富士山麓の地域が分からない方へ

2011年6月6日月曜日

今川赤鳥と富士浅間宮

  • 今川赤鳥とは
「今川赤鳥」は今川家において軍旗/馬印として使用された印。
今川赤鳥
  • 『難太平記』にみる赤鳥
『難太平記』は今川了俊によって著された書物。そのなかで「今川赤鳥の由来」が記されている。
『難太平記』
記されている内容は概ねこのような感じらしい。

今川範国は富士浅間宮の巫女から「青野原の戦いの際に笠験として赤鳥を授けたのは私だ」という神のお告げを聞く。実際に合戦中に赤鳥を思い浮かべていた範国は驚き、その後今川氏の旗印とすることとなった。

というように由来が神社の巫女から来ているのです。今川範国は今川氏の初代当主です。この「富士浅間宮」がどこかというと、現・富士山本宮浅間大社であると考えられます。しかし「富士浅間宮」と呼称する例は他に存在するため、曖昧な部分もあります。

文中で「富士浅間宮」と「赤鳥」という言葉が出ているのが見て取れます。
富士浅間宮

赤鳥
この時代に「富士浅間宮」と呼称されていたものが何であるかで判明すると思います。ここでいう「富士浅間宮」が現在の静岡浅間神社を指す可能性は、かなり低いように思える。

  • 参考文献
宮地直一,『浅間神社の歴史』(1973年版)P44-46,名著出版

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