『渓嵐拾葉集』巻三十七「弁財天縁起」江島縁起事(『大正新修大蔵経』七六)には「江島ノ縁起ハ相州大山寺ニ在之」とある。それに関連して(田中2021;p.110)には以下のようにある。
『渓嵐拾葉集』は比叡山の光宗によって南北朝期に作られた、天台宗の様々な教説・口伝を集めた百科事典といえる書物である。(中略)巻三十七「弁財天縁起」は二十四箇条からなり、天川・厳島・竹生島・江の島の縁起、また四箇所に箕面・脊振山を加えて六所弁才天とすること、その他弁才天に関する諸説を記す。「江島縁起事」は、大山寺にあるという「江島縁起」を略抄する。大山寺の「江島縁起」は現存せず、詳細はわかっていないが、記された縁起には、皇慶に代わって最澄の来島が語られることや、安然を法道和尚の子とすることなど、他本にはない内容が見られる。
『富士の人穴草子』は人穴の奥の世界を舞台としている。これは江島と人穴が繋がっているという伝承が起点となって、奥の世界に視点が移ったためではなかろうか。『人穴草子』の原点に、「江島縁起」があるという想定をしても良いのではないだろうか。
(田中2021;p.119)には以下のようにある。
道智の話の舞台が、F(註:『渓嵐拾葉集』のこと)のみ龍窟ではなく「新田四郎人穴」とされることについて、富士浅間信仰との関連を示唆する。(中略)その上で、Fを「江島縁起」の異本と位置付ける。
このようにあるが、富士浅間信仰との関連は一読した印象としてはあまり感じない。しかし各「江島縁起」の中でも異本に位置づけられるという指摘は傾聴すべきである。
むしろこの「江島縁起」を基とした物語に富士山信仰が合流したものが『富士の人穴草子』ではないかという風にも思えてくる。『渓嵐拾葉集』と『富士の人穴草子』の共通点として、以下のようなものが見いだせる。
- 洞穴が「人穴」であること
- 新田四郎の名が見えること
- 人穴に、女性の姿をした人ならざるものが居る
- その者を通り過ぎること(または相対すること自体)が怒りに値することである
- 相対した者は災いをもたらす存在という認識を持たれている(『渓嵐拾葉集』の場合「此島雖至于劫燒ノ時」とあり、災いをもたらす存在と見ている)
このように、無視できない一致点がある。『人穴草子』を見ると、両者(和田・新田)同じ洞窟に入っているというのに、化身の様相が異なっている。例えば『人穴草子』諸本のうち「常信筆絵詞之巻物」の場合は、和田胤長が人穴で化身に出会った際の表現として以下のように見える(田村2021;p.37)。
かたわらを見れは、年のよはひ十七八なる女ばう、十二ひとへをひきかさね、紅のはかまをふみしきたて
一方で新田忠常の場合は、以下のように記されているのである(田村2022;p.50-51)。
御姿を見れば、そのたけ十丈計なる(中略)大じやきこしめし…
このように和田の場合は「女」とあり、新田の場合は「大蛇」となっているのである。『渓嵐拾葉集』の道智の話では本地が釈迦如来で、垂迹神は弁才天であり、その化身が龍女であった。富士山信仰の場合は垂迹神は富士浅間大菩薩となる。
この差異が、和田の場合は化身が「女」で、新田の場合は「富士浅間大菩薩」そしてその化身である「大蛇」という形で『人穴草子』に現れたようにも思える。そして通しで読んでみると、なんだか物語を張り合わせたような印象を受けるのは私だけだろうか。そのために、和田と新田両者のやりとりが見いだせないのではないだろうか。
(西野1971)では『人穴草子』は語り物として流布されたという想定がなされているが、仮に語り物であれば能「人穴」などはもっと歴史の中で演能されていて然るべきである。しかしあまり流行していたようには見えない。私は、語り物であったとは思えない。
諸本を検討する必要性はあるが、時間を要する作業となる上に環境も整っていないため、今回は1つの想定を示すに留まりたい。しかし人穴の歴史を考える上で『渓嵐拾葉集』の存在が等閑視されている感が拭えず、あまり実像に迫ることが出来ていないように思える点は危惧される。
- 参考文献
- 西野登志子(1971)「「富士の人穴草子」の形成」『大谷女子大国文 1』、38-48
- 田中亜美(2021)「「江島縁起」の諸本と研究史」『論叢アジアの文化と思想』、アジアの文化と思想の会、104-125
- 田村正彦(2021)「絵巻『冨士の人穴』(「常信筆絵詞之巻物」)について その一」『日本文学研究』60、大東文化大学日本文学会、31-43
- 田村正彦(2022)「絵巻『冨士の人穴』(「常信筆絵詞之巻物」)について その二」『日本文学研究』61、大東文化大学日本文学会、45-57
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