2026年5月3日日曜日

曽我物語図扇面考、古画類聚との関係と松屋棟梁集の解釈

本稿では「富士野の絵画化例考、18世紀までの富士巻狩図と夜討図」でも取り上げた「曽我物語図扇面」について考えていきたい。(井澤1999;p.431)には以下のようにある。


一対の曽我物語図の遺例を紹介する。

一、「曽我物語図扇面」

扇の一面に富士巻狩図が描かれ、画風から室町時代末期から桃山時代にかけての大和絵系の町絵師の制作と見られる。兄弟は落馬する前の祐経を追いかける姿であり、また人物の頭上には「すけつね」「すけ成」「より朝」「ときむね」「五郎丸」「志げただ」「よし盛」「うつの宮」「につ田ただつね」と名が記され多くの登場人物が特定されているが、基本的なモチーフや構成は「月次風俗図屏風」中の「富士巻狩図」と共通する。この扇面画には対になる図が存在していた。松平定信編纂の『古画類聚』(序文の年記、寛政七年〈一七九五〉)に一対の「扇面古画」の模写が収載されているが(図 4)、そのうちの一面がこの現存している「富士巻狩図扇面」の写しである。その裏面であったとおもわれるもう一面は、三七軒の屋形が連なる様を俯瞰でとらえた図様である。これは巻狩の際の仮屋で、兄の十郎が仇祐経の仮屋をさがして歩く「仮屋廻り」に取材して歩く「仮屋廻り」に取材している。屋形に巡らされた幕には巻狩に参加した武将の紋が描かれ、いくつかの屋形には墨書で武将の名も記されている。


この紙本著色の扇は(和泉市久保惣記念美術館1990;p.68)に白黒で掲載されている。完成度が高く、絵師が制作したことが伺われる。井澤氏が述べるように、本来は一対からなるものであり、もう一方の図柄が『古画類聚』に認められる(東京国立博物館1990a;p.16-17)。

井澤氏は「裏面であったとおもわれる」という言葉を用いているが、現存例の扇面が一面しかないため(サントリー美術館他2018;p.253)、順番としては「富士巻狩図」が頭であるという意味で述べていると解釈しておく。つまり一面ずつ一対の扇があり、一方のみが残ったと考えるべきである。

「曽我物語図扇面」と『古画類聚』を見比べたところ、図柄はぴったりと一致しており、『古画類聚』が実物の扇を模写したものであることが分かる。そして井澤氏の論稿の脚注には以下のようにもある。


註2の鈴木廣之氏の論文中で、高田与清『松屋棟梁集』(文化13年〈1816〉頃執筆)にも本扇面画二面が収載されていることが紹介されている。それぞれに「古き扇の画に畫たる鎌倉の頼朝大将軍富士野狩の圖」「其二富士野假屋の圖幸若舞の草子夜討曽我の段を考合すべし」と添え書きがある。

私は以前より『松屋棟梁集』は知り得ており、その中の絵図は既知のものであった(日本随筆大成編輯部編1975;p.178-181)。しかしうち一方が現存することも知らず、また『古画類聚』に書写したものが収められていることは知り得ていなかった。

富士野假屋の圖(『松屋棟梁集』


そこで『松屋棟梁集』のものと見比べてみた所、やはり図柄は一致している。ただ『松屋棟梁集』のものは所々略式化している。というより、『古画類聚』が異様に綺麗に模写できていると言った方が良いだろうか。この様々行き来していたと思しき扇について、もう少し深く考えてみようと思う。

まず時代背景を考える。『古画類聚』の成立は諸説あるが、文化13年 (1816)『松屋棟梁集』と同じ頃とも言われ、どちらが先行するのかは定かではない。『古画類聚』の方には扇絵の横に説明書きとして墨書で「扇面古画」とあるのみで(東京国立博物館1990b;p.102)、他に文字はない。

『松屋棟梁集』には一方の扇絵の傍に「古き扇の画に畫たる。鎌倉の頼朝大将軍富士野狩の圖。」と、もう一方には「其二 富士野假屋の圖。幸若舞の草子夜討曽我の段を考合すべし。」とあるが、これは『松屋棟梁集』にて新たに説明として加えられたものである。扇という形態から考えても、これらの文字は元々存在したものではない。つまり『松屋棟梁集』にて扇絵に対して名付けされたわけである。

ここで注目したいのは、その図柄の意味が違わず理解できているということである。巻狩りの地が「富士野」であること、建物群が仮屋を指し、それらは幸若舞の幕紋づくしから由来するであろうことが推察されている。これはかなり高度な理解である。源頼朝の巻狩り=富士野で催されたものという理解が通っており、『曽我物語』を理解し、その上で幸若舞を知り得ていないと成立しない。

この図柄を見てみると、各所指摘されているように「月次風俗図屏風」第7扇「富士巻狩図」と場面がよく似ている。しかし明確な差異もある。例えば「月次風俗図屏風」では頼朝の従者が傘を指す猫写などはないが、本扇絵ではそれが認められる。

(林2020;p.21)は挿絵入り『曽我物語』の図柄を指す形で「頼朝が多くの勢子を連れて狩りを催している様子が描かれる。ここでは、傘を差し、馬に乗った烏帽子姿の頼朝が確認できる。この姿は組合せ絵本から共通する姿であり、後に続く富士の巻狩り図の挿絵とも通ずる」と説明する。本扇絵は室町時代後期と推定されているため(和泉市久保惣記念美術館1990;p.161)、その早例とも言えるものであり、注目される

(林2020;p.31)で同じく挿絵入り『曽我物語』における頼朝の図柄の特徴が説明され、"どの版においても挿絵の中の頼朝は、尻鞘の太刀を持つように描かれていることが多い"とし、また各曽我物語図屏風について"挿絵と同様の狩場における頼朝の姿が確認され、描かれる位置も画面の右上となる"とする。本扇絵も右上に頼朝が位置するが、頼朝の装いなどについては、刊行物の写真では限界がありはっきりとは分からなかった。

  • 参考文献
  1. 日本随筆大成編輯部編(1975)『日本随筆大成 第1期 3』、吉川弘文館
  2. 和泉市久保惣記念美術館編(1990)『扇絵 : 日本・中国・朝鮮半島』、和泉市久保惣記念美術館
  3. 東京国立博物館(1990a)『松平定信 古画類聚 図版篇』、毎日新聞社
  4. 東京国立博物館(1990b)『松平定信 古画類聚 本文篇』、毎日新聞社
  5. 井澤英理子(1999) 「曽我物語図考 -双屏風の成立について-」『日本美術襍稿 佐々木剛三先生古希記念論文集』、明徳出版社
  6. サントリー美術館・山口県立美術館編(2018)『扇の国、日本』、サントリー美術館
  7. 林茉奈(2020)「絵入り版本『曽我物語』考 : 挿絵に描かれる頼朝と曽我兄弟を中心に」、『語文論叢35号』、千葉大学文学部日本文化学会

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