2026年6月8日月曜日

富士市の公共交通の歴史考、近代的製紙業の礎と吉原の衰退を考える

当ブログでは現在、富士市市制施行60周年を記念し、シリーズとして富士市の歴史を取り上げている。本稿のテーマは「富士市の公共交通の歴史」である。

  • 交通体系の大変化

明治・大正時代は、富士地区の交通に大きな変化が生じた時代である。まず以下に、主な事象を表で掲載する。

年代出来事
明治22年(1889)富士馬車鉄道発足
大宮新道建設
明治23年(1890)富士馬車鉄道鈴川-大宮間の営業開始
(鈴川-吉原-伝法-入山瀬-大宮町)
明治43年(1910)馬車鉄道、富士 - 長沢間の開業
明治45年(1912)4月富士身延鉄道発足
大正2年(1913)富士身延鉄道富士-大宮間の開業

以下、富士市立博物館HPより抜粋する。

明治22年2月、鈴川停車場(現JR吉原駅)が開設され、7月に東海道鉄道(今の東海道本線)新橋-神戸間が全通しました。 当地では入山瀬への富士製紙会社の建設に伴い、鈴川停車場から吉原を経て、入山瀬、大宮へ至る新しい交通ルート(大宮新道)と、それを軌道とする富士馬車鉄道が、明治23年開通しました。馬車鉄道とは物資の輸送はいうまでもなく、人々の交通手段としても大いに活用されました。

つまり明治期の富士郡の状況としては、大宮-吉原間が交通の要衝であった。人・モノの行き来というのは、この二地域間が担っていた。以下は明治26年(1893)の富士郡役所の資料(「静岡県富士郡々治一覧表」)である。


静岡県富士郡々治一覧表


今でいう「行政施設・公共施設」一覧であるが、そのような類は殆ど「吉原」と「大宮」にしか存在していなかった。また鈴川-大宮間の経由地点が「伝法」「入山瀬(鷹岡)」であったことも注目に値する。この両者は、近代的製紙業の礎の地と言えるからである。以下は(一般財団法人日本立地センター2016)等を参考として、表にまとめたものである。

出来事
明治12年(1879)伝法村の鈎玄社が製紙を開始
明治20年(1887)芦川万次郎が今泉村に和紙工場を設立
明治23年(1890)富士製紙第一工場が鷹岡村で操業を開始 
明治28年(1895)原田村の原田製紙が和紙機械漉きを実用化
明治41年(1908)加島村で富士製紙第八工場が操業開始

富士製紙第一工場の操業に合わせる形で、「富士馬車鉄道」は営業を開始したとされている。これらは近代的製紙業の礎と言えるものであり、富士市の輝かしい歴史の一幕と言えると思う。

そして公共交通の状況は、大正時代に突入するという段階で一変していくことになる。以下の記事は、富士身延鉄道「富士-大宮町間」で運行されていた蒸気機関車について言及している。

明治村50周年で「SL9号」復活へ 修理へ搬出(中日新聞 2014年2月24日)
名古屋鉄道は博物館明治村(愛知県犬山市)で保管している蒸気機関車「SL9号」を復活させるため、24日、大阪市の修理工場に搬出した。明治村開村50周年の記念事業で、修理を経て来年3月に村内を走らせる。SL9号は1912(明治45)年に米ボールドウィン社が製造し、13年から富士身延鉄道(現JR身延線)の富士~大宮町(現富士宮)の間で運行された

つまり、富士身延鉄道の登場で、公共交通の中心が加島村(富士駅の所在地)-大宮町へと移ったのである。また(藤井2024;p.19)には、以下のようにある。

蒸気機関車 9 号は、アメリカのペンシルベニア州にあった鉄道車両メーカーのボールドウィン (Baldwin Locomotive Works)社が 1912(明治 45)年に製造したものである。1913 年7月に開業 した富士身延鉄道(現在のJR 東海身延線)の富士駅と大宮町駅(現・富士宮駅)間で蒸気機関車 9号は使用された。

以下、『富士市景観形成基本計画』より引用。

電動機の利用が普及すると、大型製紙工場は交通条件が良い東海道線沿いの平地に立地するようになりました。富士川扇状地の旧加島村に製紙工場(富士製紙第八工場)が立地し、それに合せて東海道線富士駅が開業、やがて駅前に市街地が整備され、この地域の中心地を築いてきました。

富士製紙第八工場(現在の王子マテリア富士工場)の操業は明治41年(1908)のことであるから、"それに合せて東海道線富士駅が開業"という指摘は肯定できる。

このように公共交通の中心は吉原中心部から逸れたわけであるが、これにより今後の吉原の方向性は決定してしまったように思う。つまり、以下のように言える。

この富士身延鉄道のルート決定は「今後吉原の中心地(吉原本町辺り)にJR(国鉄)の主要駅は望めないことが決定された瞬間」とも言える

これは非常に大きな事実である。江戸時代より大宮と吉原は交通の要衝であったが、明治期も同様であった。それが後世では継続されなかったのである。

何故吉原は「大宮との関係性」という重要な指向を失ってしまったのだろうか。歴史を見ると、そういう疑問が良く浮かぶものである。もっと言えば、そういう疑問が浮かぶ人材が吉原に必要なのだろう。

  • 公共交通分担率
公共交通の指標の1つに「公共交通分担率」がある。富士市の資料に富士市の分担率(%)と特例市(現在は「施行時特例市」と言う)の平均値(%)を比較したものがあったので、引用する(2013年データ)。


富士市特例市平均最大値
9.56%30.13%64.55%(宝塚市)


この%は大きい方が良いものであるが、富士市は他の特例市と比較しても壊滅的であることが分かる。現在はもっと乖離が激しいのではないだろうか。

端的に言えば、富士市民は公共交通機関を全然利用していないということになる。

  • 富士駅の機能
富士駅の機能を考えた時、現在の乗員人員だけを見ると確かに物足りない数値ではある。しかしながら「貨物」という視点で見れば、それ相応の需要を有しているのではないかと考えている。

(中垣・土井2024;p.42)に全国通運連盟の拠点一覧が掲載されている。それによると富士駅を拠点とする企業は「静岡通運」「清水通運」「清水臨港通運」「センコー」「日本通運」「富士運送」「富士宮通運」がある。これは十分に多いと言えるのであり、富士駅の存在意義を示す一事例と言える。これらは富士市および富士宮市といった事業所向けのものであると思われる。

  • 新富士駅
(竹林ら,2024)に、新幹線駅の開業が地域に与えた影響について言及されている。その報告によると、新富士駅の場合は効果が低かったことが指摘されている。これは地域住民の感覚に近い結果と言えるものであろう。

現在、富士市の市制施行60周年を記念し、シリーズとして記事の投稿を進めている。20記事くらいを予定しているため、是非ご覧いただきたく思う。

1:「富士市の生贄伝承一大群とTRICK感を考える、シティープロモーション化の可能性
2:「富士地区の「富士」を巡る会話はなぜカオスなのかを考える
3:「富士市の公共交通の歴史考、近代的製紙業の礎と吉原の衰退を考える」

  • 参考文献
  1. 富士郡役所(1893)「静岡県富士郡々治一覧表」
  2. 一般財団法人日本立地センター(2016)「平成27年度 広域関東圏における主要産業集積地域の構造変化と 将来の発展方向に関する調査研究報告書」 
  3. 藤井秀登(2024)「博物館明治村の設立趣意と保存鉄道の意義-テーマパークの視点から-」『明大商学論叢』第106巻第1号
  4. 中垣勝臣・土井義夫(2024)「JR貨物における通運事業の史的考察 : 1991年〜2011年での変遷を中心に」『 朝日大学経営論集』38巻、朝日大学経営学会
  5. 竹林ら(2024)「新幹線駅の新設が市区町村の人口に与えた影響―Synthetic Control Methodを用いて―」、『応用地域学研究(27)』、応用地域学会、1-16

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