今回は東京近郊で富士市・富士宮市の歴史を感じることが出来るスポットをご紹介したい。富士市や富士宮市の方が東京近郊へ遊びに行った際、是非訪れて頂きたいと考える。
【富士市】
①根津美術館蔵『曽我物語図屏風』
富士市の歴史を俯瞰して見た時、キーワードとしては勿論「生贄」等が出てくるわけであるが、もう少しピンポイントで且つ重要であると思える事柄として、曽我関連で確認される「鷹が岡」を挙げることができる。
曽我兄弟の物語は、概観としては以下のような流れを得ている。
曽我兄弟仇討ちが発生
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(この間流布され、一部を『吾妻鏡』が取材)
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真名本『曽我物語』の成立
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仮名本『曽我物語』の成立
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能の曽我物の成立(※「能」については仮名本の成立より先行するという指摘も)
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幸若舞曲の曽我物の成立(A)
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絵入本『曽我物語』等が成立
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歌舞伎の曽我物の成立
(A)以降に成立した、つまり創作性がふんだんに認められるストーリーとして、曽我時致が鷹が岡で処刑される筋書きを有するもの(舞の本)がある。例えば毛利家本には「鷹が岡にも付しかば、九品の松の下に敷革しかせ、(中略)…と申こふてぞきられける」とある。
この九品の松が位置する「鷹が岡」は、現在の富士市鷹岡に比定されている。私もその説を採っているのであるが、その絵画化例を認めることができる。また『曽我物語図屏風』だけでなく、(大月2009;p.44-45)にあるように絵巻の例もある。
東京近郊で観れるものとなると、根津美術館蔵『曽我物語図屏風』であろう。ただこれが常設展のものであるのかは不明。
同場面を含める『曽我物語図屏風』の代表としては、やはり渡辺美術館(鳥取)のものが有名である。(井戸2015;p.84)の図7および(三戸2020;p.34)のVが該当する。この辺りは(泉2006;p.5)も詳しい。
ちなみに「曽我兄弟の仇討と富士宮市・富士市、鎌倉殿の意図考」で指摘しているのは、本来上でいう「真名本『曽我物語』の成立」だけで説明できるところを、(富士市2017;p.3)は時代が大きく下る(A)を無理くりに混ぜているので、学術的態度としてはよろしく無いという内容である。こういうことをやり始めると何でもありになってしまうし、信用も失うだろう。
【富士宮市】
- おわりに
- 参考文献
- 泉万里(2006)「曽我物語、源平合戦屏風絵等について」、『渡辺美術館所蔵品調査報告書』
- 大月千冬(2009)「明星大学所蔵『十番切』絵巻の図様について」『物語絵画における武士』
- 井戸美里(2015)「幸若舞曲の絵画化と受容空間に関する一考察 : 「曽我物語図屏風」を例として」,『美学』66号
- 富士市(2017)『富士市の歴史文化探訪 曽我伝説』
- 三戸信惠(2020)「曾我物語図屛風に関する一考察―新出本と渡辺美術館本を中心に―」、『國華 第1496号 第125編 第11冊』
- 静岡県富士山世界遺産センター(2021)『富士山巡礼路調査報告書 大宮・村山口登山道』


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