『日本霊異記』(「興福寺本」) |
富士山に関する記録として古いものでは、まず『常陸国風土記』が挙げられる。そして次によく『万葉集』が挙げられる。そしてその次に古いものとして、『日本霊異記』(にほんりょういき、9世紀前半成立とされる)が出てくる。『日本霊異記』は、興福寺の僧「景戒」が記した仏教説話集である。
孔雀王の呪法を修持して異しき験力を得、以て現に仙と作りて天を飛びし縁第二十八 |
『日本霊異記』における富士山に関する記述は、どのようなものであるか。それは「孔雀王の呪法を修持して異しき験力を得、以て現に仙と作りて天を飛びし縁第二十八」に記されている。この部分を簡単に説明する。前置きのみ書いておくと、優婆塞(役行者)が朝廷の命により伊豆の島に流されている…という設定です。
昼は勅命に従い島内(伊豆)にて修行した。夜は駿河国の富士山に行って修行を続けた。ところが優婆塞は斧やまさかりによる極刑を許されて、天皇のいる都近くに帰りたいと願い、そのために刃に伏して処刑されそうになったため再び危うく逃れて富士山に登った。
ここで、富士山を修験的側面と結びつける考え方が確認できる。そのため、この記録は富士信仰を考えるにおいて非常に重要である。 この記録は古い部類に入るため、その当時の富士山の性格を表す記録として非常に貴重である。
さて「富士山」というのは、「富士山の語源」で取り上げましたように、いろいろな表記がみられます。『日本霊異記』で富士山は「駿河富岻嶺(するがふじのたけ)」と記されています。
この記録で以下は言えると思います。
- 富士山と修験を結びつける考えが明確にみられる(富士山と仏教)
- 「富士山=駿河国」という普遍的認識は9世紀でも同様である
この記録は、役行者の説明としてもよく取り上げられる。ただ、夜伊豆を出発して海を走って富士山に行くというのは、現実的ではない。ですから実際にそのようなことを行なったわけではありません。しかしこれらの記録が信仰性を示すことは、何ら揺るがないのである。
「富士-信仰・文学・絵画」では以下のように説明している。
役行者は実在の人物であったようであるが、その行動自体は伝説化されていたのであり、この『日本霊異記』の記述も史実を示しているとは考えられない。しかし、この時期に、富士を活動の場とする山岳修行が始まっていた事実は示していると考えるべきであろう。
富士信仰を説明する際、外して語ることができない記録と言えそうである。
- 参考文献
- 影山純夫,「富士-信仰・文学・絵画」『山口大学教育学部研究論叢第45巻第1部』,1995
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