2011年6月3日金曜日

富士山の短歌たち

富士山は古来から霊峰として信仰の対象となり、また美術面でも対象となってきました。そんな中で古来から短歌などが詠われてきました。今回はそれらを掲載します。
  • 山部赤人(『万葉集』)
田児の浦うち出でてみれば真白にそ不二の高嶺に雪は降りける
山部赤人

当短歌についてはこちらもどうぞ→(田子の浦ゆうち出でてみれば真白にそ不二の高嶺に雪は降りける)。

  • 柿本人麻呂(『柿本集』)
富士のねの絶えぬ思ひをするからに常盤に燃ゆる身とぞなりぬる
柿本人麻呂
  • 高橋虫麻呂(『万葉集』)
富士の嶺に降り置く雪は六月の十五日に消ぬればその夜降りけり

  • 在原業平(『新古今和歌集』)
時しらぬ山は富士の嶺いつとてか鹿の子まだらに雪の降るらむ

「業平東下り図」(俵屋宗達)
  • 紀貫之(『新古今和歌集』)
験なき煙を雲にまがへつつ世をへて富士の山と燃えなむ
紀貫之

  • 伊勢(『伊勢集』)
人しれず思ひするがのふじのねはわがごとやかく絶えず燃ゆらむ
伊勢

  • 西行(『新古今和歌集』)
風になびく富士の煙の空にきえてゆくへも知らぬ我が思ひかな
西行

  • 源頼朝(『新古今和歌集』)
道すがら富士の煙もわかざりきはるるまもなき空のけしきに

  • 藤原定家(『拾遺愚草』)
富士の嶺にぬなれの雪のつもり来ておのれ時しる浮島がはら
藤原定家

  • 源実朝(『金塊和歌集』)
見わたせば雲居はるかに雪白し富士の高嶺のあけぼのの空
源実朝

  • 後鳥羽天皇(『続古今和歌集』)
富士の嶺の月に嵐や拂ふらむ神だに消たぬ煙なれども
後鳥羽天皇

最後には、個人的にすきな歌を1つ。

  • 道興准后(『廻国雑記』)
詞書:富士のむら山とて、大嶽の麓に侍り、所々に紅葉の残れるをながめて

高嶺には秋なき雪の色冴えて 紅葉ぞ深きふじのむら山

これは、現在の富士宮市村山から富士山を眺めて詠ったものである。道興は同じ富士山麓の「須山」(現在の小山町)と「鳴沢」(山梨県南都留郡鳴沢村)および「吉田」(山梨県富士吉田市)でも歌を詠んでいるが、これらもすばらしい。須山-村山-鳴沢と駿河国から甲斐国に移動する中で歌を詠み、次いで相模国に入り武蔵国を経た後甲斐国に再び入り、吉田でも歌を詠んでいる。

村山から見た富士山の「雪で覆われた深冬を感じさせる姿」と、現在自らが居る場所の「紅葉に覆われる風景」とを対比させ、季節感の差異を感じさせる見事な歌である。「色冴えて」という表現が「雪の白」と「紅葉」をはっきりと連想させている。

3 件のコメント:

  1. いい勉強になりましたっ!ありがとうございまーす

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  2. 紀貫之の画像ってどこから持ってきたんですか?

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  3. 『紙本金地著色三十六歌仙図』からです。

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