2026年7月23日木曜日

富士市のWikipediaを添削してみる、〼で表せる富士地区を見て思う

本稿ではWikipediaにおける「富士市」のページを添削していきたいと思う。「・」は原文を引用した。



  • 日本最高峰の富士山南麓に位置し
日本語の誤り。これでは「富士山南麓」が日本最高峰という意味となってしまう。"日本最高峰富士山の南麓に位置し"が正しい。

  • 市域の北端は山頂直下に及ぶ
富士市の最高地点は3,680m。高さ3,776mに対し3,680mは、普通の感覚では山頂直下とは言わないだろう。

  • 海岸線から富士山までを市域とする唯一の自治体となっている
富士山は、厳密に言えば沼津市・三島市も含まれるとされる。疑義のある内容。半分正しくて、半分誤っている。

  • 東は沼津市、西は静岡市に接する
東は沼津市以外にも接している自治体があるし、西は静岡市以外にも接している自治体があるので、正しくはない表現である。

  • 和紙の産地として知られ
ここはやや難しい。「吉原」を産地として記す論稿も確かに存在するが、庵原郡吉原村と混同している節あり。少なくとも富士地区においては、富士市を特筆すべき産地と評価するのは難しい。

  • 現代においても主要産業は、富士山の伏流水や富士川などの豊富な水源を利用した製紙である

これはグラフ等を見れば分かるが、既に主要産業は他に移っているのは明白である。むしろ時代の変化に柔軟に対応できているところが、富士市の強みなのであるが。


  • また、2001年(平成13年)には、施行時特例市に指定された
2001年に「施行時特例市」に指定されたわけではない。当時は「特例市」と呼称されていた。従って"特例市に指定された(現在の施行時特例市)"が正しい。

  • 海岸線に東側に隣接する沼津市から田子の浦港まで千本松原が続き、富士川の最下流域の西側に静岡市清水区が隣接し、北側に富士宮市が隣接する

「田子の浦港」は範囲が定義されているが、そこまで千本松原が続いていると言えるのかは吟味する必要性がある。沼津市HPは「沼津市の中央を流れる狩野川河口より北西の片浜、原方面にかけての松原を呼称する」としている。

また仮に富士宮市を1つの方角で表すのなら、富士市から見て「西」である。


普通の感覚であれば、どう見ても「西」だと思う。簡単に言えば両者は「〼」で表すことが出来るのだから。富士市の北に富士宮市が位置するのであれば、富士市は富士山に接していないことになってしまうが、大丈夫だろうか(本当にこういう方が多くて驚かされています)

【番外編】

  • マキヤ本社(市内に本社を置く主な企業)

Wikipediaの編集履歴を振り返るとかなりの以前より株式会社マキヤの本社が富士市に置かれていたことにされてしまっているのであるが、これは誤りである。

まず「国税庁法人番号公表サイト」にてR2年度の「株式会社マキヤ」の「本店又は主たる事務所の所在地」を見てみる。



ここから、明確に本社が沼津市であることが分かる。以下では株式会社マキヤの「定時株主総会招待ご通知」を見ていきたい。これはマキヤ側の資料である。




つまりマキヤの本社は沼津市で、マキヤ側の資料にもあるように、本部機能自体は富士市ということになる。本社所在地が富士市でないからこその注記である

法人税法第16条にて納税地は「その法人の本店または主たる事務所の所在地とする」と定められている。つまり株式会社マキヤの法人税は、沼津市に納められていたのである。

長らく本社は沼津市に置かれていたが、昨年その状況に変化が訪れた。


つまり、本社が富士市に移転したのである。逆に言えば、これまで誤って記していたことになる。ネットの情報というのは、あまり鵜呑みにしないほうが良い。

  • おわりに

富士市民が富士宮市を「北」としてしまう背景を考えてみたい。これは「富士市民にとって富士山は大して馴染みのあるものではないから」ではないだろうか。でなければ、説明できない現象である。

現在、富士市の市制施行60周年を記念し、シリーズとして記事の投稿を進めている。30記事くらいを予定しているため、是非ご覧いただきたく思う。

17:「富士市のWikipediaを添削してみる、〼で表せる富士地区を見て思う」

2026年7月21日火曜日

富士市とAIの相性は最悪である、情報収集論

「シリーズ富士市60周年」として、当ブログでは現在断続的に記事を投稿している。そのための材料集めは既に完了しているが、基本的には学術誌・論文 ・公式資料などが主たる物である。誰でも原典を参照できるということが、重要であると考える。

つまり世に出ている膨大な資料から富士市について言及するものを炙り出す作業が必要なわけであるが、特に富士市の場合はこれが難しい。私は「ボトムアップ」形式であるため、特に難儀する。

何故かと言うと、「富士」という用語が普遍的なものであるから、"炙り出す作業"の質をかなり高めないと漏れてしまう情報が発生するからだ。また逆に余計な情報も紛れ込みやすい。実はこれはそのままAIにも当てはまる。

AIの方も「富士」という意味の解釈に難義している。簡単に言えば「富士市」と入力すればそれなりの精度になるが、「富士」と入力すると精度がかなり落ちる。つまり、以下のように言える。


口語的な入力では、富士市に関するAIの回答はあまり期待できない(現時点では)


なので「富士地区の「富士」を巡る会話はなぜカオスなのかを考える」にて"その「富士」が富士市を指すのなら、はっきり富士市と言ってもらいたいものである"と記したのである。もちろんこれはAIに限った話ではない。

ではAIに対する質問に「富士市」と明確に入力すれば問題は解消されるのかと言われれば、そういうわけでもない。AIは情報の海から抽出しているのであるが、そちら側が「富士市」と明確に書いていなければAIの方も難義するだろう。

つまり情報元が、本来はその中で「富士市」と記していなければならないのである。しかしなされていないことも多い。もしその人に特別な拘りがあるのであれば、せめて"富士市(以下「富士」)"という箇所を設けてもらいたい。

勿論AIの質が更に高まれば、「富士」としか記されていなくとも、「富士市」についてのものだろうという理解は可能だろう。しかし当の富士地区の人間が会話していても理解が難しいものを、果たしてAIが理解出来る時は来るのだろうかという疑問もある。むしろAIも判断しかねるという状況の方が、正しいのではないだろうか。それが実世界に近いからだ。

  • 現時点のAIのレベル(一般向けAI)

例えば「富士市において歴史学は何故敗北したのか、お菊田伝承や富士市刊行物から紐解く」でも取り上げた「天子ヶ岳の名称の由来」について、AIで調べてみる。


「天守閣説」であるが、鎌倉時代の日蓮の文書に既に「天子ヶ嶽」等と見えるから(「新尼御前御返事」「九郎太郎殿御返事」等)、天守閣が由来のはずがない。つまりAIは、互いの材料から選択肢の消去を行う能力を平均的に有する段階にまでは至っていない。つまり、まだまだである。

他に「富士市とオウム真理教、富士市におけるサリン散布実験について」でも取り上げた、富士市におけるサリン散布実験について聞いてみる。



こちらも全然駄目である。「公的な記録や事実」が確認されているのだから、話にならない。AIはこれから多くの情報を食べていく必要性がある。現段階では、第一義的に特定の情報を得る対象として、AIは選択肢に入ってこない。まだ圧倒的に質が足りないからである。

ちなみにこの「シリーズ富士市60周年」の記事群は、AIを一切用いていない。AIを用いると、誤った解釈になるからである。AIを用いていないという事実が、このシリーズを意味のあるものに引き上げるとすら考えている。


  • シリーズ富士市60周年の記事群のソース


例えば私は「富士市がえんとつ町となるまでの軌跡、加島五千石からの大転換」にて"関英二(1958)「兼業と農家の機械化」"という論稿を引用した。この論稿は、以前はヒットしたが、現在はGoogleの完全一致検索でも引っかからない。正確に言えば、私の記事しか引っかからない。しかしこの論稿は存在する。ネットの海の中で、消えていったものも確かにあるのだ。

何故このようなものを認識しているかというと、AIに頼れない時代に既に情報収集していたからである。特にタイトルに「富士市」等と入っていないものは、抽出が極めて難しい。AIが無いからこそ、地道な作業で抽出作業をした結果、それが私の眼の前に現れたのである。この時間が極めて重要であった

言い換えれば、AIだけでは、質が高い認知には至らないのである。もっと言えば、当時、上記の論稿はダウンロード/印刷が可能であった。今はそもそも引っかからないから、不可能である。意外と思われるかのしれないが、そういう類のものが案外に多い。

AIに頼れないからこそ、物理的な検索攻勢をかけたために、面白い論稿が手に入っているのだ。私はこれからAIを主体とするかもしれない。しかし現時点で私は、そのAIの回答を精査できる立場にある。だからAIがファーストタッチの場合とは全く異なると考えている。ただ、今から物理的な検索攻勢をかけることが是とは言い難い。時間も貴重であるからだ。


  • AI世界に対応するために


私が「私は富士宮市郷土史博物館事業を支持しないことにしました」「富士宮市立郷土史博物館基本構想を独自に模索してみる」「私が富士宮市郷土史博物館構想に賛成する条件」等で、ネット上で歴史に関する専用ページを設けることを口を酸っぱくして述べていたのは、何を隠そうAI世界を見据えてのことである。勿論現代の慣習から考えてのことでもあるが。

簡単にいえば、スマートフォンといったデバイスで人類がAI検索し、それを基に行動/価値判断する現在において、そもそもネット上に情報が無ければ全く勝負にならないからである。

しかしもう遅い。遅すぎる。富士宮市はもう全くの時代遅れである。私はこの10年くらいは、本の中の世界に留まっていたものをネットの世界に解放するという作業を熱心に行ってきた。何故なら、将来AIが普及するのは目に見えていたからである。


  • おわりに

何らかの争論があるとき、AIの情報だけで勝負するのは未だ勝ち目がないと思う。論理武装した相手にはまだまだ分が悪い。正直、理論武装した相手からすれば、AIだけで勝負してきた人など容易いのだ。本稿はそういう警告でもあるが、有効活用すること自体は否定しない。

現在、富士市の市制施行60周年を記念し、シリーズとして記事の投稿を進めている。30記事くらいを予定しているため、是非ご覧いただきたく思う。

16:「富士市とAIの相性は最悪である、情報収集論」