であろう。

また認知度さえあれば「富士海苔」も保護のための機運が高まって「特定農林水産物等の名称の保護に関する法律」(地理的表示法)に登録される段階にまで漕ぎ着けていたかもしれない。そして何よりも、博物館建設の機運は今よりは高いものとなっていただろう。つまり博物館を建設できない要因の1つは、何を隠そう「(策定している)内側の姿勢」にあったのである。

10年とか20年といった年月をかけてゆっくりと浸透させていくべきアプローチが殆ど確認されない。体感的には少なく見積もっても20年、厳しい言い方をすれば30年くらい遅れている感じがする。もちろん市民側の閾値の問題もあるだろうが、何でもかんでも市民のせいにしてはいけない。

ただ富士宮市民のせいである部分も過分にある。「富士宮市郷土史博物館構想に賛成・反対か、本当の問題点を考える」等でつらつらと富士宮市民の気質等について言及しているのであるが、要はこの中の登場人物は世間知らずなのである。説明会というのは、実質"行動力のある世間知らず"が場を乱しているだけの場になっているのである。そこにファクトは無い。

そもそも大人たちこそ子供を見習うべきではないだろうか。子供たちの方がよっぽど生産性がある活動をしている。例えば「全国高校生歴史フォーラム」では富岳館高校の学生が「富士氏による富士宮地域の支配とその性質の変化~富士山本宮浅間大社大宮司・富士氏の盛衰に着目して~」という研究を発表している。

これを成立させるためには「①調査→②理解→③形にする→④発表」という過程が必要である。多くの大人は出来ないことである。まず①の段階で殆どの大人が出来ないであろう。



また「静岡学園高等学校歴史研究部」も富士氏に多く言及した論考を出している。


富士宮市民なのに永きにわたり領主であり続けた富士氏すら知らないのは、この際良いとする。しかし大人として、この種の活動に支障がない体制をなるべく整えてあげようという気概くらいもったらどうだろうか?

むしろこの種の活動を促進させたいとは思わないのだろうか?説明会に行って「廃校!廃校!」と理由のわからないことを述べるエネルギーを、もっと違う形で活用した方がよっぽど生産性があるだろう。

そもそもこれまで文化課等で費やした費用なんぞとっくにペイできているのである。「富士宮市郷土史博物館構想に賛成・反対か、本当の問題点を考える」で記したように世界文化遺産「富士山」の構成資産は研究の有無によって左右されている。普遍的価値はイメージで決定されるのではない。

そして構成資産であるという付加価値が、観光客を更に呼び込んでいるのである。その経済効果は計り知れない。むしろ博物館がありもう少し研究が深化していたら、もう1つくらい市内に構成資産はあったかもしれない。私がみる所、富士宮市内はあと1つは望めたところだろう。

そもそも「お金」という視点でこの種の話をすることがナンセンスなように思えるのであるが、説明会の質問では「お金」というワードが頻出しているのも事実である。その上で貴方がたが好きな土俵で論じたとしても、正直全くお話にならないというのが実情であろう。

ここで少し角度を変えてみよう。大発見とされる「銅造 虚空蔵菩薩像 懸仏(1482年)」は富士山頂の三島ヶ岳で発見され、現在富士山本宮浅間大社に奉納されているが、発見の経緯が面白い。遠藤秀男『富士宮歴史散歩』には以下のようにある。

横浜の人が突然私のところを尋ねて来て「山頂でこんな物を拾ったが見て欲しい」という。見ると円盤型の青さびた掛仏である。(中略)そして左右に文字が刻まれていて、「文明十四年六月」「総州菅生庄木佐良津郷」とあり、(中略)千葉の人によって富士山頂に奉納されたものであることが判明した。(中略)発見のきっかけは、次のようだという。拙著『富士山の謎』で富士山中から古銭が多く発見されている話を読み、登山の折りに注意して歩き、(中略)砂中に埋まっているのが見つかったという。そこで私の所へ持ち込んだという次第であるが…

つまり「書物」の存在が無ければ見つかっていなかった可能性もある。このように世の中のものに感化され、実際に行動を起こし、何らかの成果物が生まれるという過程がある。博物館の企画展なども大きく人々に影響を与えるだろう。もっと大きく言えば、有史以来の偉大な発明も、全くの土台無しで成されたものは無い。こういう個々の情熱の積み重ねが世の中を動かしてきた。こういうものが最終的には次の活動に繋がっているのは間違いない。博物館はここで言うところの「土台」だろう。

しかし個々の経歴など事細かく追跡できようもないから、定量化はできない。例えば10億の経済効果があったとして、「〇〇さんの活動が〇〇円寄与した」などと言うことは物理的に不可能なのである。つまり説明会の質問者というのは、定量化ができないことを良いことに、好き放題言っているだけでしか無いのである


上は富士宮駅伝競走大会のチラシである。こういう大会は、何の資金もなく開催できるわけではない。スポンサーが居るからなし得るのである。

それと同じように、構成資産があるから観光という「産業」が成り立っている部分もある。それを成立させたのは「研究量」であり、その立役者は研究者である。既にあるものに付加価値を付けたということもできる。でも研究者らは"私達が付加価値を付けました"なんて言わない。なぜならあくまでも"研究者"だからである。しかし外野は少しくらい感知できなければならないし、それすら感知できないのであれば問題である。

私は博物館構想を考えていく中で、多角的に思考を巡らせてみた。例えば富士市立博物館建設時の過程も調べてみたし、上にあるように富士宮市民の気質にまで考えを及ばせてみた。やりすぎなくらい多角的に考えたように思う。

これまで様々な思考を巡らせ、そして途方もなく多くの史料・資料にあったように思う。そして導き出した博物館の姿が、以下である。

項目
名称「富士博物館」が基本と考えるが、少なくとも「郷土史博物館」でなければ良いという印象もある。名称の競合を防ぐため「Mt.FUJI ミュージアム」も良いと考える。
外観・内装『築山庭造伝』に図示される富士大宮司邸(茶庭・大書院)を模したものが望ましい。空間からデザインする必要性がある。建物自体が展示物であってほしい。博物館の「緑」を担う場所にもなる。
展示内容【外】(影響を及ぼしたもの)
富士宮市を舞台とする芸能を紹介する(「曽我物(能・幸若舞等)」)
富士宮市を舞台に含める物語・教科書を紹介する(『曽我物語』『富士野往来』『富士の人穴草子』等)
富士宮市を舞台とした絵画化例を紹介する(「曽我物語図屏風」「武者絵」「富士山登山絵図、特にかぐや姫との関連について("外"ではなく"内"であるがここに含めた)」)
関東の富士家(江戸幕府旗本)や井出家(江戸幕府旗本)を紹介する
【内】(内政)
富士宮市の領主「富士氏」を通史で紹介する
富士宮市の在地勢力「井出氏」を紹介する
大宮城について解説する
富士野を巡る事象について解説する
富士海苔について解説する
富士川との関わりについて説明する(「富士山木引」等)

上を成立させるには、まだまだ研究が足りない。例えば人穴は恐ろしい地であると広く認識され、それは『驢鞍橋』や『文武ニ道万石通』等からも垣間見える。そして仁田忠常の人穴探索を題材とした武者絵も多い。これらの系譜を追った論考も未だにない。勿論発端は『吾妻鏡』であるが、経時的に整理していく必要性がある。人穴は相当に知名度が高かったと考えられる。

そもそも「曽我物」を富士宮市の視点から論じたものがほぼ皆無であるように思う。何故だろうか。例えば能〈伏木曽我〉は完全な富士宮市が舞台の能作品である。そしてこの作品を復曲する活動があり、先日無事に上演された。こういう活動を富士宮市民が全く感知していないというのは、なんとなく寂しいものがある。こういうものを感知できる人間が、博物館についてどう考えるのかということに私は関心がある。



〈伏木曽我〉は(竹本2021;p.36)が「作風が他の曽我物と全く異なり、表現も洗練されている」と評しているように、完成度が高い。典型的な修羅能であるのにも関わらず、そこには「怨」がない。

『曽我物語』を一から解説するのは難しいが、〈伏木曽我〉に対応する『曽我物語』の箇所を引き合いに出して互いに解説することは十分に可能であり、そして分かりやすい。曽我の伝承は事細かに説明するのは難しいが、富士宮市を主体として表現する場合は『曽我物語』(特に真名本)〈伏木曽我〉『富士野往来』の三点を引用し、対応する箇所を比較して時系列で説明するのが一番良いように思える。博物館は表現方法に一番拘るべきである。

そもそも博物館法によると、博物館は以下のように定義されている。

この法律において「博物館」とは、歴史、芸術、民俗、産業、自然科学等に関する資料を収集し、保管(育成を含む。以下同じ。)し、展示して教育的配慮の下に一般公衆の利用に供し、その教養、調査研究、レクリエーション等に資するために必要な事業を行い、あわせてこれらの資料に関する調査研究をすることを目的とする機関(社会教育法による公民館及び図書館法(昭和二十五年法律第百十八号)による図書館を除く。)のうち、地方公共団体、一般社団法人若しくは一般財団法人、宗教法人又は政令で定めるその他の法人(独立行政法人(独立行政法人通則法(平成十一年法律第百三号)第二条第一項に規定する独立行政法人をいう。第二十九条において同じ。)を除く。)が設置するもので次章の規定による登録を受けたものをいう。

私はここにある文言で言えば「芸術」にも関心を寄せる必要性があると思うし、それ故に絵画化例を引き合いに出している。また富士海苔や富士山木引は「自然科学」の方面からも迫ることができよう。材料は常にそこにあるのである。

富士宮市の地域内の事象だけに囚われるのではなく、富士宮市を舞台とした芸能・作品にまで考えが及んだ博物館であれば、より人を巻き込むことができるのではないだろうかと考える。まずはロビー活動の徹底的な強化が求められる。

  • 参考文献
  1. 前田利久(1992)「戦国大名武田氏の富士大宮支配」『地方史静岡』第20号、地方史静岡刊行会
  2. 小口康仁(2020)「「曾我物語図屏風」の展開―富士巻狩・夜討図から富士巻狩図へ―」『國華 第1496号 第125編 第11冊』
  3. 竹本幹夫(2021)「『曽我物語』と曽我物の能」『能と狂言 19』、能楽学会
  4. 小井土守敏(2022)『曽我物語 流布本』、武蔵野書院
  5. 中澤克昭(2022)『狩猟と権力―日本中世における野生の価値―』、名古屋大学出版会

2023年6月22日木曜日

私が富士宮市郷土史博物館構想に賛成する条件

「博物館シリーズ」の最後の投稿となります。


【はじめに】

近年の富士宮市の取り組みを見ていると、従来のそれとは一線を画していることが分かる。一例を出せば、以下のようなものもそうである。

武将の家紋 何が出る? 富士宮市公認ガチャ「100パターン」 /静岡(毎日新聞 2023/6/15 地方版)
 富士山の世界文化遺産登録10周年と今夏の開山を記念して、富士宮市は、地元ゆかりの戦国武将の家紋をあしらったマグネット入りのカプセル玩具の販売を始めた。イオンモール富士宮に期間限定で自動販売機を設置した。
 市の名前にちなみ、「宮ガチャ」と名づけた。1個200円で、自販機にお金を入れてレバーを回すと全7種のうちどれかが出てくる。マグネットには、徳川家康や織田信長の他、今川、武田、北条、富士各氏いずれかの家紋か富士山がデザインされている。(抜粋)


実際にイオンモール富士宮へ行ってみた。


記事に「富士」とあるように、ガチャには富士氏も含まれている。富士氏の人物はゲームなどには登場する一方で(『戦国大戦』/『戦国IXA』/『信長の野望』等)、何故か富士宮市側からはアピールする試みがあまり無かった。ゲームに先を越されている印象すらあった。これからもっとアピールされていくことを期待したい。

ちなみにガチャの中の説明文(ここでは富士氏)はかなり誤っている。「古代から大宮浅間神社の神職「大宮司」を勤め」とあるが、古代に「大宮司」という神職があったかどうかは不明で、系図ではむしろ南北朝時代まで遡るのがやっとという感じです。

「守護大名の今川氏に従っていた」とする説明もかなり問題で、まず聞かれない解釈です。今川氏に従ったのは16世紀頃と言え、守護大名の頃はそのような関係性にないという見解が一般的です。その頃の富士氏は、あくまでも室町幕府に忠誠を誓う立場なのです。この部分については(佐藤1967;p.106)の見解に従いたい。

また以下のチラシも、関心を寄せるところである。



「富士山の玄関口」と各地で標榜する例が散見される中、正真正銘「富士山の玄関口」である富士宮市は何故言わないのだろうか…という疑問はずっとあった。しかしここにきてやっと、当たり前のことを当たり前に標榜する動きが見えてきた。良くも悪くも、他はもっと泥臭くやっているのである。

富士宮市のシティープロモーションは新章に入った…そんな感じすら覚える

私は単に自治体としての「富士宮市」として見た時、そもそも通常業務が淡々となされていれば問題はないと考える立場である。勿論応用的な動向があれば尚良いのは間違いないが、それを強要しようとは思わない。多くの市民は、自助努力で何とかすべきものすらも、市役所に強いているように私には映る。それによって他の業務に支障が出ているとするならば、被害を受けているのは何を隠そう他の市民だろう。であれば私は、市役所ではなくそれを強いた市民の方を咎める他あるまい。

市役所は万事屋では無い。そんな中で上で言うところの"応用的な動向"をしてくれるのは有り難い話であるし、評価されるべきであろう。視点を移して「博物館構想」を考えてみたいが、こうなると話は違ってくる。通常求められるものは当たり前に要求されるようになってくる。それなりのお金が動くことになるのだから、当然である。

しかし私がみるところ、現時点で歴史を巡る状況は全くもって疎かとしか言いようがない。従って、過去「博物館シリーズ」と言えるものを投稿したわけである。

「博物館シリーズ」の投稿においては、合計「883アクセス」を頂いた(6月12日現在)。


勿論、この数字は大きいものではない。そもそもこのブログは、メインブログ(過去運営していたブログで現在は削除)の1/10のアクセスも無いのである。


また個別記事のアクセス数でいっても、TOP3のものと比べると僅かである。これすらもメインブログ時代のTOP3と比べれば僅かなものと言えるのであるが、私は「富士山の短歌たち」という記事の3.25万よりこの883の方がずっと価値があると思っているし、実際数字の差以上に持つ意味があるだろう。

この構想について考える中で思うのは、博物館を作るにしてはそもそも歴史関連の課題が多すぎることである。にも関わらず、説明会の資料等を鑑みるに、ソフト面での問題が無いかのように振舞われているという違和感がある。

多くの問題の根幹にあるのは「土壌が出来ていない」という点にある。ダショー・ニシオカではないにせよ、圧倒的な時間的猶予の中でもっと土壌づくりをするべきだった。圧倒的な不足を感じる。そのような中で博物館構想を掲げているので、人に不安を抱かせている。

この記事では課題を以下の6つに分け、それぞれ考えていきたいと思う。


  1. 歴史コンテンツの非力さ
  2. 造語の整理
  3. 歴史コンテンツの改善
  4. 富士宮市の歴史を掘り起こす絶対量を増やす
  5. 知的財産権を守る
  6. 大衆に向けた取り組み

【解説】


  • 歴史コンテンツの非力さ


問題点として真っ先に挙げられるのが「歴史コンテンツの極端なまでの非力さ」である。富士宮市に関連する歴史キーワードを検索エンジンで検索しても、富士宮市のHPは一切出て来ないという、お馴染みの問題である。

殆どのキーワードでそのような状況であり、もう全く機能していないと言っても過言ではない(歴史分野で確認される現象です)。もしページが存在したとしても、それが上位でなければ、存在しないのと同じです。そもそも官公系のHPは優遇されていて、検索で上位に来るようになっており、出来レースくらいの相当なアドバンテージがあります。にも関わらず出てこないということは、相当深刻な致命的欠陥があるからに他ならない。

現在の大河ドラマは「どうする家康」であり主人公は徳川家康であるが、ここで家康に最も近接したと言える富士宮市の人物「井出正次」を例に検索してみましょう。



見て分かります通り、もちろん富士宮市HPが上位に出てくることはありません。むしろ三島市のHPが出てくるような状況です。正次は三島代官を務めていたので、三島市が取り上げてくれているんですよね。このように、しっかりページを用意していれば、確実に上位に表示されるようになっています。

その後は個人ブログなどが連なっており、「富士おさんぽ見聞録」さんといった富士地区の歴史を取り上げたブログも上位です。ちなみにこのブログは2014年より休止しています(とても良いブログですし、復活を期待しています)。その場合、通常は検索順位は相当落ちます。それでも上位ということは、アクセスが担保されているか、そのそも競合が少ないからでしょう。

有り体に言えば、本来「競合」となるべきはずの富士宮市HPが死に体なので、そもそも同じ土台に上がって来れないのでしょう。こういうものは、1つ1つのキーワードのレベルで考えなければなりません。つまり、富士宮市は井出正次を知ってもらおうという気が全く無いということになりますいくら御託を並べても、現代の人間は「検索」から入るので、この言い方が適切です

私はこれまで、富士宮市に関わる歴史キーワードを多く検索してきました。慣行になっているので、相当の時間を費やしたように思う。しかし富士宮市のHPが上位に出てきたという経験は、そうない。そして去年の大河ドラマは「鎌倉殿の13人」。では「曽我兄弟の仇討ち」で検索してみましょう。



そもそも曽我兄弟の仇討ちは富士宮市で起こったことなのですが、舞台の地に隣接する富士市のHPが一番上位です。官公のHPは優遇されているので、トップに行きやすいです。その他、UIも優れている小田原市のHP等が出てきますが、富士宮市のHPは相当に下らないと出てきません(最低最悪のUIです)。これも単純に、富士宮市が悪いのです。他の地方自治体が出来ていることなので、言い訳は出来ません。私はこのような現象を「非力」と言っているわけです。すべての用語で、このような調子です。

富士宮市の人物・出来事であっても存在感を消している富士宮市。全く笑えない状況が、一向に改善されないまま野放しにされています。15年くらい感覚が遅れているような感じがしますね。


  • 造語の整理


富士宮市郷土史博物館構想に賛成・反対か、本当の問題点を考える」で記したように、富士宮市のHPや刊行物でしか見かけないような造語が多く、第三者による精査が必要ではないかと考える。調べてみると、想像以上に深刻な状況であると感じています。

例えば富士宮市HPでよく見かける「首標」という言葉ですが、結論から言えば、そんな言葉は存在しない。あまりにも好き勝手な造語化は歴史学的にも推奨されるものではない。こういう部分も、おざなりなんですよね。

『岳南朝日新聞』の2018年10月24日付の記事に「歴史を軽んじてはならない」と題した投書が掲載されていた。内容としては、『富士・富士宮の昭和』(2018年8月)という刊行本に対するもので、時代比定があまりにもおざなりであるという指摘である。

実は私は、この本を10秒ほどめくったことがある。パラパラめくると、山部赤人の短歌が紹介されているページでとまった。そして直ぐさま、その和歌が誤りであることに気がついた。10秒でこれなのだから、しっかり見た人からすれば、相当な代物なのだろう。そしてその監修者は富士宮市文化財保護審議会委員であるという。




また「元富士大宮司館跡」という言葉も、笑止千万である。この場所は今現在から過去を辿ると「大宮城」であったわけであるので「富士大宮司館跡」では無い。ここに無理矢理「元」をつけたわけですが、あまりにも常識から外れた呼称である。日本語としてもおかしい。



この表紙を見て元富士大宮司館が大宮城を指すと考える人は居ないと思う。普通に捉えれば、元富士大宮司館跡というものが大宮城跡に関係するものなのだろうな、というくらいのものである。大タイトルとして大きく「A」とあって、サブタイトルで再び「Aに関わる埋蔵文化財発掘調在報告書」と言っているとは誰も思わないだろう。であるから、完全に失敗なのである。

いわば駿府城を「元今川館跡」と言っているのと同じで、その点を見ても馬鹿馬鹿しい呼称である(こちらも今川館跡であるのかははっきりしていない)。そんな風に呼称している人が居たら教えてほしいところである。

用語の一括整理をし、望ましくないものは修正すべきであると考える。


  • 歴史コンテンツの改善


富士宮市立郷土史博物館基本構想を独自に模索してみる」で記したように、「歩く博物館」の資料の酷さもさることながら、HPのUIは酷いを通り越して呆れるばかりである。一例として、富士宮市の代表的存在である富士山本宮浅間大社の紹介部分(「山本勘助ゆかりの地 -山本勘助とその時代-」より)を見ていきましょう。



このように、もう全く読ませる気がないのであって、その上で「関心を持ってもらいたい」みたいなことを述べても、説得力は皆無である。一例として、以下に小田原市HPを掲載してみます。



なんと美しいことでしょう。表化すべき箇所は表化され、文章は見やすく改行され、文字の大小も工夫され、文章もスマートであり、写真も綺麗である。富士宮市はこれらすべてが備わっていない。

私は小田原市のページを見て「行ってみたい!」と思い、実際に足を伸ばした。一方、富士宮市のHPでそそられたものは1つも無いように思う。こういったものを改定しようとする動きも、全く認められない。とてつもなく、意識が低いのでしょう。

また近年の歴史コンテンツは別として、従来の歴史叙述は内容が問題であり、修正が必要であろう。「歩く博物館」の説明文も疑問を感じるものが多い。個人的主観があまりにも強すぎる。



この「当時の富士宮市は今川氏の勢力範囲内でしたが、そこには武田氏の勢力も寺院に御本尊を奉納するというように、この地域は今川氏・武田氏・北条氏の勢力が拮抗する所であったといえます」の部分には戦慄を覚えた記憶がある。なぜ奉納という行為が勢力の拮抗という解釈につながるのか、甚だ疑問である。

(丸島2017;p.135)には以下のようにある。

信玄から今川氏担当取次に任じられた穴山信友も、今川氏との私的交友を維持していた。篆文16年(1547)、信友は戦乱(おそらく河東一乱)で行方不明になっていた太刀「浅間丸」を発見し、駿河富士大宮(富士山本宮浅間神社。静岡県富士宮市)に奉納し直したが、その際、義元の副状が付されているのである。義元も穴山信友との関係を重視し、駿河山西(志太郡・益頭郡)の岡田(静岡県藤枝市)を与えている。

やはり奉納=勢力下という見方はかなり危ういと思える。それを置いても勢力は全く拮抗していないのである。このような酷い記述が罷り通っているので、相当の箇所で修正が必要であることは間違いない。


  • 富士宮市の歴史を掘り起こす絶対量を増やす


私は様々な場面で「富士宮市は何故〇〇の歴史を取り上げないのだろうか」と疑問に感じることが多く、それは枚挙に暇がない程である。郷土資料館の展示会の傾向も、相当に偏っている(近年は異常な状況から少し是正されている)。それらについて、通常とは少し異なる角度から迫りたいと思う。

論文・論考を作成するにあたり第三者より意見・見解を伺ったりした場合、末尾等に「謝辞」という形で感謝を示した上で発表されることが多い。マナーとして行われるものである。

私は過去の記事で、富士信章と荷田春満による富士登山の際の記録に「室・石室」が頻出することを述べた。その中で、石室・山小屋についての研究報告を多く行っている奥矢・大場氏による論考類を参考文献として挙げた。と同時に、それなりの数に上る奥矢・大場氏による論考類に上のような事例が全く登場していないことに違和感を覚えた。これほど良質な材料であるのにも関わらずである。

(奥矢・大場 2019)によると、謝辞から「富士宮市埋蔵文化センター」が調査に協力したことが窺い知れ、普通の感覚であれば一応当人たちに伝えられるはずである。無論、あくまで建築学的見地から迫ろうとしている奥矢・大場氏が論考の中であえて記していないという可能性もある。それならば、何ら問題はないだろう。

しかし私はここで別の可能性を考える。それは富士宮市埋蔵文化センターから「そもそも伝えられていないのではないか」という可能性である。もっといえば「把握していない」という可能性もあるが、その場合はよく分からない。富士信章は富士氏で、富士宮市の歴史のど真ん中と言うべき部分であり、言ってみれば"富士宮市からすれば得意中の得意分野"である。その上で富士山も関係する事柄なので"把握していない"という状況自体が考えられない。

しかし普段のそれを見ている限り、それはあり得るかもしれない。その場合は単純に「富士宮市の歴史を掘り起こす絶対量を増やすべき」ではないかと思うのである。これまで幾度となく意見を伺いたいという依頼は埋文等にあったと思われるが、それらすべての質について疑義が生じる事態である。と同時に、富士宮市の媒体においても同じことが言える。


  • 知的財産権を守る


「富士宮市郷土史博物館構想に賛成・反対か、本当の問題点を考える」で記したように、「富士海苔」等を例として富士宮市の知的財産権は侵されている(富士宮市に帰属すると思われるもの)。パフォーマンスだけでなく、実際の行動をして頂きたいと思うところである。

しっかりリストを作成するなどし、まずは把握するところから始めなければならない。まだ始まってすらいないという自覚を持たなければならない。

そもそも富士海苔が採れなくなったのは、水力発電所の建設が原因と各所で指摘されている。例えば(八木2012p.72-73)には以下のようにある。


ところが芝川の豊富な水量と落差を利用して、関東電力会社の水力発電所が13ヵ所も建設されて水量が減ってしまい、残念ながら芝川海苔の採取はできない状態にある。ただ、遠藤さんによると、芝川の支流半野川では今でも採れる場所があるらしい。


しかしどうだろう。現在の富士宮市の施策を見ると無制限に水力発電所を推進しているようにしか見えない。そもそもであるが、富士海苔を守ろうとしているようには思われないのである。

水力発電所建設が行政のお墨付きを得たことで「コモンズの悲劇」に近い状況を産んでおり、この点も考えなければならないだろう。


  • もっと大衆的であっていい


「歴史」という分野・コンテンツに招待したいとき、果たして展示会や刊行物だけでそれが成せるだろうか。否、だろう。以下に、富士宮市の公式Twitterのあるツイートを見ていきたい。


ここで驚くべきは、その反応の大きさである。これは巷のインフルエンサーですらなかなか達しないようなリツイート数で、世界的インフルエンサーでしかなし得ないレベルの反応である。イーロン・マスクとか、そのレベルである。

ここから富士宮市について知った人も多いであろうし、一部ではネットニュースにもなったようである。富士宮市も、こういうことが出来るのである。歴史の分野においても、もう少し大衆に向けた取り組みが必要ではないかと考える(SNSをやることを勧めているわけではありません)。

ちなみに「ふじのみや名将回顧録」「どうなる、富士宮?-戦国時代の富士宮探訪-」といった冊子の刊行・宣伝は大衆に向けた良い取り組みと言える。上でも近年の取り組みを挙げたが、以前より風通しが良くなったことは間違いない。詰まる所、従来があまりにも酷かったのである。


ちなみにですが、ペラペラ見た感じでは内容は誤った箇所も多いです。

「富士の巻狩」(建久4年(1193)・源頼朝) →曽我兄弟の仇討ちが発生 「富士の狩倉」(建仁3年(1203)・源頼家) →人穴探索

もう少し、吟味してから作成した方が良さそうです。また「名称」についても留意すべきである。

「富士山」商標権活用を 富士宮市、取得管理を支援(静岡新聞Web版2013/8/15)
ただ、富士山関連の商標は既に多くが登録されている。工業所有権情報・研修館(東京都)が提供する特許電子図書館の統計によると、「富士」「富士山」と銘打った商標は出願中を含めて160件に上る(7月18日現在)。市商工振興課の担当者は「富士山の地元でできるだけ商標を取り、活用するのが理想的。高まる需要に応えていきたい」と知財戦略のてこ入れを図る。(抜粋)


「富士」という言葉にネームバリューがあるのであれば、名称は「富士博物館」でも全く問題ないと考える。そもそも富士宮市の歴史を取り扱う博物館であれば、以下のうちいくつかは押さえたいところである。


  • 富士金山(「麓金山」と呼び習わされることも)
  • 富士氏(富士上方の領主)
  • 富士城(大宮城の別名)
  • 富士野(曽我兄弟の仇討ち舞台の地)
  • 富士海苔(芝川海苔とも)
  • 富士川(富士宮市も流域とする河川)

富士宮市の歴史は、基本的には上に属するものであると考える。富士の巻狩は「富士野」であるし、富士大宮楽市令は「富士氏」である。なので「条件」として、博物館の名称は「富士博物館」や「〇〇富士博物館」とすべきと考える。「富士宮市立郷土史博物館」などという名称は、論外である。

  • おわりに


今現在携わっている方々だけで構成されたら、失敗する蓋然性は高い。「歴史」と銘打った大プロジェクトで「失敗」したら、以降はチャンスを与えられないかもしれない。であれば、今回の動向次第ではむしろ後世の可能性をも大きく狭めてしまうかもしれないのである。

"あれがあったから、もうこれ系のプロジェクトは出来ないんだよ"…という事例は全国で数多聞く。「人」が評価するのだから「人」が来なければ意味がないのに、「人」が集まりそうな取り組みが期待できない。これではどうしようも無い。私は、後世の可能性をも狭める潜在性に対し危惧する一個人である。

タイトルに対する答えは以下の7つであり、具体策を添えてみた。

項目具体的な取り組み
歴史コンテンツ上位表示化あまりにも状況が酷いため多くは望まないが、せめて代表的用語は少なくとも1ページ目に表示されるようにする
受容されると問題があると言える歴史叙述の改善すべての歴史コンテンツの文章を再読し、検分・検証する
不合理で荒唐な造語の廃止「首標」等の文言を廃止
読む側の努力が強いられることのない普通レベル以上のUI化設計を見直し、一般社会で許される範囲に落とし込む
知的財産権を守る代表格として「富士海苔」から始め、順次他に着手
大衆に向けた取り組み富士宮市の役所慣行から少し抜けた取り組み
名称問題を等閑視しない「富士」を入れる

この少ない要求すべてが確認されたとき、支持したいと考える。博物館構想に対して中立を保っている方々も、これらが概ね確認されたときは賛成に相応しい状況であると思われるので、是非スタンスを変えて頂きたいと思う。逆にそうでなければ、反対で良いと思います。

  • 参考文献
  1. 奥矢・大場 (2019)「近世富士山における山小屋建築の諸相と山岳景観」『日本建築学会計画系論文集』84巻
  2. 佐藤進一(1967)『室町幕府守護制度の研究 上』, 東京大学出版会
  3. 八木洋光(2012)「湧水の恵み」『湧水 : 富士山に消える24億トンの水の行方』(しずおかの文化新書),静岡県文化財団
  4. 丸島和洋(2017)「【武田・北条氏と今川氏】今川氏の栄枯盛衰と連動した「甲駿相三国同盟」」『今川氏研究の最前線 ここまでわかった東海の「大大名」の実像 』,洋泉社歴史新書y

2023年5月7日日曜日

富士宮市郷土史博物館構想に賛成・反対か、本当の問題点を考える

この記事にて「富士宮市郷土史博物館構想」に対する、私のスタンスを述べておこうと思います。私はそもそも構想を把握した当初より、以下のように考えていました。

例えば富士宮市による新富士駅建設費負担(約5億円)のような例とは異なり「①富士宮市に所在する」「②市の文化財を保護することができる」という面は担保されているので、強く反対する立場を積極的に取る必要はない。

あえて「構想を把握した当初より」を太字にさせて頂きましたが、この時期そのものも人によって大きく差異があると思います。そして遅かった側の人々が"私は遅かった!"と述べる例が散見されます。それに対しては、以下のように思います。

それは遅かった側にも間違いなく問題がある

「私は遅かったんだ!」と胸を張って言うことは、褒められたことではありません。平たくいえば「情報を得る能力が人より非力」というだけの話なのですから。2022年6月から7月にかけて地域説明会が数多くの会場で行われており、少なくともそれを把握していた人々より数段ないし数十段認識が遅いことになります。その遅れに対し、胸を張ってもしょうがないわけです。

その地域説明会の質問も、レベルの低さに驚きを禁じえないところであり、賛成・反対以前に異なる性質の危惧が芽生えた程です。以下は、そのほんの一例です。




こんな感じがデフォルトです。こんなもの「廃校が決定していると勘違いしていました、すみません」で済む話なのですが、素直に言えないだけでなく、更に恥の上塗りをしている。みっともない事この上ない。




会話が成り立ちません。




まず人として身につけなければならないものがあると感じます。




ちなみに富士山世界遺産センターも「公園をつぶして整備」したものですが、私は見事な計画であったと思っています。




「あなたはそうかもしれませんが…」としか言いようがないですよね。




上の方もそうなのですが、何故そんなに廃校させたいのかが分からない。この説明会には廃校活動家みたいな人たちが沢山来ています。こんな偏屈な意見が偶然に重なるのは妙であるので、廃校活動家の集まりが存在し、この説明会の場に一堂に会しているのでしょう。

そもそも「賛成」であろうが「反対」であろうが自由なのですが、質問レベルが低いのはまた違った問題となってきます。このように正直"(情報を)把握していようがいまいが、どちらにせよ生産性はない"と感じさせられています。このくらいレベルが酷いと、意見を集約させるにしても、デルファイ法くらいでないと意味がない。

なかなか難しい議題であるので、私の方からは以下の4つの観点からこの構造を紐解いていきたいと思います。

  1. 市民の気質面の問題点
  2. 富士宮市の歴史知見の問題
  3. 「歴史」をめぐる環境の問題点
  4. 行政側の問題点

その上で皆様と、この構想について考えていきたいというのが、私の提案です。

  • 市民の気質面の問題点

まず挙げられるのが「市民の問題点」です。間違いなく、これが1番上に来ると思います。富士宮市民は他の自治体の市民と比べると"客観的に物事を見る能力が劣る"部分があると思います。これは定量化するのが難しいですが、そう言える材料もあります。



平成21年5月11日に発足した「富士山ネットワーク会議」により、加盟する4市1町(富士宮市、富士市、御殿場市、裾野市、小山町)の住民を対象に2011年に"同様の"アンケートが取られました。概要は、以下の通りです。




すべて同項目のアンケートであり、配布数も人口に応じていることから、各住民の性質を知るのに極めて有用であると言うことができます。偏りのない、平等なアンケートというわけです。

例えば、富士宮市と富士市は生活圏が一致していると言われていますが、アンケート上でもそれが如実に現れています。




富士宮市が「富士市」で30.5%、富士市が「富士宮市」で25.7%ですから、正にそのように言えるでしょう(このグラフ、色が間違っています。また富士宮市で「山中湖村」が多い点も疑義がある)。

このように、実情が現れてくるアンケートなのです。そこから富士宮市民の気質に迫っていきたいと思います。では、それらを見ていきましょう。




富士宮市の「知っている」の割合は2番目に多いです。そして次が注目です。




「大いに関心」と「少し関心」が多いため、"富士宮市民は関心のある人が多い"ということが分かります。そして次も注目です。




明らかに富士宮市が突出しています。そして以下に、富士宮市民の気質が現れているような気がします。





「市町が連携する必要はない」が突出して多く、また「あまり広いエリアでの連携ではなく…」も多いため、まとめると


「期待する」とする富士宮市民が多い一方で、そうではない人は「他の市町と連携したくない」という意思が他市より根強い


このように思っていることがわかります。必ずしも悪いことではありませんが、なんとなく「生産性の無さ」が、うっすら垣間見える気がします。確かに、諸手を挙げて無条件に連携することが必ずしも良いとは限りません。例えば先の新富士駅の例で言えば、5億円をプレゼントするにしても"在来線と接続されるという確からしい状況に限り"と念を入れる必要もあったことでしょう。また接続されないという顛末を知った場合、資金のプレゼントはしないかもしれません。

しかしあくまでも今回の調査からは、少数派の反グローバリズムの濃度が濃いと言えると思います。




このグラフで特徴的なのは「(近隣市町と生活上において)ほとんど関わりがない」の数値が低いことです(→関わりがあると思っている人が多い)。「病院や介護施設に通っている」の項目が多いことから、住民サービスやインフラが%に反映されていることが分かります。

一番上のアンケートから考察するに、富士市の病院や介護施設等に通っていると推察されます。また以下も富士宮市民の独特さを表していると言えます。




全国的に見ても特段財政が悪くない富士宮市ですが、何故か財政不安を感じていることが分かります。これは「新富士宮市史編纂事業の意義と古史料の提供呼びかけ」でも記しているので、是非ご参照下さい(※下部で財政について追記しました)。





これも「大いに関心がある」「関心がある」とする割合が多いです。例に漏れず、富士宮市民の変わりっぷりを表しているように思います。




恐らく、地域アイデンティティーがないのでしょうね。勿論全く違った観点からも語ることはできると思いますが、要はそういうことだと思います。





「富士宮市民だけアンケート結果、違うよね」ということが如実にあらわれています。ここまで来ると、本当に不思議です。




これは相当独特ですね。またこの結果から、以下からの質問は基本的に富士市を念頭に答えているということになります。





「財政状況が良いから」の%が大きいです。これはかなりおかしな現象です。そもそも富士市は、裾野市等と比較すると、特段財政状況が良いわけではありません。もし財政状況で考えるなら、合併相手の市町は「裾野市」が選択肢になってくるのです。しかし裾野市の割合が少なかったということは、かなりの割合の富士宮市民が勘違いしているということになります(問19)。つまりここから分かるのは

富士宮市民の知識不足さ、イメージ先行型である

これが見えてくるわけです。また「親近感がある」・「イメージが良い」・「歴史や文化でつながりが深い」が有意に低いことが分かります。ここから、以下のようにも言えると思います。


生活圏は一致しているが、歴史・文化は同一ではないという意識。また親近感があるわけでもない


これって、なかなか凄いことだと思いませんか?まとめると、以下のように言えてしまいます。

親近感や良いイメージがあるというわけではないけれども財政状況に重きを置きたい気持ちが強いため距離を縮めたいが、どうやらそれすらも見当違いである

こういうことになりはしませんか?なんだか寂しい気持ちになるのは、私だけでしょうか。どう転がっても、良い結末にはならない。



これも知識不足から来るような感じがしますよね。基本的には「富士宮市」と「小山町」がちょっと特殊な傾向はあります。それでも「問18」を見てわかるように、特に一致しないのは「富士宮市」ですね。まぁ一致すれば良いというものでもありませんが。

また横の説明も少しおかしいです。"富士宮市で「市長の名前が」…(中略)が他の市町より高い"とありますが、御殿場市のほうが17.3%で高いので、一体何処を見ているのやら…と思います。



でも富士山には親近感がありそうなんですよね。富士山ネットワーク会議のアンケートから導き出された富士宮市民の気質は、以下のようにまとめられます。

  1. 富士山に関わる物事・事象へのアンテナはある
  2. 「連携を必要とする物事」に賛同しない層の意見のアクが強め(少数派の反グローバリズム的志向が強い)
  3. 地域アイデンティティーが無い(と推察される)
  4. 知識不足・イメージ先行型
  5. 「生活圏の一致」と「文化・歴史」の棲み分けがはっきりしていることから、意識の境界線が明確である(サバサバしている?)
  6. 文化人類学な意味での「文化」の軽視傾向
  7. 財政状況がとてつもなく悪いと思っている

これを博物館構想と結びつけた時、"かなり相性が悪そうだ"と言うことは許される範囲でしょう。ただこれは市民の知識不足が主要因であると思われるため、当然是正すべきは市民の方でしょう。富士宮市民は「ネガティブな方にベクトルを持っていく天才」と言えそうです。私個人としては、その種の人々と積極的に関わりたいとは思いません。

富士宮市が本当に博物館を作りたいのであれば、実はこちらの方面からアプローチをする方がよっぽど早い。博物館の必要性を語るのではなくて(それも必要であるが)、市民個人の立ち位置を気づかせてあげる必要性がある。

つまり「①財政状況は特段悪くない」「②(あなたの)地域史の知識はかなり限られたものである」ということを直接的ないし暗に伝える必要性がある。10年、20年、30年、40年、50年、60年住んでいようが、自分から物事を調べない人は全く知見が深化していかない。増えるのは"驕り"だけである。なのでそもそも廃校予定かどうかも調べず廃校予定前提で質問するのであり、有り難い情報を得ても驕りから素直に受け入れられないのである。

ちなみにであるが、財政状況については『岳南朝日新聞』が毎年4月に特集を組むことが多く、紙面で「財政状況は特段悪くない」という帰結を示している。また富士宮市の広報でも特集が組まれていることがあり、やはりそれらは示されている。つまり、自分で物事を調べられない上にそれらもスルーし、その上で事実と異なる考えを持っているということになる。事実に辿り着く力が致命的なまでに欠如しているのであろう

  • 富士宮市民の歴史知見の問題

まず、昨年催された「全国高校生歴史フォーラム」の応募タイトル一覧を見てみましょう。



ここに「富士氏による富士宮地域の支配とその性質の変化~富士山本宮浅間大社大宮司・富士氏の盛衰に着目して~」という研究があります。これは静岡県立富岳館高等学校によるものです。富士宮市で「歴史」と言えば、やはり富士氏が想起されると思います。

ここで一旦立ち止まって考えてみましょう。もしあなたが、高校生の研究の対象にもなった「富士氏」を知らなかったとします。その場合、あなたはお世辞にも"地域のことを分かっている"と言える位置づけにはありません

勿論、歴史に対する知見がなければ博物館構想に対する意見を述べてはいけないというわけではありません。むしろ、全く問題ないでしょう。しかし仮に相応の年数住んできて富士氏という存在自体を知らないとなると、何か抜けているといいますか、物事や知見を吸収する中で多様性は無さそうだと言っても過言ではないと思うのです。であればそのような層からの意見は如何ほどのものであろうか、と思わざるを得ないわけです。私はそんなに立派なものであるとは思えません。むしろそのような人々こそ、博物館等から知見を吸収する意義があるとさえ思えます。

「歴史」という言葉を聞いて、堅く構える必要性は全くないでしょう。あなたの日常生活や地域の何気ない文化から考えても良いのです。


例えばこれは富士市のHPから取得したものですが、本文にあるように落花生をゆでて食べるのは本当に富士市だけでしょうか?あなたの家庭や親戚の食文化を考えてみましょう。

何気ないことですが、もうあなたは「文化に対する考察」をしたことになりはしませんでしょうか?実際なっていると思いますし、本当に小さいところから考えてもよいと思うのです。

  • 「歴史」をめぐる環境の問題点

郷土史博物館構想地域説明会の質疑応答に対する意見、西・柚野公民館編」で詳細を記したように、過去に山梨県側の学芸員により富士宮市の歴史が不当に低く評価される風潮がありました。無論こんなことは、一般市民が知るところではないでしょう。しかしここで重要なことは、"人員・研究の有無は人々が思う以上に多くの影響をもたらす"ということです。

単純に媒体等で研究報告をするためには、「材料および人員」が必要となります。その「材料」と「人員」は、勝手に湧き出てくるものではありません。これを成立させるためには、少なくとも以下の環境が必要となります。

  1. 材料:歴史史料の保存・収集・活用の体制
  2. 人員:学芸員の雇用
  3. 場所:研究するための物理的な場所

これらが富士宮市は整っていないため研究がかなり遅れていたという事実があり、県外の博物館の企画展等の報告や外部の研究者の研究報告等でなんとか賄われてきたというのが実際のところです。富士宮市の内側からの成果は、特に富士山に関しては、限られたものであったと評価するしか無いと思います。なので「好き勝手言われる状況を許していた」とも言えるわけです。

富士山が世界文化遺産に登録されてから10年が経過しようというところですが、波及効果として構成資産に多くの観光客が来訪しています。この構成資産の選定ですが、以下のように言うことができます。


構成資産は、確実に研究の有無に左右されている


これは間違いないと思われ、また正常なメカニズムとも言えると思うのですが、その証左として


富士市には単独の構成資産がない


という事実が挙げられます。そもそも富士市は、構成資産になり得る資産自体があまりありません。そして、富士山に関わる研究も進んでいませんでした。それを富士市も重々承知していて、世界文化遺産登録運動の最中に研究を加速させましたが、構成資産選定には漕ぎ着けませんでした。私には"これ以上は難しいだろう"というレベルで研究を加速させているように見えましたが、やはりそれでも手が届かない。そういう世界なのです。

ですから、富士宮市は危なかったのです。外部の研究がなければ、構成資産もかなり制限されていたことは言うまでもありません。例えば「白糸の滝」も、実際のところは"指定されて当たり前"ではないのです。この辺りを市民は全く誤解していると思います。

白糸の滝には、富士講碑が存在しています。そしてそれを描いた近世の絵図も残っており、それを指摘したのは外部の博物館です。その企画展の図録を拝見したとき、私は感動した。こういう蓄積があって歴史的な価値が認められていくのであり、それが世界文化遺産富士山の構成資産たる故であると言えるのです。白糸の滝に富士講碑がなく、また巡礼地としての側面も見出だせていなかったら、構成資産ではなかったでしょう。

逆にいえば、研究が豊富であれば、構成資産は更に指定されていた公算が大きい

そして構成資産指定の有無は観光客数にも雲泥の差が出てくるので、こういった地道な研究は最終的に「富士宮市の経済」にも貢献したと言うことができる訳です。しかもこの傾向は永年続くため、とてつもない貢献をしたことになります。そればかりか、TV等のマスメディアへの露出にも大きく影響しており、これは研究の賜物といって相違無い。富士宮市民は、この部分に対する意識・評価が相当に低い。"歴史学"を正しく評価できていないと思います。

また以下は国土交通省HPにある資料ですが(富士山観光交流ビューロー作成)、富士宮市の構成資産の存在によって、富士市も恩恵を受けていると言えると思います。



一部抜粋します。


"その新富士駅も我々は約5億円も負担しているんですけどね…"と言いたい所ではありますが、富士市の「富士山観光交流ビューロー」としてはこういう考え方のようです。

博物館の存在は、研究体制の確立も意味します。間違いなく、促進させることになると思います。勿論すべての人が歴史を嗜む必要性はないですが、関心が無いとはいえ、これらの可能性すらも率先して断つ必要性は特段無いと考えます。もっと分かりやすく換言すれば


経済・観光への貢献、アイデンティティー形成の芽を潰さないでほしい


という言い方も出来ると思います。そもそも富士宮市の優位点を見出そうとする活動に対し、富士宮市民側が否応無しに制限しようとするのは、寂しいものがあります。単純に寂しい話だと思いますし、寂しい人だと思います。研究は、一般に思われるより多くの分野に影響・波及するのです。

  • 行政側の問題点

行政側の問題点も見過ごすことは出来ないでしょう。行政側の問題点は


アイデンティティーを形成する試みの無さ、歴史コンテンツの非力さ


まさに此処にあると、私は考えます。富士宮市教育委員会の方針を見れば、自ずからその姿勢も見えてくるというものです。大宮城も、表立ってアピールする試みはないです。富士宮市のこれまでの歴史の中で、行政側から「大宮城」というワードが出された絶対量が圧倒的に少ない。本当に近年になってからです。そりゃ、市民も殆どの人が知らないわけですよね。

他に一例を挙げれば、富士宮市の歴史的特産物である「富士海苔」もそうです。




辞典にも掲載される我が市に関する固有名詞が勝手に法人名にされてしまっていることに、行政や市民は何も感じないのであろうか?または手を打たないのか?

行政側にそもそも市の財産を守ろうという姿勢が見えないし、それではアイデンティティーを生む体制があるようにも思われない。これでは、市民(私)も協力しようという気持ちにはなれない。過去にこんな記事がありました。

「富士山」商標権活用を 富士宮市、取得管理を支援(静岡新聞Web版2013/8/15)
ただ、富士山関連の商標は既に多くが登録されている。工業所有権情報・研修館(東京都)が提供する特許電子図書館の統計によると、「富士」「富士山」と銘打った商標は出願中を含めて160件に上る(7月18日現在)。市商工振興課の担当者は「富士山の地元でできるだけ商標を取り、活用するのが理想的。高まる需要に応えていきたい」と知財戦略のてこ入れを図る。(抜粋)


…結論から言えば、全く動けていない。また「富士海苔の歴史」で記したように、民間が法人名や屋号を定める際に既存の固有名詞であるのかは一応の考慮がなされると思われるが、富士宮市が他が存在に気づく余地さえも提供できていないという問題がある。

そもそも富士海苔と検索しても、行政側のそれは一切出て来ません。他のあらゆる歴史キーワードにおいても、殆どそんな感じです。「富士氏」とか「富士金山」と検索しても、富士宮市のHPが出てくるということはまず無いです。コンテンツの「質」と「量」が酷すぎます(近年のものは除く)。

UIも見るに堪えない程で、全く見せる気がありません。内容に関しても、近年以外のものは基本的に眉唾ものです。また富士宮市のHPや刊行物でしか見かけないような用語も多く、かなり精査が必要であると感じています。例えば「首標」という言葉が用いられていますが、これも不思議な言葉のように思う。「元富士大宮司館跡」等もそうです。そういうところも抜本的見直しが必要であると感じています。

そもそも富士山ネットワーク会議のアンケートより、市民の中に富士山に対するアンテナが確かにあることが知られるのだから、行政側のアプローチが不足していると言える。

富士宮市議会議員もただ反対するのではなく、これらに類することを是正するなり、何か生産性のある提案でもしてみたらどうだろうか。

これらを総括して有り体に言えば「歴史に興味を持ってもらうための工夫が認められない」と言えます。近年はかなり変わってきていますが、従来のそれがあまりにも酷すぎました。ちなみに「工夫が認められない」の対象には、市議会議員も含まれます。

歴史に興味を持ってもらうための工夫こそ限られたものではありましたが、文化課もしっかり動いてはいます。例えば1993年時点で既に村山口登山道の調査報告書を出しています(このような報告書は定期的に刊行されています)。私も手に取って読みました。

富士山世界文化遺産協議会「富士山-信仰の対象と芸術の源泉ヴィジョン・各種戦略」という資料に、2014年時点における各登山道の調査報告書の発行状況が一覧化されている。


ここから、1993年時点で学術的調査を行っている村山口はむしろ先進的であると言える。



TV等で「近年村山の登山道が発見された!」との言い回しで伝えられることがありますが、全くの事実無根です。文化課は確かに動いていて、当時より村山口登山道がしっかり認識されていたという事実は、全く揺らぐものではないと思います

この事実は富士宮市の歴史年表に「50周年記念事業として村山口登山道の調査を行った」として明記されるべきだと思います。こういう所からもどんどん歴史は改変され得るのです。「歴史」はあらゆる角度から常に脅かされています。上で挙げた「ゆで落花生」もそうです。であれば、それを是正する存在として博物館は有効であることは間違いないと思います。


---追記---

以下では財政分析を記していこうと思います。「富士山ネットワーク会議」に加盟する4市1町の、アンケート年度(H23年度)を含む5年分の各指標について記します。「財政力指数」「実質収支比率」「経常収支比率」「財政健全化比率(実質赤字比率・ 連結実質赤字比率・実質公債費比率・ 将来負担比率」を記します。

<財政健全化比率>

これらの項目は財政規模の余裕を表すものではなく、健全性を示すものとなります。

自治体(実質赤字比率)H19年度H20年度H21年度H22年度H23年度
富士宮市12.2612.2612.0812.0512.04
富士市11.2511.2511.2511.2611.26
御殿場市12.5712.5412.5712.6312.62
裾野市12.7512.7212.8813.1913.22
小山町14.6114.7314.8514.8014.83

財政再生基準は20.00です。小山町の数値は少し悪いですが、基準から考えれば全く問題ありません。他は類似していると言えます。

H19年に夕張市が財政破綻した際の実質赤字比率は「730.71」(H19)でした。

自治体(連結実質赤字比率)H19年度H20年度H21年度H22年度H23年度
富士宮市17.26 17.2617.0817.0517.04
富士市16.2516.2516.2516.2616.26
御殿場市17.5717.5417.5717.6317.62
裾野市17.7517.7217.8818.1918.22
小山町19.6119.7319.8519.8019.83

財政再生基準は30.00です。小山町の数値は少し悪いですが、基準から考えれば全く問題ありません。他は類似していると言えます。

H19年に夕張市が財政破綻した際の連結実質赤字比率は「739.45」(H19)でした。

自治体(実質公債費比率)H19年度H20年度H21年度H22年度H23年度
富士宮市15.915.313.512.211.0
富士市9.78.67.97.46.5
御殿場市10.810.410.210.611.7
裾野市8.37.77.99.19.8
小山町14.214.414.614.513.9

早期健全化基準は25.0です。H19年に夕張市が財政破綻した際の実質公債費比率は「39.6」(H19)でした。

自治体(将来負担比率)H19年度H20年度H21年度H22年度H23年度
富士宮市128.7100.192.166.754.9
富士市46.849.652.451.950.8
御殿場市107.993.387.894.3100.3
裾野市15.79.2負または01.912.8
小山町94.894.6105.0110.5113.7

早期健全化基準は350.0です。H19年に夕張市が財政破綻した際の将来負担比率は「1237.6」(H19)でした。裾野市の数値がとてつもなく良好であると言えます。

これらの結果から、総合的に裾野市が極めて優秀であると言えます。財政健全化比率でみた場合、裾野市に軍配が上がると思います。

この結果から富士宮市の財政は健全であることが分かり、「財政がとてつもなく悪い」と思っている人はそもそも誤認であるということが分かります

<財政比較分析表等>

以下の項目らは財政の"体力"や"柔軟性"を示す指標となってきます。

自治体(財政力指数)H19年度H20年度H21年度H22年度H23年度
富士宮市0.960.980.950.930.91
富士市1.171.151.151.091.05
御殿場市1.141.161.151.091.02
裾野市1.541.601.531.331.13
小山町1.111.121.081.020.97

この「財政力指数」こそ、一般で言うところの"財政が良い"の指標となります。一見して分かるように、裾野市が抜きん出ています。私が調べたところによりますと、富士宮市はH2年度、H4年度、H5年度に1.0を超えています(1.0を超えると地方交付税不交付団体=財政優良団体です)。

小山町は少なくとも1975年度(S50年)から2005年度(H17年度)にかけて不交付団体になったことが1度も無いのですが、上の表では超えてきているため、財政は改善傾向にあると言えると思います。各数値は3ヵ年の平均値が決定値であるため、本当にこの辺りで財政が改善してきているのでしょう。

自治体(実質収支比率)H19年度H20年度H21年度H22年度H23年度
富士宮市6.07.510.88.66.9
富士市5.45.35.25.85.6
御殿場市7.48.55.44.43.7
裾野市5.910.611.98.38.7
小山町3.82.12.41.61.4

小山町の実質収支の割合は低いということになり、場合によっては少し危惧されます。他は振り幅としては認められる範囲でしょう。

自治体(経常収支比率)H19年度H20年度H21年度H22年度H23年度
富士宮市89.488.788.085.284.4
富士市75.777.477.178.677.1
御殿場市77.777.679.881.782.8
裾野市67.568.579.088.690.7
小山町78.681.583.379.879.2

比較的差異がないという印象です。

これらを調べてみると、一体どの部分をもって「財政が悪い」としているのかが全く分かりません。むしろ、全国的に見れば各自治体ともに優良団体であるとさえ言えると思います。そもそも富士市と富士宮市でそれほど差異があるようにも思われない。全国の多くの自治体が、この数値を羨むでしょう。

また総合的に見れば"裾野市の財政状況が良い"と言えるわけであるので、やはり富士宮市民は勘違いしているということになります。もはや、同じ空間を同じ時間軸で生きているようには思われない。「何と戦っているのか…」と、不思議にすら思うものです。

---追記終わり

  • おわりに

このように富士宮市の「歴史」は、あらゆる角度で何らかの"望ましくない事態"に晒されてきました。現在進行系でもそうです。これが現実です。

私としては「この状態をなんとしても是正しない」という活動や考えは生産性が無いと感じていますし、図らずともこの状態を支持するような状況の人が居たら、それはそれで不幸だとも思います。むしろエネルギーを「望ましい状態」に寄与する方向に使ったら、何かしらの成果物は出てくるでしょう。博物館構想は、その一手ないし起爆剤にはなると思います。

そして私の現在の立場としては「条件次第で賛成」です。このブログを始めたきっかけでもありますが、富士宮市民が歴史に興味を持ってくれるようになれば、これ程嬉しいことはないです。富士宮市が持つ他市にない強みは「歴史(の逸話の多さ)」です。これは間違いないです。それを忘れないで下さい。