- 浅間大社の文化財の傾向
しかし後の騒動で浅間大社の美術品等の多くは消失している。廃仏毀釈による取り壊しも考えられるが、戊辰戦争終結あたりに静岡にやってきた旧幕臣により、盗難などが頻発したことが大きい。浅間大社(というよりその大宮司の富士氏)は徳川との関係が強かったが、富士重本(富士氏当主)は新政府軍側(徳川からみると敵)につきました。このような都合と静岡に徳川慶喜他旧幕臣が移されたという条件が重なり、浅間大社周辺の治安は悪化していたためです。盗難されたものの中には国宝級もあったと考えられます。
※ここでは一部を紹介しています。
- 武田信玄願文(元亀元年4月23日)
武田信玄願状 |
ちなみにこの願文と同内容のもの(文面は多少の差異しかない)が「北口本宮冨士浅間神社」にも伝わっている。その願文についての違和感を若林敦之氏が論述し、また柴辻俊六氏はそれらについて以下のように説明している。
富士宮の本宮浅間神社に信玄が祈願した永禄十三年四月廿八日の北条氏打倒の願文と全く同文のものが、吉田の浅間神社にもあることがおかしいという点であるが、今回、実見したところ吉田のものは紺紙に銀泥で書かれており、宛名の前に「神名」が十八行も書かれており、信玄花押も稚拙で、これは明らかに本宮浅間社のものをまねて作った偽物である
としている。どうやら実際に見られた経験や文面より、北口本宮冨士浅間神社のものは偽書のようである。このいきさつは興味深いが、おそらく威厳を高めるため後世に作成されたものであろう。
- 富士山本宮浅間大社(国指定史跡)
- 富士山本宮浅間大社本殿(重文)
- 太刀 銘南无薬師瑠璃光如来 備前国長船住景光(重文)
『集古十種 刀剣之部 』より |
- 脇指 銘奉富士本宮源式部丞信国/一期一腰応永廿四年二月日(重文)
作者は「源式部丞信国」で応永32年(1425)に作成されたものである。「穴山信友寄進状」により、後に穴山信友が奉納したものと判明している。文化財指定は明治45年2月8年。
「穴山信友寄進状」には「騒乱の際消失したこの刀を縁あって手にいれました」とある。
そして箱を新調し、富士山本宮浅間大社に奉納したものである。
- 太刀(無銘)
武田勝頼の奉納と伝わる。
- 湧玉池(特別天然記念物)
- 絹本著色富士曼荼羅図(重文)
- 山頂信仰遺跡
- 紅糸威最上胴丸(県指定)
紅糸で毛引に威した五枚胴で形式から最上胴と呼称される。信玄の後継者である勝頼が奉納したと伝えられる胴丸である。胴は鉄砲や鑓による攻撃を防ぐため横長の鉄板を五段に し、武田家の家紋の花菱紋の鋲金具がついている。胴丸とともにあった紅糸威六十二間小星兜には「元亀三年壬申二月日」「上州住康重作」との刻銘があったことから、胴丸も元亀3年(1572)に上野(群馬県)の甲冑師が制作した可能性が指摘される。確実な武田家所用の甲冑として貴重な作例である。(大阪歴史博物館による解説)
読み:「くれないいとおどしもがみどうまる」。武田勝頼奉納。 勝頼の奉納は多いですね。
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