世界文化遺産富士山の構成資産である「富士山域」の構成要素はいくつかあるが、うち登山道は以下のものが含まれる。
- 大宮・村山口登山道
- 須山口登山道
- 須走口登山道
- 吉田口登山道
私はこのうち「大宮・村山口登山道」を一部分を除いて踏破している。管見の限り、踏破した報告は殆ど聞いたことがない。中にはテント泊を兼ねて大宮口より一度で踏破した強者も居るようだ。そしてこのうち「吉田口登山道」の活性化が昨今のニュースとなっている。私はこのニュースを注視してきたが、重要な局面のように思えたので記事化することとした。
富士山に唯一麓から登れる「吉田口登山道」復活へ…1707年に建てられた中ノ茶屋リニューアル(2025/06/27 読売新聞オンライン)
7月1日に解禁予定の山梨県側の富士登山。有料道路「富士スバルライン」を車で上り、5合目から山頂を目指すのが一般的だ。しかし、スバルラインの完成までは、登山者らは麓からの登山道を利用しており、かつては行者らでにぎわっていたという。今はすっかり荒れ果ててしまったこの古道を復活させて多くの人を呼び込もうと、富士吉田市などが動き始めている。
「吉田口登山道は麓から登れる唯一の登山道で、歴史と文化が色濃く残る」5月16日、登山道の起点である北口本宮冨士浅間神社と1合目の中間地点にある休憩所「中ノ茶屋」前で、同市の堀内茂市長が、力強くあいさつした。この日は、リニューアルオープンした中ノ茶屋の発表会。1707年に建てられ、富士山を信仰する「富士講」の行者らの登山を支えてきたが、近年は利用客が減少し、存続が危ぶまれていた。
市では3月、富士山周辺の活性化を目的にフランスのアウトドアブランド「サロモン」を展開するアメアスポーツジャパン(東京都新宿区)と包括連携協定を締結し、第1弾としてリニューアルに着手。内装を一新して、1階には同ブランドのハイキング用シューズのレンタル場を設けたほか、2階には登山者が利用できるシャワーを2基設置した。
堀内市長は「富士山の入り口でもあるので、きれいに整備して多くの方に来ていただきたい」と期待を込めた。
市歴史文化課によると、富士山では、1964年にスバルラインが開通するまでは、登山者らは麓から吉田口登山道を登って頂上を目指していた。麓から5合目まで約11キロの道沿いには多くの山小屋や茶屋が並んでいたという。
しかし、開通以降は5合目から山頂を目指すのが主流となり、麓からの登山者は激減。山小屋や茶屋は、営業が立ちゆかず軒並み廃業し、維持管理ができなくなった登山道の建物や神社は老朽化や損壊が深刻化していた。
市では建物の解体撤去など景観整備を図ってきたが、土地や所有者の権利構造の複雑さなどから制限も多く、対策が打てずにいた。
■信仰の歴史など発信
状況を打開しようと、市では2023年度、国や県、有識者を交えた委員会を設置。山小屋所有者らからも意見を聞きながら、2年かけて「富士山吉田口登山道保存と活用のための活動計画」を策定した。
34年度までの10年間で、倒壊の恐れがある1合目の鈴原社の整備や復元、4合5勺の御座石浅間神社の待機所としての再整備を進めるほか、倒壊が懸念されるほかの建物についても、所有者らと協議しながら、補強を行っていく。
富士講らを世話した「 御師 」の町(現在の市街地)と登山道を連動させたイベントも展開し、麓の登山道の認知度向上や活性化を図っていく。
今秋には継続的な協議体も設置予定といい、同課の沢柳幸司課長補佐は、「富士山信仰を体感できる登山道を伝承していきたい」と強調する。
アメアスポーツジャパンとも、同社の培ってきたノウハウを生かしながら登山道の価値を高めていく考えで、富士山信仰の歴史、麓よりの神社などの建造物などに関する情報発信を強化していくほか、環境保全などを通して県内外に登山道をPRしていく。(以下略)
大宮・村山口登山道も富士山麓から登拝できるため、このニュースはミスリード(誤報)である。無論、殆ど知識など持ち合わせていないであろう富士吉田市長の発言を引用したことによる結果だとは思うが。
驚くべきは、山梨県側の博物館の学芸員までもが知見が浅いことである。「ふじさんミュージアム企画展富士山世界遺産登録10周年記念企画展 富士山登山案内図の世界 展示目録(2023年)」には以下のようにある。
「富士本道」の認識、全然違います。参考文献に『富士山巡礼路調査報告書 大宮・村山口登山道』が挙げられてはいるが、1ページでも読んだのか疑わしいレベルである。
つまり1993年には既に学術調査を基とした調査報告書を刊行しているのである。私はここから富士宮市の熱量、先進性、勤勉さを強く感じる所であり、この時代に提起した事実そのものを称賛したい。そしてこの時点で完成度が高い報告を世に出したことは、決して軽んじられるものではないと思う。
新たに「村山古道」などと名乗ってはいるが、実はこれは1993年の『富士山村山口登山道跡調査報告書』の成果に大幅に拠ったものである。しかし記事からも分かるように、あくまでもその体は崩さないように見受けられる。これが、活性化できない理由の1つ目である。
また問題は、そちらが正式なものであるかのように流布されていることである。例えば「OpenStreetMap(OSM)」には「村山古道」という呼称名にて村山口登山道に類似するルートが登録されている。
村山口の道中の石造物も大宮町の人々によるものが散見されるが、後の時代に「大宮つけるな」と言われているとは露ほども思わないだろう。本当に寂しい話である。このような「おらが村」精神では人は集まらない。
そして衰退したのはすべて外部要因だと盲目的に決めつける。こういうことも辞めたほうが良い。こういうことをしている地域に人々は来たいと思うだろうか?
これが不思議で仕方がない。富士宮市および富士市は、今からでも良いから共同で活用計画を策定すべきであろう。
東海道から大宮口を経て村山口へ出るのが、「冨士本道」とされますが、前述のとおり東海道から村山口へ直接向かう道もあり「富士山表口真面図」には東海道の吉原宿から村山口へ向かう「登山道」が描かれています。
「富士本道」の認識、全然違います。参考文献に『富士山巡礼路調査報告書 大宮・村山口登山道』が挙げられてはいるが、1ページでも読んだのか疑わしいレベルである。
というように、学芸員ですら4つの登山道史の概要ですら把握するのは困難なのであるから、富士吉田市長の知識がまっさらなのも無理はない。そしてこの『富士山巡礼路調査報告書 大宮・村山口登山道』に詳細なルートが明示されている。これが学術調査を経た、正式なルートである。
思えば、村山口登山道は早い段階から積極的な調査がなされてきた登山道であるように思う。その一端を示すのが、以下の資料である(富士山世界文化遺産協議会「富士山-信仰の対象と芸術の源泉ヴィジョン・各種戦略」、2014年)。
つまり1993年には既に学術調査を基とした調査報告書を刊行しているのである。私はここから富士宮市の熱量、先進性、勤勉さを強く感じる所であり、この時代に提起した事実そのものを称賛したい。そしてこの時点で完成度が高い報告を世に出したことは、決して軽んじられるものではないと思う。
この事実を把握した上で、以下のニュースを読んで頂きたく思う。
幻の「富士山・村山古道」が人気 5年前、ガイド本が出版され話題に(中日新聞 2011年1月13日)
行政困り顔「本物確証なく危険」
幻の富士山大宮・村山口登山道(通称・村山古道)とされるルートが、登山者の間でひそかな人気を呼んでいる。明治末に廃絶した古道を再発見した、と主張するガイド本が5年前に出版されたのを契機に登山熱に火が付いた。しかし、国や富士宮市教育委員会は、同書が紹介するルートが本物の古道である確証はなく、登山者の安全も確保できていないと懸念している。
昨年10月24日未明、富士宮市の村山浅間神社を出発。富士山富士宮口新6合目までの標高差約2000メートルを12時間半かけて踏破した。たどったのはガイド本「富士山村山古道を歩く」(風濤社)が村山古道だと主張するルート。富士山信仰を研究する登山家で、同書の著者畠堀操八さん(67)=神奈川県藤沢市=が率いる登山者グループに同行した。畠堀さんは、約8年前から同市村山の住民有志と協力して古道を調査。古老の記憶などを頼りにルートを特定し、倒木や雑草を切り払って整備した。2006年に、「幻の古道の在りかを突き止めた」としてガイド本を出版、インターネット上などで話題になった。地元では、古道を活用した“村おこし”への期待も高い。
一方で、行政側は登山者の増加に頭を痛めている。市教委はガイド本のルートについて「学術的な調査に基づいていない。本物だとの誤解が広がっては困る」と懐疑的。県埋蔵文化財調査研究所が08年度に実施した調査も、札打ち場など古道沿いにあった施設の遺構16カ所を確認したが、施設同士を結ぶ登山道までは確定しなかった。地元住民の有志はガイド本のルート沿い約20カ所に案内板を設置したが、数年前に静岡森林管理署に撤去を求められ、やむなく応じた。有志からは「登山者の遭難を防ぐための案内板をなぜ」と不満が渦巻く。管理署は「ガイド本のルートは獣道との違いも不明確な道もあり危険。利用を促すわけにはいかない」と説明する。(抜粋)
新たに「村山古道」などと名乗ってはいるが、実はこれは1993年の『富士山村山口登山道跡調査報告書』の成果に大幅に拠ったものである。しかし記事からも分かるように、あくまでもその体は崩さないように見受けられる。これが、活性化できない理由の1つ目である。
【活性化できない理由①】学術調査を基とした大宮・村山口登山道を素直に受け入れない人々が居るため、活性化できない
また問題は、そちらが正式なものであるかのように流布されていることである。例えば「OpenStreetMap(OSM)」には「村山古道」という呼称名にて村山口登山道に類似するルートが登録されている。
村山古道の定義がよく分からないため、"これは村山古道です"と言われればそうなのかもしれないが、"「大宮・村山口登山道」のルートとは異なる何らかのルート"以上の言い方が出来ない。
【活性化できない理由②】学術調査を基としたルートでないものが、地図サイトに登録されている
次に自治体としての問題である。大宮・村山口登山道の学術調査には、実は富士市の予算も投入されてきた。それは大宮・村山口登山道が富士宮市を大部分としながらも富士市域をも含む登山道であるからである。
では富士宮市と富士市、互いにアピールすれば周知は時間の問題だな…と普通の人であれば思うであろう。しかし実際は富士市が大宮・村山口を真正面から取り扱うことが殆ど無い。これまで投入され続けてきた予算は一体何だったのだろうか…と思う。
以下はYAMAPの登山計画作成画面であるが、ここに「富士山登山ルート3776」というものが出てくる。つまりYAMAP公式で登録されているルートなのだ。これは富士市のシティプロモーションの一環のルートである。
この「大宮・村山口登山道Ver.」が何故無いのだろうか、という話なのである(そもそも新しく策定する必要性が良く分からないのであるが)。これがYAMAP公式で載っているということは、リスク面もクリアされているということであるし、大宮・村山口も不可能ではない。活性化できない理由の3つ目と4つ目がここにある。
【活性化できない理由③】自治体も大宮・村山口以外のプロモーションに躍起【活性化できない理由④】大宮・村山口のGPXデータやルートが一般公開されていない
特にGPXデータを公開すれば一般認知度は一気に向上することは自明の理である。GPXデータが無い状態で登るよりあった方が良いのは明白であるが、登山者の絶対数が増えればトラブルも増えるかもしれないという危惧もある。しかし既に「富士山登山ルート3776」の取り組みがあるため、これを先行事例として大宮・村山口のデータ公開を主張するという理論武装は可能である。逆に言えば、今しなかったら一生できないように思う。
大宮・村山口登山道で通過できない箇所があるのなら、「OpenStreetMap(OSM)」で示される道を迂回ルートと定めればいいだけの話なのである。「迂回」とすれば、学術面も担保されている。
次に環境団体の問題がある。2013年の「環富士山地域広域連携ビジョン」に環富士山地域の取り組みとして以下の紹介ページがある。
このUTMF(現在はMt.FUJI100)であるが、現在富士山南麓の団体が潰すことに躍起になっている。それは「大宮・村山口登山道を巡る問題行為およびガイド問題について考える」にて詳細に取り上げたので、見ていただきたく思う。実は天子山地は山梨県も含まれており、例えば天子ヶ岳も長者ヶ岳も山梨県に跨っているのであるが、山梨県側は天子山地を経由するMt.FUJI100に特に異を唱えていないという点はもっと注目されても良い気がする。ところで吉田口登山道のニュースでこのようなものがあった。
このような、山梨県側では当たり前に受け入れられていることも(登山競争・トレイルランニング)、富士宮市では難しい。同じ事柄でも、こちらでは普通に行うことすら困難なのだ。これが4つ目の理由である。
【活性化できない理由⑤】登山道を活用したスポーツイベントの廃止を標榜する団体の存在
また山小屋の店主のインタビューがあったが、このように不明なことは"不明"と言えることは重要であって、簡単なことのようで簡単ではない。この方は断定できないことは"想像している"という表現をしており、このような謙虚な姿勢が静岡県側は無いように思われる。
昨今富士山南麓において、憶測に過ぎないが断定するような風潮が強く見受けられる。例えば鈴川の富士塚を修験道の巡礼地であるかのように喧伝する団体が居る。その動き自体は以前より感知していて、2012年にTwitter(現在X)に投稿したことがある。
翌2013年にはもう少し踏み込んだ発言をした。
2018年になると富士市市民部文化振興課により『鈴川の富士塚』が刊行された。同書の(富士市2018;p.82)には以下のようにある。
鈴川の富士塚の信仰的背景を探ってきた。しかし、確実に富士山禅定に結びつく根拠は得られなかった
であるから、分からないことは「分からない」とした方が良いのである。この地域に巣食う問題は相当に根深い。一部の人々による無邪気な無秩序さが、この地を荒れに荒らしている。
鈴川の富士塚の信仰的背景は、同報告書にもあるように富士山本宮浅間大社の神職および神事から見出すことができるわけだが(つまり「大宮」)、はっきりとしているその部分に関しては上のような団体は何故か等閑視している。私は当初、この特殊背景の理由がよく分からなかった。関係性が確認されないものを"関係する"とする一方で、明確に関係性が指摘されるものに触れない理由は特段無いためである。
しかしこれは後述する(山本2020)などにヒントが隠されているうように思う。また(静岡県富士山世界遺産センター2021;p.239)に同氏のインタビュー内容が掲載されている。
山本氏にとって、浅間神社と大日堂は分けられない存在で、一緒に「センゲンサン」という存在であるという。村山集落の人口が減少する中、村山浅間神社や大日堂興法寺の建物や史料があるだけでなく、より多くの人に参拝や行事に参加してもらうことで、村山集落の歴史や文化が伝わっていくことを願いながら活動を続けている。
このようにあるが、氏の論稿を読む限りではそうは思えない。排他的で、歴史認識も誤りが多く、村山が良い方に向かうような糸口すら感じられない。
なぜもっと胸を張れないのか?先人の考えに思いを偲ばせることはできないのか?…これが論稿を読んでまず感じた所感である。
富士宮市には「身延道」の道標がある。これは甲斐国の身延山久遠寺に至るために富士上方各地に設けられた道標である。山梨県南巨摩郡の人々は、これを見て誇りに感じることだろう。"これは自分が住む地域に来るために建てられたものなのだ"と。求心力が無ければ、そのようなものは歴史の中で絶対に存在し得ないのである。そこには人々の強い思いがある。
舞々木町には「右富士山道」と刻まれた道標がある。何を隠そう、大宮口を用いて村山口に至るための道標である。村山の求心力を示す象徴とも言える。"これは大宮口を用いて村山に来るための道標なんだ"と、なぜ胸を張って言えないのだろうか?
論稿内(山本2020;p.67)で「富士山頂までを表口村山登山道とか村山口登山道という名称で認識、承認されてきた登山道が、近年の登山道解説書とか冨士山登山案内書で、大宮・村山口登山道と記されていることでは、村山住民はもとより、村山口登山道を利用して村山より登山する登山者等は、大宮と記されていることに疑問を投げかけているのである」とあるということは、これを否定しているということになる。
ちなみに歴史用語として「大宮口」と「村山口」は存在するが(つまり大宮・村山口)、「村山古道」という言葉は存在しない。またこの道標は大宮町の人によるものとされている。そういう先人の普通の思いも、後世の人間によって歪められてしまうのだ。私はただただ、先人に申し訳ない思いでいっぱいである。
村山口の道中の石造物も大宮町の人々によるものが散見されるが、後の時代に「大宮つけるな」と言われているとは露ほども思わないだろう。本当に寂しい話である。このような「おらが村」精神では人は集まらない。
そして衰退したのはすべて外部要因だと盲目的に決めつける。こういうことも辞めたほうが良い。こういうことをしている地域に人々は来たいと思うだろうか?
【活性化できない理由⑥】活性化させたいようで活性化から逆行したスタンスという実情
冒頭の記事で山梨県の取り組みをみたが、このようなことが静岡県側は出来ない。"市では3月、富士山周辺の活性化を目的にフランスのアウトドアブランド「サロモン」を展開するアメアスポーツジャパン(東京都新宿区)と包括連携協定を締結し、第1弾としてリニューアルに着手"とあるが、これも絶対に出来ない。
何故なら、富士山南麓の団体が山林部でのスポーツを排斥しているからである。そんな地域にSALOMONが来るはずがない。山梨がサロモンならこちらはMILLET(ミレー)でどうだろうかとも思うわけだが、受け入れ体制が出来ていないところには企業は見向きもしないだろう。
(静岡県富士山世界遺産センター2021;p.227)には以下のようにある。
富士山村山口からの登山の目的は、禅定登山や成人儀礼など様々な要素があったと思われるが、富士登山をはじめ近世の旅自体に次第に観光の要素が増大したものと思われ、村山口の宿坊や登山道上の山小屋や室の対応は必ずしも十分であったとは言いがたいのではないだろうか。特に北口吉田口では、街に風呂屋が二軒開業したり、富士講を中心とする団体登山に対応して御師宅に奥座敷が用意され、風呂や禊ぎの川が屋敷内を流れ、御師外川家では上総の檀家の酒造家との関係で、酒は飲み放題であったとも伝えている(近世までさかのぼるかは不明)。とにかく、いわゆる「おもてなし」が格段に向上したのである。
簡単に言えば、山梨県側には見いだせる「おもてなし」の精神がこちらには皆無なのである。これを著した菊池氏は甲斐国側の歴史にも深く通じており、その目を通したからこそのごもっともな見解である。
もちろん観光化は文化・伝統との兼ね合いの点で難しい部分もあろう。しかしこの現代においてもそうであるのは、もはや説明がつかない。
ここには富士宮市民の差別意識が関係するように思う。富士宮市は気候も温暖で、少なくとも富士北麓の寒さや飢えは経験することが少なかった地域である。『妙法寺記』を読むと、凶作の年に富士北麓の人々が越国して富士上方(≒富士宮市)で食料等を調達し、なんとか食いつないでいたことが記される。作物が育たないので試行錯誤してなんとか辿り着いた結果生まれたのが「うどん」だったのだ。
現代においても、富士宮市の製造品出荷額等が約1兆円であるのに対し、富士北麓は恵まれては居ない(忍野村は除く)。富士宮市民には"うちらは観光に頼らなくともやっていける"という慢心がある。ここに、密かな差別意識があるのだ。そういうものは要らない。
富士宮市民は観光で儲けることを卑しいと思っている節すらあり、例えば富士宮やきそばを売るお店にも難癖をつける人すら居る。これはとんでもない話で、モノに付加価値をつけて売るのが経済なのだから、富士宮市民はもはや観光を経済として見ていないということにもなりかねない。
【活性化できない理由⑦】観光を頑張れない/観光を経済として捉えることができない
例えば「富士宮市立郷土史博物館の地域説明会における質疑応答に対する意見」でも「観光客誘致を目的としたいが隠しているようにみえる」という一般市民の意見が見られたが、このように観光を相当下の次元で見ていることが分かる。この方の中では、博物館の目的の1つに"観光"があるのは後ろめたいことであるのだ。
私は大宮・村山口において1度だけ人にすれ違った時に声を掛けられたが、とりあえずの応答だけに留まってしまった。簡単に言えば、仮に①のような人であったら面倒臭いことになりそうなので、リスク回避が働いてしまうのだ。おそらく普通の人々ではないと思うし、現に山梨県側で「吉田古道」などといって活動する者は見たことも聞いたこともない。
これが地元民から見た真実の姿である。傾向として言えるのは、①も⑤も⑥も年齢層は上の方であるということである。上手くいかない理由が、見えてきただろうか。
【活性化できない理由⑧】やっぱり上の世代の方々が前時代的
そして冒頭の記事に繋げて言えば、おそらく吉田口登山道の活性化はできても、大宮・村山口は難しいだろう。まだ活性化の途上にあると見える吉田口登山道に、今ならまだ間に合うのかも知れない。もう既に大きく離されているように思えるが。
何処よりも先んじて登山道の学術調査を行ってきた富士宮市が、何故活性化に関しては遅れを取るという憂き目に遭うのか
これが不思議で仕方がない。富士宮市および富士市は、今からでも良いから共同で活用計画を策定すべきであろう。
具体的には、以下の取り組みは必須となろう。
- 大宮・村山口登山道のルート・GPXデータの一般公開
- 同登山道中の看板の設置
- 土地所有者・権利関係の整理
- 同登山道の各登山口(大宮口・村山口)の整備、特に村山口に開業する民間事業者への補助金等の検討(基準は厳格化)
- スポーツイベントの推進化(民間企画者が円滑に行えるための体制確立)
私は吉田口活性化の取り組みにおける"正当性"およびその手法を強く称賛する立場である。
- 参考文献
- ふじさんネットワーク会議(2013)「環富士山地域広域連携ビジョン」
- 富士山世界文化遺産協議会(2014)「富士山-信仰の対象と芸術の源泉ヴィジョン・各種戦略」
- 富士市市民部文化振興課(2018)『鈴川の富士塚』
- 山本哲(2020)「村山浅間神社の今昔」『富士学研究』Vol.16 No.1、61-68
- 静岡県富士山世界遺産センター(2021)『富士山巡礼路調査報告書 大宮・村山口登山道』
- ふじさんミュージアム(2023)「ふじさんミュージアム企画展富士山世界遺産登録10周年記念企画展 富士山登山案内図の世界 展示目録」
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