2026年6月22日月曜日

富士市の方言・花一匁・旧暦風習・鬼決め歌について考える

本稿では富士市の「方言」「花一匁」「鬼決め歌」「旧暦風習」の4つを取り上げ、富士市の特徴を考えていきたいと思う。つまり"民俗回"である。



  • 方言


富士市の方言について史資料の側面から考えた時、先ず想起されるのは山中共古 『吉居雑話』であろう。これは民俗学者である山中が明治40年(1907)から同45年(1912)に吉原町に住んでいた際、同地で見聞きしたものを記したものである。ここに「吉原辺方言」(山中1984;p.101)と「大宮方言」(山中1984;p.28-29)が記されている。

「吉原辺方言」は「大宮方言」と比較すると記される例はかなり少ないが、『吉居雑話』には吉原の地で確認された童謡や歌などが多く記されており、あくまでも方言に限局した場合は少ないという話である。吉原辺の方言として、以下の3つが記される。

  • アカシヤ(ダボハゼ魚)
  • ヒルンベ(蛭)
  • ハンナ(花)

現在、これらは用いられているのであろうか?

また『吉居雑話』の与えた影響は大きく、柳田國男は1918年の論稿「農に関する土俗」で引用し、中山太郎は1925年の論稿「人身御供の資料としての「おなり女」伝説」で引用するなどしている。

また中山の名著『日本巫女史(にほんふじょし)』(1930年)でも複数箇所引用され、玉渡神社の虎御前伝承に関わるもの(中山2012;p.430)や、臭気の払いに関する考察の引き合いとして(中山2012;p.500)にて引用するなどしている。後者は、方言ではないものの、それに類するものと言える。

  • 花一匁(はないちもんめ)

花一匁については、Wikipediaには「江戸、明治、大正時代には同じ遊びが確認できない」とある。しかし、そうだろうか。例えば(山中1984;p.14)に、吉原の子どもたちの遊びの文言が記されているが、これは明らかに「花一匁」である(但し、「はないちもんめ」という言葉自体はない)。以下にその文言を掲載する。

吉原ノ子供遊ヒノ子買ヲ子カヲ、女ノ子供往来ノ左右ニ別レテイフ、

右 ヨーカ、コカ、
左 ドノコガホシイ
右 ヲ〇〇サンヲホシイ
左 ナニクレテソダツ
右 砂糖ノ饅頭
左 ソリヤ虫ノ毒ヨ
右 天カラヲチタカマボコ三キレ
左 ソリヤマタホ子ポイ
右 ホシテクレリ
左 チヨチヨムシタカル
右 アカイマントゝソエテクレル (イナイテコイ)カアカトトンデコイ

呼レシ子供向側ヘカケテ行キ、又クリカヘシイフテ遊ブ、

「子買ヲ子カヲ」は山中の言葉で、「子買わ 子買わ」と言った方が分かりやすいだろうか。よく意味が分からない部分もあるが、おそらく「右」が鬼の立ち位置で、「左」が鬼の要求に対抗するという問答の遊びと思われる。

以下に、私なりの解釈を示してみた。

右 ヨーカ、コカ :「子買い」の意味か?
左 ドノコガホシイ :「鬼」に対し要求したい人物を聞く
右 ヲ〇〇サンヲホシイ :「鬼」はそれを答える
左 ナニクレテソダツ :ただではあげられないと、要求する
右 砂糖ノ饅頭 :「鬼」は対価を示す
左 ソリヤ虫ノ毒ヨ :「虫ノ毒ヨ」の意味は分からないが、拒否していると解せる
右 天カラヲチタカマボコ三キレ 代替案としての「蒲鉾三切れ」か
左 ソリヤマタホ子ポイ :意味はよくわからないが、おそらく拒否だろう
右 ホシテクレリ  :意味はよくわからないが、おそらく要求する内容だろう
左 チヨチヨムシタカル :はやり拒否する
右 アカイマントゝソエテクレル (イナイテコイ)カアカトトンデコイ :「アカイマント」がとっておきで、もう流石に折れるだろうという流れ。「トンデコイ」はすぐこっちに来いという意味か?

この遊びの場合、双方が欲しい人を呼ぶものではない。一方がもう一方に要求する形である。しかも「鬼」が始める権利を有している。そして鬼でない陣は、自陣のうちの誰かを鬼が要求していると分かった上で話を進めている。

しかし、おいそれとは渡さない。ここのワードセンスやギリギリの要求が求められる遊びなのだろうが、「呼レシ子供向側ヘカケテ行キ」とあり、最終的には鬼に取られるのである。この運命は避けられない。やがて全員が鬼陣地となるのだろう。

この意味を考えていきたいが、これは男女の関係を示しているものではないだろうか。つまり男が女に欲しいと要求し、納得できる内容であったら了承するという構造なのではないだろうか。しかし声を掛けられた時点で、その後の運命は避けられないという意味も併せ持つ。

また、ネットで確認されるようなよりダークな解釈をすれば、身売りや人身売買のような意味もあるかもしれない。だからこそ、この遊びは全員女の子であったのかもしれない。「コカ」も「子買い」から由来すると考えた方が良いだろう。

つまり身売り・人身売買の摂理を遊びの中に落とし込んだもの、という見方も出来なくはない。花一匁は多くの例で双方が欲しい人を要求するが、この場合一方通行であるから、より不平等性を感じるものとなっている。むしろこれが花一匁の原型なのかもしれない。

上述したように明治期の伝聞等を記したものが『吉居雑話』であるため、明治期には花一匁ないしそれに類するものは確認されると考えたほうが良いのではないだろうか。

  • 旧暦

この辺りは現在も「ひなまつり」等は旧暦で執り行われるが、(山中1984;p.29)に「富士郡全体ハ旧暦ヲナス土地ニテ、旧ノ大晦日ハ吉原和田橋ノ辺ニ市立ツ」とある。

当時の世相から見ても、旧暦が残る地という印象がもたれていたようである。それが現在にも引き継がれていることが分かる。


  • 鬼決め歌


富士市の鬼決め歌は「ぎったんばっこん」が主流であったと考えられる。それは(美濃部2006;p.521)においても言及されているし、実際に私も富士地区において昔聞いたことがあるからである。末尾の「(資料)鬼決めアンケート結果」の「56」「78」「173」「203」「237」が、富士市に関するものである。

しかし(美濃部2006;p.525)にあるように、「柿の種」という言葉も富士市で認められる。この調査は手法があまり優れたものではないため何とも言い難いが、やはり主流は「ぎったんばっこん」であったと目される。

もっとも、現在は聞くことすらないように思われるが、どうだろうか。


  • おわりに

『吉居雑話』は現在の富士市域の風習等が多く記されるので、多くの富士市民に読んで頂きたい資料の1つである。それらから、現代に通ずるものを見出す作業も面白いと思われる。

6:「富士市の方言・花一匁・旧暦風習・鬼決め歌について考える」

  • 参考文献
  1. 山中共古 (1984)「吉居雑話」『諸国叢書』(No.1)、成城大学民俗学研究所
  2. 美濃部京子(2006)、「わらべうたの変容-鬼決め歌の変容から静岡県の位置を考える-」『中日本民俗論』、静岡県民俗学会
  3. 中山太郎(2012)『日本巫女史』(初版:1930)、国書刊行会

2026年6月16日火曜日

富士市が企業の食い物にされてきた歴史、ウシジマくん案件について

昭和30年代の富士市において、まるで『闇金ウシジマくん』の世界のような出来事があったことを御存知だろうか?

これは富士市が結んだ奴隷契約を発端とし、企業の食い物にされ、地元民が不当な扱いを受けてきた歴史である。山崎豊子(故人)も、これを知っていたら作品を著していたかもしれない。そんな風にも思える凄まじさがある。

解説の前に、当時の物価状況を見ていきたい。日本銀行HPに示される消費者物価指数(CPI)で、本稿で取り扱う年代のものは昭和32年(1957)の17.1。これを数式に当てはめてみる。

消費者物価指数(持家の帰属家賃を除く総合)
115.3(2026年4月値)÷17.1(昭和32年)=6.7倍

 



従って、昭和32年当時に1万円で取引されていたものが、現在では約6.7万円となる計算になる(消費者物価指数)。では本題に入っていきたいと思う。

  • 富士市の奴隷契約
富士市という土地に、ある企業が目をつけた。その会社こそ、「旭化成」である。旭化成と富士市は、昭和32年(1957)には正式に契約を締結した。その契約こそが奴隷契約である。(笠井1964;p.63-64)より引用する。

会社は、誘致契約の最大の条件として、富士市に対し、二十万坪(工事敷地二十万坪、住宅地二万坪)の用地提供、これに関連する排水路、水道、市道などの付け替え工事、とくに田子の浦人造港を建設し、富士市地域内の同港の埠頭の9割を旭化成の専用とし、旭化成は、一切その負担を負わないという契約がなされた。この結果、市は、極めて企業優先による工場誘致を余儀なくされ、会社の要求する条件整備のため、市の行財政を圧迫してまでも、特定企業の要求にこたえる先行投資をおこなわなければならなかった。

まずこの契約は、奴隷契約以外の何者でもない。田子の浦港の埠頭は、恒常的な税収となり得るはずである。この契約通りであった場合、その手段は完全に絶たれてしまう。端的に言えば、長期的に考えた場合、富士市にとっては大損である。

ここに「旭化成の専用」とあるが、本当に旭化成専用の岸壁が存在する。以下は上の契約かた約30年後に刊行された(富士市1986;p.265)の資料である。


見えづらくてすみません…


富士市の資料によると、合計250mもの岸壁が旭化成専用である(少なとも1986年の刊行時)。また専用岸壁を有しているのは、旭化成のみである。しかしご覧の通り、「公共岸壁」の方が多い格好となっている。あまりにも馬鹿げた要求から、さすがに当初の要求通りにはならなかったようである(それか、後に拡張し比率が変わったものか)。

そして用地買収にかかる費用は、以下のようにして賄われた。(笠井1964;p.64)より引用する。


この結果、二十二万坪の用地買収額は、総額4億1556円で、そのうち旭化成が、3億782万円、市が1億782万円余を負担した。しかし市が負担する分については、市が財政余力がないため、旭化成から8233万円を年8分の利息で借金して支払っているのである。ここで注目すべきことは、会社の負担部分については無利息で市が立て替え、市の負担部分については、会社が8分で貸し付けるという契約条件となっていることである。


これがどれくらいおかしなことかというと、A社が金融機関から有利子負債という形でお金を借りている一方、なんとその金融機関がA社から有利子負債分を遥かに凌駕するお金を無利子で借りているということと同じである。こんなバカバカしい話はあまり聞かない。ウシジマくん顔負けの悪魔契約である。

こんなことであるならば、普通に市債を発行すればいいだけの話のように思える。これでは旭化成側の「利益剰余金」が増加するだけである。また、以下のように続く(笠井1964;p.64-65)。


このような形で工場誘致がなされてよいものであろうか。単純にわりきってしまうわけにはいかない。このシワ寄せは、住民の負担としてもどってくるからである。(中略)つぎは、旭化成の誘致の最大の条件になった田子浦人造港の建設である。(中略)ところが、こうした膨大な地元負担にもかかわらず、一切その負担は旭化成は負っていないばかりか、契約にもとづいて、完成後の同港の埠頭は、旭化成が9割まで専有することになっている。


上述したように、最終的には9割専有することは無かったのであるが、専用埠頭の契約は田子の浦港の活用の振り幅を制限することになる。また後発の他企業からすれば、不公平感を感じずには居られないだろう。

そもそも富士市は旭化成から正当な対価を得ていたのだろうか。奴隷契約が有効であり続け、過小なものになってはいないだろうか。また、以下のように続く(笠井1964;p.65)。


さらに富士市は、こうした旭化成にたいする特別優遇措置のほかに、誘致条件の免税措置(富士市は工場誘致条例がない)として、35年より、固定資産税を3年間は10割。その後2年間7割相当額を免除することにし、(中略)またこのほかに旭化成にたいして土地代金、関連事業費、奨学金など、工業化による先行投資は、7年間に約8億円に達している。こうした市の先行投資は、38年度の市の総財政規模8億円余からみて膨大な額にあたっていることがわかる。


平たく言えば、以下のようにまとめられる。


富士市が「地上げ屋」として奔走し、自身に帰属しないのにも関わらずその土地代まで払わせられ、その上でその土地代の有利子負債分まで献上する


一方は全く汗を流さないが、もう一方は静観しているだけでなぜかお金が入ってくるという摩訶不思議な構造なのである。ここまで馬鹿馬鹿しい契約は本当に聞いたことがない。


  • 労働・賃金問題

また、以下のように続く(笠井1964;p.65)。


ところで市は、旭化成の工場用地買収にさいして、土地提供者世帯ごとに1名を優先的に会社に採用することが、買収の条件とされていたが、土地提供者242世帯のうち約4割に当る101名が採用されているにすぎない。


この制度は住民の間で「1戸1人」という言葉で知られていた。ちなみに採用されたとしても実際は工務系の低賃金労働だったようで、操業開始年の35年末現在の退職者は72名にまで上ったという(101名のうち)。あまりにも酷い話である。

(福士2004;p.4)には以下のようにある。


富士市がこれほどまでに工場誘致に熱心になった理由は、雇用機会の増大と地域振興への期待にあったと考えられる。しかし、旭化成工業全体の従業員数を見てみると、1955年から1965年までの10年間は約 16,000人の前後で推移している。この時期は、化学繊維業界の過当競争による経営不振や、新規事業参入による富士、川崎などへの新工場設立などがあったが、「合理化による余剰人員は新部門で吸収する」という社の方針があり、結果として旧・富士市側が期待したような地元の雇用促進に大きな成果はなかった

特に労働問題は有名で、多くの論稿で目にするところである。(太田1966;p.17)には以下のようにある。

土地買収に際し企業側が農民に対して優先雇用を約束することがこの場合にもおこなわれた。しかし土地を提供した農民に与えられた職種について、農民の不満はかなり強く、旭化成に採用された61人のうち12人が1年くらいで退職した。就業・退職などについては、前掲42)に詳細な資料が示されている。

この前掲42)は『工業化の影響』(静岡県民会館・静岡県経済部共同調査)という刊行物なのであるが、そこに記される内容はもう酷いもので、当時の生々しさがそのまま記録されている(静岡県民会館1961;p.73-98)。この辺りもウシジマくんの世界のようである。以下に住民の声を一部掲載する。

  • 23才の若い人は13,000円位で、喜んでいる
  • (土地提供で入社しても)風呂番で2年という契約もあった
  • 1戸1人といっても、大面積と小面積の人は同じ
  • 学校を出ていないというだけで、給料に3,000円から4,000円の差がある
  • 土地を対価として入社した人はすぐクビという噂がある
  • 寮は大学出と中学出で区別されている
  • 月7,000円の安月給だから、農業をしようか考えている
  • 35才の女性の人が、仕事は便所の掃除や雑用で、日給は200円だと聞いて辞めた
  • 学校出と4,000円も給料が違う
  • 劇薬を使う危ないところは部下にやらせてくる
  • 子供4人をかかえて9,000円の給料ではやっていけない
  • 1戸1人採用という条件だったのに、色盲ということで駄目だった。大昭和ではそういう人も雇ってくれる

根性のある昔の人も心が折れてしまう程の何かがあった…それ以上言えることはない。勿論どの時代も不平不満はあると思うが、旭化成の場合は独特の用語が頻発し(「土地提供」「1戸1人」等)、会社との間で齟齬があったのは明白である。少なくとも、この異常な退職率は、特殊事情が絡んでいるだろう。

単純計算すると、大学出とそうでない人とでは3割くらい給料が違うということになる。土地を提供してまでして入社したのに、対価がこれと知った時は、さぞ無念であったことだろう。

諸論考をみる限り、初めから雇用に関する規定を反故にするつもりでおり、また住民からの土地提供が済んだら用無し扱いとしていたように見える。田舎モンだからと、良いように考えていたようにしか映らない。

提供されたその土地は農家の農地であり、当時の世相から考えるに中学出(ないし高校出)だっただろう。実際は土地だけ得て、給料の少なさを見て辟易して辞めていくのを待っていたという感じだろうか。しかしその土地は戻って来ない。何故なら、入社条件であるからだ。徹底的に食いつぶすことを計算されている。

  • イオンタウン富士南の土地の帰属は?

この契約自体やその後の地元民の扱い方も問題であるが、私が現在の事象でおかしいと感じるのは、旭化成が不要になった土地を他に貸し付けている状態にあることである。その土地は「イオンタウン富士南」の土地であるが、これは元を辿れば


富士市が多額の資金と心血を注いで旭化成のために取得した土地(社宅跡なので、当時からその用途であっただろう)


である(すべてではないかもしれないが)。この土地は旭化成の社宅跡に該当するが、不要となった場合、経緯を考えれば富士市に帰属させるのが筋ではないだろうか。富士市は必要な土地であるので取得に走ったわけで、前提が崩れれば再考するのは当たり前の話ではないか。つまりイオンタウン富士南の土地は旭化成から無償譲渡されるべきであると考える(少なくとも富士市が交渉した経緯の土地分は)。

例えば富士常葉大学の用地は、富士市から常葉大学側に土地自体が無償譲渡されていた。しかし廃校にあたり、常葉大学側は富士市に土地を返還している。イオンタウン富士南の土地も、同様にあって然るべきであろう。そして富士市がこの土地を再開発し、富士市自身の手で発展に繋げていくべきではないだろうか。

もっと言えば、専用岸壁の対価が妥当であるか、少し調査をした方が良いのではないだろうか。さすがに何の対価も得ていないということは無いと思うが…。

  • おわりに
港湾というものは、とんでもない背景があったりするものである。横浜が有名で、「〇〇のドン」なんて云われる人も有名である(そちらは本社が当地に所在するし、法人税も入ってくるので、まだ良いかもしれないが)。簡単に言えば、富士市の地でこれをやろうと企んでいたわけである。

5:「富士市が企業の食い物にされてきた歴史、ウシジマくん案件について」

  • 参考文献
  1. 静岡県民会館公聴課(1961)『工業化の影響 富士市田子浦地区 実態調査報告書』、静岡県民会館
  2. 笠井文保(1964)「新産業都市の建設と近郊農村の変貌 -東駿河湾地区・富士市の事例-」『農村研究 第19号』、東京農業大学農業経済学会、57-70
  3. 太田勇(1666)「岳南地方の工業化(続報)」『地理学評論 39巻1号』、日本地理学会、1-19
  4. 富士市 (1986)『富士市二十年史』
  5. 福士哲生(2004)「昭和期の市町村合併と地域経済・地方財政-静岡県富士市を例に-」『資本と地域1』、地域経済研究会