2026年7月20日月曜日

富士市による民俗学展開への期待と課題、新『富士宮市史』の成果

今年刊行されたばかりの新『富士宮市史』に、富士市も関係する興味深い記述が確認される(富士宮市2026;p.191)。


今回の市史編さん事業の調査で、新出の富士山縁起を確認した。表5−2に「浅間大社(公文富士家)」系統としているものである。本書では、『富士山大縁起本社末社之次第』について紹介したい(表5−2③、写真5− 19)。

奥書の部分に「維時天正廿 年壬辰二月十七日戊申日前永平保寿現住之源凛乎写之」とあるが、以前に曹洞宗本山の永平寺におり、当時は保寿寺(富士市伝法)僧であった之源凛乎が書写したものと記されている

保寿寺は文亀3年(1503)8月に曹洞宗に改宗し、天正14年(1586)に之源(芝源)凛乎が第二世住職になったとされる(駿河郷土史研究会 1989)。奥書には、さらにこの縁起のほか一一巻があり、天正9年(1581)全てを之源が書写し、大宮寺の士雲に渡したとある。大宮寺とは浅間大社の別当宝幢院のことであろうか。

「之源」なる住持は実在したのだろうけれど、何となく伝説感も否めないという状況が、この史料によって一気に空気感が変わったという感覚である。

さて之源凛乎といえば、三股淵の大蛇の調伏伝説であろう。しかしこの辺りの伝承は、「富士市において歴史学は何故敗北したのか、お菊田伝承や富士市刊行物から紐解く」にあるように郷土史家によって荒れに荒らされたため、本来のものと逸脱した解釈が世に溢れてしまっている。



問題の1つである『広報ふじ』昭和42年(1967)5月15日号「いけにえ淵」から、郷土史家オリジナル脚本の部分を抽出してみよう。


  • 保寿寺伝承と阿字の伝承の融合
  • 三島宿の登場
  • 毘沙門天の登場
  • 吉原宿東木戸の登場
  • 茶屋のおかみさんの登場
  • 問屋場の登場
  • 沼津宿・根方街道の登場(これは物語の解像度を良くするための範疇とも言えるが、仮にそうであっても原宿が妥当)
  • 宿場役人の登場と同人によるクジの強制
  • 七曲がりの登場


この辺りはすべてオリジナル脚本である。もう完全に、別物といって良い。特に太字の部分が悪質である。しかし「阿字の伝承」と「保寿寺の伝承」は本来切り離されていたものである。例えば『田子の古道』には以下のようにある。


(阿字の伝承を記述)…「えきろの鈴」には説を乗せたり。(中略)この寺所替して伝法村の地へ上る。(『田子の古道』「野口脇本陣本」)

(阿字の伝承を記述)…「是駅路の鈴といふ書物に祝のを乗りたり(中略)蛇の鱗ハ厚原村保寿寺の什物となりて…」(『田子の古道』「森家蔵本」)


このように、明らかに阿字の伝承と保寿寺のものは切り離されている。「野口脇本陣本」は唐突に「この寺」とあるが、これは書写の中で保寿寺の箇所が抜け落ちたためである。従って「この寺」とは保寿寺のことである(「野口脇本陣本」は後に発見されたもので『広報ふじ』連載当時は認識されていない)。

また他の地誌においても明確に棲み分けされている。端的に言えば、もうこの郷土史家による著書類は参考にしないほうが良い。

こういう過去の産物の検分も必要であるが、富士市には既に材料があるため、それらを活用するのも良いことだろう。(辻本2026;p.37)は柳田國男の旅路に関連して、以下のように記している。


そして、最後は富士市の吉原で先ほどの山中共古さん、すなわち文通をしていた人に会っています。ということで、即東京に帰らずに沼津に戻ってきたのは、おそらく文通で情報交換をしていた山中さんに会うためだったということです。

柳田國男と山中共古は直接会っていたわけであるが、この山中共古の『吉居雑話』が大変面白い。この辺りを富士市はもっと掘り起こす必要性があると思う。

  • 新『富士宮市史』の現時点での評価

新『富士宮市史』はこれから刊行されていく分もあるので、評価は難しい。ただ以下の項目は、今後の刊行分に求められる。

  1. 富士宮市を舞台とする芸能(詞章等を分析)
  2. 『曽我物語』特論(『小田原市史』がそうであったように)
  3. 富士宮市を題材とした大和絵の分析
  4. 人穴について(伝承の変移、題材とした大和絵)

個人的には、『曽我物語』『富士野往来』「曽我物」といった「曽我群」だけで一冊でも良いとすら思っている。「曽我群」+「大和絵」で一冊でも全くおかしくはない

また「井出氏」に関する記述がないのも不思議な感じがする。「富士氏」に関しては、十分言及されたと考える。最大の懸念点と富士宮市の従来よりの課題は、解消されたとも言える。

  • おわりに

現在、富士市の市制施行60周年を記念し、シリーズとして記事の投稿を進めている。30記事くらいを予定しているため、是非ご覧いただきたく思う。

15:「富士市による民俗学展開への期待と課題、新『富士宮市史』の成果」

  • 参考文献
  1. 富士市(1967)『広報ふじ』昭和42年(1967)5月15日号
  2. 辻本侑生(2026)「現代民俗学から考える静岡県東部の日常と文化」『静岡の言語と民俗~県東部にスポットをあてて考える~』(静岡大学公開講座ブックレット16) 、静岡大学地域創造教育センター、27-53
  3. 富士宮市(2026)『富士宮の歴史 通史編Ⅰ』

2026年7月19日日曜日

旧富士市・旧吉原市・旧鷹岡町の合併直前の人口と令和7年国勢調査の結果

 まず令和7年国勢調査速報集計のうち、「人口速報集計 (男女別人口及び世帯総数)」を見てみよう。

総数
静岡県3,468,8451,707,440 1,761,405
静岡市659,620320,015339,605
静岡市葵区238,244114,321123,923
静岡市駿河区205,146100,630104,516
静岡市清水区216,230105,064111,166
浜松市765,750379,632386,118
浜松市中央区591,381293,632297,749
浜松市浜名区150,70774,47376,234
浜松市天竜区23,66211,52712,135
沼津市179,43888,23391,205
熱海市31,43314,23617,197
三島市103,08550,04053,045
富士宮市119,18559,07660,109
伊東市61,19228,66532,527
島田市91,26644,50246,764
富士市237,793117,407120,386
磐田市160,54880,81479,734
焼津市130,93564,03466,901
掛川市111,66256,08655,576
藤枝市134,51365,21669,297
御殿場市81,14241,22539,917
袋井市86,59743,63442,963
下田市17,9248,6249,300
裾野市47,34123,63523,706
湖西市55,21128,57426,637
伊豆市25,74612,22513,521
御前崎市28,46414,48913,975
菊川市45,53522,90822,627
伊豆の国市44,15421,26622,888
牧之原市40,34319,87220,471
東伊豆町10,2254,8155,410
河津町6,1403,0133,127
南伊豆町7,0053,3333,672
松崎町5,2312,4612,770
西伊豆町6,0862,8973,189
函南町34,76816,78617,982
清水町31,09415,05216,042
長泉町43,25721,30621,951
小山町17,1469,0038,143
吉田町27,75313,75214,001
川根本町5,3182,6432,675
森町15,9457,9717,974

そして以下の記事を見て頂きたい。

静岡県人口、45年ぶり350万人割れ 減少数・減少率とも戦後最大(日本経済新聞WEB版 2026年5月29日 )
総務省が29日発表した2025年国勢調査(速報値)によると、静岡県内の人口は同年10月1日時点で346万8845人と、前回20年調査から4.5%(16万4357人)減少した。県内人口が350万人を下回るのは1980年以来45年ぶりとなる。(中略)市町別では県内の35市町全てで人口が減少した。(以下略)

何と、すべての市町で人口が減少したという。ここで、富士市と富士宮市の人口を見ていこう。実は富士市と富士宮市とでは、減少に転じたのは富士市の方が早い。しかし減少のスピード自体は富士宮市の方が早く、富士市は比較的維持していると言える。

巷では、富士市は富士宮市の人口の2倍以上を有すると述べる人が居る。それは全くのウソなのであるが、それが現実になる日が来ても全くおかしくはない。このままのスピードでは、その日も遠くないと言える。

ちなみに、旧富士市・旧吉原市・旧鷹岡町の合併の前年に国勢調査が行われているため、合併直前の人口が分かる。それを以下に示す(国勢調査は1965年、合併は1966年)。



実は旧吉原市の方が旧富士市より圧倒的に人口は多かったのである。つまり、このように言い表せる事もできる。


①旧富士市に対する旧吉原市の人口(1965年):1.694倍
②富士宮市に対する富士市の人口(2025年):1.995倍


この10年の人口推移を見てみると、富士宮市の人口に対する富士市の人口は1.8倍台に迫る場面もあった。それを踏まえると、差が開いてきていることが分かる。

これを"富士市が粘っている"と捉えるか、"富士宮市の減少率が高い"と見るか、はたまた両方と見るのかは人によって分かれるだろう。詳細に分析しているわけではないが、富士市が粘っているのは間違いない。

そもそも、他の自治体においては人口減少が早期に確認される中で、富士市や富士宮市は微増ないし横ばいで耐えてきた優秀組であった。そこすら崩れているところを見ると、地方は相当厳しくなっていくだろう。

インフラの維持など到底できないし、水道普及率をむやみに高める必要などもないだろう。公園なども、むやみに整備するのは考えものである。トイレなどは、公民館や大きい都市公園に限局すべきだろう。何だか高齢の方が声高に公園整備などを要求するが、後の世代のことも考えて欲しいものである。フリーライドを推進する必要性などないのだから。

  • おわりに

旧富士市に対する旧吉原市の人口(1965年)が「1.694倍」と約1.7倍であったのにも関わらず、名称(市名)は少ない方で決定したという歴史がある。この事実は、仮に将来合併議論が発生した際、参考材料になることだろう。

現在、富士市の市制施行60周年を記念し、シリーズとして記事の投稿を進めている。30記事くらいを予定しているため、是非ご覧いただきたく思う。

14:「旧富士市・旧吉原市・旧鷹岡町の合併直前の人口と令和7年国勢調査の結果