2020年3月23日月曜日

静岡県民ですが山梨県から見た富士山もやはり綺麗である

このページでは番外編として「富士山の風景」について取り上げていきたいと思います。特に以下の5つについて考えていこうと思います。最後に「何故山梨県から見た富士山は綺麗なのか」についても書いてあるので、是非読んでみて下さい(釣りタイトルみたいになってしまいすみません)。

  1. 「静岡県側=宝永山が飛び出している」ではない
  2. 大沢崩れ=静岡県ではない
  3. 日本紙幣の図様に見える本栖湖
  4. 富士山麓と積雪、特に富士地区に着目して
  5. 「どこから見た富士山が美しいか」という議論

早速本題に入りたいと思いますが、実は巷で説明される富士山の風景に関する多くの言説は殆どが間違いのように思われるのです。それでは一点ずつ説明していきたいと思います。

  • 「静岡県側=宝永山が飛び出している」ではない

富士山が何故美しく見えるのかを考えた時、おそらく「美しい懸垂曲線と整った円錐形の姿」が挙げられると思います。また地質学的には海面から山頂に至るまで傾斜面が連続する成層火山は珍しいようです。堅木『富士之夢』(1720年)に「高きこと天にひとしく、雪斑にすだれのごとく、根の広き事ハ海際まで出て」とありますが、まさにこの部分を指しているのです。

しかしこれを考えた時、「宝永山」の存在が頭に浮かびます。宝永山は宝永4年(1707)の宝永大噴火により形成された側火山です。そしてそれに付随する話として「静岡県側の人は富士山を描く時に宝永山をピョコッとだして書く」という逸話があります。しかしそんな普遍的な現象と言えるのでしょうか?

これは、よくよく考えてみると大変妙な話なのです。何故なら例えば宝永山が位置する御殿場市からすれば真正面にあり横には見えません。沼津市から見ると巨大なスプーンでひとすくいしたような見た目で、宝永山も横に見えないことが多いです。富士宮市も市域の半分くらいは宝永山が横に飛び出す感じでは見えないはずです。

田貫湖から見た富士山

例えばこの写真は田貫湖(静岡県富士宮市)から見たものですが、この位置ですらもう宝永山は横に飛び出す形ではありません。更に下って人穴辺りでも同様です。朝霧高原の範囲は「標高700-1,000mに広がる高原」ですが、朝霧高原はもとより、より下の位置でも宝永山は横に飛び出す形ではないのです。つまり富士宮市では相当の範囲でこのように「宝永山が横に飛び出す形ではない富士山」が見えるということが分かります。私は幼少の頃より富士山を書くときに宝永山は書きません。私の中ではこのような富士山の風景の方がより印象が強いためです。私が好きな風景は朝霧高原から見た冬の富士山なのです。

「静岡県側=宝永山が飛び出している」とイコールで言えないことは勿論、「静岡県側の人は富士山を描く時に宝永山をピョコッとだして書く」というのもかなり地域差があると考えた方が良いと思います。

  • 大沢崩れ=静岡ではない

あくまでも"正確に言えば"ですが、「大沢崩れ=静岡県」というのは実は誤りです。国土地理院によると、大沢崩れは一部山梨県も入るようです。

静岡県富士宮市と山梨県南都留郡鳴沢村にかかる様子

一部「山梨県南都留郡鳴沢村」にかかっているようであり、そのため備考に「山梨」とあるのです。


例えば富士ヶ嶺から撮る写真(山梨県であるが富士宮市に隣接)は大沢崩れが割とはっきりと見えます。「静岡は大沢崩れが見える」というようなコメントを見かけることも多いですが、「山梨では見えない」としてしまうと少し違うわけです。実は富士五湖の1つである本栖湖と富士山のセット写真も、富士山の右端に大沢崩れが確認できます。

ただ殆どは富士宮市域であることに変わりはありません。

  • 日本紙幣の図様に見える本栖湖

日本紙幣の図様として本栖湖は複数回用いられ、1984年には五千円札に、2004年には千円札に採用されています。この図様に対し「本栖湖から撮ったものである」と説明されることが多いですが、この図様は本栖湖から撮ったものではありません。これは

身延町の中ノ倉峠から本栖湖及び富士山域を被写体として撮ったもの

なのです。なので本栖湖から撮ってもお札のようにはなりません。また本栖湖は「身延町」と「富士河口湖」に跨る湖であり、富士河口湖町だけではありません。そのため、富士山を世界文化遺産に登録する際にイコモスへ提出された「推薦書」にもしっかりと明記されています。


なので、もしお札のように撮りたいのであれば、身延町に行く必要があります。

  • 富士山麓と積雪、特に富士地区に着目して

富士山は特に積雪時が美しいとされることが多いですが、「そもそも山麓のどの辺りまで積雪するのか」ということを考えてみるのも面白いです。今回は静岡県側は富士地区に焦点を当てていきたいと思います。

富士市・富士宮市を総称して「富士地区」や「岳南地域」と言われたりしますが、この一帯では富士市の方がより下(緯度でいうところの)で積雪していると言って良いでしょう。この点も大変誤解されているところです。

地図を素直に見てみれば分かるように、富士市と富士宮市で比較した際、富士市の方がより市街地近くで高標高地点が見出だせます。この時点で

富士市は富士宮市に比して相当下(北緯)で積雪している

という推論が成り立ちます。1度でも地図を見てみれば、それが分かるはずです。


そこでまず、富士市の積雪地点を考えてみます。2018年の「富士ニュース」に例の如く積雪報道がありましたので、見てみましょう。

富士市 北部で積雪(富士ニュースウェブ版 2018-01-23)
富士市内でも23日朝までに、山間部では10cmほどの積雪があった。富士市内では、桑崎の勢子辻地区で23日午前9時までに道路脇に5cmほどの雪が積もり、軒先や庭の雪かきをする人の姿も見られた。ベランダの雪かきをしていた男性は「きのうの夕方は風も強く、吹雪のような状態だった。朝7時ごろに庭先の雪かきを始めたときには10cm以上積もっていた」と話した。(抜粋)

このようにあります。また2014年には

強い寒気 富士市北部10日朝には積雪(富士ニュースウェブ版 2014-01-10)
富士市内でも北部を中心に降雨が降雪となり10日朝には積雪が観測された。県道富士裾野線においては富士市森林墓園付近からまとまった積雪が確認できた。勢子辻では一面の銀世界となった。(抜粋)

とあり、2016年は

富士市山間部で積雪(富士ニュースウェブ版 2016-01-18)
急速に発達した低気圧が本州南岸を進んだ影響で、18日午前は太平洋側を中心に雪や雨が降り、富士市の山間部でも湿った雪が積もった。市内では同日未明から降り出し、市森林墓園北側からうっすらと雪化粧し、吉永北地区にある勢子辻の住宅地は雪で覆われた。(抜粋)

とあるので、どうも例年森林墓園辺りから積雪するということが分かります。これら「富士ニュース」の取材より、富士市の積雪地点が桑崎であり、また森林墓園周辺であるということが分かります。

では富士市と富士宮市を比較していきましょう。富士市の西に位置するのが富士宮市ですが、森林墓園から真西に移動していくと、地図上はちょうど富士宮北高等学校辺りに接触します。なので森林墓園と北高は北緯で言えばあまり相違はないです。しかし標高は大きく異なります。


一番東のが北高にあたります。このように

富士宮市北部から富士市北部に移動すると標高がこれでもかとグイグイ上がっていく

というシステムなので、どう考えても"富士市は富士宮市より下で降雪"しているわけです。以下では厳密な各北緯を割り出してみようと思います。まず富士市役所と富士宮市役所で考えてみます。ご存知のようにこの2つの市役所で見た場合、富士市役所の方が低地にあります。なので圧倒的な差異があります。


北緯
富士市役所35度9分40.8秒
富士宮市役所35度13分19.6秒

思った以上の差があるわけです。ちなみに富士山の剣ヶ峰は「35度21分38秒」だというので、 「9分」と「13分」は結構大きな差異と言えます。そして森林墓園と富士宮北高を割り出してみます。


北緯
富士市森林墓園35度14分6秒
富士宮北高35度14分17秒

このように、大体同じです。むしろ北高の方が少し上に位置すると言えるでしょう。そして皆さんご存知のように

北高で積雪はしませんし、降雪すらない

です。といいますより北高よりずっと上に行かないと降雪ポイントにはなりそうにありません。つまり北緯の分析からも富士市は富士宮市よりも下で降っていると、確実に言うことが出来ます。ちなみに富士市には勢子辻という歴史的な集落があり、住宅が連なっています。この箇所は更に標高が上であり、毎年積雪しています。


  • 「何処が見るのが美しいか」という議論
「富士山はどこから見るのがよいか」というような類の話は、どうやら昔からあったようです。富士山の風景描写について言及した研究として"板坂耀子『江戸の旅と文学』"がありますが、一部抜粋します。

特に富士山などの場合、冒頭にあげた南谿の「名山論」にも共通する、いわば理論的な分析もともなって美景論が展開される。「湖にさしおほえる冨士の山の峯ハ、雪真白に、半より下ハ草山木山青ミわたれるこそ目ざましかれ。かの田子の浦清見潟の海をへだて原よしハらハ足高山宝永山のさハりあるに…」

とあり、「冨士の風景は、この湖に臨ミてこそと」している(『宇良富士の紀行』、1799年)。また『冨岳雪譜』に「古今ノ画二名アル人ノ描ケル所ノ冨士ヲ見二多クハ前蹟ヲ襲テ実景ヲ真写スルモノ少シ」「凡冨岳八百里ノ外ニアリテ眺望シガタシ」とある。

また駿河国富士郡吉原の茶屋の主の発言が印象的である。西鷺軒橋泉『近代艶隠者』に

吉原の茶屋にやすらひ、己をわれてまもり居に、そこのあるじの語は、「是より行道纔にありて、ひだりのかたに田の畝有。爰をつたひてむかふに出れば、冨士郡の内の田舎宿有。此里より見る景こそ、山の形もひとしほに秀なをたへがたき詠めにあり」と言に

とある。このように「ここから見ると美しい」とか「ここから見るべきである」といったものは古くからあったようである。

  • 最後に
私が何故"朝霧高原から見た冬の富士山"が好きであるかと考えた時、それはやはり「美しい懸垂曲線が体現されているから」ではないかと思うのです。なので同様に「山梨県から見た富士山はやはり綺麗である」という印象を持っているのだと思います。朝霧高原は「緑」が映えますから、それが付加価値になっていると思います。


富士山の風景に興味がある方は、環境省が「富士山がある風景100選」を選定し公開しているので、よかったらこちらを周ってみて下さいね。