身延町 |
「身延町と富士山」という観点で語った場合にまず挙げられるのは、富士五湖のうち「本栖湖」が位置しているということである。
意外にもこれを知らない人が居るのであるが、本栖湖は「身延町」と「富士河口湖」に跨る湖であって、富士河口湖町だけではない。
当然ながら、イコモスへ提出された「推薦書」にもそれは示されている。
「どちらがどの程度保有しているか」については不明である。
また日本紙幣の千円札又は五千円札に富士山の逆さ富士が描かれているが、これは本栖湖西北岸の中ノ倉峠から撮った岡田紅陽の写真によるものである。つまり
身延町からの風景がお札の図柄となっている
岡田紅陽(1895(明治 28)~1972(昭和 47))は、1935 年 (昭和 10 年)に本栖湖西北岸の中ノ倉峠から湖面に映える「逆さ富士」の写真を撮影した。それは『湖畔の春』と名付けられ、1984年(昭和 59 年)には五千円札、2004 年(平成 16 年)には千円札の図様として、 それぞれ採用された。
とある。よく勘違いされているが、紙幣の図柄の「逆さ富士」は本栖湖から撮ったものではない。身延町の中ノ倉峠から"本栖湖と富士山を被写体として"撮ったものである。
身延町と富士山との関わりについて、近年では特に「内八海巡り」(富士八海)が注目されている。本栖湖もそうであるが、隣接する市川三郷町の「四尾連湖」も富士八海の1つであり、身延町域を富士講信者が巡礼していたと推察されている。身延町域の、本栖湖から四尾連湖に向かう道中に現在も「御内八海道碑」が残る。
※富士八海
富士八海は時代により差異があるとされる。いわゆる「富士五湖」(当時はそのような呼称は無い)と市川三郷町の四尾連湖、富士吉田市の明見湖、そして須戸湖または泉瑞(津)湖である。「または」としたが、泉瑞湖(富士吉田市)を富士八海とするようになったのはより後世であるとされる。甲斐国の地誌である『甲斐国志』は「須戸湖」(沼津市・富士市)の方を示している。
以上が、「身延町と富士山との関係」についての簡潔な説明である。
0 件のコメント:
コメントを投稿