『竹取物語』において、富士山に関する記述は最後の「段登天の段」にみられる。
かぐや姫の美しさを聞いた男たちはこれを妻にしようとしたが、かぐや姫の出す難問に答えられず、果たせなかった。帝でさえも果たせず、姫は月に帰っていった。姫は帰るにあたり不死の薬と手紙を帝に贈った。しかし帝は塞ぎこんでしまった。
帝は大臣・上級役人を呼んで「どの山が最も天に近いのか」と聞いた。そこである者が「駿河国にある山が、都からも近く、天に最も近いそうです」と答えた。それを聞き帝は「逢うことも出来ず涙に浮かんでいるような我が身に、死なぬ薬が何の役に立とうものだろうか」と歌に書いた。帝は不死の薬の壺に手紙を添え、使者に託した。帝は使者に「月の岩笠という人を呼んで、駿河の国にある山の頂きに持っていくように」と命じた。そして山頂ににてすべきことをお命じになった。「手紙と不死の薬の壺を並べ、火をつけて燃やすように」という内容であった。その旨を承り、兵を連れ駿河の国の山に登ったので、その山を富士の山と名付けたという。手紙と不死の薬の壺を焼いたその煙は、今も雲の中へ立ち上っていると伝わる。
これは富士山の由来の1つに数えられているが、伝説的な部分として語られる中での話なのであり、史実ではない。ただこのように、当時富士山と女神(かぐや姫)を結びつける考え方があったことは間違いないだろう。
「富士-信仰・文学・絵画」では以下のように説明を加えている。
「富士-信仰・文学・絵画」では以下のように説明を加えている。
しかし不死の妙薬をなぜ富士の頂で焼かなければならなかったのであろう。それは富士の頂が天に最も近い場であるからであることは、ここに述べられている。かぐや姫は天にいる。その姫に帝の想いを伝えるには、富士の頂から開かれている通路を通してするほかない。しかもこれは恋い慕う思いである。すでに万葉の時代から恋の想いは富士の煙に託されてきた。その意味でも妙薬は富士の頂きで焼かなければならなかった。また焼かれた妙薬が不死の薬であったことも重要である。後にもふれることになろうが、高山は死と再生の場であると考えられている。そういう場でこそ、不死の薬が焼かれるべきなのである。そして、その焼く行為はいつまでも終わらない。いつまでも煙をたちのぼらせ続けるのである。そこへ立てがあるいは不死を得ることができるかもしれない。不死を得ることができないまでも、新たな生気を得て命を長らえるかもしれない。そんな山岳信仰の不思議を伝えて、『竹取物語』は極めて興味深い。
「富士山と煙」というのは、古来の和歌でもセットとなっていることは多い。
- 参考文献
- 影山純夫,「富士-信仰・文学・絵画」『山口大学教育学部研究論叢第45巻第1部』,1995
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