2026年1月1日木曜日

私は富士宮市郷土史博物館事業を支持しないことにしました

 当ブログにおける富士宮市郷土史博物館事業(以下、「博物館構想」)に言及した記事は9つに及び、累計4,500アクセスを頂いている。これは判断材料の提供の意図を持ってのことであるが、いくらかは意見確立に影響を与えたものと考えている。勿論、それは賛成であったり反対であったりするのであろう。またこの事業を取り巻く動向として、反対の署名活動が行われるといったことも報道から確認される。

 当ブログは歴史ブロクであるという性質上、本来は有無を言わず構想に対して賛成の立場を取りたいところではある。しかしそれを素直に許してくれない背景があり、それを説いたのが9つの記事とも言える。それらの多くは図説的なものであったが、今回は文章のみで構成される記事で総括してみようという試みである。

 富士宮市は妙な地域である…これは一定の年月にわたり居住して分かった私なりの帰結である。それを事細かに言語化するのは難しい。しかしそれらがほんの少しばかり垣間見える資料がある。

 それは「富士山ネットワーク会議」(以下富士山N会議)によるアンケート結果(「環富士山地域の広域連携等に関する住民アンケート調査」)である。静岡県側の環富士山地域の住民に無作為でアンケートが送られ、その結果をまとめたものになる。これによって市民性がそのまま反映されるだけでなく、自治体間の比較もできるわけである。過去にない規模で行われた、極めて貴重な調査である(以下度々引用)。

 目を通して頂ければ直ぐ判明することであるが、富士宮市民の回答のみが明らかに浮いている。それも間違った方向で。この事実1つとってみても「妙な地域である」という証明には十分になっているように思われるのであるが、少し背景を考えてみたくもなるものである。私はこの悲惨な現実から目を背けないことが重要であると考えた。

 まず富士宮市民は、何らかの指標があるときに“過小評価する”という傾向が極めて強く認められる。例えば実際は人口が減少していない時節であっても「富士宮市は人口が減少しているからねぇ…」というようなことを述べる人は多かった。私はその時節ではむしろ微増していたことを知り得ていたため、いつも不思議に思っていた。同じ地で同じ時間軸に生きているようにはとても思われなかった。私からすればその人の発言の信憑性などゼロに等しいのであるが、誤認するにせよ、多くの人は必ずマイナスの方面で見るという傾向は共通していた。

 また「財政破綻寸前だからねぇ…」や「財政状況が悪いからねぇ…」という人も多かったし、アンケートの問15からもそのような認識が明確に読み取れる。実際は全国的に見ても特段悪い水準ではないため全くの的外れと言えるわけであるが(むしろ良好とさえ言える)、やはりマイナスで考えるという傾向は例に漏れずである。

 「国立国会図書館調査及び立法考査局」に所属する研究員による報告に「地方自治体の経済活性化策に対する地方交付税制度の影響」がある。これは1975年から2005年における全国すべての自治体の地方交付税の交付状況を調べ、報告した資料である。この気が遠くなりそうな作業による成果物により、富士宮市は過去地方交付税不交付団体(=財政優良団体、財政力指数により判定)の時期を有していたことが分かる。と同時に、全国の殆どの自治体はそもそも地方交付税不交付団体になった経験すらない(財政力指数が1.0超えたことがない)ということも判明する。であるから、上のような財政論者は分かりやすく言えば「トンデモ論」の人々なのだ。私はトンデモ論に付き合うつもりは全く無い。 

 私はこのような自虐史観にも似た性格が普遍的となっている現状を不思議に思い、考えを巡らせることも多かった。しかし結論は出ていない。またここで普通は両立し得ない現象が発生していることも注目される。マイナス思考であるのは良いとして、それをひけらかすという傾向があることである。換言すれば、マイナスと捉えている事柄を殊更持ち出そうとするという不可解極まりない現象が認められるのである。つまり上で言うところの「財政破綻寸前だかららねぇ…」といった言説を持ち出すのが好きなのである。私にはそれの何が楽しいのか理解できないし、普段どのような矜持を持っているのか疑わざるを得ない。それならば無関心である方がよっぽど良いだろう。このような普遍的精神性が博物館事業と極めて相性が悪いという言い方は、許される範囲であろう。

 実を言うと、富士宮市民と会話が成立しないことが多々ある。今回はこの筆が博物館構想に端を発しているため、歴史の事柄で考えてみよう。例えば富士宮市民は、富士宮市の領主が「富士」さんであったことを知らない。また大宮城(富士城)が存在していたことも殆ど知らない。これらは限りなく歴史の入口に近いトピックであるから、平たく言えばもはや何も知らないと言っても過言ではない。したがって、少しでもこれらのワードを出すとまず話が通らない。ここまでのレベルの会話における脆弱性は、少し不思議である。

 勿論この背景には富士宮市教育委員会の信じがたい失策が大いに関係していることは間違いない。「大宮城」という言葉をあえて避け「元富士大宮司館跡」という呼称を中心として用いたこと(日本語としてもおかしい)、氏族「富士」という概念に触れなかったことなどは、後世に禍根を残す主要因と言えるだろう。

 そして現在、人材が一新したとされる文化課の人員が過去の尻拭いをさせられているという言い方が適切だろう。歴史的には、行政側が率先してアイデンティティ形成の芽を潰してきたのは間違いない。ある意味見事である。ここで少し悪い言い方をしてみよう。富士宮市の職員は、別に富士宮市出身者で構成されているわけではないのだ。こういう事例を見ると、自虐史観の形成とまでは言わないまでも、図らずとも行政はそれを後押ししていたように思える。

 富士山N会議の問11は、同会議に余り期待しない/期待しないとする人の考えを問うものであった。そして富士宮市のみが「既存の市町の枠を超えて市町が連携する必要はない」とする%が突出していた。富士宮市は会議に「期待する」という人が各自治体の中で最も多いという事実を踏まえると(問9)、少数派は反グローバリズム志向が強いことが分かる。それも極めて強力に。私はこの傾向は年々強まっているように感じる。

 このベクトルは富士宮市内に対しても例外ではない。富士宮市は往古の富士山登山口を複数有する地である。それをそれぞれAとBとしたとき、BがAを殊更否定するといった動向も確認される。人間はここまで排他的になれるのか、と驚く程である。こういう人々が居るために、地域は衰退するのだと痛感させられる。 

 また先程も挙げた問15の結果は富士宮市民の妄想力が如実に現れていると言え、「財政基盤に不安がある」の%が突出している。つまり富士宮市民は市の本当の課題が全く見えていないわけである。問18の「合併の効果として何を期待するか」の質問に対し「財政的な基盤の強化が期待できる」の%が多い格好となっているが、人口比で市債が少ない富士宮市が他と合併して財政基盤が強化されるという思考は、通常であれば生まれないだろう。他の市町は各項目でそれほど差異が見られないが、富士宮市のみがズレている。

 これらの背景も富士宮市の特殊性が絡んでいる。世の中には様々な資料が存在している。自治体の刊行物や論文、ジャーナル類など様々だ。それら資料を数点読んでもそれほど物事は明るみにならないが、これを数十、更に数百と広げていくと確かに見えてくるものがある。その結果言えるのは、信じられないくらいのおめでたさである。例えばAさんが欲しいものがあるとする。そこで「声の増幅」のためにBさんに声を掛け一緒に誘致を行うようけしかける。しかしその欲しいものは、実際は二分できないものである。目論見通り、Aはそれを手にする。この繰り返しということに全く気づいていない。富士宮市がABどちらなのかは、言うまでもない。これを数十年ただやっているということが、様々な資料から見えてくる。良く言えば「お人好し」だが、悪く言えばどうなるだろうか。 

 皆さんは静岡県の二つ名をご存知であろうか。大分県の二つ名が「おんせん県」であるように、静岡県にも存在する。それは「ふじのくに」である。つまり富士山を指しているのであるが、富士山の静岡県側は大部分が富士宮市に属する形である。換言すれば、静岡県を「ふじのくに」たらしめているのは富士宮市の存在による所も明らかに大きいのだ。それは世界文化遺産富士山の構成資産の数としても如実に現れている。つまり「地理」としても「文化」としても、「ふじのくに」を支えているのだ。しかし各媒体等を見るに、現状それが反映されているようには思われない。つまり言っていることと実態が一致していないのである。

 富士宮市からすれば、そんなことであるのならばいっそのこと「ふじのくに」などと言わないでくれという思いも生じ得よう。であれば、富士宮市はベクトルを外に向けなければならない。むしろ関東の方が適切に向き合ってくれるし、メディア媒体が来ても「あ、静岡県の媒体さんもいらっしゃったのですね」くらいで良いのである。例えば江戸文化との関係性をテーマに関東に向けて展開するのも良いだろう。富士宮市を舞台とした無数の浮世絵は、江戸を土壌として花開いていたものなのだから。ちなみにこの辺り(浮世絵・武者絵の類)も、富士宮市が取り上げてきた痕跡はあまり認められない。本当に不思議である。

  私は富士宮市の歴史を考えていくにあたり、まず史料上どのような事柄が多く確認されるのかという視点で調べを進めてきた。それが歴史上影響を与えてきたものと言えるからだ。しかしその作業で上がってきた事柄は、軒並み富士宮市には取り上げられては来なかった。なので、一般においても歴史を感じることができないし、歴史の流れも把握できないのである。そういう努力が無かったという言い方でも、大きくは間違っていないだろう。

 他に一例を出せば「富士海苔」は枚挙に暇がないくらい多くの史料に確認されるが、これも殆ど展開が見られなかった。しかし先に挙げたように近年は劇的な改善が認められるので、新『市史』の自然環境編には項目が設けられているという変化も認められる。

 私は普通に史料に多く見いだせる事柄を優先的に取り上げるべきだと考えるが(「博物館法」に「歴史、芸術、民俗、産業、自然科学等に関する資料を収集し…」とあるように芸術や民俗学も重要とも考える)、従来の様子を見る限り、どういう基準で考えているのか最早見当もつかない。もう本当に皆目見当がつかない。

 ちなみに富士山N会議の資料には連携活動の事例としてUTMF/Mt.fuji100(ウルトラトレイル・マウントフジ)が紹介されている(P18)。このようなものですらも、富士山南麓の人々が潰そうとしている(「ウルトラトレイル・マウントフジ2023 全体説明会議事録」を参照)。これが偏西風のように常に富士宮市に流れている空気感であって、これが決定的な悪さをしている。何かを潰そうとするときにだけ躍起となって動くのだ。であるから富士山N会議の問11の結果は、この精神が要因と取ることもできなくもない。 もっと言えば昨今の動向もこれで説明がつくのかもしれない。

 話を博物館構想に戻そう。そしてもう、私が考えている事を一文で片付けてしまおうかと思う。


アイデンティティ形成の芽を尽く潰しておきながら今「博物館を作りたい」というのはさすがに通らない

 

 これまでの文化課の動向を見ると(近年を除く)、厳しい言い方をすればもはやグロテスクという評価へと繋がる。この状況を決定づけた成分が博物館構想にまで影響する余地があってはならないと、私は思っている。それは富士宮市にとっての不幸であると考えている。影響の余地がないという確証が持てるまで、素直に賛成するわけにはいかないという立場をここで明確にしておきたい。

 私には隣の山梨県南巨摩郡南部町が眩しく映る。南部町は素晴らしい。町が「南部氏ゆかりの地」というページを用意し、「道の駅なんぶ」には「南部氏展示室」も設けられている。ページが設けられているからこそ人々が感知し情報を得られるわけであり、道の駅に関係施設が併設されているのは地域アイデンティティの表れだろう。これが「町」単位で出来るのだから、富士宮市の努力不足は甚だしい。つまり、南部町の方がよっぽど先進的なのである。 

 南部町がそうであるように、富士宮市は富士氏のページを設ける必要があったのである。こんなことは当たり前のことなのであるが、現時点でも存在していない。思えば当ブログの初投稿は20111月のことであったが、フラッグシップな内容とするために必然的に富士氏に言及したものとなった。そして当時より、頑なに富士氏を取り上げない富士宮市が不可解で仕方がなかった。本当に心底理解できなかった。まさか10年後も不変であるとは夢にも思わなかったが…。とは言っても現時点ではこの異常事態は解消されているし、この変化をもたらした存在・空気感こそが富士宮市にとっての宝であろう。 

 そもそも博物館構想を策定する段階の前の時点で、その土壌作りをしておこうという発想には至らないのだろうか?という疑問がある。普通であれば円滑に進められるよう、歴史コンテンツの充実化や、象徴的な存在くらいは世に知らしめておこうと考えるものではないのだろうか。子どもですら、ゲーム機を買ってもらいたい時、何らかの行動は取るものだと思う。遅く購入してもゲームの進行が相対的に遅くなるため、それすらも考慮して子どもは動いている。ある意味では強かなのだ。簡単にいえば「賛成の人が多くなるよう事前に手を打っておくという発想は少しばかりも生まれないのか?」ということである。 

 もっと言えば、その期間は十分過ぎるほどあった。しかしそれは成されなかった。富士宮市の歴史を巡る環境は、深刻な危機的状況に陥っている。私は強く悲観している。これは決して誇張した表現では無い。例えば曽我兄弟の敵討ちであるが、これは富士宮市の地「富士野」で起こったことである。絵図のタイトルにも多く採用されている地名である(射水市指定文化財の1683年「富士野巻狩之図」、寛政後期(17891801)の鳥高斎栄昌『和国景夕頼朝公富士野巻狩之図』、文化13(1816)『松屋棟梁集』所収「富士野狩の図」「富士野假屋の図」、鳥居清峰の各「富士野御狩之図」、各歌川派作品(例えば豊国の「見立八景之内 富士野の夜雨」)など枚挙に暇がない)。富士宮市の地名において、歴史の中で最も現れるものであると断言できる。

 しかしこの地名の認識も、日本人の中から既に消え失せてしまったように思う。富士氏についても、少なくとも当地においては十分に認識されていたものが、徐々に失われていったものと考える。”歴史を失ったという歴史”が、ここ数十年の富士宮市の哀れな姿だろう。各自治体のシティープロモーションを見ると、当該地を描いたとされる浮世絵等を以て高らかに喧伝する様子が認められる。富士宮市は浮世絵の題材となった絶対数で言えば日本屈指であり、そこから考えればもはや''かわいい程の事例''のようにも思えるが、そんなことは言ってはいられない。何故なら、我々はその種の表現自体を怠っているからである。やらなければ、一般からすれば無いことと同じなのだ。そもそもこの種のものを収集する試みがあったのかさえ疑わしい。

 この背景には富士宮市の問題も大いにあるが、歴史家の問題もある。歴史家が地名を重要視せず、論文等で「富士野」を「富士の裾野で」等と表現を簡素化して換言してしまっている。いやもはや簡素化ですらないが、人文学系の劣化を感じるものである。これほど歴史の中で長きにわたって出現する地名も珍しいように思うが、それが消滅しようとしているのだから、異常事態に他ならない。

 例えば「往来物」の一種に『富士野往来』があるが、史料名を聞いてももはや富士の巻狩りに関連する可能性を感知することすら難しくなってきている。本当に悲しいことであるし、本来富士宮市こそがこの事態を打開するためにずっと前から動いておく必要性があったのではないだろうか。当地の地名を冠した絵画作品・出版物が歴史の中で世に出され続け膾炙されていたという事実は、決して軽んじられるものではない。むしろ12位を争うほど、重要な事柄である。それすら表現できずに、何ができるというのだろうか。それすら表現してこなかった地域が作る博物館などに、私は微塵も期待しない。

  「富士氏」「大宮城(富士城)」「富士野」…このようなキーワードが市民の中で飛び交う現在も十分あり得たと思うが、何を隠そう富士宮市こそがその可能性を根こそぎ奪ってきたようにしか映らない。想像を絶する損失である。私はこの損失を想像すると、冷静ではいられない。この中で言えば何故「富士氏」という言葉・概念を殊更避けてきたのだろうか。何らかの浄化思想があったとでもいうのだろうか。ここにつまらない感情が関係する可能性を勘ぐらずにはいられないし、警戒を解除することを許さない背景ともなっている。

 しかし完全に不可逆的なものではないし、今からでも復元することは可能ではないだろうか。またここ数年(67年くらい)は歴史を巡る展開において目覚ましい進展が認められ、取り組みも多様性を併せ持つものであり、上のようなキーワードが市民の中で飛び交う未来も見えてきたように思う。少し希望は見えてきた。ただそれが余りにも遅すぎた。何の誇張でもなく、20年くらいは遅れてしまったと言えると思う。

 説明会の質問では「お金」の観点による質問が多かった。従って、ここでお金に関する象徴的な事柄を話しておこうと思う。富士宮市は市外の施設に約5億円提供したという歴史がある。それは市外にある新富士駅のことであるが、5億円プレゼントしておきながら、一方で自身のための15億円~20億円の施設は絶対的に許されないという考えそのものが無理のある話だと思う。言ってしまえば、この額はその程度の話なのだ。

 なぜ5億円プレゼントしたのかというと、新富士駅と身延線を接続するという約束があり、接続から起因される経済的利益の可能性を考慮してのことであった。これは見事に裏切られた格好であるが、このとき市民団体がその資金の返還を求めるくらいの動きをしていたら、今回の動きも少しばかりは説得力が出てくるかもしれない。何故なら彼らは資金面を問題視しているからだ。もっとも、今回署名活動している人々がその時に居住していたかどうかなど知られないわけではあるが。

 接続が成されなかったことを悲観する富士市民は多い。その勘は当たっており「幹線駅の新設が市区町村の人口に与えた影響(竹林幹人,2024)」という論文によると、やはり新富士駅は効果が薄かったことが示唆されている。そこから更に距離を隔てている富士宮市など、期待された恩恵はなかったことは言うまでもない。逆に言えば、資金が多少かかろうとも、その時節で完成度が高いものを拵えることの重要性を示す事例とも言える。私はその時の10億円程度の差異など、将来に禍根を残すことに比べれば、取るに足らないことだと思っている。それはどのような施設においても同様だ。

 昨年の話であるが、とある富士宮市の私立中学校・高校の文化祭にお邪魔した。巷でも教育を軸として語られることが多い学校ではあるが、実際目にすると凄まじい。一般来場者に対して中学生が自分の意思で実験を披露したりしていて、教育レベルの高さに驚かされる。勿論それに足る環境が用意されているからこそ成せると言えるのであり、それらを支持する大人側の姿勢があってのことだろう。

 ではここでいう"大人側の姿勢"とは何だろうか。これは文明的なものを低く見積もらない価値判断姿勢"ではないかと思う。皆さんは共産国家ではなぜ「サービス業」が国家統計の除外項目扱いまたは非公表である/あったのかをご存知だろうか?それは共産圏においては製造・生産による成果物としての物理的な「モノ」に価値はあるが、資本家や芸術家などは非生産的なものとして認識されてきたからである。実際に共産圏では、それらに携わる人々は追放されてきた歴史がある。実際はサービス業も富を生むし、もう歴史がそれを証明しているのであるが、それを認めない層も居る。そのような層が今回の件でどう動くのかというのは、想像に難くない。 

 また価値判断の相違が複雑化したものに「文化的ジェノサイド」がある。これは浄化思想からなるもので、ある特定のコミュニティに対するアイデンティティの破壊を目的とする行為であり、言語・宗教・偶像崇拝といった概念の規制や文化財等の破壊行為などが該当する。一般的には包括されるものの内側では文化圏の相違を有する地域間や、実行支配した組織が旧来の習俗を否定する場合などで起こることがある。非侵襲的ではあるが文化的な暴力性を持つ行為である。私は、さすがにここまでのレベルではないが、何か近しい思想がこの地で横行していた可能性を捨てきれていない。でなければ説明できないような現象(本投稿内で記している事象)が発生している。それが地域アイデンティティの欠如を生んだとも考えている。

 富士山N会議の問1617の結果は富士宮市民の地域アイデンティティの欠如を示唆するものであるが、このようなものの背景にはアカデミズム側の問題も関与すると私は考えている。文化庁選定「歴史の道百選」の「みのぶ道(93番)」に富士宮市が含まれていないのは由々しき事態であるが、こういうものもアカデミズム側の責任だろう。論稿で富士野を「富士の裾野で」等と換言するのも、アカデミズムの態度としての問題である。こういう積み重ねが、歴史の中で地域アイデンティティを失う要因となっているのだ。そしてその最たるものは、本稿で暗に示した通りである。このような姿勢は、博物館建設から遠ざける要因になっただろう。何故ここまで地域アイデンティティが欠如しているのかという点について、富士宮市は一度真剣に考える必要性があると思う。

 であるから、私は専門家側の問題が存在しなかったとは全く思っていない。しかし皆さんも少し察しがついてきているかと思うが、今回の署名活動というのは、富士山N会議のアンケートに確認されるような富士宮市民の特有のズレ感が如何なく発揮されたという見方が結構しっくりくるのである。おそらく正しく恐れるということが苦手な方たちなのだろう。この労力・エネルギーが生産性の方に向かえば最終的には豊かさに繋がるものだと考えるが、如何だろうか。

 しかしながら、本稿で示した懸念から、私は富士宮市郷土史博物館事業を支持しない方向で定めた。つまり、"いいものは造れないだろうし明確な懸念もあるから、いっそのこと要らない"ということなのだ。寂しい考え方だが、そのような考え方にさせられてしまったという言い方が適切であると感じている。

以上。

2025年10月13日月曜日

大宮・村山口登山道を準踏破して思う、活性化できない8つの理由

世界文化遺産富士山の構成資産である「富士山域」の構成要素はいくつかあるが、うち登山道は以下のものが含まれる。

  1. 大宮・村山口登山道
  2. 須山口登山道
  3. 須走口登山道
  4. 吉田口登山道

私はこのうち「大宮・村山口登山道」を一部分を除いて踏破している。管見の限り、踏破した報告は殆ど聞いたことがない。中にはテント泊を兼ねて大宮口より一度の登山で踏破した強者も居るようだが。そしてこのうち「吉田口登山道」の活性化が昨今のニュースとなっている。私はこのニュースを注視してきたが、重要な局面のように思えたので記事化することとした。

富士山に唯一麓から登れる「吉田口登山道」復活へ…1707年に建てられた中ノ茶屋リニューアル(2025/06/27 読売新聞オンライン)

7月1日に解禁予定の山梨県側の富士登山。有料道路「富士スバルライン」を車で上り、5合目から山頂を目指すのが一般的だ。しかし、スバルラインの完成までは、登山者らは麓からの登山道を利用しており、かつては行者らでにぎわっていたという。今はすっかり荒れ果ててしまったこの古道を復活させて多くの人を呼び込もうと、富士吉田市などが動き始めている。
 「吉田口登山道は麓から登れる唯一の登山道で、歴史と文化が色濃く残る」5月16日、登山道の起点である北口本宮冨士浅間神社と1合目の中間地点にある休憩所「中ノ茶屋」前で、同市の堀内茂市長が、力強くあいさつした。
 この日は、リニューアルオープンした中ノ茶屋の発表会。1707年に建てられ、富士山を信仰する「富士講」の行者らの登山を支えてきたが、近年は利用客が減少し、存続が危ぶまれていた。
 市では3月、富士山周辺の活性化を目的にフランスのアウトドアブランド「サロモン」を展開するアメアスポーツジャパン(東京都新宿区)と包括連携協定を締結し、第1弾としてリニューアルに着手。内装を一新して、1階には同ブランドのハイキング用シューズのレンタル場を設けたほか、2階には登山者が利用できるシャワーを2基設置した。
 堀内市長は「富士山の入り口でもあるので、きれいに整備して多くの方に来ていただきたい」と期待を込めた。
 市歴史文化課によると、富士山では、1964年にスバルラインが開通するまでは、登山者らは麓から吉田口登山道を登って頂上を目指していた。麓から5合目まで約11キロの道沿いには多くの山小屋や茶屋が並んでいたという。
 しかし、開通以降は5合目から山頂を目指すのが主流となり、麓からの登山者は激減。山小屋や茶屋は、営業が立ちゆかず軒並み廃業し、維持管理ができなくなった登山道の建物や神社は老朽化や損壊が深刻化していた。
 市では建物の解体撤去など景観整備を図ってきたが、土地や所有者の権利構造の複雑さなどから制限も多く、対策が打てずにいた。
■信仰の歴史など発信
 状況を打開しようと、市では2023年度、国や県、有識者を交えた委員会を設置。山小屋所有者らからも意見を聞きながら、2年かけて「富士山吉田口登山道保存と活用のための活動計画」を策定した。
 34年度までの10年間で、倒壊の恐れがある1合目の鈴原社の整備や復元、4合5勺の御座石浅間神社の待機所としての再整備を進めるほか、倒壊が懸念されるほかの建物についても、所有者らと協議しながら、補強を行っていく。
 富士講らを世話した「 御師 」の町(現在の市街地)と登山道を連動させたイベントも展開し、麓の登山道の認知度向上や活性化を図っていく。
 今秋には継続的な協議体も設置予定といい、同課の沢柳幸司課長補佐は、「富士山信仰を体感できる登山道を伝承していきたい」と強調する。
 アメアスポーツジャパンとも、同社の培ってきたノウハウを生かしながら登山道の価値を高めていく考えで、富士山信仰の歴史、麓よりの神社などの建造物などに関する情報発信を強化していくほか、環境保全などを通して県内外に登山道をPRしていく。(以下略)

大宮・村山口登山道も富士山麓から登拝できるため、このニュースはミスリード(誤報)である。無論、殆ど知識など持ち合わせていないであろう富士吉田市長の発言を引用したことによる結果だとは思うが。

驚くべきは、山梨県側の博物館の学芸員までもが知見が浅いことである。「ふじさんミュージアム企画展富士山世界遺産登録10周年記念企画展 富士山登山案内図の世界 展示目録(2023年)」には以下のようにある。

東海道から大宮口を経て村山口へ出るのが、「冨士本道」とされますが、前述のとおり東海道から村山口へ直接向かう道もあり「富士山表口真面図」には東海道の吉原宿から村山口へ向かう「登山道」が描かれています。

「富士本道」の認識、全然違います。参考文献に『富士山巡礼路調査報告書 大宮・村山口登山道』が挙げられてはいるが、1ページでも読んだのか疑わしいレベルである。

というように、学芸員ですら4つの登山道史の概要ですら把握するのは困難なのであるから、富士吉田市長の知識がまっさらなのも無理はない。そしてこの『富士山巡礼路調査報告書 大宮・村山口登山道』に詳細なルートが明示されている。これが学術調査を経た、正式なルートである

思えば、村山口登山道は早い段階から積極的な調査がなされてきた登山道であるように思う。その一端を示すのが、以下の資料である(富士山世界文化遺産協議会「富士山-信仰の対象と芸術の源泉ヴィジョン・各種戦略」、2014年)。


つまり1993年には既に学術調査を基とした調査報告書を刊行しているのである。私はここから富士宮市の熱量、先進性、勤勉さを強く感じる所であり、この時代に提起した事実そのものを称賛したい。そしてこの時点で完成度が高い報告を世に出したことは、決して軽んじられるものではないと思う。

この事実を把握した上で、以下のニュースを読んで頂きたく思う。

幻の「富士山・村山古道」が人気 5年前、ガイド本が出版され話題に(中日新聞 2011年1月13日)
 行政困り顔「本物確証なく危険」
幻の富士山大宮・村山口登山道(通称・村山古道)とされるルートが、登山者の間でひそかな人気を呼んでいる。明治末に廃絶した古道を再発見した、と主張するガイド本が5年前に出版されたのを契機に登山熱に火が付いた。しかし、国や富士宮市教育委員会は、同書が紹介するルートが本物の古道である確証はなく、登山者の安全も確保できていないと懸念している。
昨年10月24日未明、富士宮市の村山浅間神社を出発。富士山富士宮口新6合目までの標高差約2000メートルを12時間半かけて踏破した。たどったのはガイド本「富士山村山古道を歩く」(風濤社)が村山古道だと主張するルート。富士山信仰を研究する登山家で、同書の著者畠堀操八さん(67)=神奈川県藤沢市=が率いる登山者グループに同行した。畠堀さんは、約8年前から同市村山の住民有志と協力して古道を調査。古老の記憶などを頼りにルートを特定し、倒木や雑草を切り払って整備した。2006年に、「幻の古道の在りかを突き止めた」としてガイド本を出版、インターネット上などで話題になった。地元では、古道を活用した“村おこし”への期待も高い。
一方で、行政側は登山者の増加に頭を痛めている。市教委はガイド本のルートについて「学術的な調査に基づいていない。本物だとの誤解が広がっては困る」と懐疑的。県埋蔵文化財調査研究所が08年度に実施した調査も、札打ち場など古道沿いにあった施設の遺構16カ所を確認したが、施設同士を結ぶ登山道までは確定しなかった。地元住民の有志はガイド本のルート沿い約20カ所に案内板を設置したが、数年前に静岡森林管理署に撤去を求められ、やむなく応じた。有志からは「登山者の遭難を防ぐための案内板をなぜ」と不満が渦巻く。管理署は「ガイド本のルートは獣道との違いも不明確な道もあり危険。利用を促すわけにはいかない」と説明する。(抜粋)

新たに「村山古道」などと名乗ってはいるが、実はこれは1993年の『富士山村山口登山道跡調査報告書』の成果に大幅に拠ったものである。しかし記事からも分かるように、あくまでも自らの成果という体は崩さないように見受けられる。そもそも「国有林への入林について」にあるような規定を守っていないことも明らかである。これが、活性化できない理由の1つ目である。

【活性化できない理由①】学術調査を基とした大宮・村山口登山道を素直に受け入れない人々が居るため、活性化できない

また問題は、そちらが正式なものであるかのように流布されていることである。例えば「OpenStreetMap(OSM)」には「村山古道」という呼称名にて村山口登山道に類似するルートが登録されている。


村山古道の定義がよく分からないため、"これは村山古道です"と言われればそうなのかもしれないが、"「大宮・村山口登山道」のルートとは異なる何らかのルート"以上の言い方が出来ない。

【活性化できない理由②】学術調査を基としたルートでないものが、地図サイトに登録されている

次に自治体としての問題である。大宮・村山口登山道の学術調査には、実は富士市の予算も投入されてきた。それは大宮・村山口登山道が富士宮市を大部分としながらも富士市域をも含む登山道であるからである。

では富士宮市と富士市、互いにアピールすれば周知は時間の問題だな…と普通の人であれば思うであろう。しかし実際は富士市が大宮・村山口を真正面から取り扱うことが殆ど無い。これまで投入され続けてきた予算は一体何だったのだろうか…と思う

以下はYAMAPの登山計画作成画面であるが、ここに「富士山登山ルート3776」というものが出てくる。つまりYAMAP公式で登録されているルートなのだ。これは富士市のシティプロモーションの一環のルートである。




この「大宮・村山口登山道Ver.」が何故無いのだろうか、という話なのである(そもそも新しく策定する必要性が良く分からないのであるが)。これがYAMAP公式で載っているということは、リスク面もクリアされているということであるし、大宮・村山口も不可能ではない。活性化できない理由の3つ目と4つ目がここにある。

【活性化できない理由③】自治体も大宮・村山口以外のプロモーションに躍起
【活性化できない理由④】大宮・村山口のGPXデータやルートが一般公開されていない

特にGPXデータを公開すれば一般認知度は一気に向上することは自明の理である。GPXデータが無い状態で登るよりあった方が良いのは明白であるが、登山者の絶対数が増えればトラブルも増えるかもしれないという危惧もある。しかし既に「富士山登山ルート3776」の取り組みがあるため、これを先行事例として大宮・村山口のデータ公開を主張するという理論武装は可能である。逆に言えば、今しなかったら一生できないように思う。

大宮・村山口登山道で通過できない箇所があるのなら、「OpenStreetMap(OSM)」で示される道を迂回ルートと定めればいいだけの話なのである。「迂回」とすれば、学術面も担保されている。

次に環境団体の問題がある。2013年の「環富士山地域広域連携ビジョン」に環富士山地域の取り組みとして以下の紹介ページがある。


このUTMF(現在はMt.FUJI100)であるが、現在富士山南麓の団体が潰すことに躍起になっている。それは「大宮・村山口登山道を巡る問題行為およびガイド問題について考える」にて詳細に取り上げたので、見ていただきたく思う。実は天子山地は山梨県も含まれており、例えば天子ヶ岳も長者ヶ岳も山梨県に跨っているのであるが、山梨県側は天子山地を経由するMt.FUJI100に特に異を唱えていないという点はもっと注目されても良い気がする。ところで吉田口登山道のニュースでこのようなものがあった。



このような、山梨県側では当たり前に受け入れられていることも(登山競争・トレイルランニング)、富士宮市では難しい。同じ事柄でも、こちらでは普通に行うことすら困難なのだ。これが4つ目の理由である。

【活性化できない理由⑤】登山道を活用したスポーツイベントの廃止を標榜する団体の存在

また山梨県側の山小屋の店主のインタビューがあったが、このように不明なことは"不明"と言えることは重要であって、簡単なことのようで簡単ではない。この方は断定できないことは"想像している"という表現をしており、このような謙虚な姿勢が静岡県側は無いように思われる。



昨今富士山南麓において、憶測に過ぎないが断定するような風潮が強く見受けられる。例えば鈴川の富士塚を修験道の巡礼地であるかのように喧伝する団体が居る。その動き自体は以前より感知していて、2012年にTwitter(現在X)に投稿したことがある。



翌2013年にはもう少し踏み込んだ発言をした。


2018年になると富士市市民部文化振興課により『鈴川の富士塚』が刊行された。同書の(富士市2018;p.82)には以下のようにある。

鈴川の富士塚の信仰的背景を探ってきた。しかし、確実に富士山禅定に結びつく根拠は得られなかった

であるから、分からないことは「分からない」とした方が良いのである。この地域に巣食う問題は相当に根深い。一部の人々による無邪気な無秩序さが、この地を荒れに荒らしている。

鈴川の富士塚の信仰的背景は、同報告書にもあるように富士山本宮浅間大社の神職および神事から見出すことができるわけだが(つまり「大宮」)、はっきりとしているその部分に関しては上のような団体は何故か等閑視している。私は当初、この特殊背景の理由がよく分からなかった。関係性が確認されないものを"関係する"とする一方で、明確に関係性が指摘されるものに触れない理由は特段無いためである。

しかしこれは後述する(山本2020)などにヒントが隠されているうように思う。また(静岡県富士山世界遺産センター2021;p.239)に同氏のインタビュー内容が掲載されている。

山本氏にとって、浅間神社と大日堂は分けられない存在で、一緒に「センゲンサン」という存在であるという。村山集落の人口が減少する中、村山浅間神社や大日堂興法寺の建物や史料があるだけでなく、より多くの人に参拝や行事に参加してもらうことで、村山集落の歴史や文化が伝わっていくことを願いながら活動を続けている。

このようにあるが、氏の論稿を読む限りではそうは思えない。排他的で、歴史認識も誤りが多く、村山が良い方に向かうような糸口すら感じられない。

なぜもっと胸を張れないのか?先人の考えに思いを偲ばせることはできないのか?…これが論稿を読んでまず感じた所感である。

富士宮市には「身延道」の道標がある。これは甲斐国の身延山久遠寺に至るために富士上方各地に設けられた道標である。山梨県南巨摩郡の人々は、これを見て誇りに感じることだろう。"これは自分が住む地域に来るために建てられたものなのだ"と。求心力が無ければ、そのようなものは歴史の中で絶対に存在し得ないのである。そこには人々の強い思いがある。

舞々木町には「右富士山道」と刻まれた道標がある。何を隠そう、大宮口を用いて村山口に至るための道標である。村山の求心力を示す象徴とも言える。"これは大宮口を用いて村山に来るための道標なんだ"と、なぜ胸を張って言えないのだろうか?

論稿内(山本2020;p.67)で「富士山頂までを表口村山登山道とか村山口登山道という名称で認識、承認されてきた登山道が、近年の登山道解説書とか冨士山登山案内書で、大宮・村山口登山道と記されていることでは、村山住民はもとより、村山口登山道を利用して村山より登山する登山者等は、大宮と記されていることに疑問を投げかけているのである」とあるということは、これを否定しているということになる。

ちなみに歴史用語として「大宮口」と「村山口」は存在するが(つまり大宮・村山口)、「村山古道」という言葉は存在しない。またこの道標は大宮町の人によるものとされている。そういう先人の普通の思いも、後世の人間によって歪められてしまうのだ。私はただただ、先人に申し訳ない思いでいっぱいである。

村山口の道中の石造物も大宮町の人々によるものが散見されるが、後の時代に「大宮つけるな」と言われているとは露ほども思わないだろう。本当に寂しい話である。このような「おらが村」精神では人は集まらない。

そして衰退したのはすべて外部要因だと盲目的に決めつける。こういうことも辞めたほうが良い。こういうことをしている地域に人々は来たいと思うだろうか?

【活性化できない理由⑥】活性化させたいようで活性化から逆行したスタンスという実情

冒頭の記事で山梨県の取り組みをみたが、このようなことが静岡県側は出来ない。"市では3月、富士山周辺の活性化を目的にフランスのアウトドアブランド「サロモン」を展開するアメアスポーツジャパン(東京都新宿区)と包括連携協定を締結し、第1弾としてリニューアルに着手"とあるが、これも絶対に出来ない



何故なら、富士山南麓の団体が山林部でのスポーツを排斥しているからである。そんな地域にSALOMONが来るはずがない。山梨がサロモンならこちらはMILLET(ミレー)でどうだろうかとも思うわけだが、受け入れ体制が出来ていないところには企業は見向きもしないだろう。


(静岡県富士山世界遺産センター2021;p.227)には以下のようにある。

富士山村山口からの登山の目的は、禅定登山や成人儀礼など様々な要素があったと思われるが、富士登山をはじめ近世の旅自体に次第に観光の要素が増大したものと思われ、村山口の宿坊や登山道上の山小屋や室の対応は必ずしも十分であったとは言いがたいのではないだろうか。特に北口吉田口では、街に風呂屋が二軒開業したり、富士講を中心とする団体登山に対応して御師宅に奥座敷が用意され、風呂や禊ぎの川が屋敷内を流れ、御師外川家では上総の檀家の酒造家との関係で、酒は飲み放題であったとも伝えている(近世までさかのぼるかは不明)。とにかく、いわゆる「おもてなし」が格段に向上したのである

簡単に言えば、山梨県側には見いだせる「おもてなし」の精神がこちらには皆無なのである。これを著した菊池氏は甲斐国側の歴史にも深く通じており、その目を通したからこそのごもっともな見解である。

もちろん観光化は文化・伝統との兼ね合いの点で難しい部分もあろう。しかしこの現代においてもそうであるのは、もはや説明がつかない。

ここには富士宮市民の差別意識が関係するように思う。富士宮市は気候も温暖で、少なくとも富士北麓の寒さや飢えは経験することが少なかった地域である。『妙法寺記』を読むと、凶作の年に富士北麓の人々が越国して富士上方(≒富士宮市)で食料等を調達し、なんとか食いつないでいたことが記される。作物が育たないので試行錯誤してなんとか辿り着いた結果生まれたのが「うどん」だったのだ。

現代においても、富士宮市の製造品出荷額等が約1兆円であるのに対し、富士北麓は恵まれては居ない(忍野村は除く)。富士宮市民には"うちらは観光に頼らなくともやっていける"という慢心がある。ここに、密かな差別意識があるのだ。そういうものは要らない。

富士宮市民は観光で儲けることを卑しいと思っている節すらあり、例えば富士宮やきそばを売るお店にも難癖をつける人すら居る。これはとんでもない話で、モノに付加価値をつけて売るのが経済なのだから、富士宮市民はもはや観光を経済として見ていないということにもなりかねない。

【活性化できない理由⑦】観光を頑張れない/観光を経済として捉えることができない

例えば「富士宮市立郷土史博物館の地域説明会における質疑応答に対する意見」でも「観光客誘致を目的としたいが隠しているようにみえる」という一般市民の意見が見られたが、このように観光を相当下の次元で見ていることが分かる。この方の中では、博物館の目的の1つに"観光"があるのは後ろめたいことであるのだ。

私は大宮・村山口において1度だけ人にすれ違った時に声を掛けられたが、とりあえずの応答だけに留まってしまった。簡単に言えば、仮に①のような人であったら面倒臭いことになりそうなので、リスク回避が働いてしまうのだ。おそらく普通の人々ではないと思うし、現に山梨県側で「吉田古道」などといって活動する者は見たことも聞いたこともない

これが地元民から見た真実の姿である。傾向として言えるのは、①も⑤も⑥も年齢層は上の方であるということである。上手くいかない理由が、見えてきただろうか。

【活性化できない理由⑧】やっぱり上の世代の方々が前時代的

そして冒頭の記事に繋げて言えば、おそらく吉田口登山道の活性化はできても、大宮・村山口は難しいだろう。まだ活性化の途上にあると見える吉田口登山道に、今ならまだ間に合うのかも知れない。もう既に大きく離されているように思えるが。


何処よりも先んじて登山道の学術調査を行ってきた富士宮市が、何故活性化に関しては遅れを取るという憂き目に遭うのか

これが不思議で仕方がない。富士宮市および富士市は、今からでも良いから共同で活用計画を策定すべきであろう。


具体的には、以下の取り組みは必須となろう。

  1. 大宮・村山口登山道のルート・GPXデータの一般公開
  2. 同登山道中の看板の設置
  3. 土地所有者・権利関係の整理
  4. 同登山道の各登山口(大宮口・村山口)の整備、特に村山口に開業する民間事業者への補助金等の検討(基準は厳格化)
  5. スポーツイベントの推進化(民間企画者が円滑に行えるための体制確立)

私は吉田口活性化の取り組みにおける"正当性"およびその手法を強く称賛する立場である。

ちなみにであるが…大宮・村山口登山道は英語で「Omiya-Murayama Ascending Route」(推薦書英語版)である。英語でブラウザ検索すると、1~3番目のうち1・2番目は山梨県HPで3番目はANAのページという結果となっている。やはり圧倒的に山梨県側の方がプレゼンスが高い。




---追記(2025/10/24)---

これら事象の背景をもう少し詳細に考えてみよう。そして浮かび上がったことに「前提の説明不足」が関係するのではないだろうか、ということがある。

というのも、上記のように学芸員ですら明確に誤った認識を持っている。"東海道から大宮口を経て村山口へ出るのが、「冨士本道」とされる"のであれば、道中図や紀行文で記されるような"東海道の吉原宿から大宮口に至り村山口より登拝を行う"その道は冨士本道であるのだろうか。否である。

(静岡県富士山世界遺産センター2021;p.159-161)に登山記の一覧があるが、大宮・村山口登山道と記されていて富士本道が併記されていないものは、一体何処から来たと考えているのだろうか。不思議である。

こんな当たり前のことも伝わらないほど、前提を描出できていないのではないだろうか。様々な用語の「初見」が記される中、まず「大宮口」と「村山口」の初見に焦点を当ててみも良いだろうし、それに言及した史料をもう少し見ても良いのではないだろうか。

そう考えると、(山本2020)の論調の理由も見えてくる。レベルを極限まで落として考えた時、仮説ではあるが、そもそも当人が「大宮口」という概念そのものを知り得ていなかったという可能性はありはしないだろうか。であれば合点がいく。

ここ15年間くらいの各論稿(専門的)を見ると、確かに村山道が常套手段であったかのような印象を受けなくもない。村山道というものはそれほど多用された道であったのだろうか?そうは思われない。そういう印象をそのまま受けとってしまったその結果として、(山本2020)のようなものがこの世に生まれてしまったというようにも思えてくる。

  • 参考文献
  1. ふじさんネットワーク会議(2013)「環富士山地域広域連携ビジョン」
  2. 富士山世界文化遺産協議会(2014)「富士山-信仰の対象と芸術の源泉ヴィジョン・各種戦略」
  3. 富士市市民部文化振興課(2018)『鈴川の富士塚』
  4. 山本哲(2020)「村山浅間神社の今昔」『富士学研究』Vol.16 No.1、61-68
  5. 静岡県富士山世界遺産センター(2021)『富士山巡礼路調査報告書 大宮・村山口登山道』
  6. ふじさんミュージアム(2023)「ふじさんミュージアム企画展富士山世界遺産登録10周年記念企画展 富士山登山案内図の世界 展示目録」