2026年10月2日金曜日

東京近郊で富士市・富士宮市の歴史を体感できるスポット

今回は東京近郊で富士市・富士宮市の歴史を感じることが出来るスポットをご紹介したい。富士市や富士宮市の方が東京近郊へ遊びに行った際、是非訪れて頂きたいと考える。



【富士市】

①根津美術館蔵『曽我物語図屏風』

富士市の歴史を俯瞰して見た時、キーワードとしては勿論「生贄」等が出てくるわけであるが、もう少しピンポイントで且つ重要であると思える事柄として、曽我関連で確認される「鷹が岡」を挙げることができる。

曽我兄弟の物語は、概観としては以下のような流れを得ている。


曽我兄弟仇討ちが発生

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(この間流布され、一部を『吾妻鏡』が取材)

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真名本『曽我物語』の成立

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仮名本『曽我物語』の成立

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能の曽我物の成立(※「能」については仮名本の成立より先行するという指摘も)

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幸若舞曲の曽我物の成立(A)

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絵入本『曽我物語』等が成立

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歌舞伎の曽我物の成立


(A)以降に成立した、つまり創作性がふんだんに認められるストーリーとして、曽我時致が鷹が岡で処刑される筋書きを有するもの(舞の本)がある。例えば毛利家本には「鷹が岡にも付しかば、九品の松の下に敷革しかせ、(中略)…と申こふてぞきられける」とある。

この九品の松が位置する「鷹が岡」は、現在の富士市鷹岡に比定されている。私もその説を採っているのであるが、その絵画化例を認めることができる。また『曽我物語図屏風』だけでなく、(大月2009;p.44-45)にあるように絵巻の例もある。

東京近郊で観れるものとなると、根津美術館蔵『曽我物語図屏風』であろう。ただこれが常設展のものであるのかは不明。

同場面を含める『曽我物語図屏風』の代表としては、やはり渡辺美術館(鳥取)のものが有名である。(井戸2015;p.84)の図7および(三戸2020;p.34)のVが該当する。この辺りは(泉2006;p.5)も詳しい。

ちなみに「曽我兄弟の仇討と富士宮市・富士市、鎌倉殿の意図考」で指摘しているのは、本来上でいう「真名本『曽我物語』の成立」だけで説明できるところを、(富士市2017;p.3)は時代が大きく下る(A)を無理くりに混ぜているので、学術的態度としてはよろしく無いという内容である。こういうことをやり始めると何でもありになってしまうし、信用も失うだろう。



【富士宮市】

富士宮市の場合、当地の歴史を題材としたものがあらゆる表現に組み込まれたため、枚挙に暇がない。特に絵画化例に恵まれており、東京でも多く確認できる。その一方で、研究は全く進んでいない。静岡県富士山世界遺産センターは、美術史のポストが設けられていたはずなのだが…。美術史ではなくて歴史学だ、ということなのだろうか?

山梨県立博物館が2022年にシンボル展「曽我物語図屏風」を開催した。本来なら「曽我兄弟の仇討ち」の舞台の地である静岡県側が先んじて行なうべきものであるのだが、何とも情けない。富士山世界遺産センターが開館してからこの種のものを待ち続けているのであるが、一向に開催されないのも不思議である。いよいよ"不思議"という感覚から"疑義"に変化してきたところである。

今回は絵図類以外から厳選して紹介してみたい。


①柴又帝釈天(題経寺)

富士山下山仏が安置されている。(富士山世界遺産センター2021;p.275-276)にあるように、富士氏の「富士親時」が造立に関与した。銘文に「□大宮司親時」とある。

これは実際に眼の前で確認できるものであるため、是非その銘を目に焼きつけて頂きたいと思う。東京で最もおすすめしたい場所である。


②富士家記念碑(東京都新宿区住吉町の安養寺)

『寛政重修諸家譜』の「富士信重」の項に「市谷の安養寺に葬る。のち代々葬地とす。」とある。この安養寺は後に現地へ移転されたのであるが、境内に「富士家先祖代々之墓」の銘を持つ記念碑がある。

ちなみに長谷寺(横浜市栄区長尾台町)には「富士信成」の墓碑があるが、この寺は無住持になってから久しいと見え、荒れ果てている。墓碑は最奥部に所在する。長尾台は富士氏代々の知行地であった。この信成は信重の子であり、『寛政重修諸家譜』には「采地鎌倉郡長尾台村の長谷寺に葬る」とある。


③次大夫堀公園(東京都世田谷区喜多見)

駿河国富士郡小泉郷(現在の富士宮市小泉)の出身とされる歴史的人物に「小泉次大夫」が居る。関東では治水代官の歴史的人物として著名で、公園の名はその業績の1つである「次大夫堀」から採ったものである。治大夫橋(世田谷区瀬田4丁目)も同じ理由だろう。

次太夫の業績を顕したものは関東で多く確認される。妙遠寺(川崎市川崎区宮前町)には像が安置されているし、台和橋(川崎市多摩区生田)には次大夫のレリーフが複数埋め込まれている。当地ではかなり敬われている人物である。

富士宮市の歴史とは言えないわけであるが、「小泉橋」(多摩区登戸1968番地先)はやはり小泉姓(小泉利左衛門が普請したという)から由来するだろうから、ここに含めた。つまり「小泉郷→小泉氏→小泉次大夫→小泉利左衛門→小泉橋」ということになる。

  • おわりに

現在、富士市の市制施行60周年を記念し、シリーズとして記事の投稿を進めている。30記事くらいを予定していたが、他の記事群と比較してアクセス数が限られているため、アクセス数に応じて投稿を進める形式で進めようと考えている。

24:「東京近郊で富士市・富士宮市の歴史を体感できるスポット」

  • 参考文献
  1. 泉万里(2006)「曽我物語、源平合戦屏風絵等について」、『渡辺美術館所蔵品調査報告書』
  2. 大月千冬(2009)「明星大学所蔵『十番切』絵巻の図様について」『物語絵画における武士』
  3. 井戸美里(2015)「幸若舞曲の絵画化と受容空間に関する一考察 : 「曽我物語図屏風」を例として」,『美学』66号
  4. 富士市(2017)『富士市の歴史文化探訪 曽我伝説』
  5. 三戸信惠(2020)「曾我物語図屛風に関する一考察―新出本と渡辺美術館本を中心に―」、『國華 第1496号 第125編 第11冊』
  6. 静岡県富士山世界遺産センター(2021)『富士山巡礼路調査報告書 大宮・村山口登山道』

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