2011年11月28日月曜日

歌集や説話集にみられる富士宮

「富士宮」といっても「富士の宮」…つまり現・浅間大社のことです。富士宮市はこの「富士の宮」から由来しているため、つまりは浅間大社について記述してある古記録を探せば、市名の由来である「富士の宮」が古い資料にて確認できるということになります。

これ(富士の宮と呼ばれていたこと)については、「富士浅間信仰」にて解説がなされています。この記述から、今回は「歌集」と「説話集」から引用しようと思います。

説話集は『今昔物語集』からです。みなさんも一度は「今昔物語」という言葉を聞いたことがあると思います。まさにそれのことで、正確に呼称すると『今昔物語集』となります。今回は『今昔物語集』の「駿河国富士神主帰依地蔵語第十一」を解説したいと思います。例えば『今昔物語集』に「羅城門登上層見死人盗人語第十八」というものもありますが、これを基に構成されたのが、芥川龍之介の『羅生門』です。

  • 今昔物語集(平安時代)
『今昔物語集』(「鈴鹿本」国宝)より

『今昔物語集』はすべての物語が「今は昔、…」で始まります。「駿河国富士神主帰依地蔵語第十一」の冒頭だけ話すと「今は昔、駿河国の富士の宮に神主をしているものがおった。和気光時といった。」とあります。つまり現・浅間神社の神主の話なんです。


ですから、この話の主人公である「和気光時」(神主)は富士氏の当主であるか否か…についてを述べる本などもあります。ここに「富士〇〇」という人物があった
としたら、「富士氏系図」の信ぴょう性がぐっと上がるんですけどね。

しかし、この話だけでも神仏習合を強く感じ取ることができ、そういう意味でも重要であるように思えます。「駿河国富士神主帰依地蔵語第十一」の解説は長いため省きますが、訳などの解説を見ることをお勧めします。

和歌からは『新勅撰和歌集』です。『新勅撰和歌集』における「富士の宮」は「北条泰時」の詠で確認できます。あの御成敗式目の人です。

  • 『新勅撰和歌集』(鎌倉時代)
『新勅撰和歌集』は、その名の通り和歌集です。勅撰和歌集(天皇の命により作られた和歌集)の1つで、『古今和歌集』(905年)〜『新続古今和歌集』(1439年)まで二十一の勅撰和歌集があります。それをまとめて「二十一代集」といいます。その中の『古今和歌集』から『新古今和歌集』までを「八代集」といい、『新勅撰和歌集』〜『新続古今和歌集』を「十三代集」といいます。

ここで一回「詞書(ことばがき)」について述べておこうとおもいます。和歌の前に説明のようにしてあるのが「詞書」で、詠んだ場所や動機などが書いてあります。例えば「…水面に映る月が美しいことよ」みたいな歌があったとします。でも和歌のみだと、どこから眺めたのかが分かりませんよね。そういう感じです。『新勅撰和歌集』にも詞書はあります。

『新勅撰和歌集』(伝二条為右筆本)室町時代前期写


詞書:
するがのくにに神拝し侍けるに、ふじの宮によみてたてまつりける

和歌:
ちはやぶる神世のつきのさえぬればみたらしがはもにごらざりけり

ふじの宮
神拝:神社を参拝して回ること
ちはやぶる:「神世」を導く枕詞。
神世のつき:神世の時代そのままの月。
さえぬれば:「さえ」は「冴ゆ」の連用形。「ぬれ」は完了の助動詞「ぬ」の已然形。「ば」は接続助詞。
みたらしがは:御手洗川。今もありますよね。

それを踏まえると、このようになる。

詞書:

「駿河の国に神社を参拝して回りましたときに、富士の宮に詠んで奉納した」

和歌:

「神世の月が冴え冴えと澄んだので、御手洗川も濁らないのであったよ」

御手洗川が清らかに澄んでいるということを言って、富士の宮の神威神徳を讃えている歌である、という解釈がなされています。

初詣の際などに、富士の宮で和歌を詠んでみるのも良いかもしれない。

  • 参考文献
  1. 神作光一 ・ 長谷川哲夫著,『新勅撰和歌集全釈〈3〉』P203-204,風間書房,2000年
  2. 『日本古典文学全集 (22) 今昔物語集 (2) 』P362-363,小学館
  3. 平野栄次編,『富士浅間信仰』P18,雄山閣出版,1987年

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