このページでは「当ブログが10周年を迎えたこと」と併せて「お休みの告知」をさせて頂きたいと思います。下部に統計情報も載せていますので、是非御覧ください。
- 当ブログの沿革
当ブログの初投稿は2011年1月21日になります。なので今年の2021年1月21日は10周年にあたります。しかし沿革を考えてみると、実は別にメインブログがあり(現在は削除済みです)、そこから歴史コンテンツを独立させるために誕生したという背景があります。
メインブログの閲覧者数は当ブログより遥かに多いものでしたが、残したいのはこちらのブログでした。なので今日の形となっています。
- 当ブログの方針・目的
当ブログの方針は「富士山に関する中世史の網羅」です。そして「文献の一覧化」です。そして「富士山麓の皆様が歴史に興味を持つきっかけとなる存在でありたい」という思いからなっています。
しかし「富士山に関する」と言いながらも、近年は戦国史ブログの様相になっていると思います。しかしこれらは富士山史への架け橋となると考えていますし、「歴史に興味を持って頂く」という意味ではむしろ近道ではないかと考えています。
- 統計
閲覧が最も多かった月は2013年の8月のようです。11937回のPVです。
ちなみに歴史ブログというのは、アクセスを集めることが大変困難であるように思います。過去私のメインブログのリンクがYahoo!ニュース欄に貼られたことが有りますが(Yahoo!側が公式に掲載します)、そういう場合一時間で数千のアクセスがあったりします。その数時間分が異常に遠いですね。
ブラウザですが、Google Chromeが1位でした。
OSはやはりWindowsが多いです。またモバイルも多いですね。
上は「何と検索して当ブログにアクセスしているか」という統計になります。「短歌」というキーワード検索でこのブログに至っている人が多いことが分かります。なので私は途中、短歌のコンテンツを増やすことにしました。「富士山の短歌たち」や「田子の浦ゆうち出でてみれば真白にそ不二の高嶺に雪は降りける」のアクセスが多いです。この場合併せて「田子浦と吉原湊その地理と歴史」を読んでいただきたく思います。また「富士山登山道の山小屋または石室の歴史」には富士大宮司の和歌も掲載しています。
もうアクセスの上位はほとんど短歌関連なんですよね。私の意図するところとは完全に違ったものになっています。
- 富士地区について思うこと
確実に将来に遺恨を残すことになるであろう事柄は、危惧の範囲を越えていると言える。「富士市や富士宮市は竹取物語発祥の地であるのか」にあるように根拠も無いのに"竹取物語発祥の地"と行政である富士市が数十年に渡り宣伝したり、民話の舞台の地である「龍厳淵」も、個人の勝手な解釈で全く異なる場所を市HPにて指定してしまったりしている(「富士宮市の地理考、富士山と湧水および河川と龍厳淵付近の断層」)。既に多くの誤解が生じ、後戻りできなくなっている。このような「歴史学の敗北」とも言える状態はとても悲しい。これらが一例に過ぎないということを理解している方も多いと思う。
「田子の浦」に関しても多くの議論がある。山部赤人が歌を詠んだような時代の「田子の浦」は、現在の富士市とは異なるとする見解が定説である。要約して言えば①「薩埵峠の手前も含む(興津~庵原郡境)」②「薩埵峠以降を指す(薩た峠~庵原郡境)」とするかで分かれ、庵原郡であり富士郡ではないとするものが殆どであることは良く知られている。
『広報ふじ』より |
しかしそれらの学説を受け富士市の広報では「富士山と暮らしている我々は気に留めません、根拠はないけど我々の地です」というスタンスなのである。これを広報で書いてしまっている事実は著しいモラルの欠如であり、このようなスタンスが他の事象でも多く見いだせるのである。独特な富士市史観が形成される背景をよく表している一例と言える。そもそもこのような、学説的に全くと言って良いほど支持されていない状況下で無理矢理石碑を建造すること自体も妙であり、とても文明的とは言えないのが現状である。
- 最後に
とにかく「富士山麓の人々が歴史に興味を持つきっかけでありたい」という思いが強かったです。また当ブログのコンテンツが情報を求める人の一助になれば幸いです。なるべく出典を明記するようにしているので、図書館等に足を運んでみて下さい。近年はダウンロードできる論考も多いので、ステイホームのお供にも良いでしょう。
今回当ブログのコンテンツにおける「おすすめ10選」を選定しましたので、是非御覧ください。
- 富士氏年表
- 富士山本宮浅間大社が富士山八合目以上を所有する理由を歴史から考える
- 富士市や富士宮市は竹取物語発祥の地であるのか
- 中道往還と浅間大社そして大宮口登山道
- 富士市の島地名と水害そして浅間神社
- 田子浦と吉原湊その地理と歴史
- 観応の擾乱における薩埵山の戦い再考と桜野・内房の地理
- 歌集や説話集にみられる富士宮
- 表富士と裏富士、表口と裏口
- 田子の浦ゆうち出でてみれば真白にそ不二の高嶺に雪は降りける
当ブログは暫くの間お休みとさせて頂きます。長期のお休みとなります。更新の予定がないので告知した方が良いと思い、このような運びとなりました。皆様のご健勝を心よりお祈り申し上げます。 ※ブログは削除する可能性があります
by暁