富士山麓の地域が分からない方へ

2011年7月29日金曜日

勝山記・妙法寺記にみる富士山

『勝山記』・『妙法寺記』は河口湖周辺の年代記である。『勝山記』においては、より古い型をもつとされる「冨士御室浅間神社」所蔵のものが代表である。『妙法寺記』は妙法寺に伝わる異写本である。お互い共通の原本が存在していたとされるが、所在は不明である。

ここから重要な部分を抜き出す(『妙法寺記』)。

1480年:「冨士山吉田取井(鳥居)立」

吉田に鳥居が建立。

1495年:「吉田村諏方大明神 鐘武州より鋳テ上ル」

吉田諏訪神社に鐘楼ができる。

1496年:「北条ノ君(中略)冨士へ御井テ」

北条早雲の富士登山。

1500年:「吉田トリイ卯月廿日タツ」「此年六月富士導者参事無限、関東乱ニヨリ須走へ皆導者付也」 

吉田に鳥居建立。後者はよく取り上げられる記述で、これは関東の乱のために須走口から道者が多く登ったことを意味する。当時の戦況などにより登山ルートの変更を強いられることもあったということである。

1522年:「武田殿冨士参詣有之」

武田家当主の武田信虎の富士登山。

1553年:「六月導者富士へ参詣多コト不及言説」

登山期の登山者の増加を示している。

  • 『妙法寺記』の実際
『勝山記』・『妙法寺記』は河口湖周辺の年代記といわれるが、読んでみて意外にも郡内の記述が突出しているわけではない。

地域
回数
甲州・当国など                   
65
郡内・当所
4
小山田・中津森など
39
信州・信濃
34
伊豆
4
国中
11
河内
3
郡内の豪族
30
駿州・駿河
25
越後
3
都留郡・当郡など
10
御屋形・武田殿など
64
穴山
2
相州・相模
14
武田氏と国境」より

「武田氏と国境」では、「まず甲斐、ついで都留郡の順に意識されており、郡内の領主小山田氏以上に武田氏の動向に注意を払っている」としている。富士山関連の検証としては、意外に活用できない。

  • 原本
これらは写本とされているが、「どちらが原本に最も近いのか」という議論は多い。またそもそも『勝山記』・『妙法寺記』のどちらかが原本であるという考え方もある。これらは研究者により分かれているが、笹本正治氏は「小山田氏と武田氏-外交を中心として-」の中でこれら問題に触れている。『勝山記』と『妙法寺記』では『勝山記』の方が振り仮名や送り仮名が多く、総合的な字数が多い。振り仮名などの関係で『勝山記』の方がより読みやすく、違いが確認できる。これらから笹本正治氏は、『妙法寺記』を読みながら写字したため、その関係で振り仮名などが付加されたという可能性を指摘している。つまり『妙法寺記』が原本により近いと主張している。

  • 参考文献 
  1. 笹本正治,「武田氏と国境」「小山田氏と武田氏―外交を中心として―」『戦国大名武田氏の研究』,思文閣出版,1993年
  2. 『浅間神社史料』P13,浅間神社社務所,1934年

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