富士山麓の地域が分からない方へ

2013年4月23日火曜日

県指定富士浅間曼荼羅図を考える

富士曼荼羅図は複数が現存しているが、その中でも「絹本著色富士曼荼羅図」(重要文化財指定)は著明である。しかしその次を上げるとすれば、やはり以下の富士参詣曼荼羅図であろう。

富士参詣曼荼羅図

この県指定富士参詣曼荼羅図は「絹本著色富士曼荼羅図」(重要文化財指定)と同様室町時代作と考えられており、また同じく絹本着色である。以下、この県指定富士参詣曼荼羅図について取り上げたい。また当曼荼羅図について詳細に検討している文献に「富士参詣曼荼羅再考-富士山本宮浅間大社所蔵・静岡県指定本を対象に-」(大高康正)がありますので、そちらをベースに書いていきたいと思います。

この富士曼荼羅図は駿河国の現在の富士山本宮浅間大社を中心として描かれたものであり、それは湧玉池が大きく描かれていることからも明確である。他「清見寺」(+関所)「富士川」「駿河湾」「三保松原」などが描かれており、この点で言えば重要文化財指定富士曼荼羅図と広い意味での構成は同様である。しかしこの曼荼羅図において特筆すべきは、本宮を主体とし、また本宮と関わりがあると考えられる要素が広く散りばめられていることである。また本宮をスケールアップしつつも、遠くに位置するはずの「清見寺」などが遮るものなく下部に位置し、富士川が真ん中を横断する構造は絹本著色富士曼荼羅図よりデフォルメされている印象は非常に強い。

大高氏は本宮の社殿左右にある「棕櫚の木」に着目している。

浅間大社と棕櫚の木と神官
棕櫚は富士氏の家紋であり、この関係は注目である。棕櫚は「神霊の宿る葉として昔から尊ばれた」(『姓氏・地名・家紋総合事典』)と言われていることから、強いメッセージ性を感じるものである。

また同稿では「境内には道者と烏帽子を被る神官と思しき人物の二種しか描かれていない」とある。そして「本宮の聖域性が強調されている」としている。

富士山本宮浅間大社の神官
元画像が悪く見えにくいが、これが「烏帽子を被る神官と思しき人物」である。本宮の神官(のうち上級社人)を絵で記したものは他に無いように思える。個人的には神官が3人という点が気にかかり、大宮司・公文・案主(つまり富士氏)を指す可能性も考えたい。

また神官から上の部分をみると巫女が描かれており、これを「国指定本の富士山興法寺にみられたものと同様で、ここが村山であることを示していよう」としている。国指定本とは、重要文化財指定の曼荼羅図を指している。また「滝と橋」の図も興味深い。

竜頭池から流れい出る水
これは「竜頭の池」から流れでたものとしている。また左方向には「道者が弓矢を射る様子」があり、以下のように説明している。

本宮近辺の大字阿幸地にも「矢立」という小字が残っており、吉凶を占うということが目的の矢立の習俗は、各所で頻繁にみられたのであろう。

阿幸地は「悪王子」から来ている。「浅間大菩薩縁起」(滝本往生寺所伝)などの富士山縁起には、山頂の水精ケ岳に悪王子が祭られて「悪王子ケ岳」とも呼ばれ、末代ゆかりの霊地とされていたようである(「中世の富士山-「富士縁起」の古層をさぐる-」『日本中世史の再発見』P123)。

  • 背景
大高氏は作成主体は浅間大社の社人衆にあったとし、特に勧進活動に関係する宮崎氏などではないかと想定している(宮崎氏については「社家町としての駿河大宮」を参照)。そして作成時期については十六世紀後半を想定しているという。当時の本宮の情勢などを大きく加味しているようだ。

  • 参考文献
  1. 大高康正,「富士参詣曼荼羅再考-富士山本宮浅間大社所蔵・静岡県指定本を対象に-」,『絵解き研究 18』, 2004年
  2. 丹羽基二,『姓氏・地名・家紋総合事典』,新人物往来社,1988年

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