本稿では都会/田舎論争について考えてみたい。とはいっても、真正面から取り扱うものではない。まず「都会」と「田舎」という定義そのものが難しいのであるが、単純に「東京」から見れば静岡県の各地域はすべて田舎に該当すると言えるかもしれない。
しかしこんな感覚的な話ではなく、あえて定量的なもので言えば、1つの指標を挙げることが出来る。それは交通分担率のうち「公共交通分担率」である。やはり"公共交通機関の充実さ"が都会と田舎の大きな相違点だろう。
| 富士市 | 特例市平均 | 最大値 |
|---|---|---|
| 9.56% | 30.13% | 64.55%(宝塚市) |
これは2013年のデータである(富士市2013;p.15)。この数値が10を下回る地域は、少なくとも「都会」からは大きく離れた所にあると見るべきだろう。
そして地域の事象から、都会と田舎のスケール感の違いを感じることができる。ここでは富士市長のインタビューを引用する形で考えていきたい。
この記事は、富士地区で最も手広く展開している新聞社である「岳南朝日新聞」による富士市長に対するインタビュー記事である。しかも新年一発目の目玉記事であり、市長からすれば自らの成果を示す重要な機会となるものである。従って、必然的に成果を全面に打ち出した内容となってくる。では富士市長は何を前年の成果として挙げただろうか?
- 中核市移行検討
- 新素材CNFの関連産業推進構想策定
- タリーズコーヒー誘致
- 新富士駅ステーションプラザFUJIへのアスティ新富士の整備
ここで3番目として「タリーズコーヒー誘致」が挙げられている。東京の人からすれば信じられないかもしれないが、これが地方のスケール感である。テーマパークでもなく、大型商業施設でもなく、コーヒーチェーン店なのだ。地方からすれば、市内未出店のコーヒーチェーン店の進出でも、十分に象徴的事象になり得るのである。
- 田舎者とは何だろうか
高層ビルやタワマンがあるのか無いのかといった、物理的な「モノ」の有無で「都会」とか「田舎」を分けることは簡単だろう。
しかしそれは人間に焦点が当たっていない物差しである。人間に焦点を当てた時、以下のように言えるのではないだろうか。
プロトコールを認知/行使できるのか否か
世の中には「プロトコールの(五大)原則」というものがある。私はこの部分に配慮できるか否かで、田舎的かどうかを決めるべきであると考える。つまり、タワマンに住んでいようが、プロトコールが出来ていなければ田舎的と言えるのだ。
以前「静岡県富士宮市の市制施行80周年記念、富士郡大宮町時代から振り返る」にてクレジット(表記)の違和感について触れたことがある。富士地区はこの辺りの儀礼が特に出来ていないように感じる。これらは食事マナーに類するものなのだ。
- おわりに
現在、富士市の市制施行60周年を記念し、シリーズとして記事の投稿を進めている。30記事くらいを予定しているため、是非ご覧いただきたく思う。
13:「富士市の事例から都会と田舎のスケール感の違いを考える」
- 参考文献
- 富士市総務部企画課(2013)『富士市都市活力再生ビジョン』

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