- 信玄による浅間神社の庇護
- 信玄は富士登山を行なったか
例えば『妙法寺記』を読んでみると父信虎の登山の記録はありますが、信玄自身の登山の記録はありません。父信虎の登山であるが、このときは大永2年(1522年)という時期である。
この2年前は永正18年(1520年)であるが、この時の小山田信有の岩殿山円通寺の修復に対する棟礼に「当郡守護」とあり、小山田氏は郡内における支配者と称している。つまりこの時代、武田氏は郡内への影響力は限りなく低かったと思われる。そういう中での武田氏当主の登山なので、当然緊張感はあったはずである。
ちなみに、武田信玄の鈎釜に「富士釜」なるものがあるそうです。
- 参考文献
- 勝山村史編さん委員会,『勝山記』,1992年
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