2011年5月24日火曜日

大宮・村山口登山道 村山古道とは

  • 大宮・村山口登山道とは
大宮(現在の富士宮市大宮町)または村山(現在の富士宮市村山)を起点とする登山道である



この登山道の起源は末代上人が開削した登拝道から始まるとされ(歴史的史料にての証明は難しい)、修験道の形成などにより登山道としての形をなしたと考えられている。

  • 大宮・村山口登山道の考え方
富士山本宮浅間大社が鎮座する「大宮」は、確かに登山口として捉えられるが、実際にはここから北東へ進んで村山に至り、そこから富士山体に至ることになる。それをまとめて「大宮・村山口」と称している。 ただ大宮と異なり、村山の地は確実に通過点となる。ここが決定的に「大宮」と「村山」では異なります。そもそも今現在は富士宮市として一体でありますが、当時は別々であったわけで、それぞれの性質を分けて考える必要性があります。

  • 結局「大宮起点」「村山起点」どちらなのか
これについては

  1. 富士市岩本に出された制札と富士山登拝
  2. 富士山禅定図と村山修験と元吉原

にてまとめました。

  • 「田子の浦が起点」という誤った情報
これは近年になって言われるようになったと思いますが、そんな事実はありませんでした。「海抜0mからの登山」というのも、当時そのような概念は無かったはずです。近年急に作られた言葉です。これらは以下の事実から、完全に否定できると思います。


  1. 古記録にて「大宮口」「村山口」という記録は数多く確認できるが、他には見られない(他に人穴口などがあるが、とても一般的とは言い難かった)
  2. 紀行文などで吉原宿からそのまま北方へ向かう記述が数多くあるのに、一旦海抜0mに下っていたという主張は成立しない
  3. 現在の富士市域に、富士宮市の地名である「村山」から取った「村山道」の石碑があり、明らかに村山へ至る道としての概念で留まっている

例えば1だけでも議論は帰結しそうなのであるが、2の部分も軽視してはならない。もっと吉原宿の歴史性を重要視すべきであると思う。2の事実から、海抜0mからの登山などという概念は一般にはなかったと言える。上のような展開は、道者が吉原宿に宿泊し、登山へ向かったという当時の風習を否定する行為でしかない。まず早期にぶつかる壁として①本当に一般にそのような風習があったと言えるのか②具体的名称は存在するのか③文書などの裏付けがあるのかといった基本的な部分も見いだせていない。

特に酷いのは、近世の末期-明治期の、それも裏付けのない単独の記録のみを大幅拡大解釈させている点です。近年この地域で、作為的な歴史の創造が行われてしまっているという点に、ご注意ください。またそれらの主体には決してなられぬよう、願います。題にある「村山古道」という言葉も、歴史用語ではありません。「大宮・村山口登山道」の後にあてて「村山古道」と付け足したのは、検索に引っかかるようあえて表記した次第です(自分が古道を発見したと主張する人が数年前に作った言葉です)。

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