2011年8月6日土曜日

壬申紀行にみる大宮

『壬申紀行』は江戸時代の儒学者である貝原益軒による紀行文である。
貝原益軒
その中には富士山に関する記述と大宮に関する記述もある。「大宮へ」とある部分に、大宮とその他の芝川などの地域についての記述もあるので、併せて紹介します。

  • 柴川は名所なり。(中略)此川に富士苔と云物多し。

今の芝川のりではないかと思います。苔の名産地であったと推測できます。

  • 西山に本門寺とて大なる寺あり。北山の重巣本門寺、西山本門寺、上野の妙蓮寺、大石寺、大宮の久遠寺あり。其中につゐて、西山本門寺最大なり。僧舎16坊あり。西山より上野の妙蓮寺に一里半あり。寺、大ならず。妙蓮寺より大石寺に五丁あり。是又、上野村にあり。大石寺も大なる寺なり。寺領60石あり。…

富士五山の各寺についての記述。

  • 是、頼朝卿の富士の狩し給ひし時、かりの屋形ありし所、今もそのあとあり。
富士の巻狩の御旅館などについての記述。

  • 大宮に至る。(中略)いちくらにはくさぐさの食品器材等うりもの有、にぎはへり。

大宮のにぎわいが感じ取れる文である。

  • 富士浅間の大社あり。南にむかへり、拝殿あり。

浅間大社についての記述です。

  • 浅間の祝部は、大宮司、公文、案主、是三家を長とする。其外、神前にかはるがはるとの居する番の社人18家あり。又、社僧には別当あり。其外僧家五坊あり。社領千石、其内大宮司三百石、別当百石、其外各配分せり。

浅間大社の大宮司、公文・案主とそれらの所領についての記述など。

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