2026年6月16日火曜日

富士市が企業の食い物にされてきた歴史、ウシジマくん案件について

昭和30年代の富士市において、まるで『闇金ウシジマくん』の世界のような出来事があったことを御存知だろうか?

これは富士市が結んだ奴隷契約を発端とし、企業の食い物にされ、地元民が不当な扱いを受けてきた歴史である。山崎豊子(故人)も、これを知っていたら作品を著していたかもしれない。そんな風にも思える凄まじさがある。

解説の前に、当時の物価状況を見ていきたい。日本銀行HPに示される消費者物価指数(CPI)で、本稿で取り扱う年代のものは昭和32年(1957)の17.1。これを数式に当てはめてみる。

消費者物価指数(持家の帰属家賃を除く総合)
115.3(2026年4月値)÷17.1(昭和32年)=6.7倍

 



従って、昭和32年当時に1万円で取引されていたものが、現在では約6.7万円となる計算になる(消費者物価指数)。では本題に入っていきたいと思う。

  • 富士市の奴隷契約
富士市という土地に、ある企業が目をつけた。その会社こそ、「旭化成」である。旭化成と富士市は、昭和32年(1957)には正式に契約を締結した。その契約こそが奴隷契約である。(笠井1964;p.63-64)より引用する。

会社は、誘致契約の最大の条件として、富士市に対し、二十万坪(工事敷地二十万坪、住宅地二万坪)の用地提供、これに関連する排水路、水道、市道などの付け替え工事、とくに田子の浦人造港を建設し、富士市地域内の同港の埠頭の9割を旭化成の専用とし、旭化成は、一切その負担を負わないという契約がなされた。この結果、市は、極めて企業優先による工場誘致を余儀なくされ、会社の要求する条件整備のため、市の行財政を圧迫してまでも、特定企業の要求にこたえる先行投資をおこなわなければならなかった。

まずこの契約は、奴隷契約以外の何者でもない。田子の浦港の埠頭は、恒常的な税収となり得るはずである。この契約通りであった場合、その手段は完全に絶たれてしまう。端的に言えば、長期的に考えた場合、富士市にとっては大損である。

ここに「旭化成の専用」とあるが、本当に旭化成専用の岸壁が存在する。以下は上の契約かた約30年後に刊行された(富士市1986;p.265)の資料である。


見えづらくてすみません…


富士市の資料によると、合計250mもの岸壁が旭化成専用である(少なとも1986年の刊行時)。また専用岸壁を有しているのは、旭化成のみである。しかしご覧の通り、「公共岸壁」の方が多い格好となっている。あまりにも馬鹿げた要求から、さすがに当初の要求通りにはならなかったようである(それか、後に拡張し比率が変わったものか)。

そして用地買収にかかる費用は、以下のようにして賄われた。(笠井1964;p.64)より引用する。


この結果、二十二万坪の用地買収額は、総額4億1556円で、そのうち旭化成が、3億782万円、市が1億782万円余を負担した。しかし市が負担する分については、市が財政余力がないため、旭化成から8233万円を年8分の利息で借金して支払っているのである。ここで注目すべきことは、会社の負担部分については無利息で市が立て替え、市の負担部分については、会社が8分で貸し付けるという契約条件となっていることである。


これがどれくらいおかしなことかというと、A社が金融機関から有利子負債という形でお金を借りている一方、なんとその金融機関がA社から有利子負債分を遥かに凌駕するお金を無利子で借りているということと同じである。こんなバカバカしい話はあまり聞かない。ウシジマくん顔負けの悪魔契約である。

こんなことであるならば、普通に市債を発行すればいいだけの話のように思える。これでは旭化成側の「利益剰余金」が増加するだけである。また、以下のように続く(笠井1964;p.64-65)。


このような形で工場誘致がなされてよいものであろうか。単純にわりきってしまうわけにはいかない。このシワ寄せは、住民の負担としてもどってくるからである。(中略)つぎは、旭化成の誘致の最大の条件になった田子浦人造港の建設である。(中略)ところが、こうした膨大な地元負担にもかかわらず、一切その負担は旭化成は負っていないばかりか、契約にもとづいて、完成後の同港の埠頭は、旭化成が9割まで専有することになっている。


上述したように、最終的には9割専有することは無かったのであるが、専用埠頭の契約は田子の浦港の活用の振り幅を制限することになる。また後発の他企業からすれば、不公平感を感じずには居られないだろう。

そもそも富士市は旭化成から正当な対価を得ていたのだろうか。奴隷契約が有効であり続け、過小なものになってはいないだろうか。また、以下のように続く(笠井1964;p.65)。


さらに富士市は、こうした旭化成にたいする特別優遇措置のほかに、誘致条件の免税措置(富士市は工場誘致条例がない)として、35年より、固定資産税を3年間は10割。その後2年間7割相当額を免除することにし、(中略)またこのほかに旭化成にたいして土地代金、関連事業費、奨学金など、工業化による先行投資は、7年間に約8億円に達している。こうした市の先行投資は、38年度の市の総財政規模8億円余からみて膨大な額にあたっていることがわかる。


平たく言えば、以下のようにまとめられる。


富士市が「地上げ屋」として奔走し、自身に帰属しないのにも関わらずその土地代まで払わせられ、その上でその土地代の有利子負債分まで献上する


一方は全く汗を流さないが、もう一方は静観しているだけでなぜかお金が入ってくるという摩訶不思議な構造なのである。ここまで馬鹿馬鹿しい契約は本当に聞いたことがない。


  • 労働・賃金問題

また、以下のように続く(笠井1964;p.65)。


ところで市は、旭化成の工場用地買収にさいして、土地提供者世帯ごとに1名を優先的に会社に採用することが、買収の条件とされていたが、土地提供者242世帯のうち約4割に当る101名が採用されているにすぎない。


この制度は住民の間で「1戸1人」という言葉で知られていた。ちなみに採用されたとしても実際は工務系の低賃金労働だったようで、操業開始年の35年末現在の退職者は72名にまで上ったという(101名のうち)。あまりにも酷い話である。

(福士2004;p.4)には以下のようにある。


富士市がこれほどまでに工場誘致に熱心になった理由は、雇用機会の増大と地域振興への期待にあったと考えられる。しかし、旭化成工業全体の従業員数を見てみると、1955年から1965年までの10年間は約 16,000人の前後で推移している。この時期は、化学繊維業界の過当競争による経営不振や、新規事業参入による富士、川崎などへの新工場設立などがあったが、「合理化による余剰人員は新部門で吸収する」という社の方針があり、結果として旧・富士市側が期待したような地元の雇用促進に大きな成果はなかった

特に労働問題は有名で、多くの論稿で目にするところである。(太田1966;p.17)には以下のようにある。

土地買収に際し企業側が農民に対して優先雇用を約束することがこの場合にもおこなわれた。しかし土地を提供した農民に与えられた職種について、農民の不満はかなり強く、旭化成に採用された61人のうち12人が1年くらいで退職した。就業・退職などについては、前掲42)に詳細な資料が示されている。

この前掲42)は『工業化の影響』(静岡県民会館・静岡県経済部共同調査)という刊行物なのであるが、そこに記される内容はもう酷いもので、当時の生々しさがそのまま記録されている(静岡県民会館1961;p.73-98)。この辺りもウシジマくんの世界のようである。以下に住民の声を一部掲載する。

  • 23才の若い人は13,000円位で、喜んでいる
  • (土地提供で入社しても)風呂番で2年という契約もあった
  • 1戸1人といっても、大面積と小面積の人は同じ
  • 学校を出ていないというだけで、給料に3,000円から4,000円の差がある
  • 土地を対価として入社した人はすぐクビという噂がある
  • 寮は大学出と中学出で区別されている
  • 月7,000円の安月給だから、農業をしようか考えている
  • 35才の女性の人が、仕事は便所の掃除や雑用で、日給は200円だと聞いて辞めた
  • 学校出と4,000円も給料が違う
  • 劇薬を使う危ないところは部下にやらせてくる
  • 子供4人をかかえて9,000円の給料ではやっていけない
  • 1戸1人採用という条件だったのに、色盲ということで駄目だった。大昭和ではそういう人も雇ってくれる

根性のある昔の人も心が折れてしまう程の何かがあった…それ以上言えることはない。勿論どの時代も不平不満はあると思うが、旭化成の場合は独特の用語が頻発し(「土地提供」「1戸1人」等)、会社との間で齟齬があったのは明白である。少なくとも、この異常な退職率は、特殊事情が絡んでいるだろう。

単純計算すると、大学出とそうでない人とでは3割くらい給料が違うということになる。土地を提供してまでして入社したのに、対価がこれと知った時は、さぞ無念であったことだろう。

諸論考をみる限り、初めから雇用に関する規定を反故にするつもりでおり、また住民からの土地提供が済んだら用無し扱いとしていたように見える。田舎モンだからと、良いように考えていたようにしか映らない。提供されたその土地は農家の農地であり、当時の世相から考えるに中学出(ないし高校出)だっただろう。実際は土地だけ得て、給料の少なさを見て辟易して辞めていくのを待っていたという感じだろうか。しかしその土地は戻って来ない。

  • イオンタウン富士南の土地の帰属は?

この契約自体やその後の地元民の扱い方も問題であるが、私が現在の事象でおかしいと感じるのは、旭化成が不要になった土地を他に貸し付けている状態にあることである。その土地は「イオンタウン富士南」の土地であるが、これは元を辿れば


富士市が多額の資金と心血を注いで旭化成のために取得した土地(社宅跡なので、当時からその用途であっただろう)


である(すべてではないかもしれないが)。この土地は旭化成の社宅跡に該当するが、不要となった場合、経緯を考えれば富士市に帰属させるのが筋ではないだろうか。富士市は必要な土地であるので取得に走ったわけで、前提が崩れれば再考するのは当たり前の話ではないか。つまりイオンタウン富士南の土地は旭化成から無償譲渡されるべきであると考える(少なくとも富士市が交渉した経緯の土地分は)。

例えば富士常葉大学の用地は、富士市から常葉大学側に土地自体が無償譲渡されていた。しかし廃校にあたり、常葉大学側は富士市に土地を返還している。イオンタウン富士南の土地も、同様にあって然るべきであろう。そして富士市がこの土地を再開発し、富士市自身の手で発展に繋げていくべきではないだろうか。

もっと言えば、専用岸壁の対価が妥当であるか、少し調査をした方が良いのではないだろうか。さすがに何の対価も得ていないということは無いと思うが…。

  • おわりに
港湾というものは、とんでもない背景があったりするものである。横浜が有名で、「〇〇のドン」なんて云われる人も有名である。簡単に言えば、富士市の地でこれをやろうと企んでいたわけである。

5:「富士市が企業の食い物にされてきた歴史、ウシジマくん案件について」

  • 参考文献
  1. 静岡県民会館公聴課(1961)『工業化の影響 富士市田子浦地区 実態調査報告書』、静岡県民会館
  2. 笠井文保(1964)「新産業都市の建設と近郊農村の変貌 -東駿河湾地区・富士市の事例-」『農村研究 第19号』、東京農業大学農業経済学会、57-70
  3. 太田勇(1666)「岳南地方の工業化(続報)」『地理学評論 39巻1号』、日本地理学会、1-19
  4. 富士市 (1986)『富士市二十年史』
  5. 福士哲生(2004)「昭和期の市町村合併と地域経済・地方財政-静岡県富士市を例に-」『資本と地域1』、地域経済研究会

2026年6月12日金曜日

富士市とオウム真理教、富士市におけるサリン散布実験について

"富士山麓オーム(オウム)鳴く…"この言葉を引き合いに出して、良く「オウム真理教」と「富士山」は関係を持って語られてきた。


実際に富士山麓にはオウム真理教の関連施設が多かったし、様々な事象もあった。富士市はその主たる地域の1つである。まず(渡邉2009;p.24)には以下のようにある。


1994.4 
村井が土谷に爆薬サンプルの製造を指示。富士川川口付近でサリンの噴霧実験を行い、中川がサリン中毒にかかる

この富士川川口(河口)付近とは、勿論富士市のことである。このことは、『富士市史』にも記されている。以下は、平成7年(1995)の富士市議会定例会における意見書の文面の一部である(富士市2018;p.29)。

当市内においても、市民の憩いの場である富士川河口において、サリンの散布実験を行ったといわれており、また、同教団関連会社が大量の化学薬品を違法に保管し、さらに田子の浦港においてサリン製造の実験器具などを投棄するなど、市民の不安が高まっている。

つまり富士市は、サリンが散布された地なのである。おそらく地下鉄サリン事件の予行演習の一環だろう。また(朝日新聞出版企画室1995;p47)には、以下のようにある。

富士市の貸倉庫から約4万2千リットルのグリセリンが押収された事件では、警視庁と静岡県警が、教団関連の化学薬品卸会社「ベル・エポック」社長の長谷川茂之容疑者(26)を消防法違反(危険物の無許可貯蔵)などの疑いで指名手配。

富士市においてオウム真理教が多く活動していたことは、明白である。地下鉄サリン事件の前に何らかの形で薬品工場だけでも摘発できていれば…と悔やまれる。

平成7年(1995)4月8日『毎日新聞』夕刊一面には以下のようにある。

捜索は富士市水戸島の信者が経営する化学工業薬品会社「ベック」の倉庫▽同市比奈にある麻原彰晃代表が創設したとされる精密機械製造会社「光精密工業」(以下略)

このように、富士市にはオウム真理教の関連企業が位置していた。また9面には以下のようにある。

「大量の化学薬品 富士市の倉庫で中継か」
静岡県警が8日捜索した静岡県富士市水戸島の「ベック」の倉庫には今年に入って東京ナンバーのトラックが荷物を降ろし、山梨ナンバートラックが盛んに運び出したり、…

また同年4月9日付の『岳南朝日新聞』には以下のようにある。

富士市内の二ヵ所の捜索も午前7時すぎから開始され、このうち同市水戸島地先にある同教団関連会社の倉庫からは、苛性カリ(水酸化カリウム)および苛性ソーダ(水酸化ナトリウム)の二種類の化学薬品類などが大量に押収された

また、同市比奈の会社倉庫では、旋盤工作機械があることも確認された。

旋盤工作機械は拳銃の制作に用いられたのではないかと、調査当時に疑われていたようである。このように、富士市とオウム真理教は関係が深かったのである。

富士市では、サリンが散布された事実そのものも忘れ去られているように見える。公安調査庁の特設ページTOPには「記憶の風化を防ぎ、次世代に記憶を継承する」とあるが、少なくとも富士市においては全く継承されていないように見えるが如何だろうか。

  • おわりに

現在、富士市の市制施行60周年を記念し、シリーズとして記事の投稿を進めている。20記事くらいを予定しているため、是非ご覧いただきたく思う。

1:「富士市の生贄伝承一大群とTRICK感を考える、シティープロモーション化の可能性
2:「富士地区の「富士」を巡る会話はなぜカオスなのかを考える
4:「富士市とオウム真理教、富士市におけるサリン散布実験について」

  • 参考文献

  1. 朝日新聞出版企画室(1995)『日本を揺るがしたサリンとオウム』、朝日新聞社
  2. 渡邉学(2009)「南山宗教文化研究所所蔵オウム真理教関係未公開資料の意義について」『研究所報 巻 19』、南山宗教文化研究所、12-29
  3. 富士市(2018)『富士市史 通史編(行政)昭和61~平成28年』