2012年6月17日日曜日

戦国期甲斐国側の浅間神社と領主武田氏と小山田氏

富士信仰において、浅間神社は中心にあたります。その浅間神社に対する領主の関わり方は、注目されるポイントです。そのため、発給文書を中心として出来事を羅列してみました。現在の「一宮浅間神社」と「富士御室浅間神社」と「北口本宮富士浅間神社」についてです。

※すべてを載せているわけではありません
※年代は間違いの可能性があります。

  • 一宮浅間神社

内容
天文16年(1547)武田信玄が一宮浅間神社に信州の平定を祈る。
天文19年(1550)信玄、信府(長野県松本)の掌握を祈願。
天文20年(1551)信玄、上記の事が成就したため一宮郷荒間の一部を寄進。
弘治2年 (1556)信玄、信州筑摩群の一部を寄進。
元亀3年 (1572)駿河国富士郡押出村の一部を寄進。

  • 富士御室浅間神社

内容
弘治2年(1556)小山田信有、御室浅間神社の別当小佐野越後守に一部免除を与える
弘治3年 (1557)信玄、北条氏政のもとに嫁いだ娘の安産を祈る
永録元年 (1558)信有から小佐野越後守宛。勝山にて非法を行う者がいた場合申し出るよう命ずる
永録2年 (1559)信有、富士浅間大菩薩にあて軍功があげられるよう祈願
永録4年 (1561)信有、出陣に際し、武運の祈願
永録5年 (1562)信有、病気の平癒を祈る
永録7年 (1564)信玄、神主に奉納物を受け取った際、祈念するよう命ずる
信有、神馬を献じる
永録8年 (1565)信玄、娘の病気平癒を祈願
小山田信茂、小佐野越後守に礼状
永録9年 (1566)信玄、北条氏政のもとに嫁いだ娘の安産を祈る
永録10年 (1567)信茂、神社の御師「小河原土佐守」に関所免許を約束
元亀2年 (1571)信玄、小佐野越後守に須走の社務を任せる旨

  • 北口本宮冨士浅間神社

内容
天文17年(1548)小山田信有、諏訪の禰宜に富士山の神事の際新宮を建てる場合は報告するよう命じる
永録4年 (1561)信玄、諏訪森の木の伐採を禁ずる。

これら3つの浅間神社を比較すると、いろいろ見えてくるものがあります。

  • 参考文献
笹本正治,「武田信玄と富士信仰」『戦国大名武田氏』,名著出版,1991年

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