今年は吉原市・旧富士市・鷹岡町の合併から60周年にあたる。うち旧富士市および鷹岡町を運行エリアとする鉄道に「身延線」がある。富士地区において身延線は、学生御用達の鉄道線というイメージが強いだろう。
- 富士駅の最寄り学校:私立富士見高校
- 竪堀駅の最寄り学校:県立富士高等学校
- 源道寺駅の最寄り学校:県立富岳館高校、県立富士宮東高等学校
本稿ではこの身延線について考えていきたい。時を遡ること1960年代後半の富士市。この時代、富士市の公共交通機関に極めて大きな変化が生じたことを御存知だろうか?
それは"身延線の西回り化"である。
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| 『広報ふじ』平成28年9月20日 1132号より |
以下では、その西回り化事業とその後の身延線が辿った運命を取り上げていきたい。
- 西回り化
元々身延線の富士市区間(現在の富士市域に該当する駅)は、以下の駅を有していた。
この状況を変えたのが、西回り化である。この不可解な西回り化については、『富士市二十年史』に詳しい。(富士市1986;p.258)より引用する。
この身延線は一日の運転本数も多く、国道1号線と本市場で平面交差をしていたから、国道の交通量増加とともに、身延線の遮断器は交通渋滞の原因となった。また、単線運転であったから、通勤・通学の身延線利用や、加えて創価学会員の上野大石寺登山者の激増など、身延線の改良はこの地区住民の切望するところであった。
- 本市場駅の廃止
- 柚木駅新設
- 竪堀駅を移転新設(旧竪堀駅は現在の「緑道公園」辺り)
- 富士駅を出て西へ向かい橋下で北にカーブ、松本地先で旧線と結ばれる
- 工事区間はほぼ全区間を高架化
松本地先は竪堀駅の少し先に位置する。西回り化自体は昭和44年(1969)に完了した。その後昭和46年(1671)に富士宮駅-富士根駅間が複線化され、翌47年(1972)に入山瀬駅-富士根駅間も複線化された。
- 公共交通機関の地位低下
こうして待望の複線化、西廻りによる合理化は完成したのであったが、前にも触れたように鉄道の交通にしめる地位は、他の公共交通機関に比して相対的に揺ぎ始めるのであった。その一例として、身延線各駅の乗車人員の推移を、次の表によってみよう。
各年次とも1月から12月までの人数である。柚木駅では1日平均約304人から204人へ、竪堀駅は,887人から826人に、入山瀬駅は2,339人から1,190人へ、また富士根駅では、1,425人が722にというように減少しているのである。
つまり身延線の利用者が減少し始めているのである。以降、その流れに歯止めがかからなかったことは言わずもがなである。
勿論この現象がすべて西回り化に由来するとは言わない。(富士市1986;p.261-262)ではこの原因をモータリゼーションのみで説明しようとしている。しかしその説明に説得力は感じられない。その内容の一部を見てみよう。なぜこのような鉄道ネットワークの敗北現象が現れたのか。それは自動車交通のもつ最大のメリットとして、出発地の戸口から目的地の戸口までを直結することが比較的容易であるのに対して、鉄道交通は駅というターミナルの存在が、移動(旅行者)の連続性の障害となり、移動の連続性を保証しなかった付け、あるいはそれについての努力を欠いた決算書として、利用者の徹底的減少ということにつながったと思われるのである。
何度読んでも意味がよく分からないのであるが、理由は本来以下のようなものが挙げられるべきであろう。
- 人口密集地に所在した駅を移転したこと
- 歴史的にみても、鉄道路線と鉄道路線の接続を成してこなかった
この2つがあまりにも大きすぎる。つまり上述したように、普通であれば人口密集地に所在する駅を移転する事自体が論外であるのに、それをしてしまったこと。また「吉原市の急転と衰退、富士市と鷹岡町により決定された新市名と吉原のプレゼンス」にあるように、岳南鉄道が富士地区間の周遊を念頭に置いて鉄道路線を敷かなかったことが大きな理由であろう。
このような歴史からも分かるように、富士市の鉄道軽視傾向が感じられ、そのような風土が後の新富士駅と富士駅未接続という状況を生んだのではないだろうか。また公共交通分担率の低下を招いたと言うことも出来る。
結局公共交通機関の問題を直視してこなかった地域は、新幹線を誘致できたとしても、その先の未来は描けないのである。これは富士宮市の問題でもある。なぜ富士宮市は叱咤しなかったのか。自分たちの税収から約5億円も建設費を捻出しているというのに、危機感が足りないのである。しっかり尻を叩いてやる必要性があったのである。
- これからの身延線
私はむしろこの10年くらいは、身延線を利用する機会が増えている。理由は、東京に行く際に在来線で三島駅まで行き、そこから新幹線に乗車しているからである。今は完全にその形態に移行している。
では平日のダイヤにて、新幹線三島駅乗車パターンを見てみよう。今回は富士市内の駅からより遠い富士宮駅を最寄り駅(スタート地点)に設定してみる。
富士宮駅発(9:02)
↓
三島駅着(9:49、680円)
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新幹線三島駅発、品川駅着(9:58発 10:35着、計4070円、ひかり乗車)
以下、同じく平日のダイヤで新幹線新富士駅乗車パターンを見てみよう。
車で新富士駅着
↓
新幹線新富士駅発、三島駅着(9:41発 9:49着、ひかり乗車)
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品川駅着(10:35着、計5170円)
しかし身延線の利用者は減少の一途を辿っている。身延線は、このままでは将来的な廃線もやむ無しとすら思える。JR東海は、頑張って維持してくれているのである。岳南鉄道が廃線となったその時は、いよいよ将来的にあり得ると考えたほうが良い。こうなったのは、ひとえに選択の誤りによる。潜在的に有りえなかった需要を求めているのではない。その時その時に実際にあったその選択を尽く間違えた、ということなのである。
ちなみに『富士市二十年史』刊行の2年後に開業したのが、新富士駅である。市全体で20年を振り返る中で、将来への教訓は活かされなかった。いや、"同じ様な轍を踏まない"という空気自体が全く醸成されていなかったと言ったほうが良いだろうか。この警告は、リニア山梨県駅にもそのまま当てはまるわけであるが…。- おわりに
- 参考文献
- 富士市(1986)『富士市二十年史』




