2026年9月14日月曜日

須藤秀忠富士宮市長と富士市、富士登山規制とメガソーラーと博物館

今回は番外編として、今期での引退を表明した須藤秀忠富士宮市長のこれまでの取り組み及び富士市との関係について考えていきたい。本稿では主に就任から2期目までを取り上げていきたい。


  • 富士市との合併拒否

まず富士市との関係についてであるが、これはやはり以下の事柄が象徴的であろう。


富士市と富士宮市の合併を拒否したこと


富士市からの富士宮市に対する合併要請の歴史を振り返る」にあるように、当時の富士市は富士宮市との合併を強く推進していた。須藤市長は就任して直ぐ、これを退いた形である。須藤市長と富士市との関係という意味では、他にそれほどトピックは無いように思われる。


  • メガソーラー規制

以下では富士宮市長の事跡について見てみよう。須藤市長独自の取り組みとしては、以下の事柄が象徴的であろう。


メガソーラー規制を全国の自治体に先駆けて訴えたこと


私の中では"須藤市長=メガソーラー規制の人"というイメージすらある。ではそれらを見ていこう。


富士山、景観優先です 大規模発電自粛要請へ(2012/08/30 共同通信)
メガソーラーより富士山の景観が優先です―。世界文化遺産登録を目指す富士山の景観を守るため、静岡県富士宮市は30日、太陽光や風力発電の大規模設備の新設を自粛するよう、9月1日から事業者に要請していくことを明らかにした。富士山の登録をめぐっては、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の諮問機関による調査が始まったばかり。須藤秀忠市長は「世界文化遺産としてふさわしい富士山の景観を後世に伝えていく責務がある」としている。

この時代、メガソーラー規制を訴える自治体は比較的珍しく、かなり先駆的な取り組みであったと言えるだろう

メガソーラーの自粛要請=世界遺産で富士山景観保護-静岡・富士宮市(2012/08/30 時事通信)
静岡県富士宮市は30日、世界文化遺産登録を目指している富士山周辺の景観を守るため、大規模太陽光発電所(メガソーラー)や風力発電設備の新設を自粛するよう事業者らに要請すると発表した。9月1日から市域の約75%を「抑止地域」と定め、協力を求める。同市によると、既にメガソーラー新設の問い合わせが20件近くあるという。太陽光発電設備は法律上建築物と見なされず設置が容易なため、市は「このまま手をこまねいていれば富士山の眺望が阻害される」(須藤秀忠市長)と懸念。ただし、条例による規制は検討していない。(抜粋)

明確に、須藤市長は"メガソーラー規制の人"なんですよね。

メガソーラー施設:規制対策、国に要請へ 富士宮市、富士山の景観保全で /静岡(毎日新聞WEB版 2013年05月23日 地方版)
富士山の世界文化遺産の登録を控え、山麓(さんろく)の景観を保護するため、富士宮市は22日、設置要望が相次ぐ大規模太陽光発電(メガソーラー)などを規制する対策を国に求めることを明らかにした。須藤秀忠市長が23日、経済産業省などを訪れて陳情する。市内には朝霧高原など広大な草原が広がり、日照時間も長いためメガソーラー設置の適地とされていた。しかし、発電施設が増えると世界遺産にふさわしい景観や眺望が阻害されるとして、同市は昨年9月、市域の75%に当たる計約290平方キロを「抑止地域」に定めた。太陽光パネルが1000平方メートルを超える発電施設と、高さ10メートルを超える風力発電施設を設置しないよう求めている。現在、市内に大規模な発電施設は建設されていないが、この1年間、市に寄せられた設置の問い合わせは135件に上った。(抜粋)

また須藤市長は経済産業省を訪問し、要望書を提出するなどしている。

「大規模発電」新設抑制 富士宮市が国に要望(中日新聞WEB版 2013年5月24日)
富士山の世界文化遺産登録に向けて、富士宮市は二十三日、太陽光や風力などの大規模発電施設の増加は山麓の景観を悪化させるとして、新設を抑制する対策を国に求めた。今後乱立する可能性があり、より踏み込んだ対策を訴えた。須藤秀忠市長が、経済産業省や環境省を訪問し、要望書を提出。再生可能エネルギーの必要性は認めつつ、太陽光パネルや風車の無秩序な設置を防ぐため、事業者に対して、地元自治体からの同意を義務づける制度の構築などを要望した。大規模発電施設の新設をめぐり、市は昨年九月、富士山の構成資産周辺や牧草地が広がる朝霧高原を含め市域の75%に当たる二百九十平方キロメートルを対象として、新設の自粛を呼び掛け始めた。再生可能エネルギーの創出以上に、一帯の景観や自然を守る姿勢を鮮明にする狙いだった。現状では太陽光パネルや風車の設置を制限する法律の規定はないといい、今回の要望が実現すれば、実質的に市が新設の“拒否権”を持つことになる。(抜粋) 

経済産業省や環境省を訪問しているということですから、相当の熱意が伺われる。

メガソーラー暗雲 売電申請の7割、門前払いも(MSN産経ニュース 2013.5.26)
買い取り制度が始まったのは昨年7月。再生エネの普及に向けて大型投資を呼び込もうと、事業者がもうかる仕組みにした。中でも割高の価格設定となった太陽光では、用地が確保できれば、建設期間が比較的短くて済むため、メガソーラーへの参入が急増した。エネルギー政策に詳しい21世紀政策研究所の沢昭裕研究主幹は「北海道の問題は買い取り価格を決めて、量をコントロールしない制度の限界を露呈した。まずは各地域で必要な量を決めて、安く発電する事業者から電力を買う仕組みに見直すべきだ」と指摘している。太陽光発電は天候次第で出力が変わる。電力の需要と供給の均衡が崩れると停電が発生する恐れもあるため、電力会社は火力発電の出力を増減させて需給バランスをとっている。資源エネルギー庁によると、昨年12月末現在のメガソーラーの認定状況を都道府県別でみると北海道がトップで、全体の25.9%を占める。広い土地が安く手に入りやすいためだ。(抜粋)

"「大規模発電」新設抑制 富士宮市が国に要望(中日新聞 2013年5月24日)"の記事にあるように、市が完全な拒否権を発動するのは当時の法的環境では難しい。須藤市長は法的根拠を獲得したかったのであろう。

富士山閉山期の規制を提唱しただけでも一般(実際は一部登山愛好家)における拒否反応が強いことからも分かるように、自治体が何らかの規制をしようとすると対抗勢力は必ず出てくる。勿論、メガソーラー賛成という人の声も聞く必要性はあるが、個人的には規制には反対しない。

富士登山規制関連で言えば「法的根拠が無い」という批判はあまり意味がない。これは「〇〇についての定義が無いので〇〇といったような形の定義を作ろう」と言っている人に「定義がない」と批判しているのと同じであるからだ。本質的に重要なのは、冬期登山で発生する課題との折り合いをどうつけるのかという点にある。

つまり課題がそこにあるのだから、表立って批判する場合「代替案」くらいは提示すべきなのだ。それが無いのなら、無関心である方がよっぽど良い。無ければそこに来るべき人ではないのだ。少なくとも話し合う相手としての優先順位は相当低くなるだろう。ちなみに私は、冬期に富士登山したい派である。


  • 博物館構想

次に取り上げたいのは「博物館構想」である。須藤市長は2015年の時点で既に「歴史館」の建設を模索していた。しかしそれは任期中に成就していない。

博物館構想の障壁となったのは①市民性の問題(ここに市議会議員も含まれる)従来の文化課の問題の大きく2つが関係すると考えられる。③として「巷の意見」も挙げておこうと思う。それらは既存の記事において詳細に記しているので、御参照頂きたく思う。

私はYouTubeが好きで様々な動画を観ているのであるが、この数日の間で衝撃的な動画に出くわした。それが以下の動画である(2026/09/02公開)。



内容は聞くに耐えないものとなっているのであるが、それは良いとして、動画内の男女のうち男性の方は富士宮市出身であるという。そして実際に動画を視聴したところ、衝撃的な事実が判明した。


富士宮市出身で且つ歴史好きであるのに、「富士氏」を知らないらしい


そんなことが有り得るのだろうか…とも思ってしまうのであるが、事実なのだ。富士宮市の歴史の1丁目1番地が富士氏であろうから、なかなか衝撃的である。どうやら男性が富士宮市出身であることを知り得ていた女性側が、気を利かせて富士氏をテーマに選んだという経緯のようだ。

動画の流れをみるに女性側は、男性側が当然富士氏を知っているものだと考えていたように見受けられる。私は富士宮市出身で富士氏を知らない人はモグリだと思っているのであるが、むしろそちらの方が大多数という実情は富士宮市の悲劇と言える。それを許した、またはその状況を形成したのは何処の誰だろうか。

ちなみにこれまた最近の別動画で、富士氏が取り上げられていた(2026/09/04公開)。作成者に富士氏が認知されたプロセスは、ネットそのものにあると思う。そしてそこに行政・自治体の媒体は関与していない可能性が高い。

しかし新『市史』の刊行および公開はこの状況を変えていく可能性がある。公開したことにより、AIに拾われていく可能性も高い。これまではネット展開がほぼ皆無であったから、大きく進展したと言える。AIはPDFの情報等も食べているように見受けられる。

ちなみに③「巷の意見」であるが、当ブログの10の博物館構想関連記事の総アクセス数は「6158アクセス」(9月14日現在)となっている。これ程の特定の内容の記事となると、最初から博物館構想に関心があって辿り着いた形だろう。

6158アクセス=6158人が訪問とはならないが、それでもかなりの人数が目を通したことは間違いない。うち意見確立に影響を与えた数も相当数だろう。それらが「賛成」「反対」どちらの帰結となったのかは分からない。

相当厳しく見積もって総アクセス数のうち10%としても600人以上に上るから、それなりの影響を与えられたものであると考えている。


  • おわりに

現在、富士市の市制施行60周年を記念し、シリーズとして記事の投稿を進めている。30記事くらいを予定していたが、他の記事群と比較してアクセス数が限られているため、アクセス数に応じて投稿を進める形式で進めようと考えている。

23:「須藤秀忠富士宮市長と富士市、富士登山規制とメガソーラーと博物館」

2026年9月8日火曜日

身延線西回り化等が招いた公共交通分担率低下、後の大失策の前兆

今年は吉原市・旧富士市・鷹岡町の合併から60周年にあたる。うち旧富士市および鷹岡町を運行エリアとする鉄道に「身延線」がある。富士地区において身延線は、学生御用達の鉄道線というイメージが強いだろう。

  • 富士駅の最寄り学校:私立富士見高校
  • 竪堀駅の最寄り学校:県立富士高等学校
  • 源道寺駅の最寄り学校:県立富岳館高校、県立富士宮東高等学校

本稿ではこの身延線について考えていきたい。時を遡ること1960年代後半の富士市。この時代、富士市の公共交通機関に極めて大きな変化が生じたことを御存知だろうか?

それは"身延線の西回り化"である。

『広報ふじ』平成28年9月20日 1132号より

以下では、その西回り化事業とその後の身延線が辿った運命を取り上げていきたい。

  • 西回り化

元々身延線の富士市区間(現在の富士市域に該当する駅)は、以下の駅を有していた。

富士駅 本市場駅 竪堀 入山瀬 富士根 

この状況を変えたのが、西回り化である。この不可解な西回り化については、『富士市二十年史』に詳しい。(富士市1986;p.258)より引用する。


この身延線は一日の運転本数も多く、国道1号線と本市場で平面交差をしていたから、国道の交通量増加とともに、身延線の遮断器は交通渋滞の原因となった。また、単線運転であったから、通勤・通学の身延線利用や、加えて創価学会員の上野大石寺登山者の激増など、身延線の改良はこの地区住民の切望するところであった。


計画は以下のようなものであった。

  1. 本市場駅の廃止
  2. 柚木駅新設
  3. 竪堀駅を移転新設(旧竪堀駅は現在の「緑道公園」辺り)
  4. 富士駅を出て西へ向かい橋下で北にカーブ、松本地先で旧線と結ばれる
  5. 工事区間はほぼ全区間を高架化

つまり西回り化事業により、富士市区間は以下のようになった。


富士駅 柚木駅(新設) 竪堀(移転) 入山瀬 富士根


松本地先は竪堀駅の少し先に位置する。西回り化自体は昭和44年(1969)に完了した。その後昭和46年(1671)に富士宮駅-富士根駅間が複線化され、翌47年(1972)に入山瀬駅-富士根駅間も複線化された。


  • 公共交通機関の地位低下

上の計画を読むと分かるように、西回り化以降、明らかに人口が少ない地域を鉄道が走行する形となってしまっている。つまり駅の所在地も、人口が少ないエリアへと変更されたことになる。特に、本市場駅の廃止は悪手としか言いようがない。であるから、不可解な計画と言わざるを得ない。(富士市1986;p.260-261)には以下のようにある。


こうして待望の複線化、西廻りによる合理化は完成したのであったが、前にも触れたように鉄道の交通にしめる地位は、他の公共交通機関に比して相対的に揺ぎ始めるのであった。その一例として、身延線各駅の乗車人員の推移を、次の表によってみよう。

各年次とも1月から12月までの人数である。柚木駅では1日平均約304人から204人へ、竪堀駅は,887人から826人に、入山瀬駅は2,339人から1,190人へ、また富士根駅では、1,425人が722にというように減少しているのである。


つまり身延線の利用者が減少し始めているのである。以降、その流れに歯止めがかからなかったことは言わずもがなである。

勿論この現象がすべて西回り化に由来するとは言わない。(富士市1986;p.261-262)ではこの原因をモータリゼーションのみで説明しようとしている。しかしその説明に説得力は感じられない。その内容の一部を見てみよう。


なぜこのような鉄道ネットワークの敗北現象が現れたのか。それは自動車交通のもつ最大のメリットとして、出発地の戸口から目的地の戸口までを直結することが比較的容易であるのに対して、鉄道交通は駅というターミナルの存在が、移動(旅行者)の連続性の障害となり、移動の連続性を保証しなかった付け、あるいはそれについての努力を欠いた決算書として、利用者の徹底的減少ということにつながったと思われるのである。


何度読んでも意味がよく分からないのであるが、理由は本来以下のようなものが挙げられるべきであろう。


  1. 集積地に所在した駅を移転したこと
  2. 歴史的にみても、鉄道路線と鉄道路線の接続を成してこなかった

この2つがあまりにも大きすぎる。つまり上述したように、普通であれば集積地に所在する駅を移転する事自体が論外であるのに、それをしてしまったこと。また「吉原市の急転と衰退、富士市と鷹岡町により決定された新市名と吉原のプレゼンス」にあるように、岳南鉄道が富士地区間の周遊を念頭に置いて鉄道路線を敷かなかったことが大きな理由であろう。

つまり岳南鉄道が身延線と接続ないし近接していれば、もっと鉄道を介した移動が根付いていたわけである。公共交通機関は「駅 to 駅」が原則なのである。東海道本線の駅というのは沿岸部に所在するから、そこから南に人口密集地は成立しにくい。現在の様相がその証左と言えるのであるが、つまり下の□のエリアの周遊を生むことが肝要なのだ。それが全く出来ていない。


例えば岳南鉄道が吉原本町駅から青葉通りを横断して竪堀駅(旧線、現在の緑道公園辺り)に接続されていたとする(普通はこのようなルートを選択する)。その間に1駅は設けられるだろう。

そういう場合、青葉通り一帯の人々は吉原などに電車で買い物に行くことが容易になったであろうし、富士宮市の人々も富士宮→竪堀→吉原というアクセスが可能となるから心理的にも近くなっていたことだろう。集積地から、ないし集積地より鉄道だけで様々な場所に移動できないから、鉄道が利用されないのである。なぜそれに気が付けないのか。

このような歴史からも分かるように、富士市の鉄道軽視傾向が感じられ、そのような風土が後の新富士駅と富士駅未接続という状況を生んだのではないだろうか。また公共交通分担率の低下を招いたと言うことも出来る。

結局公共交通機関の問題を直視してこなかった地域は、新幹線を誘致できたとしても、その先の未来は描けないのである。これは富士宮市の問題でもある。なぜ富士宮市は叱咤しなかったのか。自分たちの税収から約5億円も建設費を捻出しているというのに、危機感が足りないのである。しっかり尻を叩いてやる必要性があったのである。


  • これからの身延線

私はむしろこの10年くらいは、身延線を利用する機会が増えている。理由は、東京に行く際に在来線で三島駅まで行き、そこから新幹線に乗車しているからである。今は完全にその形態に移行している。

では平日のダイヤにて、新幹線三島駅乗車パターンを見てみよう。今回は富士市内の駅からより遠い富士宮駅を最寄り駅(スタート地点)に設定してみる。


富士宮駅発(9:02)

三島駅着(9:49、680円)

新幹線三島駅発、品川駅着(9:58発 10:35着、計4070円、ひかり乗車)


以下、同じく平日のダイヤで新幹線新富士駅乗車パターンを見てみよう。

車で新富士駅着

新幹線新富士駅発、三島駅着(9:41発 9:49着、ひかり乗車)

品川駅着(10:35着、計5170円)

新富士駅周辺は車が混雑するため、駐車場に停める時間も考慮すると30分前には出たい。場所にもよるが、富士市・富士宮市問わずそういう人も多いだろう。そうなると9:00過ぎには出ないといけない。つまり行きだけで考えれば在来線の例と大して変わらないのである。それでいて駐車料金(大体1,000円くらい)も不要であるから、あまり新富士駅に拘る必要性は無いのである。また急遽東京に残ることになった場合も、柔軟に対応できる。

将来的には、リニア山梨県駅を用いるパターンも想定される。リニア山梨県駅であるが、実は富士宮市からそこまで遠くはない。


富士宮市中心部からリニア山梨県駅まで約1時間。そこから大阪や東京に行くことも可能である。私は東京に行く場合は東海道新幹線、大阪に行く場合はリニア中央新幹線も選択肢に含めるという方向で考えている。

観光客の場合、リニア山梨県駅で降り、レンタカー等で富士五湖や朝霧高原を観光するといった遊び方がまず想定されるであろう

しかし身延線の利用者は減少の一途を辿っている。身延線は、このままでは将来的な廃線もやむ無しとすら思える。JR東海は、頑張って維持してくれているのである。岳南鉄道が廃線となったその時は、いよいよ将来的にあり得ると考えたほうが良い。こうなったのは、ひとえに選択の誤りによる。潜在的に有りえなかった需要を求めているのではない。その時その時に実際にあったその選択を尽く間違えた、ということなのである。

ちなみに『富士市二十年史』刊行の2年後に開業したのが、新富士駅である。市全体で20年を振り返る中で、将来への教訓は活かされなかった。いや、"同じ様な轍を踏まない"という空気自体が全く醸成されていなかったと言ったほうが良いだろうか。この警告は、リニア山梨県駅にもそのまま当てはまるわけであるが…。

  • おわりに

現在、富士市の市制施行60周年を記念し、シリーズとして記事の投稿を進めている。30記事くらいを予定していたが、他の記事群と比較してアクセス数が限られているため、アクセス数に応じて投稿を進める形式で進めようと考えている。

22:「身延線西回り化等が招いた公共交通分担率低下、後の大失策の前兆」

  • 参考文献

  1. 富士市(1986)『富士市二十年史』