2026年6月29日月曜日

富士市がえんとつ町となるまでの軌跡、加島五千石からの大転換

本稿では富士市、正確に言えば「富士町」が「えんとつ町」になるまでの一側面を見ていきたいと思う。

旧富士町が"製紙のまち"となる過程について論じた論稿は様々存在しているが、農業の視点から見たものについては(関1958)に詳しい。以下、主に同文献を引用する形で話を進めていきたいと思う。まず、冒頭には以下のようにある(関1958;p.17-18)。


調査部落Mは国鉄富士駅より徒歩20分の北方に位置する。富士市には本州製紙・大昭和製紙・大興製紙の各工場はじめ大きな工場があって、(中略)駿河湾にそそぐ富士川、潤井川による沖積土からなる富士市一帯は古くは加島五千石の中心をなしていたところである。 
明治42年東海道線富士駅の開通、これに先だつ富士製紙工場(現本州製紙富士工場)の誘致成功などが商工都市へのスタートになるまでは平凡な農村であった。(中略) 
調査部落Mは幕藩時代から明治初期にかけてはこの辺の中心であったものが、富士駅を中心にした部分が市街地として発展してしまったので、いまでは町のはずれのような具合となっている


この調査部落Mとは、明らかに「本市場(もといちば)」のことである。そして論稿にあるように、時代が下るにつれ純然たる「農家」ではなく「兼業農家」へと移行する例が増えている。そしてそれを更に促進させる存在として「製紙工場」があった。

製紙会社と農家がどう関係するのかということであるが、"製紙会社による農地の買収→その持ち主の製紙工場への就職"ということが頻繁に行われていた事実がある。これについては、以下のようにある(関1958;p.10-19)。


そこでまず戦後はこの本州製紙工場にはかぎらないが本州製紙に容易に就職できないという事実である。この辺の農家で男の子を本州製紙に入れられるのは、本州製紙が拡張のため農地を買収するさいの交換条件として受け入れられることぐらいしか機会がないのである。そして事実この6・8・10番農家はそれぞれ四反七畝、四反、三反五畝とこの4・5年の間に耕地を買収されているのである。

ちなみに「4反」は1,200坪というから、かなりの面積である。当時、製紙会社への就職は「間違いのないルート」であった。つまり製紙工場の存在は、農業地帯からの転換を一気に推し進めた存在であった。そもそも工場の敷地の多くは旧農地であると思われるし(工場は誘致した)、その周辺もそうであると考えられる。

"この4・5年の間に耕地を買収されている"とあるが、この論稿は1958年ものなので、丁度富士市および旭化成による「1戸1人制度」の頃と重なる(「富士市が企業の食い物にされてきた歴史、ウシジマくん案件について」)。

人々の交流を有し、商店などを中心として成り立ってきた大宮町(富士宮市)や吉原町(旧吉原市)とは異なり、富士町(=旧加島村)は農地からのよりダイレクトな用地転換があったと考えられる。

※ちなみに「本州製紙富士工場」は「大王製紙」→「王子板紙」→「王子マテリア富士第一工場」→「現・王子マテリア富士工場」のことである。

それと共に、農業を取り巻く状況は大きく変わっていった。(笠井1964;p.60-61)には以下のようにある。


かつての富士市は「加島五千石」と言う名からもうかがわれるように往時から広大な沖積層と、豊富かつ良質な水を利用した農業と、田子浦海岸一帯の沿岸漁業を産業の主体としていた。とくに「富士梨」(明治25年頃から)の本場として有名なところで、かつては三百五十町歩に達する栽培がおこなわれたこともある。また最近まで近郊蔬菜としての富士早生カンランも相当の生産量をあげてきた地帯である。だが、明治39年を契機として、新しい発展、製紙工業の中心の時代を迎えた。(中略)この数年来の富士市は、全耕地千三百八十町歩(一戸当たり約六反歩)のうち、年々五十~六十町歩の農地が、工業用地や、宅地に転用されている

当論稿は1964年のものであるが、当時かなりの農地が転用されたことが分かる。また富士早生カンランは「キャベツ」のことである。(関1958;p.17)には以下のようにある。

旧富士町(昭和29年市制施行)が加島村と呼ばれていた当時(昭和4年町制施行)から、この地は富士梨の産地として全国にきこえていた。大正7~8年頃がもっとも盛んな時で、当時調査部落Mでも、耕地の3割くらいが梨畑で占められる盛況であった。

ところが、昭和7年頃に大虫害が発生して、当時の技術水準をもってしては、将来の見通しが立たないほどの大打撃を受けてしまった。そこで、目先の利いた連中は、蔬菜同志会というのを結成して、梨にかわるべき適当な商品作物を物色することをはじめた。

そしていろいろ試みて結局甘らんの導入に成功し、梨にかわって甘らんの生産に重点が移っていって今日にいたった

つまり大虫害に晒された富士梨に代わる農作物を模索し、キャベツの生産に辿り着いたというわけである。それが「富士早生カンラン」である。加島五千石があったからこそ、ブランド化できたのである。

  • おわりに

富士市が「えんとつ町」となる軌跡としては、「富士市の公共交通の歴史考、近代的製紙業の礎と吉原の衰退を考える」にあるように製紙会社の進出もあるが、農地の積極的買収も挙げられる。それらの土地は工場用地として利用された。ここに、その広大な農地を称して呼称された「加島五千石」は終焉を迎えたと言える。

9:「富士市がえんとつ町となるまでの軌跡、加島五千石からの大転換」

  • 参考文献
  1. 関英二(1958)「兼業と農家の機械化」『農林統計調査』1958年4月号、農林統計協会、10-19
  2. 笠井文保(1964)「新産業都市の建設と近郊農村の変貌 -東駿河湾地区・富士市の事例-」『農村研究 第19号』、東京農業大学農業経済学会、57-70

2026年6月26日金曜日

富士市からの富士宮市に対する合併要請の歴史を振り返る

 まず、以下の画像を見て頂きたい。




画像にあるように、「平成の大合併」にて富士市は富士川町を編入し、富士宮市は芝川町を編入した。静岡県における平成の大合併の締めくくりが、富士宮市の例であった。本稿ではこの合併劇自体ではなく、その過程およびそれ以降に富士市が富士宮市に対して行ったアプローチの方に着目したいと思う。

まず富士市はこれまで、富士宮市に合併話を持ちかけてきた歴史があるということは、周知の事実である。これに対し、富士宮市は除けて来た形となっている。とはいっても、富士宮市としても、荒唐無稽な話として受け取っているというわけでもない。以下に、その経緯を示してみたいと思う。



  • 小室富士宮市長の代
 
まず2009年の富士市長選挙において、現職の富士市長が富士宮市との合併を公約に掲げていたことが知られる。

富士市長、富士宮市と合併をめざす(2009/11/5 17:40 静岡第一テレビ) 
次の富士市長選挙への出馬を表明している現職の鈴木尚市長が5日公約発表会見を開き、富士宮市との合併を目指すことを明らかにした。会見で鈴木市長は3期目は「富士山を中心に風格ある都市」を目指すことを発表しました。具体的な取り組みとして、富士宮市と合併し、一定の財政規模を持つ自立した自治体作りを考えているという。合併の時期や方式はまだ決まっていないが、鈴木市長は「富士宮市と芝川町の合併後できるだけ早く準備を進めたい」と話している。(以下略)


富士市長は公約に"富士宮市との合併"を掲げ、その上でそれを急ぐ考えも示した。

(静岡新聞WEB版 09/11/05)
富士市の鈴木尚市長は5日、3選を目指し出馬を予定する今年12月(同月13日告示、20日投開票)の市長選の公約発表の中で、来年3月の富士宮市と芝川町の合併が成立した後、なるべく早い段階で新富士宮市に合併を呼び掛けていく考えを表した

合併を目指す理由については、地方分権・主権の流れをにらみ、「市民に良好なサービスを提供するためにも、基礎自治体が自立できる強い自治体になることがますます求められてくる」と説明。将来的には山梨県側の市町村を含めた富士山ナンバーエリアの「環富士山」都市の合併も展望として掲げた上で、昨年の旧富士川町との合併に続く広域都市実現の取り組みとして、新富士宮市との合併を目指す考えを示した

富士宮市をまず、合併相手とする理由については、「経済圏、生活圏が一致し、行政面でも連携や、人事交流もある」と指摘。次の段階の連携として、「東部地域が将来どんな都市を目指すのかまだ分からないが、将来、政令都市ができればありがたい」との言葉を織り込みながら、これまで連携が少なかった沼津市との連携強化も進める考えを表した。同市長選に出馬を表明しているのは現在、鈴木氏だけ。

富士市長の、合併に対する強い意欲が見て取れる。それに対し、富士宮市の反応はどのようなものだったのであろうか?

鈴木市長の合併発言 小室市長も前向き姿勢示す(富士ニュースWEB版 2009-11-12)

富士市の鈴木尚市長が12月の市長選に向けた公約の1つに、芝川町との合併後の新富士宮市との合併を盛り込む考えを明らかにしたのに対し、富士宮市の小室直義市長は12日の定例会見で「行政の広域化事業を進める上で、従前から富士市との合併の必要性は認めている」と前向きな姿勢を示した。 ただ、来年3月に芝川町との合併が予定されているため、「まずは芝川町との合併をしっかり進める。事務的な手続き、市町の融和策に意を砕いている最中。富士市との合併は、芝川町との合併が一段落した次の段階だと考えている」とした。 鈴木市長とのこれまでの話し合いでは、「県の合併推進構想で富士市、富士宮市、旧富士川町、芝川町の2市2町の組み合わせが示されたのを起点に、日常会話の中で将来的な合併についての話をしてきた」としながら、「鈴木市長がいつ、どのような形で合併を考えているのか分からないので、こちらは判断しかねる」と語った。

これは簡単に言えば"富士宮市としては、富士市との合併は今は真面目には考えていません"ということになる。もし真面目に考えていたら、このような枕詞は無く、もう少し違うコメントが出てくるだろう。さて、無事に鈴木尚氏は再選したわけであるが、その後の合併に関するコメントを見てみよう。

富士宮市との合併「自然」 「機運の高まり重要」 富士市長(静岡新聞WEB版 2010/03/05)
富士市の鈴木尚市長は4日、市議会2月定例会の施政方針に対する質問に答え、富士宮市との広域合併の検討方針に ついて「経済圏や生活圏などで一致する市との合併は自然な流れ」と述べ、「市民の機運の高まりが大変重要」として市民が地域の将来を考えるために必要な資料を提供していく考えを示した。平成の大合併を進める基礎になった市町村合併特例法は本年度で区切りを迎える。しかし、鈴木市長は少子高齢社会の進行や、地方分権改革の流れを踏まえた上で「市が持続的に発展するには、より高い自治能力と多くの権限を有する都市への移行が次に目指すべき方向」と指摘。「合併は行財政基盤強化の手段の一つとして今後もなお有効」と述べた。 施政方針で市政運営の基本理念に挙げた「富士山を中心とした風格ある 都市(まち)」については、「広域合併そのものを意味したものでなく、富士山を取り囲む自治体が結び付きやネットワークの強化を図ることで、揺るぎない存 在感と求心力を持った都市ができるとの考えに基づいたもの」と説明した。

当選後、公約である富士宮市との合併を進めようとしていることが分かる。またコメント内容から考えるに、富士宮市間と合併に関する具体的な共通認識はその時点では有していないものと考えられる。

つまり、この時点で富士宮市と合併話は進んでおらず、富士宮市に対して必要性を訴えるという状況に留まっていることが分かる。

  • 新富士宮市長誕生

先の記事で登場した小室市長は引退を表明し、2011年4月の富士宮市長選挙にて須藤氏が当選した。富士市長が合併を公約に掲げていたこともあり、須藤新市長に対してそれらに関する質問が相次いだ。須藤市長の回答は以下の通りであった。

須藤・富士宮市長 富士と合併「4年はない」(読売新聞WEB版 2011年5月10日)
4月の富士宮市長選で初当選した須藤秀忠市長が10日、初の定例会見に臨み、「任期の4年間で富士市との合併はないと言っても過言ではない」と述べ、任期中の合併を見送る姿勢を示した。理由については「市民の機運がそこまでいっていない」と説明した。

富士市の鈴木尚市長は合併に前向きで、同日午前の定例会見では「須藤市長に直接会って合併を視野に入れた連携強化を申し入れる」と述べていた。

須藤市長は「鈴木市長の申し入れは真摯(しんし)に受け止める。合併の話になった時にばたばたしないためにも、電算システムの共通化などは進めていきたい」と述べ、合併に向けた環境整備は進める考えを示した。

「自分の任期中に合併しない」ということは、数年単位のレベルで合併を協議しないという意思を示したことになる。つまり富士宮市は、合併に意欲的ではないことが分かる。

記事に見える富士市長の"同日午前の定例会見"とは、以下のものである。

富士宮市との合併 視野に入れた連携を(富士ニュースWEB版 2011-05-10)
鈴木市長は富士宮市の須藤秀忠新市長に対し「富士山ネットワークの連携から一歩踏み出し、合併を視野に入れた連携強化を提案する」と見解を示した。(抜粋)


富士市長が新富士宮市長誕生に際して動かないはずもなく、改めて合併を協議したい意向を示している。富士市長は一貫して合併に意欲的で、この時は富士宮市も市民レベルで会話が発生していた。そして、マスコミの注目度もかなり高まっていた。


  • 富士市と富士宮市の連携強化

やがて富士市が先頭に立って、富士宮市との連携強化を図る取り組みが進められるようになった。その一例が、以下のようなものである。

富士と富士宮が連携強化で市長合意 合併視野に消防の広域化など(2011年6月3日)
富士市の鈴木尚市長と富士宮市の須藤秀忠市長は2日、富士市役所で会談し合併問題で意見を交わした。鈴木市長は本紙などの取材に「合併を視野に入れて行政面などでの連携を強化していくことで合意した」と述べた。 鈴木市長によると、須藤市長に対し「将来の合併をにらんで連携の強化を進めたい」と申し入れた。「当面は消防の広域化など、行政面で富士・富士宮の一体化を進めよう」と提案したという。須藤市長は「自分の任期中には合併しない」と答えたものの、「(富士地域に)強い自治体をつくらなければならない」と応じたという。(抜粋)

富士市長は相当意欲的であるが、富士宮市はそこまでには至らないことが分かる。富士市長も、富士宮市は合併に前向きではないということを、この時点で察していたことは言うまでもない。

富士市・富士宮市 指令業務を共同運用へ(2012-07-26 富士ニュースWEB版)
富士市と富士宮市は25日、消防救急の広域化に向けた任意の協議会を立ち上げた。平成28年5月末までに消防救急無線のデジタル化が迫られるため、基本方針として両市で消防救急無線のデジタル化と消防指令施設(指令センター)を共同で整備し、指令業務を共同運用する体制を構築することを確認した。指令センターは富士市消防防災庁舎3階に設置する方針で、28年3月末までの運用開始を目指す。協議会では、指令センターの共同運用のメリットとして▽災害対応の強化▽財政上の効果▽指令業務職員の効率的配置―の3点を挙げる。(抜粋)

上の記事にあった消防の広域化が具体化している様子が見える。富士市としては、これらを足がかりに、合併に繋げたいということなのであろう。

  • 現職富士市市長が任期満了で退任、新富士市長誕生

2013年12月の任期満了に伴う富士市長選挙において、現職の鈴木氏は出馬しないことを明らかにした。おそらく合併に前向きでない富士宮市を見て、踏ん切りがついたものと思われる

この選挙においては、小長井氏が初当選を果たした。以下は2014年3月の富士市議会定例会の発言である。

【3月5日定例会】

Q(石橋議員):将来の中核市の移行を視野に新たな自治体連携の仕組みである地方中枢拠点都市制度などを研究して参りますとしておりますが、今後予想される富士市と富士宮市との話し合いは、合併も重要な検討材料としていく考えはあるのかお伺い致します。
A(小長井市長):人口減少や少子高齢化の進行、都市間競争の激化、都市インフラの老朽化など地方自治体を取り巻く環境は依然として厳しい状況にあります。本市が市民の皆様に将来に渡って充実した行政サービスを提供していくためには、どのような社会状況にあっても、持続可能な基礎自治体であることが必要であると考えております。  
一方生活圏や経済圏を共有する富士宮市との関係におきましては、住民票の相互交付や職員の人事交流、合同研修などを実施しており、近年では広域災害への対応強化を図るため、共同消防指令センターの整備や、行政コスト縮減を目的とした電算処理システムの共同化など、これまで以上に行政連携の強化を図っております。

今後も新富士駅へのひかり号停車や、身延線延伸など両市に共通する課題の解決に向け、新たな取り組みを展開することで、広域連携を強化し、絆をより深め、岳南都市圏としての一体化を要請して参ります。本市の将来的な方向に関しましては、多様な市民ニーズに柔軟且つ持続的に対応するため、人口要件の緩和が見込まれる中核市への移行を視野に入れ、自治能力の拡大を図りたいと考えております。また富士宮市との合併につきましては、重要な検討課題と認識しておりますが、それには両市民の機運の高まりが欠かせず、多くの皆様の賛同と、慎重な議論が必要なことから、広域連携により絆が深まったその先にあるものと考えております。 
このことからまずは、広域連携の強化へ向け、財政処置が厚く、連携施策の自由度が高い国による新たな支援策、地方中枢拠点都市制度などを研究・活用し、富士地域の魅力向上と発展に結びつけて参ります。

富士宮市のこれまでの姿勢は十分に承知しているので、合併に関して強く推進する様子は見られない。

【3月6日定例会】

Q(小池議員):電算や消防指令の面で富士宮市との共同化が進んでいるが、生活圏や流域が重なる富士宮市との連携や合併について、市長はどのような考えか
A(小長井市長):人口減少や少子高齢化の進行、都市間競争の激化、都市インフラの老朽化など地方自治体を取り巻く環境は依然として厳しい状況にあります。本市が市民の皆様に将来に渡って充実した行政サービスを提供していくためには、どのような社会状況にあっても、持続可能な基礎自治体であることが必要であると考えております。 
 一方生活圏や経済圏を共有する富士宮市との関係におきましては、住民票の相互交付や職員の人事交流、合同研修などを実施しており、近年では広域災害への対応強化を図るため、共同消防指令センターの整備や、行政コスト縮減を目的とした電算処理システムの共同化など、これまで以上に行政連携の強化を図っております。  
合併につきましては両市民の機運の高まりが欠かせず、多くの皆様の賛同と、慎重な議論が必要なことから、広域連携により絆が深まったその先にあるものと考えております。今後も新富士駅へのひかり号停車や、身延線延伸など両市に共通する課題の解決に向け、新たな取り組みを展開することで、広域連携を強化し、絆をより深め、岳南都市圏としての一体化を要請して参ります。

少なくとも、前鈴木市長のようなトーンではないことは明らかである。また小長井氏は(須藤・小長井2020;p.7-8)で以下のように述べている。

富士市では平成26年度から現在に至るまで、隣の富士宮市とともに住民基本台帳や税など14の基幹系業務、40を超えるパッケージシステムの共同化を行っています。(中略)我々も広域的な連携・協力については、これまでも議論をしてきたところです。富士市と富士宮市は、「岳南地域」という枠の中では生活圏も経済圏もほぼ同じで、これまでスムーズに連携してきました。その枠組みや連携をさらにどう発展していくか、今後考えていきたいと思います。

確かに、生活圏と経済圏はかなり一致していることは間違いない。

  • 2017年の富士市長選挙 

平成29年(2017)12月24日に、任期満了に伴う富士市長選挙が行われた。このタイミングで富士宮市長は記者に「合併の意思があるか」を問われ、以下のように答えている。


市長定例記者会見(平成29年12月)


須藤市長は「合併は全く考えていない」と明言している。そもそも富士宮市は、合併に対して前向きになったことが無い。小室市長の代も須藤市長の代も、戦略的沙汰止みをしていたものと思われる。平たく言えば、端から合併する気など無かったわけである。


  • おわりに

富士市が合併に極めて前向きで、富士宮市が消極的という歴史を見てきた。また小長井市長は「新富士駅へのひかり号停車」「身延線延伸」を"両市に共通する課題"としているが、これはひとえに富士市内の課題である。これを独力で成した場合は、より強固な生活圏の一致が認められると言え、将来的に合併議論が再燃する可能性はあるだろう(ひかり号停車は特段求めないが)。

個人的には合併には何よりも"生活圏の一致が見られること"が重要であり、それが公共交通機関においてもある一定レベルで認められている場合、はじめて議論がなされるべきであると考える。

8:「富士市からの富士宮市に対する合併要請の歴史を振り返る」

  • 参考文献
  1. 須藤・小長井(2020)「須藤修×静岡県富士市長小長井 義正“生涯青春都市 富士市”の実現に向けて」『月刊J-LIS 令和2年2月号』、地方公共団体情報システム機構、4-8