本稿では、世に出ている作品群において、富士市はどのような形で取り上げられているのかという点を見ていきたい。そして、その背景についても考えてみたいと思う。
(宮下2004)は、富士市を取り上げた近代文学を紹介している。とても参考となるものであるが、その中に以下のような箇所がある(宮下2004;p.40)。
その後、工業都市として富士市は発展したが、「新・東海道五十三次」(昭44)を著した武田泰淳は、大気と河川の汚染や悪臭等の公害の実態を見据え、一方で労働に従事する現地の人々への敬意も表明して、矛盾する両者を止揚するかのように巨大な風車の設置を夢想したりしている。
難しい話はいいとして、実際に『新・東海道五十三次』を見ていこう(武田1969;p.79)。
富士市で製紙工場と機械工場。(中略)「わたし。はじめは臭いなあ、臭いなあと思ってたけど、しまいには臭くなくなったわ」富士市に入った時は鼻をひんまげていた彼女が、富士市を出る時には平気になっていた。
また、工業都市(静岡県富士市)の市民意識調査において、地元に「帰ってきたと感じるとき」を答えてもらう質問では、選択割合の大きいほうから、1位「富士山」に次いで、2位「エントツ群」、3位「におい」であり、「市のシンボル」についての質問では、同様に1位「富士山」に次いで、2位「エントツ群」、3位「田子の浦港」だった。「エントツをどう思うか」についての質問では、同様に1位「公害」、2位「紙の町」、3位「産業」だった。工場群の「エントツ」と「におい」について、公害のイメージと併存しつつ懐かしい地元のシンボルという両義性が社会意識にみられる。
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| 『ゴジラ対ヘドラ』の冒頭シーン |
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| ヘドラによって被害を受けた富士市のエリア(途中情報) |
- おわりに
2:「富士地区の「富士」を巡る会話はなぜカオスなのかを考える」
- 参考文献
- 武田泰淳(1969)『新・東海道五十三次』、三陽社
- 宮下拓三(2004)「富士市・芝川町」、『静岡近代文学』19号 、静岡近代文学研究会
- 秋山憲治(2024)「感じ入る風景の発見と定型化-工場風景をめぐって-」『静岡理工科大学紀要』Vol.32


