フジレキシ
世界文化遺産である富士山の歴史に特化したブログです。
富士山麓の地域が分からない方へ
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富士吉田市と富士山
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富士市(吉原、加島はここ)
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2026年5月18日月曜日
曽我兄弟の仇討ちの地として記される神野の比定地考
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「曽我兄弟の仇討ち」の地は、『吾妻鏡』によると富士野の神野とある。 曽我十郎祐成・同五郎時致、 富士野の神野 の御旅館に推參致し工藤左衛門尉祐経を殺戮す(建久4年(1193)5月28日条) 曽我十郎祐成( 「伏木曽我」の場面) ではこの「神野」について、富士宮市はどこを比定地と...
2026年5月10日日曜日
富士市の生贄伝承一大群とTRICK感を考える、シティープロモーション化の可能性
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富士市は令和8年(2026年)11月1日に市制施行60周年を迎える。そこで富士市について考えてみた所、富士市に内在する"TRICK感"が頭をよぎった。この機会にこれをしっかりと言語化しておこうと思った次第である。そして最終的にはシティープロモーションの可能性に...
2026年5月3日日曜日
曽我物語図扇面考、古画類聚との関係と松屋棟梁集の解釈
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本稿では「 富士野の絵画化例考、18世紀までの富士巻狩図と夜討図 」でも取り上げた「曽我物語図扇面」について考えていきたい。(井澤1999;p.431)には以下のようにある。 一対の曽我物語図の遺例を紹介する。 一、「曽我物語図扇面」 扇の一面に富士巻狩図が描かれ、画風から室町時...
2026年5月1日金曜日
源頼家の富士狩倉の絵画化例と仁田抜穴を考える
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今回は源頼家の「富士の狩倉」の絵画化例を考えていきたい。本稿では頼家が敢行した巻狩りそれ自体を指して「富士狩倉」と記すこととする。 源頼家 『吾妻鏡』建仁3年(1203)6月3日条に以下のようにある。 三日 己亥 晴 将軍家、渡御于 駿河国富士狩倉 。彼山麓又有大谷〈 号之人穴 ...
2026年4月6日月曜日
富士野の絵画化例考、18世紀までの富士巻狩図と夜討図
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令和7年12月19日付で、文化審議会文化財分科会の答申を経て26の「文化財保存活用地域計画」が承認された。この中には富士宮市のもの含まれている。他「小田原市文化財保存活用地域計画」の資料には、富士宮市も関連する事柄が挙げられている。 文言としては、以下のようにある。 源頼朝が平...
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