2011年8月26日金曜日

戦国時代の富士宮の関所

現在の富士宮市に位置する場所には、戦国期多くの関所があったことが確認されている。

今川義元の判物に
同名新三跡分事、為富士上野関銭、年中一度、…
とあり、「上野関」の存在が確認できる。現在の富士宮市上野と位置は一致している。この周辺は市の機能があったと推測されているが、それと関係していると思う。また他に今川氏真判物に「根原関」なるものがみえ、これも現在の富士宮市根原と一致している。

関所
特筆すべきは「神田橋関」である。これは富士大宮に存在した関で、中道往還の存在を考慮すると「商人関」・「経済関」としての存在意義が強い。富士信忠宛の今川氏真朱印状に「神田橋関」の存在が確認できる。

内容
この朱印状にある「新関」については気になるところである。小和田哲男氏は「新関」という以上、それに対する「古関」があったはずであるとし、とって変えられたことを『今川仮名目録』における内容の実現化によるものであるとしている。また楽市研究をしている安野眞幸氏は、神田橋関の「役所」は今川氏が掌握していたとしている。

現在の富士宮市の地域には「関所が多く存在したんだな」という感覚でよいと思います。

  • 参考文献
小和田哲男,『武将たちと駿河・遠江』(小和田哲男著作集第三巻),P375-378,2001年

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