2026年7月30日木曜日

富士市と富士山との接点を見出してみる、富士市の特筆すべき歴史材料とは

以前「富士市のWikipediaを添削してみる、〼で表せる富士地区を見て思う」にて、富士市民が富士山を馴染みのあるものとは捉えていないことを示唆する事象について取り上げた。本稿ではこの点を深堀りしていきたい。

例えば西富士道路であるが、勿論富士市から見て西方面に走っている。流石に真北に向かっていると誤認する程の方向音痴さんは居ないと思われるので、"西方面に富士宮市がある"くらいのことは分かっていると思われる。それにも関わらず「富士宮市=北」と言う人が一定数居るということは、富士市と富士山が全くリンクしていないのだろう。そう理解する他ない。

この背景について考えてみた所、実際に富士市はそれほど接点が無いのではないか、という視点が浮上してくる。それ故にあまり印象に無いのではないだろうか。

以下は「世界文化遺産の範囲」「史跡富士山」「特別名勝」「国立公園の特別保護地区」といった項目において、どの自治体が関与しているのかということを示した表である。

富士宮市御殿場市裾野市小山町富士市沼津市三島市清水町長泉町静岡市富士吉田市身延町西桂町忍野村山中湖村鳴沢村富士河口湖町
富士山―信仰の対象と芸術の源泉(世界遺産
富士山(史跡
富士山(特別名勝
富士箱根伊豆国立公園「富士山地域」の「特別保護地区」(国立公園

まずこれら「4つ」が満たされている地域というのは、かなり関係が深いと言える。やはり「富士宮市」「小山町」「富士吉田市」「鳴沢村」「富士河口湖町」は別格という感じがする。

一見すると富士市も関係が深いと言えるのであるが、実は世界文化遺産富士山において、富士市は単独の構成資産を有していない。だから関係を持って語られることも少ない。

明らかに、環富士山地域の中において富士市は、富士山との接点がより限局されたものとなっている。これは誰の目からみても明らかであろう。

しかし私はここで、歴史の方から富士山との接点を見出すことをしていきたいと考える。富士市と富士山の接点を述べる上でまず引き合いに出されるべきものは「能〈生贄〉」(以下〈生贄〉)である。

〈生贄〉は、静岡県富士山世界遺産センターの展示にも含まれている。実は富士市の歴史も世界遺産センターにてしっかりと取り上げられているのだ


何故〈生贄〉が富士市と富士山との接点を示すものと言えるのだろうか。それはその詞章に富士山に関連するワードが散りばめられているからである。しかもその年代が重要で、室町時代以前であることが確実である。私は相当遡ることが出来ると考えている。(佐藤2021)には以下のようにある。

(一)室町時代後期観世流謡本 観世元頼章句本(元頼本)と観世元忠(宗節)章句本の書誌情報の集成・分類を行った。詞章の筆跡についての分類作業を行う中で、元頼本全体の題簽および『生贄』詞章本文の筆者が戦国期聖護院門跡の道増(1508~1571)であることを明らかにした。道増は足利義輝(1536~1565)の近臣としても知られており、義輝周辺で元頼本が成立した可能性を示唆するものと考える。

先行研究によると、現存する謡本のうち「観世元頼本」は、「道増」による筆であることが明らかとなっている。これは書写であるから、更に遡ることが出来る。詞章の中で富士山に関わる用語としては、以下のようなものがある。

  • 富士権現
  • 日の御子の神
  • 内院
  • 富士の嶽

であるから、富士市にとって〈生贄〉は特別なものである。私は富士山に関わる神事が下敷きとしてあり、それが能となったものではないかとも考えている。

(諏訪1988;p.121)は、〈生贄〉のあらすじを説明している。

「生贄」は4・5番目物の夢幻能で作者未詳とされているが、『自家伝抄』には宮増作とある。『言継卿記』によると、天文14年(1545)3月7日に観世座が上演した記録があるので、これ以前の成立であることは確実である。

都から東へ下る旅人(シテ)と妻(ツレ)、娘(子方)の三人が、駿河の吉原までやってきて宿をかり、富士の生贄の神事に行きあたった。宿の主人(ツレ)はひそかに逃がそうとしたが、神主(ワキ)と従者(トモ)に止められ、数百人の候補者たちの中から旅人の娘がくじに当った。娘は富士の御池の大蛇へ生贄にそなえられることになった。

しかし、娘を乗せた小船が沖へ出て行こうとしたとき、富士権現の御使の火の御子(後シテ)が現われ、富士権現の神徳によって大蛇が退治されたことを告げ、今後、生贄は廃止になるとの神託を伝えて娘の命を助けた。

詞章には、以下のような箇所もある。


招けば招く風情はさながら。松浦佐用姫かくやらんと。汀にひれ臥し泣き居たり


このように「松浦さよ姫」の言及があることで、その方面から言及している論稿もある。柳田國男の論稿「人柱と松浦佐用姫」には以下のようにある。

例えば謡の「生贄」という一曲には、父と娘と二人の旅人、東海道を旅して駿州の吉原に泊った日に、富士の御池の贄に娘を取られて、父ひとり歎き悲しむことを叙してある。其文句の中に殆と何のつきも無しに、
姫も互ひに名残を惜み、
招けば招く風情はさながら、
松浦佐用姫かくやらんと、
汀にひれ臥し泣き居たり。
とあるなどは、単に上代の肥前の女が、つま恋いの船の影を見送るというだけの、連想でなかったことを意味するかと思われる。

またこの辺りは(近藤2010;p.103-104)に詳しい。

〈生贄〉はその広がりも着目されるべきであり、アーサー・ウェイリーによる翻訳およびそれを収めた書物の刊行(1921年)は知られている。他にヴィルヘルム・グンデルトの研究でも取り上げられるなどしている(兼岡2022;p.39)。

結論、富士市が富士山との関わりを示す上で強く引き合いに出されるべきものが〈生贄〉なのである。これ以上の素材は無いと考える。それ故に、全く着目されないことが不思議に思われるのである。

  • おわりに
18:「富士市と富士山との接点を見出してみる、富士市の特筆すべき歴史材料とは」

  • 参考文献
  1. 諏訪春雄(1988)『聖と俗のドラマツルギー―御霊・供犠・異界』、学芸書林
  2. 近藤直也(2010)『松浦さよ姫伝説の基礎的研究【古代・中世・近世編】』、岩田書院
  3. 佐藤嘉惟(2021)『2019年度実績報告書(能の詞章の文字化に伴う作品・作者概念の成立の研究―世阿弥自筆能本の文字表記から)』、KAKEN
  4. 兼岡理恵(2022)「W.グンデルトの日本学―キリスト教から神道、そして日本学―」『比較日本学教育研究部門研究年報 18』、38-44

2026年7月23日木曜日

富士市のWikipediaを添削してみる、〼で表せる富士地区を見て思う

本稿ではWikipediaにおける「富士市」のページを添削していきたいと思う。「・」は原文を引用した。



  • 日本最高峰の富士山南麓に位置し
日本語の誤り。これでは「富士山南麓」が日本最高峰という意味となってしまう。"日本最高峰富士山の南麓に位置し"が正しい。

  • 市域の北端は山頂直下に及ぶ
富士市の最高地点は3,680m。高さ3,776mに対し3,680mは、普通の感覚では山頂直下とは言わないだろう。

  • 海岸線から富士山までを市域とする唯一の自治体となっている
富士山は、厳密に言えば沼津市・三島市も含まれるとされる。疑義のある内容。半分正しくて、半分誤っている。

  • 東は沼津市、西は静岡市に接する
東は沼津市以外にも接している自治体があるし、西は静岡市以外にも接している自治体があるので、正しくはない表現である。

  • 和紙の産地として知られ
ここはやや難しい。「吉原」を産地として記す論稿も確かに存在するが、庵原郡吉原村と混同している節あり。少なくとも富士地区においては、富士市を特筆すべき産地と評価するのは難しい。

  • 現代においても主要産業は、富士山の伏流水や富士川などの豊富な水源を利用した製紙である

これはグラフ等を見れば分かるが、既に主要産業は他に移っているのは明白である。むしろ時代の変化に柔軟に対応できているところが、富士市の強みなのであるが。


  • また、2001年(平成13年)には、施行時特例市に指定された
2001年に「施行時特例市」に指定されたわけではない。当時は「特例市」と呼称されていた。従って"特例市に指定された(現在の施行時特例市)"が正しい。

  • 海岸線に東側に隣接する沼津市から田子の浦港まで千本松原が続き、富士川の最下流域の西側に静岡市清水区が隣接し、北側に富士宮市が隣接する

「田子の浦港」は範囲が定義されているが、そこまで千本松原が続いていると言えるのかは吟味する必要性がある。沼津市HPは「沼津市の中央を流れる狩野川河口より北西の片浜、原方面にかけての松原を呼称する」としている。

また仮に富士宮市を1つの方角で表すのなら、富士市から見て「西」である。


普通の感覚であれば、どう見ても「西」だと思う。簡単に言えば両者は「〼」で表すことが出来るのだから。富士市の北に富士宮市が位置するのであれば、富士市は富士山に接していないことになってしまうが、大丈夫だろうか(本当にこういう方が多くて驚かされています)

【番外編】

  • マキヤ本社(市内に本社を置く主な企業)

Wikipediaの編集履歴を振り返るとかなりの以前より株式会社マキヤの本社が富士市に置かれていたことにされてしまっているのであるが、これは誤りである。

まず「国税庁法人番号公表サイト」にてR2年度の「株式会社マキヤ」の「本店又は主たる事務所の所在地」を見てみる。



ここから、明確に本社が沼津市であることが分かる。以下では株式会社マキヤの「定時株主総会招待ご通知」を見ていきたい。これはマキヤ側の資料である。




つまりマキヤの本社は沼津市で、マキヤ側の資料にもあるように、本部機能自体は富士市ということになる。本社所在地が富士市でないからこその注記である

法人税法第16条にて納税地は「その法人の本店または主たる事務所の所在地とする」と定められている。つまり株式会社マキヤの法人税は、沼津市に納められていたのである。

長らく本社は沼津市に置かれていたが、昨年その状況に変化が訪れた。


つまり、本社が富士市に移転したのである。逆に言えば、これまで誤って記していたことになる。ネットの情報というのは、あまり鵜呑みにしないほうが良い。

  • おわりに

富士市民が富士宮市を「北」としてしまう背景を考えてみたい。これは「富士市民にとって富士山は大して馴染みのあるものではないから」ではないだろうか。でなければ、説明できない現象である。

現在、富士市の市制施行60周年を記念し、シリーズとして記事の投稿を進めている。30記事くらいを予定しているため、是非ご覧いただきたく思う。

17:「富士市のWikipediaを添削してみる、〼で表せる富士地区を見て思う」