まず、新富士市の市庁舎の位置選定の経緯は(富士市1967;52)に記されており、以下のようにある。
新市の事務所の位置新市の事務所の位置については総務委員会において審議することとなっており、委員会としては選定資料として航空写真をとることとなった。その後委員会、協議会において慎重審議がなされたが、ただ意見交換のみに終止した。委員会としては各市町毎に希望する候補地及び選定の理由を持ち寄って検討し、又、或る程度煮詰めた上で現地踏査等も行なうことに決定され、各市町において独自に選定した候補地の提示が図面によりなされ、選定理由の説明がなされた。各市町の提示した候補地は吉原市 吉原市津田地先国道1号線沿、現吉原市営球場敷地富士市 吉原市永田県道御殿場-富士線沿、潤井川左岸、岳南総合運動場計画予定地附近鷹岡町 吉原市片宿、鷹岡町との境界2級国道139号線(大月-吉原線)沿、東名高速道路北側であるが、この提案理由の説明に対する質疑があり、引き続き審議に入ったが結論は出ず、再び各市町において各々提示した候補地に対して更に十分なる検討を加えることとなった。
ここで注目されるのは、三自治体すべてが吉原市域を選定していることである。やはり町の中心は吉原市であるという共通認識があったらではないだろうか。「旧富士市・旧吉原市・旧鷹岡町の合併直前の人口と令和7年国勢調査の結果」にもあるように、吉原市の方が人口は多かった。
その後開かれた委員会においても具体的な歩みよりが見られず、最終的には各市町の首長及び副議長等の首脳会議により検討することとされた。この首脳会議において事務所の位置は吉原市伝法地内約40万坪の円内に求めることに意見の一致をみた。更にこの40万坪をいかにして集約を計るかについて討議されたが、その結果約20万坪に集約すべきだとの極めて積極的な意見の一致をみるとともに尚慎重審議を要するとして継続審議に付されることとなった。更にこの20万坪をいかにして選定するかについては円内の弥生線以南においてなるべく地価の安いところを出来るだけ広く求められるよ様な場所ということに決定された。尚この20万坪の圧縮、用地取得の方法として庁舎用特別委員会の設置についての意見の一致をみ、41年7月17日開催された第13回促進協議会において正式に承認され、具体的審議に入ることになった。
この種の話でいつも思うのであるが、正直、都市開発の知見の無いおじさん達で選定するというリスク自体は当事者たちは感じないのだろうか。
デベロッパーであれば、開発失敗で場合生じた不利益はそのまま自分たちに降りかかる。こういう緊張感が全く発生し得ない状態で選定すること自体がリクスと思うのであるが、如何であろうか。また以下のように続く。
この特別委員会において集約の方法として各市町で適当と考えられる地点を2案ずつ提出し、その第1案を中心に市名の問題も含めて協議することとなったが、協議の過程において吉原市、富士市の意見の一致が見られない為鷹岡町が調停役になり、調整が図られたが結論が得られず結局しばらく冷却期間をおくこととなった。その後鷹岡町より①庁舎の位置については図面に示す範囲において吉原市と鷹岡町が意見の一致する位置を尊重する。②名称については富士市と鷹岡町の意見の一致する名称を尊重する。という超提案が出されたが調整が得られず、結局各市町とも同一歩調で全員協議会に諮ったうえ、継続審議に付すこととなった。その結果、新市の事務所の位置は吉原市側と話し合い、意見の一致をみた吉原市提案の第1案即ち吉原市大字永田地先と決定されるとともに総務委員会に諮り、更に41年9月8日開催された第14回促進協議会において正式に承認され決定された。
この文献における文章は時系列等が示されず分かりづらいのであるが、つまり吉原市と鷹岡町とで市庁舎の位置が検討され、新市名の決定と同時に正式決定に至ったということであろう。
そして完成当時の市庁舎の写真が残っているので掲載する。
このように緑地がふんだんに残る地に市庁舎は建てられた。写真の左手下に現在の青葉通りがみえる。実は青葉通り一帯は、富士市の中でも田舎の場所で、建物1つないような場所だったのである。とはいっても、当時の富士市はかなりの面積が緑地であったわけであるが。
この青葉通り沿いの「青葉町」が、現在富士市において地価最高点となっている。この事実そのものが大問題で、富士市の問題点を如実に表すものとなっているわけであるが、この部分については余裕があれば記事化したく思う。
- おわりに
現在、富士市の市制施行60周年を記念し、シリーズとして記事の投稿を進めている。30記事くらいを予定していたが、他の記事群と比較してアクセス数が限られているため、アクセス数に応じて投稿を進める形式で進めようと考えている。
21:「吉原市と鷹岡町により選定された富士市役所の位置、当時の青葉通りの様子」
- 参考文献
- 富士市市長公室企画課(1967)『岳南2市1町合併の記録』










